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四季と易経 その六十八

神無月(かんなづき)と霜月(しもつき)に中る区分

 神無月と霜月にまたがる陰陽消長卦と十二支、二十四節氣の順序で整理してみる。

神無月(かんなづき)(和風月明)
【新暦十月一日から三十一日】

 神様の旅の月、十月。全国の神々が出雲大社に集まって一年の報告と慰労会があるようです。神様が国元を留守にするので【神無月】。神様が集まる出雲の国だけは【神在月(かみありづき)】と呼ばれています。(「暮らしのこよみ」)

霜月(しもつき)(和風月明)
【新暦十一月一日から三十日】

寒さが深まり、霜が降りる【霜降月(しもふりづき)】が転じて「霜月」。冷たい北風が吹き始めるころです。農村地では収穫祭が行われ、お米の神様が大地のエネルギーを穂と一粒の実に託し、惠を与えてくれることを実感できます。(「暮らしのこよみ」)

山地剝(易経・陰陽消長卦)

【新暦十月二十三日ころから十一月二十一日ころまで】

 次に易経の「天地否」の全体像を表す言葉(卦辞・彖辞、彖伝、大象伝)を示す。これらの言葉は【十月二十三日ころから十一月二十一日ころまで】に当て嵌まる。

《卦辞・彖辞》
剝、不利有攸往。
○剝(はく)は往(ゆ)く攸(ところ)有るに利(よろ)しからず。
 剝は陰気が増長して盛んになり陽気を押し出す(一陽五陰の)時。下から漸次に長じてきた陰氣が浸食する力に山が剝ぎ落とされて平地になる(下流・中流・上流の一部が皆、腐敗・堕落してしまい、極めて少数の上流階級の人だけが道を守っている)ように、君子(陽爻)が小人(陰爻)に(一陽五陰まで)追い詰められてしまった。
 人事に当て嵌めた場合、このような陰陽消長の流れの中で、君子(極めて少数の上流階級の人や人格者)は積極的に行動してはならない(積極的に行動すればあっという間に追い詰められる)。陰氣が浸食する時勢に順い止(とど)まって、様子を窺(うかが)うべきである。

《彖伝》
彖曰、剝剝也。柔變剛也。不利有攸往、小人長也。順而止之。覿象也。君子尚消息盈虚。天行也。
○彖に曰く、剝は剝(は)ぐ也。柔剛を變(へん)ずる也。往(ゆ)く攸(ところ)有るに利(よろ)しからず、小人長ずれば也。順にして之(これ)に止(とど)まる(之を止める)。象を覿(み)る也。君子は消(しよう)息(そく)盈(えい)虚(きよ)を尚(たつと)ぶ。天(てん)行(こう)也(なり)。
 彖伝は次のように言っている。剝とは剝ぎ落とすこと。陰柔の勢いが盛大になり(下流・中流・上流の一部に及び)、陽剛(極めて少数の上流階級の人)を剝ぎ落とすのだ。陰柔が漸(ぜん)次(じ)に進み、陽剛を変じて陰柔に化するの(一陽五陰の時)である。
 下から漸次に長じてきた陰氣が浸食して山が剝ぎ落とされ平地になるように、君子が小人に追い詰められている。このような陰陽消長の流れの中で、君子(極めて少数の上流階級の人や人格者)は積極的に行動してはならない(積極的に行動すればあっという間に追い詰められる)。時勢に順い止まって様子を窺うべきである。
 小人の勢いが甚(はなは)だ増大しているからである。下卦坤の性質は順・上卦艮の性質は止である。君子(極めて少数の上流階級の人や人格者)はこの卦象を観(み)て、宜しく時に順い止まる〔或いは、陰柔を止める〕のである。君子(極めて少数の上流階級の人や人格者)は陰陽消(しよう)息(そく)〔隆盛と衰退〕盈(えい)虚(きよ)〔充実と空虚〕の理法を尊重・順応し、進むべき時には進み、退くべき時には退く。陰陽消(しよう)息(そく)盈(えい)虚(きよ)の循環は、天地自然の運行である。

《大象伝》
象曰、山附於地剝。上以厚下安宅。
○象に曰く、山(やま)地に附(つ)くは剝なり。上以て下を厚くし宅(たく)を安(やす)んず。
 大象伝は次のように言っている。高く聳(そび)え立つ山が剝(はく)落(らく)して大地にへばりついている(下から漸次長じてきた陰氣が浸食する力に山が剝ぎ落とされて平地になる)のが剝の形である。人の上に立つ者は、この形を陰陽消(しよう)息(そく)盈(えい)虚(きよ)の循環だと心得て、君子たる己は質素倹約に努め、小人たる下(しも)々(じも)には厚く施(ほどこ)して、自分(君子)の地位を安定させるのである。

戌(いぬ)(十(じゆう)二(に)支(し))

 陰陽消長卦の「風地観」に当て嵌まる十二支は「戌(いぬ)」である。
 「やぶる」「ほろぶ」に通じ、万物がその役割を終えて、活動が完全に止まった状態を意味している。(陰陽五行)
 草木が繁茂、老熟し、万物が悉(ことごと)く稔る。すでに陽気は、一陽を残すのみである。生命の完全な収蔵含蓄。(「干支の智恵」)

霜降(そうこう)(二十四節氣の十八節氣)

【新暦十月二十三日ころから十一月二十一日ころまで】
 「寒露(かんろ)」の次の二十四節氣は「霜降(そうこう)」である。
 秋も終盤に近づき、露に代わって凍った霜が降りるころ。高地の山間部や北部地方から「初霜」の便りが届くかもしれません。(絵で楽しむ)

霜始降(しもはじめてふる)(七十二候の五十二候・霜降(そうこう)の初候)

【新暦十月二十三日ころから二十七日ころまで】
 意味は「霜が初めて降りる(絵で楽しむ)」である。
 「絵で楽しむ」には次のように書いてある。
 霜が徐々に北国から降り始めるころ。秋の霜は、農作物に大きな打撃をもたらすもの。そこから「秋霜烈日(しゆうそうれつじつ)」という言葉も生まれました。

 「霜始降(しもはじめてふる)」は、易経・陰陽消長卦の「山地剝」初六に中る。次に「山地剝」初六の文章(爻辞と小象伝)を示す。
 「山地剝」初六の言葉は【新暦十月二十三日ころから二十七日ころまで】に当て嵌まる。

山地剝初六(易経・陰陽消長卦)

《爻辞》
初六。剝牀以足。蔑貞。凶。
○初六。牀(しよう)を剝(はく)するに足を以(もつ)てす。貞を蔑(ほろ)ぼす。凶。
 初六は小人が君子を剝落する時の最下(上爻は人の骨、五爻は人の肉、四爻は人の皮膚、三爻は人を載せている寝台、二爻は寝台の脚の上、初爻は寝台の脚の下)に居て、組織の脚(きやつ)下(か)(寝台の脚の下、組織の最下)に潜(もぐ)り込み、密(ひそ)かに奸(かん)策(さく)(坤為地の初爻に云う「霜を踏みて堅氷至る」の霜を仕掛ける)を謀(はか)る。
 漸(ぜん)次(じ)に正しい道を蔑(ないがし)ろにして(小悪=霜に馴致して)、終(つい)には崩壊(堅氷)に至る。

《小象伝》
象曰、剝牀以足、以滅下也。
○象に曰く、牀(しよう)を剝(はく)するに足を以(もつ)てすとは、以(もつ)て下(しも)より滅(めつ)する也。
 小象伝は次のように言っている。初六が組織の脚(きやつ)下(か)(寝台の脚の下、組織の最下)に潜(もぐ)り込み、密(ひそ)かに奸(かん)策(さく)(「霜を踏みて堅氷至る」の霜を仕掛ける)を謀(はか)るのは、陰が陽を下から漸(ぜん)次(じ)に侵(しん)食(しよく)する(霜を踏みて堅氷至る)ように、組織の脚(きやつ)下(か)に潜(もぐ)り込み(「霜を踏みて堅氷至る」の霜を仕掛けて)、君子を剝(はく)落(らく)せんとする(堅氷至る)のである。

 「山地剝」初六の之卦は「山雷頤」である。次に「山雷頤」の全体像を表す言葉(卦辞・彖辞、彖伝、大象伝)と「山雷頤」の初九の言葉(爻辞、小象伝)を示す。これらの言葉は「山地剝」の初六と同じく【新暦十月二十三日ころから二十七日ころまで】に当て嵌まる。

山雷頤(山地剝初六の之卦)

《卦辞・彖辞》
頤、貞吉。覿頤自求口實。
○頤(い)は、貞(てい)にして吉。頤(い)を覿(み)、自ら口(こう)實(じつ)を求む。
 頤は上下二陽(実)が中に四陰(虚)を含んでいる。上卦艮は止まり下卦震は動く頤(あご)の形をしている。頤は口から栄養を取り身体を養うので、自分の身心(栄養と人德)や民衆(仁德)を養う意味になる。自分の身心や民衆を養うには、正しい道(自分の身には栄養を、自分の心には人德を、民衆に対しては仁德を養うこと)を固く守るが宜しい。今、自分は何を養うべきかをよく観察して、先ずは自らを養うために努力するのである。

《彖伝》
彖曰、頤貞吉、養正則吉也。覿頤、覿其所養也。自求口實、覿其自養也。天地養萬物、聖人養賢以及萬民。顎之時大矣哉。
○彖に曰く、頤は、貞にして吉とは、養うこと正しければ則(すなわ)ち吉也。頤を覿るとは、其(そ)の養(やしな)う所を覿る也。自ら口實を求むとは、其の自ら養うを覿る也。天地は萬(ばん)物(ぶつ)を養い、聖人は賢を養い、以て萬民に及ぼす。顎の時、大(だい)なる哉(かな)。
 彖伝は次のように言っている。頤(い)の時は正しい道(自分の身には栄養を、自分の心には人德を、民衆に対しては仁德を養うこと)を固く守れば宜しいとは、天下の萬(ばん)物(ぶつ)を養い育てることは、正しいことだからである。今、自分は何を養うべきかをよく観察するとは、自ら何を養うべきか(何が欠けているのか)を省(しよう)察(さつ)することである。先ずは自らを養うために努力するとは、人に求めることなく自発的に行なうと云うことである。
 一人ひとりが自らを養うために努力することは、天地が萬物を養い、聖人が賢人を養い、賢人が民衆を養うことと同義である。養い育てる頤の時は、何と偉大であろうか。

《大象伝》
象曰、山下有雷頤。君子以愼言語、節飲食。
○象に曰く、山の下に雷(かみなり)有るは頤なり。君子以て言語を愼(つつし)み、飲食を節す。
 大象伝は次のように言っている。山(上卦艮)の下に雷(下卦震)が潜んでいるのが頤(い)の形。冬は山の下に潜んでいた雷が春には轟き渡り萬物を養育する。下卦震は動き上卦艮は止まるから、下顎が動き上顎が止まる口(上顎と下顎)の形をしている。
 君子はこの(上顎と下顎の)形に倣(なら)って、口から出る「言葉」は慎(つつし)み、口から入る「食べ物」は節制するように努力して、自分の心に人德(民衆に対して仁德)を養うのである。

山雷頤初九(山地剝初六の之卦・爻辞)

《爻辞》
初九。舍爾靈龜、覿我朶頤。凶。
○初九。爾(なんじ)の靈(れい)龜(き)を舍(す)て、我(われ)を覿(m)て頤(おとがい)を朶(た)る。凶。
 初九は剛健正位で才德(才能と道德心共に)高いが、地位は卑しく(最下に在り)、下卦震(動)の主爻なので上に進もうとしている(六四と応じている)。自分には貴重で優れた才德(才能と道德心)があるのに、それを活かすことを放棄して、天子の師として君臨する頤の主爻上九を羨(うらや)ましく思い、下顎を垂れて涎(よだれ)を流す。
 素行自得して己を養い、貴重で優れた才德(才能と道德心)を活かして人(比する六二や応ずる六四)を養育するべきなのに、上九を羨ましく思い下顎を垂れて涎(よだれ)を流している。これでは全く、お話しにならない。

《小象伝》
象曰、覿我朶頤、亦不足貴也。
○象に曰く、我を覿て頤(おとがい)を朶(た)るとは、亦(また)、貴(たつと)ぶに足らざる也。
 小象伝は次のように言っている。初九は素行自得して己を養い、貴重で優れた才德(才能と道德心)を活かして人(比する六二や応ずる六四)を養育することができる。なのに、天子の師として君(くん)臨(りん)する上九を羨(うらや)ましく思い、下(した)顎(あご)を垂れて涎(よだれ)を流している。どんなに才德(才能と道德心が共に)高くても、このような有様では全くお話にならない。もはや、貴ぶには及ばないである。