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四季と易経 その三十一

牡丹華(ぼたんはなさく)(七十二候の候の十八候・穀雨の末候)

【新暦四月三十日ころから五月四日ころまで】
 意味は「牡丹の花が咲く(絵で楽しむ)」である。
 「絵で楽しむ」には次のように書いてある。
 「百花の王」といわれる牡丹の花が咲く時季。(中略)「立てば芍(しやく)薬(やく)、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」などといわれ、美しい女性の姿を表すたとえにも用いられてきました。

 「牡丹華(ぼたんはなさく)」は、易経・陰陽消長卦の「澤天夬」九三に中る。次に「澤天夬」九三の文章(爻辞と小象伝)を示す。
 「澤天夬」九三の言葉は【新暦四月三十日ころから五月四日ころまで】に当て嵌まる。

澤天夬九三(易経・陰陽消長卦)

《爻辞》
九三。壯于頄。有凶。君子夬夬。獨行遇雨、若濡有慍、无咎。
○九三。頄(き)に壯(さかん)なり。凶有り。君子は夬(かい)夬(かい)たり。獨(ひと)り行きて雨に遇ひ、濡(ぬ)るるが若くにして慍(いきどお)らるる有れども、咎无し。
 剛に過ぎる(陽爻陽位でやり過ぎる位に居る)九三は意気盛んなところが顔付き(頬骨の辺り)に現れている。君子としては度量が小さく、そんな顔付きで正応上六に接近し、これを除去しようとすれば必ず失敗する。君子に相応しい度量を身に付けて断乎たる決心(上六を討伐する)を胸中深く抱き、一人超然として佞人上六に接近すれば、上六の悪の雨に濡れるような影響を受けているように見られて、他の君子(陽爻)から怨まれることもある。しかし九三は、佞人上六を断乎として除去すべく、その機会を窺っているのであるから、誰からも咎められる(非難される)ようなことはないのである。

《小象伝》
象曰、君子夬夬、終无咎也。
○象に曰く、君子は夬(かい)夬(かい)たりとは、終(つい)に咎无き也。
 小象伝は次のように言っている。剛に過ぎる九三は君子に相応しい度量を身に付けて断乎たる決心(上六を討伐する)を胸中深く抱き、一人超然として上六に接近する。正応の佞人上六を除去する機会を窺っているのだ。
 それゆえ最初は疑われても、終には咎を免れる(誰からも非難されない)のである。

 「澤天夬」九三の之卦は「兌爲澤」である。次に「兌爲澤」の全体像を表す言葉(卦辞・彖辞、彖伝、大象伝)と「兌爲澤」六三の言葉(爻辞、小象伝)を示す。これらの言葉は「澤天夬」の九三と同じく【新暦四月三十日ころから五月四日ころまで】に当て嵌まる。

兌爲澤(澤天夬九三の之卦)

《卦辞・彖辞》
兌、亨。利貞。
○兌(だ)は亨る。貞しきに利し。
 兌は悦(よろこ)ぶ時。だが、悦べば箍(たが)が緩(ゆる)み羽目を外し、やがて乱れる。兌の時は上も下も、我も人も悦ぶ時である。それゆえすらっと通る。しかし、悦べば箍(たが)が緩(ゆる)み羽目を外してやがて乱れる。それゆえ、悦びの中に邪(じや)心(しん)や媚(こ)び諂(へつら)う気持ちがあってはならない。常に正しい道(純粋に悦び、悦ばせること)を固く貫くことが肝要である。

《彖伝》
彖曰、兌、説也。剛中而柔外。説以利貞。是以順乎天、而應乎人。説以先民、民忘其勞。説以犯難、民忘其死。説之大、民勸矣哉。
○彖に曰く、兌は説(よろこ)ぶ也。剛は中にして柔は外なり。説(よろこ)びて以て貞しきに利し。是(ここ)を以て天に順ひて人に應(おう)ず。説びて以て民に先だてば、民(たみ)其(その)勞(ろう)を忘る。説びて以て難を犯せば、民其死を忘る。説びの大なる、民(たみ)勸(つと)む哉(なり)。
 彖伝は次のように言っている。兌は上も下も、我も人も悦(よろこ)び悦ばせる道を説(と)いている。心の中は剛(つよ)い真心で貫かれ(剛健な九二と九五が中庸の德を具えており)、外に対しては柔和で従順である(柔弱な六三と上六が九二と九五の外=上に在る)。それゆえ、上も下も、我も人も悦び悦ばせて正しい道(純粋に悦び、悦ばせること)を固く貫くことができる。以上のようであれば、天地の道理(継続すること)に順って事を図り、臣民(部下や大衆)の要望に適切に対処することができる。天子(トップ)が、上も下も、我も人も悦び悦ばせて臣民(部下や大衆)を率いるから、臣民(部下や大衆)は苦労を厭(いと)わないのである。上も下も、我も人も悦び悦ばせて國(こく)難(なん)に立ち向かうから、臣民(部下や大衆)は命をも惜しまずに國(こく)難(なん)に立ち向かうのである。上も下も、我も人も悦び悦ばせる兌の道は、何と偉大かつ崇高であろうか。天子(トップ)が、命をも惜しまずに國(こく)難(なん)に立ち向かうから、臣民(部下や大衆)は苦労を厭(いと)わずに自ら勤め励むのである。

《大象伝》
象曰、麗澤兌。君子以朋友講習。
○象に曰く、麗(れい)澤(たく)は兌なり。君子以て朋(ほう)友(ゆう)講(こう)習(しゆう)す。
 大象伝は次のように言っている。上と下に澤(さわ)が並んで互いに潤(うるお)し合って涸れることがない。これが兌の形である。君子はこの形に見習って、同門同志(同じ師から學んだ朋友)を集めて、共に學んで実践し習慣化することによって人格を陶(とう)冶(や)するのである。

兌爲澤六三(澤天夬九三の之卦・爻辞)

《爻辞》
六三。來兌。凶。
○六三。來(きた)りて兌(よろこ)ぶ。凶。
 六三は柔弱不中正の(実力もないのに自己過信してやり過ぎる)佞(ねい)人(じん)(ろくでなし)であり、上六とは陰同士で応じていない。比する忠臣九二に下って媚(こ)び諂(へつら)い悦び悦ばれる関係を築こうとするが、中庸の德を具えている九二は佞人六三を相手にしない。そこで、同じく比する九四の大臣(側近)に取り入ろうとしてあれこれ画策するが、結局相手にされない。以上のような有り様であるから、六三はあらゆる人から憎まれて自ら禍(わざわい)を招き寄せる。

《小象伝》
象曰、來兌之凶、位不當也。
○象に曰く、來(きた)りて兌(よろこ)ぶの凶は、位(くらい)當(あた)らざる也。
 小象伝は次のように言っている。六三はあらゆる人から憎まれて自ら禍(わざわい)を招き寄せる。柔弱不中正の(実力もないのに自己過信してやり過ぎる)佞(ねい)人(じん)(ろくでなし)だからである。