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四季と易経 その七十三

金盞香(きんせんこうばし)(七十二候の五十七候・立冬(りつとう)の末候)

【新暦十一月十七日ころから二十一日ころまで】
 意味は「水仙の花が咲いて香る(絵で楽しむ)」である。
 「絵で楽しむ」には次のように書いてある。
 春に咲く金盞花のことではなく、ここでは冬の香り高い水仙をさします。水仙は「金盞銀台(きんせんぎんだい)」という異名も。

 「金盞香(きんせんこうばし)」は、易経・陰陽消長卦の「山地剝」上九に中る。次に「山地剝」上九の文章(爻辞と小象伝)を示す。
 「山地剝」上九の言葉は【新暦十一月十七日ころから二十一日ころまで】に当て嵌まる。

山地剝上九(易経・陰陽消長卦)

《爻辞》
上九。碩果不食。君子得輿、小人剝廬。
○上九。碩(せき)果(か)食われず。君子は輿(くるま)を得、小人は廬(ろ)を剝(はく)す。
 上九の君子(上流階級の一部の人々・一部の人格者・神仏)は一陽(君子)が五陰(小人)の上に在るから大きな果物に喩(たと)えることができる。衆陰がこれを食べようとするが、超然と山頂に隠居している上九の君子(上流階級の一部の人々・一部の人格者・神仏)は、小人の姦(かん)謀(ぼう)の及ぶところではない。如(い)何(か)に世が乱れ、小人が蔓延(はびこ)っても、正義の種は亡びることなく、何時かはまた勢いを得るのが天理である。
 乱が極まれば民は泰平を願うので、上九の君子(上流階級の一部の人々・一部の人格者・神仏)は民に崇(あが)められ、大きな車の上に載せられる。君子(上流階級の一部の人々・一部の人格者・神仏)は小人を覆(おお)い庇(かば)う屋根のような存在だから、小人が君子を剝(はく)落(らく)すればさらに世は乱れ、小人も安(あん)閑(かん)としていられなくなるのである。

《小象伝》
象曰、君子得輿、民所載也。小人剝廬、終不可用也。
○象に曰く、君子は輿(くるま)を得とは、民(たみ)の載(の)せる所(ところ)也(なり)。小人は廬(ろ)を剝(はく)すとは、終(つい)に用(もち)う可(べ)からざる也。
 小象伝は次のように言っている。上九の君子(上流階級の一部の人々・一部の人格者・神仏)は民(たみ)に崇(あが)められ、大きな車の上に載せられる。天下泰平を願う多くの民が推(お)し戴(いただ)いて、上九の君子(上流階級の一部の人々・一部の人格者・神仏)を車に載せるのである。
 小人が君子(上流階級の一部の人々・一部の人格者・神仏)を剝落すればさらに世は乱れ、小人も安(あん)閑(かん)としていられなくなる。天の運行は循環して必ず正しい道に復(かえ)るので、小人が君子(上流階級の一部の人々・一部の人格者・神仏)を陥(おとしい)れても、終(つい)にはその姦(かん)謀(ぼう)を遂(と)げることはできないのである。

 「山地剝」上九の之卦は「坤為地」である。次に「坤為地」の全体像を表す言葉(卦辞・彖辞、彖伝、大象伝)と「坤為地」上六の言葉(爻辞、小象伝)を示す。これらの言葉は「山地剝」の上九と同じく【新暦十一月十七日ころから二十一日ころまで】に当て嵌まる。

坤為地(山地剝上九の之卦)

《卦辞・彖辞》
坤、元亨。利牝馬之貞。君子有攸往。先迷、後得主。利西南得朋、東北喪朋。安貞吉。
○坤は、元(おお)いに亨(とお)る。牝(ひん)馬(ば)の貞に利(よろ)し。君子往(ゆ)く攸(ところ)有り。先んずれば迷い、後(おく)るれば主を得(う)。西南に朋(とも)を得(え)、東北に朋(とも)を喪(うしな)うに利(よろ)し。貞に安んずれば吉。
 柔順に柔順を重ねた坤の時は、貴方が担っている役割(生活や仕事などにおける貴方の役割と貴方が仕えている人のリーダーとしての資質)の大きさに応じて成就する。貴方は脇役としての自分の役割をはっきりと認識して、雌(めす)馬(うま)が雄(おす)馬(うま)に柔順に従うように、貴方が仕えている人に従うが宜しい。
 今の貴方には脇役の君子として、進むべき道がある。自分が先頭に立てば道に迷うが、雌(めす)馬(うま)が雄(おす)馬(うま)に仕えるように、今、貴方が仕えている人に従えば、貴方が生涯仕える人物に巡り逢うことができる。西南(坤・陰の方角)の地にある故郷に居る時は家族や友達との関係を大切にしなさい。親元を離れて東北(艮・陽の方角)の地に赴けば家族や友達と離れ離れになるが、それが脇役の君子の道だから、宜しいのである。貴方は脇役の君子として、貴方が今、仕えるべきリーダーに柔順に従うが宜しい。

《彖伝》
彖曰、至哉坤元、萬物資生。乃順承天。坤厚載物、德合无疆。含弘光大、品物咸亨。牝馬地類、行地无疆。柔順利貞、君子攸行。先迷失道、後順得常。西南得朋、乃與類行。東北喪朋、乃終有慶。安貞之吉、應地无疆。
○彖に曰く、至れるかな坤(こん)元(げん)、萬(ばん)物(ぶつ)資(と)りて生ず。乃(すなわ)ち順にして天を承(う)く。坤厚くして物を載(の)せ、德无(む)疆(きよう)に合う。含(がん)弘(こう)光(こう)大(だい)にして、品(ひん)物(ぶつ)咸(ことごと)く亨(とお)る。牝馬は地の類、地を行くこと无(む)疆(きよう)なり。柔順利貞、君子の行う攸(ところ)なり。先んずれば迷いて道を失い、後(おく)るれば順(したが)って常を得(う)。西南に朋(とも)を得るは、乃ち類と行くなり。東北に朋を喪うは、乃ち終(つい)に慶(よろこ)び有るなり。貞に安んずるの吉は、地の无(む)疆(きよう)なるに應(おう)ず。
 彖伝は次のように言っている。乾元(物事が最大限に成し遂げられる力)に至るほどに偉大であるなぁ、坤元の(萬物を生み出す)力は…。乾元が発する根源的なエネルギーを坤元が丸ごと受け容れて、萬物は生み出された。すなわち大地(坤)が柔順に天(乾)の根源的な力(元氣)を受け容れて、あらゆる事象(萬物)を創造したのである。
 坤の性質は、陰德を厚く積み上げて萬物をその上に載せているから、疆(かぎ)りない乾の性質と合致する。萬物は優しく包含されて光り輝き、それぞれ天から授かった性命(天命)を発揮して、すらすら成長する。
 雄馬に柔順に従う雌馬は、天に対する地に分類される。雌馬は大地としての役割を果たすために疆(かぎ)りなく進んで行く。雌馬はあくまでも雄馬に柔順で、脇役としての貞しさを固く守る。以上が雄馬に従順に従う坤の君子である雌馬の行く道である。
 雌馬は自分が先頭に立てば道に迷うことになるが、雄馬のリーダーに仕えれば、やがて生涯仕える人物に巡り逢える。西南(坤・陰の方角)の地にある故郷に居る時に家族や友達との関係を大切にするのは、生涯仕える人物に巡り逢うための基礎固めである。
 東北(艮・陽の方角)の地に赴けば家族や友達と離れ離れになるが、それが脇役の君子の道である。最初は寂しいけれども、やがて生涯仕える人物に巡り逢って、終には喜びを得られる。今は、脇役の君子として、仕えるべきリーダーに柔順に従えば幸を得るのである。大地(坤)の性質は天(乾)の疆(かぎ)りない性質に相応じているからである。

《大象伝》
象曰、地勢坤。君子以厚德載物。
○象に曰く、地(ち)勢(せい)は坤(こん)なり。君子以(もつ)て德を厚くし物を載(の)す。
 大象伝は次のように言っている。乾の元氣(天地宇宙の根源的なパワー)を受け容れて萬物を包容・含蓄・創造しているのが、坤の卦象である。坤の君子は、この卦象に倣(なら)って、陰德を厚く積み上げて、あらゆる事象を包容・含蓄・創造するのである。

坤為地上六(山地剝上九の之卦・爻辞)

《爻辞》
上六、龍野于戰、其血玄黄。
○上(じよう)六(りく)、龍(りゆう)野(や)に戰(たたか)う。其(そ)の血玄(げん)黄(おう)なり。
 陰德を積むべき坤の君子(雌馬)が勢い余って龍(雄馬)のように振る舞うようになった。こうなると乾の君子(雄馬)が黙っていない。「坤(陰)が乾(陽)の役割を果たすことはまかりならぬ」と、乾の龍(乾の天子)と坤の龍(坤の天子)が決闘する。乾の天子と坤の天子が決闘すれば、(陽の)黒い血と(陰の)黄色い血を流して、共に傷付き破滅する。

《小象伝》
象曰、龍野于戰、其道窮也。
○象に曰く、龍野に戰うは、其の道窮まれば也。
 小象伝は次のように言っている。乾の龍と坤の龍が決闘するのは、雄馬(陽)に順う雌馬(陰)の道(乾の根源的なパワーを受容する陰の存在意義)も、雌馬(陰)に尊崇される雄馬(陽)の道(坤に全面的に受け容れられて萬物を創造を始動する陽の存在意義)も、共に行き詰まって、天地創造の原理原則を逸脱しようとしているのである。