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四季と易経 その三十八

麦秋至(ばくしゆういたる)(七十二候の二十四候・小満の末候)

【新暦五月三十一日ころから六月四日ころまで】
 意味は「麦が成熟するとき(絵で楽しむ)」である。
 「絵で楽しむ」には次のように書いてある。
 黄金色の麦の穂がたわわに実るころ。(中略)麦は冬に種を蒔いて年を越し、この時季から収穫が始まります。

 「麦秋至(ばくしゆういたる)」は、易経・陰陽消長卦の「乾為天」九三に中る。次に「乾為天」九三の文章(爻辞と小象伝)を示す。
 「乾為天」九三の言葉は【新暦五月三十一日ころから六月四日ころまで】に当て嵌まる。

乾為天九三(易経・陰陽消長卦)

《爻辞》
九三。君子終日乾乾、夕惕若。厲无咎。
○九(きゆう)三(さん)。君子終(しゆう)日(じつ)乾(けん)乾(けん)し、夕べに惕(てき)若(じやく)たり。厲(あやう)けれども、咎(とが)无(な)し。
 九三は、人生の師匠から君德を習得するために、朝から晩まで脇目も振らずに只管(ひたすら)精進する。夜になれば、一日を振り返って、畏(おそ)れるが如(ごと)く、わが行動を省みる(反省して改善・省略して効率化する)。傍(はた)から見ると「そこまでやるか」というくらいにやり過ぎているようで危なっかしいけれども、今はそういう時であるから問題は起こらないのである。

《小象伝》
終日乾乾、反復道也。
○終日乾乾すとは、道を反復する也。
 九三が、人生の師匠から君德を習得するために、朝から晩まで脇目も振らずに只管(ひたすら)精進するのは、師匠から學んだ君德(君子としての基本的な人間力)を自分のモノにする(知識から見識へ、そして、見識から胆識へ昇華する)ための、反復訓練なのである。

 「乾為天」九三の之卦は「天澤履」である。次に「天澤履」の全体像を表す言葉(卦辞・彖辞、彖伝、大象伝)と「天澤履」の六三の言葉(爻辞、小象伝)を示す。これらの言葉は「乾為天」の九三と同じく【新暦五月三十一日ころから六月四日ころまで】に当て嵌まる。

天澤履(乾為天九三の之卦)

《卦辞・彖辞》
履、虎尾不咥人。亨。
○虎の尾を履(ふ)む。人を咥(くら)わず。亨(とお)る。
 履(り)は上卦乾(剛健)に下卦兌(和悦)が履(ふ)み随(したが)う時である。小(兌柔)が大(乾剛)に履み随うのだから大変な困難を伴う。時には虎の尾を履(ふ)むような危険をも伴う。
 和(わ)悦(えつ)の心で剛健に履(ふ)み随(したが)えば虎に噛(か)まれることはない。何事もすらっと通る。

《彖伝》
彖曰、履、柔履剛也。説而應乎乾。是以履虎尾不咥人、亨。剛中正、履帝位而不疚。光明也。
○彖に曰く、履(り)は、柔(じゆう)剛(ごう)を履(ふ)む也。説(よろこ)びて乾(けん)に應(おう)ず。是(ここ)を以て虎の尾を履(ふ)むも人を咥(くら)わず、亨(とお)る。剛中正にして、帝(てい)位(い)を履(ふ)みて疚(や)ましからず。光(こう)明(めい)ある也。
 彖伝は次のように言っている。履(り)は下卦兌(だ)(柔)が上卦乾(剛)に履(ふ)み随(したが)う時である。下卦兌(だ)は和(やわ)らぎ悦(よろこ)んで上卦乾に履み随う。時には、虎の尾を履(ふ)むような困難や危険をも伴うが、和(わ)の心で剛健に履(ふ)み随(したが)うから、虎に噛(か)まれることはない。何事もすらっと通る。
 今は九五が剛健中正の德を具(そな)えて帝(てい)位(い)に君臨しており、何ら疚(やま)しいところがなく、カリスマとしての君德が天下に光り輝いているからである。

《大象伝》
象曰、上天下澤履。君子以辯上下、定民志。
○象に曰く、上天下澤は履なり。君子以て上下を辯(わか)ち、民の志を定む。
 大象伝は次のように言っている。上に天(乾)、下に澤(さわ)(兌)が在るのが履の形である。
 貴方が君子ならば、上に在(あ)るべき天が上に、下に在(あ)るべき澤が下に在るという履の形を見習って、組織の上下関係(役割分担)を正し、民(たみ)が生きる方向性を定めるのである。

天澤履六三(乾為天九三の之卦・爻辞)

《爻辞》
六三。眇能視、跛能履。履虎尾咥人。凶。武人為于大君。
○六三。眇(すがめ)にして能(よ)く視(み)るとし、跛(あしなえ)にして能(よ)く履(ふ)むとす。虎の尾を履(ふ)む。人を咥(くら)う。凶。武(ぶ)人(じん)大(たい)君(くん)と爲(な)る。
 六三は剛健だが不中正でやり過ぎる性格である。才德(才能と人德)が不足しており大事を成す器ではないが、そのことを全く自覚していない。
 自分は目が不自由なのに物事がよく視え、その上、足が不自由なのに遠くまで歩いていけると思っている。己の力を過信して大事業を企て妄進して虎の尾を履む。
 虎の逆鱗に触れ、虎に食われて失脚する。六三は自ら禍(わざわい)を招いて自滅したのである。放(ほう)恣(し)な武人が横(おう)行(こう)闊(かつ)歩(ぽ)して、無謀にも九五の大(たい)君(くん)に喧嘩を売ったのである。

《小象伝》
象曰、眇能視、不足以有明也。跛能履、不足以與行也。咥人之凶、位不當也。武人為于大君、志剛也。
○象に曰く、眇(すがめ)にして能(よ)く視(み)るとするも、以て明(めい)有るに足らざる也。跛(あしなえ)にして能(よ)く履(ふ)むとするも、以て與(とも)に行くに足らざる也。人を咥(くら)うの凶は、位(くらい)當(あた)らざる也。武人大君と為るは、志剛なる也。
 小象伝は次のように言っている。目が不自由なのに物事がよく視えるはずがないではないか。足が不自由なのに遠くまで歩いていけるはずがないではないか。
 虎の逆鱗に触れ、虎に食われて失脚し禍を招いて自滅したのは、才德(才能と人德)乏しい小人が剛位(三爻・現場の長の位)に居るからである。
 放(ほう)恣(し)な武人六三が横(おう)行(こう)闊(かつ)歩(ぽ)して無謀にも九五の大君に喧嘩を売ったのは、強暴な野心野望を志と勘違いしているのである。