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四季と易経 その七十二

地始凍(ちはじめてこおる)(七十二候の五十六候・立冬(りつとう)の次候)

【新暦十一月十二日ころから十六日ころまで】
 意味は「大地が凍り始める(絵で楽しむ)」である。
 「絵で楽しむ」には次のように書いてある。
 夜の冷え込みが増し、地面が硬く凍り始めるころ。(中略)地中の水分が凍ってできるのが「霜柱」。

 「地始凍(ちはじめてこおる)」は、易経・陰陽消長卦の「山地剝」六五に中る。次に「山地剝」六五の文章(爻辞と小象伝)を示す。
 「山地剝」六五の言葉は【新暦十一月十二日ころから十六日ころまで】に当て嵌まる。

山地剝六五(易経・陰陽消長卦)

《爻辞》
六五。貫魚。以宮人寵。无不利。
○六五。魚を貫く。宮(きゆう)人(じん)を以て寵(ちよう)せらる。利しからざる无(な)し。
 卦主(トップ)の六五が衆陰(初六・六二・六三・六四)を目(め)刺(ざ)し魚のように一つに束(たば)ねて、後(こう)宮(きゆう)の妻(さい)妾(しよう)のように上九から寵(ちよう)愛(あい)されれば(君子たる上九に柔順に従えば)、剝の禍(わざわい)を一(いつ)時(とき)は回避することができる。

《小象伝》
象曰、以宮人寵、終无尤也。
○象に曰く、宮(きゆう)人(じん)を以て寵(ちよう)せらるとは、終(つい)に尤(とが)无(な)き也。
 小象伝は次のように言っている。六五が衆陰を目刺し魚のように一つに束(たば)ねて、後(こう)宮(きゆう)の妻(さい)妾(しよう)のように上九から寵(ちよう)愛(あい)される(君子たる上九に柔順に従う)から、最終的にトップとして組織を瓦解させた責任を免れることができる(歴史的に汚名を着せられることはない)のである。

 「山地剝」六五の之卦は「風地観」である。次に「風地観」の全体像を表す言葉(卦辞・彖辞、彖伝、大象伝)と「風地観」の九五の言葉(爻辞、小象伝)を示す。これらの言葉は「山地剝」の九五と同じく【新暦十一月十二日ころから十六日ころまで】に当て嵌まる。

風地観(山地剝六五の之卦)

《卦辞・彖辞》
觀、盥而不薦。有孚顒若。
○觀は盥(かん)して薦(すす)めず。孚(まこと)有り顒(ぎよう)若(じやく)たり。
 観には「周観(周く物を観る)」「仰観(手本を示す、仰ぎ観る)」の意味がある。上の者が下の者を周(あまね)く観て手本を示すから、下の者は上の者を仰ぎ観るのである。
 宗(そう)廟(びよう)の祭(さい)祀(し)でお供え物を献(けん)上(じよう)する前に、祭主が手を洗い清めて神様の前に進み、至誠の心と厳(げん)粛(しゆく)な態度で神様を天から迎えるのである。為政者が至誠の心と厳粛な態度を民に示せば、民は自然に為政者を尊(そん)崇(すう)して仰ぎ観るようになる。

《彖伝》
彖曰、大觀在上、順而巽、中正以觀天下。觀盥而不薦、有孚顒若、下觀而化也。觀天之神道而、四時不忒。聖人以神道設教、而天下服矣。
○彖に曰く、大觀上に在り。順にして巽、中正以て天下を觀る。觀は盥(てあら)いて薦めず、孚(まこと)有り顒(ぎよう)若(じやく)たりとは、下觀て化する也。天の神道を觀るに、四(しい)時(じ)忒(たが)わず。聖人、神道を以て教えを設けて、天下服す。
 彖伝は次のように言っている。山のように見識が高く臣民が仰ぎ観る陽剛(上九の老師と九五の天子・トップ)が上に在る。二人は柔順(坤)に天の道に従い、巽順(巽)に謙遜して高ぶらない。剛健中正の德を備えた九五の天子(トップ)が周(あまね)く天下を観察して手本を示し、臣(しん)民(みん)は仰ぎ観る。
 例えば、宗廟の祭祀でお供え物を献上する前に、祭主が手を洗い清めて神様の前に進み出て、至誠の心と厳粛な態度で神様を天から迎えるように、為政者が至誠の心と厳粛な態度を民に示せば、民は自然に為政者を尊崇して仰ぎ観る。
 臣民(下)は為政者の至誠な心と厳粛な態度を観て自然と風化する。天の神(しん)道(とう)を観察すると、春夏秋冬息(やす)まず循環して違(たが)い誤ることはない。
 聖人は神道に則(のつと)り臣民を教化する。すなわち、神道が声も形もなく、自然にして霊(れい)妙(みよう)な働きであるように、聖人は言葉や規則を用いずとも至誠な心で臣下人民を風化させ、自然に天下萬民は信服するのである。

《大象伝》
象曰、風行地上觀。先王以省方、觀民設教。
○象に曰く、風、地の上を行くは觀なり。先王以て方を省み、民を觀て教を設く。
 大象伝は次のように言っている。風が地上に周(あまね)く(四方八方)吹き渡る(坤下巽上)のが観の形である。昔の王さま(トップ)はこの形を見習って天下諸国(各地)を巡(じゆん)幸(こう)し、風俗・慣習・文化の相違を詳(つまび)らかに観察して、それぞれに適した国是(規則)を定め、それぞれに適した教育を施(ほどこ)して民(人々)を教え導いたのである。

風地観九五(山地剝六五の之卦・爻辞)

《爻辞》
九五。觀我生。君子无咎。
○九五。我が生(せい)を觀(み)る。君子なれば咎无し。
 九五は剛健中正の德を備えて尊位に居る聖(せい)君(くん)(聖人のように立派なトップ)である。天下の治(ち)乱(らん)興(こう)亡(ぼう)は天子(トップ)の德風に従う。聖君は自分の政治の是非を省みるべく、天下の治乱・萬(ばん)民(みん)の風俗を観察する。
 天下が治まっており萬民の風俗が善良であれば、咎められない。

《小象伝》
象曰、觀我生、觀民也。
○象に曰く、我が生(せい)を觀(み)るとは、民(たみ)を觀(み)る也(なり)。
 小象伝は次のように言っている。聖(せい)君(くん)(聖人のように立派なトップ)が自分の政治の是非を省(かえり)みるのは、天下の治乱・萬(ばん)民(みん)の風俗の善悪を観察して自分の政治の是非を知り、益々聖君君(くん)(聖人のように立派なトップ)の德を養うためである。