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四季と易経 その五十七

天地始粛(てんちはじめてさむし)(七十二候の四十一候・処暑の次候)

【新暦八月二十八日ころから九月一日ころまで】
 意味は「ようやく暑さが鎮(しず)まる(絵で楽しむ)」である。
 「絵で楽しむ」には次のように書いてある。
 「粛」は鎮(しず)まる、弱まるという意味。ようやく暑さも落ち着き、万物が改まるとされる時季。(中略)夜が更けると響いてくるのが松虫や鈴虫の声。

 「天地始粛(てんちはじめてさむし)」は、易経・陰陽消長卦の「天地否」六二に中る。次に「天地否」六二の文章(爻辞と小象伝)を示す。
 「天地否」六二の言葉は【新暦八月二十八日ころから九月一日ころまで】に当て嵌まる。

天地否六二(易経・陰陽消長卦)

《爻辞》
初六。抜茅茹。以其彙。貞吉亨。
○初六。茅(ちがや)を抜くに茹(じよ)たり。其(そ)の彙(たぐい)を以(もつ)てす。貞(てい)なれば吉(きつ)にして亨(とお)る。
 初六は閉じ塞(ふさ)がる時の始まりなので、小人が招き寄せる災難の悪影響は微弱である。だが、初六は茅(ちがや)を引き抜くように仲間(六二・六三)と共に悪(小人)の道に進みかねない。ぐっと堪(こら)えて悪の道に進まず、正しい道を貫(つらぬ)けば、やがては泰の時が来る。

《小象伝》
象曰、抜茅、貞吉、志在君也。
○象に曰く、茅(ちがや)を抜く、貞なれば吉とは、志(こころざし)君(きみ)に在(あ)る也。
 小象伝は次のように言っている。初六がぐっと堪(こら)えて悪の道に進まず正しい道を貫けば、やがては泰の時が来る。初六は大人としての九五と側近九四と、同じ志(世の中が乱れ崩壊に向っていく否の時をぐっと堪(こら)えて泰の時が到来するのを待つ)を抱いているからである。

 「天地否」六二の之卦は「天水訟」である。次に「天水訟」の全体像を表す言葉(卦辞・彖辞、彖伝、大象伝)と「天水訟」の九二の言葉(爻辞、小象伝)を示す。これらの言葉は「天地否」の六二と同じく【新暦八月二十八日ころから九月一日ころまで】に当て嵌まる。

天水訟(天地否六二の之卦)

《卦辞・彖辞》
訟、有孚窒。惕中吉、終凶。利見大人。不利渉大川。
○訟(しよう)は、孚(まこと)有りて窒(ふさ)がる。惕(おそ)れて中すれば吉、終れば凶。大(たい)人(じん)を見るに利し。大(たい)川(せん)を渉(わた)るに利しからず。
 訟は乾(剛健)と坎(険難)が反目して、一つの組織内(小は家庭、大は国家)で争い事や訴訟が起きる時である。下卦坎水には、誠の德が充実しているが、九二は坎水の穴の中に陥って閉(へい)塞(そく)している。戒(いまし)め懼(おそ)れて忍耐し、適切な時に訴訟を取り下げるが宜しい。
 組織内で起きる争い事や訴訟は勝つか負けるか終わるまで続けても解決しない。剛健中正の天子九五を争い事や訴訟を仲裁してくれる大人として仰ぎ、解決してもらうが宜しい。こういう時にはリスクの高い事に立ち向かって行ってはならない。

《彖伝》
彖曰、訟上剛下険。険而健訟。訟有孚窒、惕中吉、剛來而得中也。終凶、訟不可成也。利見大人、尚中正也。不利渉大川、入于淵也。
○彖伝は次のように言っている。訟(しよう)は上(うえ)剛(ごう)にして下(した)険(けん)なり。険にして健なるは訟なり。訟は孚(まこと)有りて窒(ふさ)がる、惕(おそ)れて中すれば吉とは、剛來(きた)りて中を得れば也。終れば凶とは、訟は成す可(べ)からざれば也。大人を見るに利しとは、中正を尚(たつと)ぶ也。大川を渉るに利しからずとは、淵(ふち)に入(い)る也。
 彖伝は次のように言っている。訟は上卦乾が剛健、下卦坎が険難である。内(下)は険難な性質で、外(上)は剛健な性質なので争い事や訴訟が起こるのである。
 戒(いまし)め懼(おそ)れて忍耐し、適切な時に訴訟を取り下げるが宜しい。剛健な九二が下卦に居て中庸の德を得ているからである。組織内で起こる争い事や訴訟は勝つか負けるか終わるまで続けても解決しない。組織内では争い事や訴訟を起こすべきでないからである。
 剛健中正の天子九五を争い事や訴訟を仲裁してくれる大人として仰ぎ、解決してもらうが宜しい。九五は中正の德を具えているので人々から尚(たつと)ばれているからである。
 こういう時にはリスクの高い事に立ち向かって行ってはならないのは、組織内で争い事や訴訟が起こっている時に、波風荒い大川を舟で渉れ(リスクの高い事に立ち向かって行け)ば顚(てん)覆(ぷく)して憂(ゆう)患(かん)の淵に沈むこと必至だからある。

《大象伝》
象曰、天與水違行訟。君子以作事謀始。
○象に曰く、天と水と違(たが)い行くは訟なり。君子以て事を作(な)すに始めを謀(はか)る。
 大象伝は次のように言っている。上卦天は上り、下卦水は下るので、交わることなく行き違って、争い事や訴訟が起こるのが訟の時である。君子はこの卦象を見習って、訴訟の根本的な原因が物事を始める時の行き違いにあることに鑑(かんが)みて、本来であれば、物事を始める段階で、争い事や訴訟が起こらないように注意するべきなのである。

天水訟九二(天地否六二の之卦・爻辞)

《爻辞》
九二。不克訟。歸而逋。其邑人三百戸。无眚。
○九二。訟(しよう)に克(か)たず。歸(かえ)りて逋(のが)る。其(そ)の邑(ゆう)人(じん)三百戸(こ)。眚(わざわい)无(な)し。
 九二は坎(かん)険(けん)の中に陥っているので組織に不平不満を抱いている。そこで、比する初六と六三を率いて、組織のトップである九五と争うべく訴訟を起こす。しかし、九二が坎険の中に陥っているのは、現場(下卦坎水)の中心に居る九二が能力を封じ込められているからであり、九五に責任転嫁するのは筋違いである。九二は中庸を得ているので自分の行動が道理に背いていることを悟り、結局は訴訟を取り下げる。
 訴訟を取り下げた九二は、自分の領地(現場)に逃げ帰るけれども、何事もなかったように振る舞うことは難しく、隠(いん)遁(とん)して恐(きよう)懼(く)謹(きん)慎(しん)するしかない。九二が恐(きよう)懼(く)謹(きん)慎(しん)するので村人(初六と六三)は災いを免れて、何事もなかったように振る舞うことができる。

《小象伝》
象曰、不克訴、歸逋竄也。自下訟上、患至掇也。
○象に曰く、訴えに克(か)たず、歸(かえ)りて逋(のが)れ竄(かく)るる也。下より上を訟(うつた)う、患(うれ)いの至ること掇(ひろ)うがごとき也。
 小象伝は次のように言っている。組織に不平不満を抱いている九二は、組織のトップである九五と争うべく訴訟を起こすが、自分の行動が道理に背(そむ)いていることを悟り、訴訟を取り下げる。自分の領地(現場)に逃げ帰るけれども、何事もなかったように振る舞うことは難しく、隠(いん)遁(とん)して恐(きよう)懼(く)謹(きん)慎(しん)するしかない。
 臣下が君主と争って訴訟を起こせばノイローゼになるほど追い込まれるのは、落とし物を見つけたら拾って交番に届けるように当たり前のことである。