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四季と易経 その六十九

霎時施(こさめときどきふる)(七十二候の五十三候・霜降(そうこう)の次候)

【新暦十月二十八日ころから十一月一日ころまで】
 意味は「小雨がぱらぱらと降る(絵で楽しむ)」である。
 「絵で楽しむ」には次のように書いてある。
 しとしとと降り続く雨ではなく、すぐ止むような小雨が降るころ。「霎(しよう)」という漢字は、小雨がぱらぱらと降るような音を表します。(中略)「ひと雨一度」ともいわれるこの時季、雨が降るごとに気温が一度下がっていくほど、冬ももう間近です。

 「霎時施(こさめときどきふる)」は、易経・陰陽消長卦の「山地剝」六二に中る。次に「山地剝」六二の文章(爻辞と小象伝)を示す。
 「山地剝」六二の言葉は【新暦十月二十八日ころから十一月一日ころまで】に当て嵌まる。

山地剝六二(易経・陰陽消長卦)

《爻辞》
六二。剝牀以辨。蔑貞。凶。
○六二。牀(しよう)を剝(はく)するに辨(べん)を以(もつ)てす。貞を蔑(ほろ)ぼす。凶。
 六二は君子を剝(はく)落(らく)せんとする勢いが漸次に長じて脚の上(辨・人が載っている寝台の脚の上)にまで及ぶ。それでも君子が政治の常識に固(こ)執(しつ)して(今は非常事態の前段階であると云う認識が全くなく)、速(すみ)やかに禍(わざわい)を回避しなければ、漸次に(人が載っている寝台の脚の下から脚の上に、そして、寝台そのものに被害が及び)正しい道が滅(ほろ)んでいき、終(つい)には全てが崩壊(君子が小人に剝落されて組織が瓦解)する。

《小象伝》
象曰、剝牀以辨、未有與也。
○象に曰く、牀(しよう)を剝(はく)するに辨(べん)を以てすとは、未(いま)だ與(よ)有(あ)らざる也。
 小象伝は次のように言っている。君子を剝(はく)落(らく)せんとする勢いが漸(ぜん)次(じ)に長じて脚の上(辨・人が載っている寝台の脚の上))にまで及ぶのは、剝落される君子の側に仲間がいない(一陽五陰で誰も一陽を助けてくれない)からである。

 「山地剝」六二の之卦は「山水蒙」である。次に「山水蒙」の全体像を表す言葉(卦辞・彖辞、彖伝、大象伝)と「山水蒙」の九二の言葉(爻辞、小象伝)を示す。これらの言葉は「山地剝」の六二と同じく【新暦十月二十八日ころから十一月一日ころまで】に当て嵌まる。

山水蒙(山地剝六二の之卦)

《卦辞・彖辞》
蒙、亨。匪我求童蒙。童蒙求我。初筮告。再三瀆。瀆則不告。利貞。
○蒙は亨(とお)る。我、童(どう)蒙(もう)に求むるに匪(あら)ず。童蒙、我に求む。初(しよ)筮(ぜい)は告ぐ。再三すれば瀆(けが)る。瀆るれば則ち告げず。貞しきに利し。
 蒙の時は無知蒙昧な幼児(童蒙)に喩えることができる。童蒙は蒙昧なので何をやっても通じないが、適切な師について教えを受ければ、蒙を啓くことができる。蒙が啓ければ、物事が通じるようになる。
 師(我=九二)から進んで童蒙を教え導いてはならない。童蒙(蒙昧な指導者=六五)から進んで師に教えを求めるのである。
 蒙の時を占筮に例えて言えば、最初の筮に現れた吉凶禍福に絶対服従すべきである。それを疑い、再び占筮を求める人は蒙昧なので二度と占筮してはならない(易経を学ぶ資格のない人物である)。
 童蒙が素直な心で師に教えを求めれば教え導くが、少しでも疑う心が見えれば教えてはならないのである。童蒙も師も正しい道を固く守れば、蒙の時は啓けるであろう。

《彖伝》
彖曰、蒙山下有険。険而止蒙。蒙亨、以亨行、時中也。匪我求童蒙、童蒙求我、志應也。初筮告、以剛中也。再三瀆、瀆則不告、瀆蒙也。蒙以養正、聖功也。
○彖に曰く、蒙は山の下に険有り。険にして止まるは蒙なり。蒙は亨(とお)るとは、亨るを以て時(じ)中(ちゆう)を行う也。我、童蒙に求むるに匪(あら)ず、童蒙、我に求むとは、志應(おう)ずる也。初(しよ)筮(ぜい)に告ぐとは、剛中を以て也。再三すれば瀆(けが)る、瀆るれば則ち告げずとは、蒙を瀆(けが)せば也。蒙以て正しきを養うは、聖の功(こう)也。
 彖伝は次のように言っている。蒙は山(上卦艮)の下に険難(下卦坎)が在る。険難(坎水陥)の上に止まる(艮山止)のが蒙の時である。童蒙の蒙昧さが啓けるのは、童蒙を啓蒙すべく、師が時に応じて適切に教え導くからである。師から進んで童蒙に教えてはならない。童蒙から進んで師に教えを求めるのは、童蒙の志に師が応ずることが肝要だからである。
 童蒙が素直な心で師に求めれば教え導くのは、師が剛健中庸の德で童蒙を教え導くからである。童蒙に少しでも疑う心が見えれば教えないのは、疑いの心をもって師に教えを求めるのは啓蒙の道を瀆すことになるからである。童蒙を正しく教え導き修養させることによって、童蒙を将来の聖人(歴史に残る大人)に育てるのである。

《大象伝》
象曰、山下出泉蒙。君子以行果德育。
○象に曰く、山(さん)下(か)に出(い)ずる泉は蒙なり。君子以て行いを果たし德を育(やしな)う。
 大象伝は次のように言っている。山(艮)の下に湧き出る泉(坎)が、流れ流れて大河となり大海に至る。これが蒙の時の卦象である。君子はこの卦象を見習って、山の下に湧き出る泉が紆余曲折しながら大河に至るように、果敢に事を成し遂げて、己を修め君德を養い育てるのである。

山水蒙九二(山地剝六二の之卦・爻辞)

《爻辞》
九二。包蒙、吉。納婦、吉。子克家。
○九二。蒙を包む、吉。婦(ふ)を納(い)る、吉。子、家を克(よ)くす。
 九二は剛健中庸の德を具えており、童蒙(蒙昧な六五の指導者)を啓蒙する(教え導く)使命を担っている。童蒙(蒙昧な六五の指導者)を包容する度量で教え導けば、童蒙(蒙昧な六五の指導者)蒙を啓くことができる。
 妻を娶るように六五と意氣投合して、剛に過ぎず(厳し過ぎず)寛に流れず(寛容に過ぎず)六五を教え導けば、(指導者の蒙昧さは啓けて)家(家族を最小単位として国家を最大単位とするあらゆる組織)は斉い、国は治まる。子(九二)が父(六五)から厚く信任されるからである。

《小象伝》
象曰、子克家、剛柔接也。
○象に曰く、子、家を克(よ)くすとは、剛柔接(まじ)わる也。
 小象伝は次のように言っている。子(九二)が父(六五)から厚く信任されて家(家族を最小単位とするあらゆる組織)を斉えることができるのは、剛柔(師である九二と蒙昧な指導者六五が)相応じて意氣投合するからである。