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四季と易経 その七十

楓蔦黄(もみじつたきなり)(七十二候の五十四候・霜降(そうこう)の末候)

【新暦十一月二日ころから六日ころまで】
 意味は「楓(かえで)や蔦(つた)が色づく(絵で楽しむ)」である。
 「絵で楽しむ」には次のように書いてある。
 草木が黄や紅に染まることを「揉(も)み出」といったのが紅葉(もみじ)の語源と言われます紅葉(もみじ)といえば楓(かえで)をさしますが、楓は葉の形が「蛙の手」に似ていることからカエデと呼ばれるように。

 「楓蔦黄(もみじつたきなり)」は、易経・陰陽消長卦の「山地剝」六三に中る。次に「山地剝」六三の文章(爻辞と小象伝)を示す。
 「山地剝」六三の言葉は【新暦十一月二日ころから六日ころまで】に当て嵌まる。

山地剝六三(易経・陰陽消長卦)

《爻辞》
六三。剝之。无咎。
○六三。之(これ)を剝(はく)す。咎(とが)无(な)し。
 衆(しゆう)陰(いん)の小(しよう)人(じん)共(ども)(初六・六二・六四)が徒(と)党(とう)を組んで上九の君子を剝落しようとする時にあって、六三だけは正応である上九の君子に従う(薫陶=人格者の良い影響を受ける)。それゆえ、咎なきことを得る(小人が君子を剝(はく)落(らく)せんとする勢いを弱める)。

《小象伝》
象曰、剝之、无咎、失上下也。
○象に曰く、之(これ)を剝(はく)す。咎(とが)无(な)しとは、上下を失えば也。
 小象伝は次のように言っている。六三は正応である上九の君子に従うので、咎なきことを得る(小人が君子を剝(はく)落(らく)せんとする勢いを弱める)。六三は上下の徒党(初六・六二・六四の小人共)に与(くみ)せず上九の君子と志を同じくすることができるからである。

 「山地剝」六三の之卦は「艮為山」である。次に「艮為山」の全体像を表す言葉(卦辞・彖辞、彖伝、大象伝)と「艮為山」九三の言葉(爻辞、小象伝)を示す。これらの言葉は「山地剝」の六三と同じく【新暦十一月二日ころから六日ころまで】に当て嵌まる。

艮為山(山地剝六三の之卦)

《卦辞・彖辞》
艮、其背不獲其身。行其庭不見其人。无咎。
○其(その)背(せ)に艮(とど)まり、其(その)身(み)を獲(え)ず。其(その)庭(にわ)に行き、其(その)人(ひと)を見ず。咎(とが)无(な)し。
 艮の道は、止まって動かない。それは、般若心経の「照(しよう)見(けん)五(ご)蘊(うん)皆(かい)空(くう)」の境地であり、「五(ご)蘊(うん)(色(しき)受(じゆう)想(そう)行(ぎよう)識(しき))皆(かい)空(くう)」と「照(しよう)見(けん)」する境地に至ることである。「色(しき)受(じゆう)想(そう)行(ぎよう)識(しき)は皆(かい)空(くう)」ゆえ「眼(げん)耳(に)鼻(び)舌(ぜつ)身(しん)意(い)は無」である。すなわち、あらゆる現象は究極的には空であるから、「眼(げん)耳(にー)鼻(びー)舌(ぜつ)」などの感覚器官は何も感じない(感じても心動かさない)のである。艮の卦德は「止まる」こと。艮為山の時は、「眼(げん)耳(にー)鼻(びー)舌(ぜつ)」という感覚器官のない背中に止まっているから、自我に囚われないのである。また自我に囚われないから、庭に行っても人を見ない、すなわち外界の如何なる刺激に対しても、煩悩妄想や欲望を抱かない。どのような境遇に置かれても動じることがない。あらゆる現象に惑わされない。このような境地に達すれば、咎という概念もなくなるのである。

《彖伝》
彖曰、艮、止也。時止則止、時行則行、動静不失其時。其道光明。艮其止、止其所也。上下敵應、不相與也。是以不獲其身、行其庭不見其人。无咎也。
○彖に曰く、艮は止まる也。時止まれば則ち止まり、時行けば則ち行き、動静、其(その)時を失わず。其(その)道(みち)光(こう)明(みよう)なり。其(その)止(し)に艮まるは、其(その)所(ところ)に止まる也。上下敵(てき)應(おう)し、相(あい)與(くみ)せざる也。是を以て其身を獲ず、其庭に行き、其人を見ず。咎无き也。
 彖伝は次のように言っている。艮は「止(とど)まる」時である。但し、一方的に「止まっている」のではない。止まるべき時には止まり、行くべき時には行くのである。止まる時も行く時も時中で対処する(その時々に適切に対処する)ことが肝要である。時中の道(その時々に適切に対処できる生き方)は光り輝き明らかである。止まるべき時に止まるとは、止まるべき正しい所を知ることである。艮は全爻不応ゆえ相手を意識しない。
 それゆえ、外界の如何なる刺激に対しても、煩悩妄想や欲望を抱かない。どのような境遇に置かれても動じることがない。あらゆる現象に惑わされない。このような境地に達すれば、咎という概念もなくなるのである。

《大象伝》
象曰、兼山艮。君子以思不出其位。
○象に曰く、兼(けん)山(ざん)は艮なり。君子以て思ふこと其(その)位(くらい)を出(い)でず。
 大象伝は次のように言っている。山が連なっているのが艮の形である。「知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。知者は動き、仁者は静かなり(論語)」とあるように、君子はこの形を省察して、自分の持ち場を大切にする。すなわち、その止まる所に止まり(持ち場でやるべきことをやり)、決して己の分限(天命)を超えないのである。

艮為山九三(山地剝六三の之卦・爻辞)

《爻辞》
九三。艮其限。列其夤。厲薫心。
○九三。其(その)限(げん)に艮まる。其(その)夤(いん)を列(さ)く。厲(あやう)くして心を薫(くん)す。
 九三は上卦と下卦の境目にある。人間の身体に例えれば「腰」である。また、下卦艮(止まる)の主爻であると同時に互体(三四五)震(動く)の主爻として、上卦に接しているので、「動静、其時を失わず(彖伝)」とあるように、動くべき時は動き、上卦(為政者・役員)と下卦(臣民・従業員や顧客)をつなぐ重要な任務(腰は上半身と下半身をつなぐ重要な役割)を担っている。だが、現場の長(身体の要)である九三は止まることに固執する。それゆえ、上卦と下卦(為政者と臣民、役員と従業員や顧客)のつながり(上半身と下半身のつながり)を断ち切ってしまう。任務不履行で現場の長(身体の要)としての立場は危うく、心中、煙で燻(いぶ)されたようにもやもやしている。

《小象伝》
象曰、艮其限、厲心薫也。
○象に曰く、其限に艮まるとは、厲(あやう)くして心を薫(くん)する也。
 小象伝は次のように言っている。九三は上卦(為政者・役員)と下卦(臣民・従業員や顧客)をつなぐ重要な任務(腰は上半身と下半身をつなぐ重要な役割)を担っていながら、止まることに固執してしまった。そのため、任務不履行で現場の長としての立場が危うくなり、心中、煙で燻(いぶ)されたようにもやもやしているのである。