菊花開(きくばなひらく)(七十二候の五十候・寒露(かんろ)の次候)
【新暦十月十三日ころから十七日ころまで】
意味は「菊の花が咲く(絵で楽しむ)」である。
「絵で楽しむ」には次のように書いてある。
菊はもともと野生種がなく、約千五百年前に中国で交配により生まれたもの。日本に渡来したのは奈良時代と古く、平安時代には薬用や観賞用として親しまれてきました。菊の花は皇室の紋章でもあり、これは鎌倉時代の初期の後鳥羽(ごとば)上皇が菊花の意匠を大変好んだためといわれます。
「鶺鴒鳴(せきれいなく)」は、易経・陰陽消長卦の「風地観」九五に中る。次に「風地観」九五の文章(爻辞と小象伝)を示す。
「風地観」九五の言葉は【新暦十月十三日ころから十七日ころまで】に当て嵌まる。
風地観九五(易経・陰陽消長卦)
《爻辞》
九五。觀我生。君子无咎。
○九五。我が生(せい)を觀(み)る。君子なれば咎无し。
九五は剛健中正の德を備えて尊位に居る聖(せい)君(くん)(聖人のように立派なトップ)である。天下の治(ち)乱(らん)興(こう)亡(ぼう)は天子(トップ)の德風に従う。聖君は自分の政治の是非を省みるべく、天下の治乱・萬(ばん)民(みん)の風俗を観察する。
天下が治まっており萬民の風俗が善良であれば、咎められない。
《小象伝》
象曰、觀我生、觀民也。
○象に曰く、我が生(せい)を觀(み)るとは、民(たみ)を觀(み)る也(なり)。
小象伝は次のように言っている。聖(せい)君(くん)(聖人のように立派なトップ)が自分の政治の是非を省(かえり)みるのは、天下の治乱・萬(ばん)民(みん)の風俗の善悪を観察して自分の政治の是非を知り、益々聖君君(くん)(聖人のように立派なトップ)の德を養うためである。
「風地観」九五の之卦は「山地剝」である。次に「山地剝」の全体像を表す言葉(卦辞・彖辞、彖伝、大象伝)と「山地剝」の六五の言葉(爻辞、小象伝)を示す。これらの言葉は「風地観」の九五と同じく【新暦十月十三日ころから十七日ころまで】に当て嵌まる。
火地晋(天地否九五の之卦)
《卦辞・彖辞》
晉、康侯用錫馬藩庶。晝日三接。
○晉(しん)は、康(こう)侯(こう)用(もつ)て馬を錫(たてまつ)ること藩(はん)庶(しよ)なり。晝(ちゆう)日(じつ)に三(み)たび接す。
晉は日(離)が地(坤)上に出て、明智・明德(離)で大地(坤)を照らし、地(坤)はその光(離)を柔順に受け容れ萬(ばん)物(ぶつ)が生成する時である。明德の君主の下、諸(しよ)侯(こう)が柔順に国を治めるので、君主が馬を諸侯に賜り(或いは諸侯が馬を君主に献上して)、諸侯は一日三回も天子を礼(らい)拝(はい)または天子に拝謁するほど出世して、治国平天下を実現する。
《彖伝》
彖曰、晉、進也。明出地上、順而麗乎大明、柔進而上行。是以康侯錫馬藩庶、晝日三接也。
○彖に曰く、晉は進む也。明地の上に出(い)で、順にして大(たい)明(めい)に麗(つ)き、柔進みて上(のぼ)り行く。是(ここ)を以て康(こう)侯(こう)用(もつ)て馬を錫(たてまつ)ること藩(はん)庶(しよ)にして、晝(ちゆう)日(じつ)に三(み)たび接する也(なり)。
彖伝は次のように言っている。晉は何事も進み行く時である。明るい太陽(明智と明德を具えた天子・トップ)が地上に出て(社会に現れて)、大地(臣民)は明智と明德を備えた太陽(天子・トップ)に柔順に従っている。すなわち、柔順な六五が君(くん)位(い)(天子・トップ)に上(のぼ)り詰(つ)めた(風地観の六四が上り進んで火地晋の六五の天子・トップに就任した「朱子の周易本義による」)時である。それゆえ、君(くん)臣(しん)が一体となって、君主が馬を諸(しよ)侯(こう)に賜(たまわ)り(或いは諸侯が馬を君主に献上して)、諸侯は一日三回も天子を礼(らい)拝(はい)または天子に拝謁するほど出世して、治国平天下を実現するのである。
《大象伝》
象曰、明出地上晉。君子以自昭明德。
○象に曰く、明、地の上に出(い)づるは晉なり。君子以(もつ)て自ら明德を昭(あきら)かにす。
大象伝は次のように言っている。明るい太陽(離)が地(坤)上に現れ出る(大人が明德を明らかにした)のが晉の形である。
大人を目指す君子はこの形(大人が明德を明らかにしたこと)に見習って、人(じん)欲(よく)に蔽(おお)われた心を磨き自らの中に潜んでいる明德を明らかにするのである。
火地晋六五(天地否九五の之卦・爻辞)
《爻辞》
六五。悔亡。失得勿恤。往吉无不利。
○六五。悔(くい)亡ぶ。失(しつ)得(とく)恤(うれ)ふる勿(なか)れ。往(ゆ)けば吉、利(よろ)しからざる无(な)し。
柔中の德を有する六五の天子(トップ)は、上卦離(明智・文明)の主爻として、大いに明らかな明智・文明を有する組織のトップである。下卦坤の家臣達に慕われているので、不正(陰爻陽位)で悔いることはなくなる。だが大いに明らかな明智・文明を有するが故に自分を慕っている家臣を全面的に信頼しきれないところがある。
失得(失うことと得ること)を憂えて家臣を信頼できないようでは、トップとしての器が問われる。失得に憂えることなく家臣を信頼して委任すべきである。家臣に委任して事を進めれば幸運を招き寄せる。不利になるようなことは何一つない。
《小象伝》
象曰、失得勿恤、往有慶也。
○象に曰く、失得恤ふる勿れとは、往きて慶び有る也。
小象伝は次のように言っている。失得に憂えることなく家臣を信頼して委任すべきである。家臣に委任して事を進めれば、大いに功績を上げてみんなに喜ばれるからである。