毎日連載! 易経や易占いに関する情報を毎日アップしています。

四季と易経 その六十一

玄鳥去(つばめさる)(七十二候の四十五候・白露の末候)

【新暦九月十七日ころから二十一日ころまで】
 意味は「燕(つばめ)が南へ帰っていく(絵で楽しむ)」である。
 「絵で楽しむ」には次のように書いてある。
 春にやってきた燕(つばめ)が、南の国へ帰っていくころ。越冬先である暖かい東南アジアやオーストラリアまでは数千キロもあり、一日三百キロ以上も飛ぶことがあるといいます。

 「玄鳥去(つばめさる)」は、易経・陰陽消長卦の「天地否」上九に中る。次に「天地否」上九の文章(爻辞と小象伝)を示す。
 「天地否」上九の言葉は【新暦九月十七日ころから二十一日ころまで】に当て嵌まる。

天地否上九(易経・陰陽消長卦)

《爻辞》
上九。傾否。先否後喜。
○上九。否(ひ)を傾(かたむ)く。先には否(ふさ)がり後(のち)には喜ぶ。
 上九は世の中が乱れ崩壊に向っていく否の終(しゆう)極(きよく)に居て閉(へい)塞(そく)する世の中を終(しゆう)焉(えん)させる。
 八方塞がりで四苦八苦した閉塞の時が漸(ようや)く終り、やがては泰平の世が到来する(六四卦の解釈では否から泰に移行すると考えるが、陰陽消長の解釈ではまだまだ下降してやがて下限に至り、その後地雷復の時を迎えて徐々に上向いて行き、やがて泰の時に至る)。上下陰陽大いに喜ぶ泰の時が、漸(ようや)く到来するのである。

《小象伝》
象曰、否終則傾、何可長也。
○象に曰く、否終れば則ち傾く、何ぞ長かる可(べ)けん也(や)。
 小象伝は次のように言っている。世の中が乱れ崩壊に向っていく否の時が終(しゆう)焉(えん)すれば、上下陰陽大いに喜ぶ泰の時が到来する(六四卦の解釈では否から泰に移行すると考えるが、陰陽消長の解釈ではまだまだ下降してやがて下限に至り、その後地雷復の時を迎えて徐々に上向いて行き、やがて泰の時に至る)のが天の道。
 世の中が乱れて崩壊に向っていく否の時が永遠に続くことはない。しかし、萬物は生老病死の道を必ず歩む。泰の時に至る前に、地雷復の時を迎えることができず、崩壊することもあることを胸に刻んでおきたい。

 「天地否」上九の之卦は「澤地萃」である。次に「澤地萃」の全体像を表す言葉(卦辞・彖辞、彖伝、大象伝)と「澤地萃」上六の言葉(爻辞、小象伝)を示す。これらの言葉は「天地否」の上九と同じく【新暦九月十七日ころから二十一日ころまで】に当て嵌まる。

澤地萃(天地否上九の之卦)

《卦辞・彖辞》
萃、亨。王假有廟。利見大人。亨。利貞。用大牲吉。利有攸往。
○萃(すい)は亨(とお)る。王、有(ゆう)廟(びよう)に假(いた)る。大人を見るに利(よろ)し。亨る。貞しきに利し。大(たい)牲(せい)を用ひて吉。往く攸(ところ)有るに利し。
 萃は人や物が集まって栄える時である。剛健中正の九五の天子(トップ)が先祖の宗廟(みたまや)(日本においては伊勢神宮)で真心込めて神(しん)霊(れい)(天照大御神を始めとする天(あまつ)神(かみ))をお祭りする。天下の臣民(萬民)は九五の天子(トップ)を仰ぎ見て、心服するから宜しくして、物事がすらっと通るのである。人や物が集まって栄えるから天下はよく治まる。正しい道(道德)を固く守るが宜しい。何事もうまくいくであろう。萃の時は、牛・羊・豕(ぶた)を供えて盛大にお祭りすれば、幸運を招き寄せる。進んで行って大事業に取り組んでも宜しい。

《彖伝》
彖曰、萃、聚也。順以説、剛中而應。故聚也。王假有廟、致孝享也。利見大人、亨、聚以正也。用大牲吉、利有攸往、順天命也。觀其所聚、而天地萬物之情可見矣。
○彖に曰く、萃は聚(あつ)まる也。順にして以て説(よろこ)び、剛中にして應ず。故に聚まる也。王有(ゆう)廟(びよう)に假(いた)るとは、孝(こう)享(きよう)を致す也。大人を見るに利し、亨るとは、聚まるに正を以てする也。大(たい)牲(せい)を用ひて吉、往く攸有るに利しとは、天命に順ふ也。其の聚(あつ)まる所を觀て、天地萬物の情見る可(べ)し。
 彖伝は次のように言っている。萃は多くの人や物が集まって栄える時である。上卦兌は悦び、下卦坤は順う。上の者が下の人々が悦(よろこ)ぶ政治を行うから下の人々はそれに順うのである。剛健中正の天子(トップ)九五と柔順中正の賢臣六二が相応じて政治を司っている。九五の天子(トップ)が先祖の宗廟(みたまや)(伊勢神宮)で真心込めて神(しん)霊(れい)(天照大御神を始めとする天(あまつ)神(かみ))をお祭りする。大人たる天子(トップ)が孝心を尽くして盛大なお供え物で先祖(天照大御神を始めとする歴代天皇陛下)を祭れば、萬民はその姿を仰ぎ見て順う。天下の臣民(萬民)は九五の天子(トップ)を仰ぎ見て心服する。人や物が集まって栄えるから天下はよく治まる。正しく人の道(仁)に適(かな)っているからである。
 萃の時は、牛・羊・豕(ぶた)を供えて盛大にお祭りすれば幸運を得る。進んで行って大事業に取り組んでも宜しい。天命に適(かな)っているのである。多くの人や物が集まる所を観察して、天地萬(ばん)物(ぶつ)が生成化育する原理原則を識(し)るべきである。

《大象伝》
象曰、澤上於地萃。君子以除戎器、戒不虞。
○象に曰く、澤、地に上(のぼ)るは萃なり。君子以て戎(じゆう)器を除(おさ)め、不(ふ)虞(ぐ)を戒(いまし)む。
 大象伝は次のように言っている。澤が地の上に在るのが萃の形である。澤に水が満ちれば草木は茂り多くの人や物が集まる。だが、水が集まれば澤が氾濫・決潰し、人が集まれば争いが始まり、物が集まれば奪い合いが起こる恐れもある。
 君子はこの形(多くの人や物が集まれば社会は栄える。だが、人や物が集まれば争いや奪い合いが起こる恐れがあること)に鑑みて、軍備を整え不測の事態に備えるのである。

澤地萃上六(天地否上九の之卦・爻辞)

《爻辞》
上六。齎咨、涕洟。无咎。
○上六。齎(せい)咨(し)涕(てい)洟(い)す。咎无し。
 上六は人や物が集まり栄える萃の時の卦極に居て、応ずる相手(六三とは不応)がいないので、共に集まることができない。そこで、最上位に居ながら孤立して嘆き悲しんでいるのである。涙と鼻水が溢れて止まらない。自分が孤立していることを嘆き悲しんでいる(誰にも迷惑をかけていない)のであるから、咎められることはない。

《小象伝》
象曰、齎咨、涕洟、未安上也。
○象に曰く、齎(せい)咨(し)涕(てい)洟(い)するは、未(いま)だ上(うえ)に安んぜざる也。
 小象伝は次のように言っている。上六は孤立して嘆き悲しみ、涙と鼻水が溢れて止まらない。未だ孤(こ)高(こう)の位(くらい)に安んずることができずに六三と共に集まりたいと思っているからである。孤高の位に安んずることができれば比する九五の天子(トップ)と共に集まることができるかもしれないのである。