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四季と易経 その六十二

長月(ながつき)と神無月(かんなづき)に中る区分

 葉月と神無月にまたがる陰陽消長卦と十二支、二十四節氣の順序で整理してみる。

長(なが)月(つき)(和風月明)
【新暦九月一日から三十日】

 夏は夜が長かったため、急に夜が長く感じられるようになります。夜が長いことから【夜長月】。これが変化して9月を【長月】と呼ぶようになったといわれています。(「暮らしのこよみ」)

神無月(かんなづき)(和風月明)
【新暦十月一日から三十一日】

 神様の旅の月、十月。全国の神々が出雲大社に集まって一年の報告と慰労会があるようです。神様が国元を留守にするので【神無月】。神様が集まる出雲の国だけは【神在月(かみありづき)】と呼ばれています。(「暮らしのこよみ」)

風地観(易経・陰陽消長卦)

【新暦九月二十二日ころから十月二十二日ころまで】

 次に易経の「天地否」の全体像を表す言葉(卦辞・彖辞、彖伝、大象伝)を示す。これらの言葉は【九月二十三日ころから十月二十二日ころまで】に当て嵌まる。

《卦辞・彖辞》
觀、盥而不薦。有孚顒若。
○觀は盥(かん)して薦(すす)めず。孚(まこと)有り顒(ぎよう)若(じやく)たり。
 観には「周観(周く物を観る)」「仰観(手本を示す、仰ぎ観る)」の意味がある。上の者が下の者を周(あまね)く観て手本を示すから、下の者は上の者を仰ぎ観るのである。
 宗(そう)廟(びよう)の祭(さい)祀(し)でお供え物を献(けん)上(じよう)する前に、祭主が手を洗い清めて神様の前に進み、至誠の心と厳(げん)粛(しゆく)な態度で神様を天から迎えるのである。為政者が至誠の心と厳粛な態度を民に示せば、民は自然に為政者を尊(そん)崇(すう)して仰ぎ観るようになる。

《彖伝》
彖曰、大觀在上、順而巽、中正以觀天下。觀盥而不薦、有孚顒若、下觀而化也。觀天之神道而、四時不忒。聖人以神道設教、而天下服矣。
○彖に曰く、大觀上に在り。順にして巽、中正以て天下を觀る。觀は盥(てあら)いて薦めず、孚(まこと)有り顒(ぎよう)若(じやく)たりとは、下觀て化する也。天の神道を觀るに、四(しい)時(じ)忒(たが)わず。聖人、神道を以て教えを設けて、天下服す。
 彖伝は次のように言っている。山のように見識が高く臣民が仰ぎ観る陽剛(上九の老師と九五の天子・トップ)が上に在る。二人は柔順(坤)に天の道に従い、巽順(巽)に謙遜して高ぶらない。剛健中正の德を備えた九五の天子(トップ)が周(あまね)く天下を観察して手本を示し、臣(しん)民(みん)は仰ぎ観る。
 例えば、宗廟の祭祀でお供え物を献上する前に、祭主が手を洗い清めて神様の前に進み出て、至誠の心と厳粛な態度で神様を天から迎えるように、為政者が至誠の心と厳粛な態度を民に示せば、民は自然に為政者を尊崇して仰ぎ観る。
 臣民(下)は為政者の至誠な心と厳粛な態度を観て自然と風化する。天の神(しん)道(とう)を観察すると、春夏秋冬息(やす)まず循環して違(たが)い誤ることはない。
 聖人は神道に則(のつと)り臣民を教化する。すなわち、神道が声も形もなく、自然にして霊(れい)妙(みよう)な働きであるように、聖人は言葉や規則を用いずとも至誠な心で臣下人民を風化させ、自然に天下萬民は信服するのである。

《大象伝》
象曰、風行地上觀。先王以省方、觀民設教。
○象に曰く、風、地の上を行くは觀なり。先王以て方を省み、民を觀て教を設く。
 大象伝は次のように言っている。風が地上に周(あまね)く(四方八方)吹き渡る(坤下巽上)のが観の形である。昔の王さま(トップ)はこの形を見習って天下諸国(各地)を巡(じゆん)幸(こう)し、風俗・慣習・文化の相違を詳(つまび)らかに観察して、それぞれに適した国是(規則)を定め、それぞれに適した教育を施(ほどこ)して民(人々)を教え導いたのである。

酉(とり)(十(じゆう)二(に)支(し))

 陰陽消長卦の「風地観」に当て嵌まる十二支は「酉(とり)」である。
 「なる」に通じ、成熟・熟成が完成・完了した状態を意味し、ときまさに収穫を迎えた段階を指し示している。(陰陽五行)
 元来酒を醸造する器の象形で醗酵を表す。転じて成る、熟する、飽く等の意となる。陰気の熟するところである。(「干支の智恵」)

秋分(しゆうぶん)(二十四節氣の十六節氣)

【新暦九月二十二日ころから十月七日ころまで】
 「白露(はくろ)」の次の二十四節氣は「秋分(しゆうぶん)」である。
 春分と同じく、昼と夜の長さがほぼ同じになる日。太陽は真東から昇り真西に沈みます。(中略)秋分の日を中日にした七日間が、秋のお彼岸。(中略)お彼岸は日本独自の仏事です。先祖供養とともに春は豊作を祈り、秋には感謝を捧げる自然信仰の意味合いも(絵で楽しむ)

雷乃収声(かみなりすなわちこえをおさむ)(七十二候の四十六候・秋分の初候)

【新暦九月二十二日ころから二十七日ころまで】
 意味は「雷が鳴らなくなる(絵で楽しむ)」である。
 「絵で楽しむ」には次のように書いてある。
 夕立に伴う雷が鳴り響かなくなるころ。残暑も落ち着いて秋晴れの爽やかな陽気に包まれます。(中略)入道雲はいつしかなくなり、高い空に小さな雲片(くもぎれ)が群れとなって魚の鱗のように見える「鰯雲(いわしぐも)」が現れます。

 「雷乃収声(かみなりすなわちこえをおさむ)」は、易経・陰陽消長卦の「風地観」初六に中る。次に「風地観」初六の文章(爻辞と小象伝)を示す。
 「風地観」初六の言葉は【新暦九月二十日ころから二十七日ころまで】に当て嵌まる。

風地観初六(易経・陰陽消長卦)

《爻辞》
初六。童觀。小人无咎。君子吝。
○初六。童(どう)觀(かん)す。小(しよう)人(じん)は咎(とが)无し。君子は吝(りん)。
 初六は柔弱な性格で最下に居(お)り、至誠な心と厳粛な態度で民(人々)を教化する九五の天子(トップ)から最も遠く離れている。それゆえ、子供のように表面的・短期的・一面的にしか物を観ることができない。これは庶民の常であるから、咎められるようなことではない。だが、人の上に立つ者がこのようにしか物を観られないとすれば恥ずべきである。

《小象伝》
象曰、初六童觀、小人道也。
○象に曰く、初六の童(どう)觀(かん)は、小(しよう)人(じん)の道也(なり)。
 小象伝は次のように言っている。初六が子供のように表面的・短期的・一面的にしか物を観ることができないのは、大局観がなく近(きん)視(し)眼(がん)的(てき)にしか物を観られない小人(庶民)の常(つね)だから、咎めることはできないのである。

 「風地観」初六の之卦は「風雷益」である。次に「風雷益」の全体像を表す言葉(卦辞・彖辞、彖伝、大象伝)と「風雷益」の初九の言葉(爻辞、小象伝)を示す。これらの言葉は「風地観」の初六と同じく【新暦九月二十二日ころから二十七日ころまで】に当て嵌まる。

風雷益(風地観初六の之卦)

《卦辞・彖辞》
益、利有攸往。利渉大川。
○益は、往(ゆ)く攸(ところ)有るに利し。大(たい)川(せん)を渉(わた)るに利(よろ)し。
 益は上(外)を減らして下(内)を益すれば(親が子どもを養育したり、政府が減税したりすれば)、結果的に全体を益する(下が益すれば全体が安定する)時である。大事業を為し遂げるために積極的に進み往くが宜しい。冒険しても(勇気を出して危険があることに取り組んでも)大丈夫である。心配することは何もない。

《彖伝》
彖曰、益、損上益下、民説无疆。自上下下、其道大光。利有攸往、中正有慶。利渉大川、木道乃行。益動而巽、日進无疆。天施地生、其益无方。凡益之道、與時偕行。
○彖に曰く、益は上を損して下を益し、民(たみ)説(よろこ)ぶこと疆(かぎり)无(な)し。上より下に下り、其(そ)の道大(おお)いに光る。往く攸(ところ)有るに利しとは、中正にして慶(よろこび)び有るなり。大川を渉るに利しとは、木(もく)道(どう)乃(すなわ)ち行はるるなり。益は動きて巽(したが)ひ、日に進むこと疆(かぎり)无(な)し。天施(ほどこ)し地生じ、其(そ)の益方(ほう)无(な)し。凡(およ)そ益の道は、時と偕(とも)に行はる。
 彖伝は次のように言っている。益は上(外)を減らして(天地否上卦乾の最下の陽爻が下卦坤の最下の爻に移動して上卦の陽爻が減り)下(内)を益する(天地否下卦坤の陰爻が上卦乾の最下の爻に移動して下卦に陽爻が増える)時(親が子どもを養育したり、政府が減税したりする時)なので、民(たみ)が喜ぶこと限りないのである。上が下に謙譲の心で接するので、九五と六二の君德が遍(あまね)く行き渡り、聖賢の道が光り輝く。前進して宜しいのは、剛健中正の九五の君主(トップ)と柔順中正の六二の賢臣が位正しく、中庸の德を発揮して善政を行い、臣民が喜ぶからである。冒険しても(勇気を出して危険があることに取り組んでも)大丈夫なのは、上下君臣一体となり堅(けん)固(ご)な戦艦のように取り組むからである。
 益の時は下卦震が雷のように動き、上卦巽が風のように順う。雷が風を起こし、風が雷を轟(とどろ)かすように、日々発展すること限りない(上卦巽の風によって下卦巽の舟が順調に動く)のである。天が元氣を施し、地が萬(ばん)物(ぶつ)を生じて、限りなく生成発展する。すべて益(上を減らして下を益すれば、結果的に全体が益する)の道(上を減らして下を益すれば、結果的に全体が益する)は、時に応じて適切に行われるのである。

《大象伝》
象曰、風雷益。君子以見善則遷、有過則改。
○象に曰く、風(ふう)雷(らい)は益なり。君子以(もつ)て善を見れば則(すなわ)ち遷(かえ)り、過(あやまち)有れば則(すなわ)ち改(あらた)む。
 大象伝は次のように言っている。上卦巽(風)と下卦震(雷)から成る(風と雷が助け合う)のが益の形。上(外)を減らして下(内)を益する時である。君子はこの形に見習って、人の善いところ(善行)を見れば速やかにそれを学び、自分に過ちがあれば速やかにそれを改めて、人間性を高める(修身斉家治国平天下を体現する)のである。

風雷益初九(風地観初六の之卦・爻辞)

《爻辞》
初九。利用爲大作。元吉。无咎。
○初九。用(もつ)て大(たい)作(さく)を爲(な)すに利し。元(げん)吉(きつ)。咎无し。
 初九は剛健正位で位(くらい)は低いが六四の大臣(側近)に応じている(六四から益される)。上(外)を減らして下(内)を益する時において、柔順にして正位の大臣六四に抜擢され、大事業を成し遂げる。見事に大事業を成し遂げれば、周(まわ)りから称(しよう)讃(さん)される(為し遂げられなければ…)。(大事業を為し遂げれば、)勿(もち)論(ろん)、誰からも咎められない。

《小象伝》
象曰、元吉无咎、下不厚事也。
○象に曰く、元(げん)吉(きつ)、咎无しとは、下(した)、事(こと)を厚くせざる也。
 小象伝は次のように言っている。初九が大事業を為し遂げれば、周りから称讃され、誰からも咎められない。本来、位の低い者が大事業に取り組むべきではないが、抜擢され大事業を成し遂げたので、誰も咎めることができないのだ。それゆえ、大事業を成し遂げられなければ、六四の大臣(側近)も賢臣初九も共に責任を追及されるのである。