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四季と易経 その五十六

葉(は)月(づき)と長月(ながつき)に中る区分

 葉月と長月にまたがる陰陽消長卦と十二支、二十四節氣の順序で整理してみる。

葉(は)月(づき)(和風月明)
【新暦八月一日から三十一日】

 8月は、草木を枯らす秋の気配があらわれるころ。葉月と呼ぶのは、【葉落ち月】に由来があると考えられています。(「暮らしのこよみ」)

長(なが)月(つき)(和風月明)
【新暦九月一日から三十日】

 夏は夜が長かったため、急に夜が長く感じられるようになります。夜が長いことから【夜長月】。これが変化して9月を【長月】と呼ぶようになったといわれています。(「暮らしのこよみ」)

天地否(易経・陰陽消長卦)

【新暦八月二十三日ころから九月二十一日ころまで】

 次に易経の「天地否」の全体像を表す言葉(卦辞・彖辞、彖伝、大象伝)を示す。これらの言葉は【八月二十三日ころから九月二十一日ころまで】に当て嵌まる。

《卦辞・彖辞》
否之匪人。不利君子貞。大往小來。
○之(これ)を否(ふさ)ぐは人に匪(あら)ず。君子の貞(てい)に利(よろ)しからず。大往(ゆ)き小來(きた)る。
 否は上下君(くん)臣(しん)交わることなく閉塞する時。人間社会においては、あらゆる事象が閉塞する否の時は人の道に反することが横行闊歩する。君子が正しい道を固く守っても、この閉塞状態をどうすることもできない。
 天(君主・トップ)は上(外)に在り、地(臣下・臣民・民・部下)は下(内)に在る。天地陰陽(上下君臣・上司と部下・夫婦・親子等あらゆる関係)交わることなくあらゆる事象が閉(へい)塞(そく)するのである。

《彖伝》
彖曰、否之匪人、不利君子貞、大往小來、則是天地不交萬物不通也。上下孚交天下无邦也。内陰而外陽、内柔而外剛、内小人而外君子。小人道長、君子道消也。
○彖に曰く、之(これ)を否(ふさ)ぐは人に匪(あら)ず、君子の貞に利しからず、大往(ゆ)き小來(きた)るとは、則(すなわ)ち是(こ)れ天地交わらずして萬(ばん)物(ぶつ)通ぜざる也。上下交わらずして天下に邦(くに)无(な)き也。内は陰にして外は陽、内は柔にして外は剛、内は小人にして外は君子。小人の道長(ちよう)じ、君子の道消(しよう)する也。
 彖伝は次のように言っている。否は天地陰陽(上下君臣・上司と部下・夫婦・親子等あらゆる関係)交わることなく閉(へい)塞(そく)する時である。天地の氣が交わらない(陰陽結合による創造活動が行われない)ので萬(ばん)物(ぶつ)は生成化(か)育(いく)しないのである。
 上下君臣(政府と民衆・上司と部下・親と子)の意志が疎(そ)通(つう)しないので国家(を始めとするあらゆる組織)の体(てい)を成さない。
 内側(下卦)の陰氣が徐々に盛んになり、外側(上卦)の陽氣は徐々に衰退する。内面(下卦)は柔弱なのに外面(上卦)は剛健を装っている。小人が要職を独占して君子は閑(かん)職(しよく)に追いやられる。小人が跋(ばつ)扈(こ)して、君子の道は消滅する。

《大象伝》
象曰、天地不交否。君子以德儉辟難、不可榮以祿。
○象に曰く、天地交わらざるは否(ひ)なり。君子以(もつ)て德を儉(つづまやか)にし難(なん)を辟(さ)け、榮(えい)するに祿(ろく)を以(もつ)てす可(べ)からず。
 大象伝は次のように言っている。天地陰陽交わらず萬(ばん)物(ぶつ)は閉(へい)塞(そく)し、小人が跋(ばつ)扈(こ)して、世の中が乱れ崩壊に向っていくのが否の形である。
 君子はこの形に倣(なら)って、己の道德才能を上手に包み隠して、小人が招き寄せる災難に近付いてはならない。君子を禄(ろく)位(い)(富や名誉)で誘惑することはできないのである。

申(さる)(十(じゆう)二(に)支(し))

 陰陽消長卦の「天地否」に当て嵌まる十二支は「申(さる)」である。
 「のびる」に通じ、成熟の完成・熟成の完了に向かって突き進んでいる状態である。(陰陽五行)
 伸と同じで「のびる」という意。陰気の支配。(「干支の智恵」)

処暑(しよしよ)(二十四節氣の十四節氣)

【新暦八月二十三日ころから九月六日ころまで】
 「立秋(りつしゆう)」の次の二十四節氣は「処暑(しよしよ)」である。
 ようやく暑さの峠を越え、少しずつ過ごしやすくなる時季。「処」とは、止まるという意味があります。このころから朝晩の涼しさを感じる日々が多くなり、農作物の収穫期も始まって本格的な秋の気配が色濃くなるとき。(絵で楽しむ)

綿柎開(めんぷひらく)(七十二候の四十候・処暑の初候)

【新暦八月二十三日ころから二十七日ころまで】
 意味は「綿を包む萼(がく)が開く(絵で楽しむ)」である。
 「絵で楽しむ」には次のように書いてある。
 「柎(はなしべ)」とは、花の萼(がく)(花の最も下(外)側に生ずる器官で,葉の変形したもののこと・コトバンク)。綿を包む萼(がく)が開き始めるというころ。綿の花は、七~九月にかけて立葵(たちあおい)に似た淡く黄色い美しい花を咲かせます。

 「綿柎開(めんぷひらく)」は、易経・陰陽消長卦の「天地否」初六に中る。次に「天地否」初六の文章(爻辞と小象伝)を示す。
 「天地否」初六の言葉は【新暦八月二十三日ころから二十七日ころまで】に当て嵌まる。

天地否初六(易経・陰陽消長卦)

《爻辞》
初六。抜茅茹。以其彙。貞吉亨。
○初六。茅(ちがや)を抜くに茹(じよ)たり。其(そ)の彙(たぐい)を以(もつ)てす。貞(てい)なれば吉(きつ)にして亨(とお)る。
 初六は閉じ塞(ふさ)がる時の始まりなので、小人が招き寄せる災難の悪影響は微弱である。だが、初六は茅(ちがや)を引き抜くように仲間(六二・六三)と共に悪(小人)の道に進みかねない。ぐっと堪(こら)えて悪の道に進まず、正しい道を貫(つらぬ)けば、やがては泰の時が来る。

《小象伝》
象曰、抜茅、貞吉、志在君也。
○象に曰く、茅(ちがや)を抜く、貞なれば吉とは、志(こころざし)君(きみ)に在(あ)る也。
 小象伝は次のように言っている。初六がぐっと堪(こら)えて悪の道に進まず正しい道を貫けば、やがては泰の時が来る。初六は大人としての九五と側近九四と、同じ志(世の中が乱れ崩壊に向っていく否の時をぐっと堪(こら)えて泰の時が到来するのを待つ)を抱いているからである。

 「天地否」初六の之卦は「天雷无妄」である。次に「天雷无妄」の全体像を表す言葉(卦辞・彖辞、彖伝、大象伝)と「天雷无妄」の初九の言葉(爻辞、小象伝)を示す。これらの言葉は「天地否」の初六と同じく【新暦八月二十三日ころから九月六日ころまで】に当て嵌まる。

天雷无妄(天地否初六の之卦)

《卦辞・彖辞》
无妄、元亨利貞。其匪正正有眚。不利有攸往。
○无(む)妄(ぼう)は、元(おおい)に亨(とお)る。貞(ただ)しきに利(よろ)し。其(そ)れ正しきに匪(あら)ざれば、眚(わざわい)有り。往(ゆ)く攸(ところ)有るに利(よろ)しからず。
 无(む)妄(ぼう)は至誠にして私心なく天の道に則って(天地自然の道に素直に順って)動くから、何事もすらすらと通るのである。
 常に正しい道(天地自然の道に素直に順うこと)を固く守るが宜しい。正しい道を守ることができなければ人災を招き寄せる。やることなすこと全て失敗する。

《彖伝》
彖曰、无妄、剛自外來而爲主於内。動而健、剛中而應、大亨以正。天之命也。其匪正有眚、不利有攸往、无妄之往、何之矣。天命不祐、行矣哉。
○彖に曰く、无(む)妄(ぼう)は剛、外より來りて内に主と爲(な)り。動きて健、剛中にして應(おう)じ、大いに亨(とお)りて以て正し。天の命(めい)也(なり)。其(そ)れ正しきに匪(あら)ざれば眚(わざわい)有り、往(ゆ)く攸(ところ)有るに利(よろ)しからずとは、无(む)妄(もう)の往(ゆ)くは何(いずく)に之(ゆ)かん。天命祐(たす)けず、行かん哉(や)。
 彖伝は次のように言っている。无妄は天地否の時に初爻が陰陽反転して成(せい)卦(か)主(しゆ)(天災の主)となった形。天の如(ごと)く健やかに、間断なく(乾健)活動(震動)しているのである。剛健中正の九五が柔順中正の六二と相応じて、正しい道(天地自然の道に素直に順うこと)を固く守るので何事もすらすらと通る。それが天が命じていることだからである。
 正しい道(天地自然の道に素直に順うこと)を固く守れなければ(天災から)人災を招き寄せて、やることなすこと全て失敗する。无妄は無(む)為(い)自然に天災に順うべき時だからである。正しい道(天地自然の道に素直に順うこと)に外(はず)れて(人間の小賢しい智恵で対応して)何(ど)処(こ)に行くのか。天から見放されて、どうして進んで行くことができようか。

《大象伝》
象曰、天下雷行、物與无妄。先王以茂對時育萬物。
○象に曰く、天の下(した)に雷(かみなり)行(ゆ)き、物(もの)與(みな)无(む)妄(ぼう)なり。先(せん)王(おう)以て茂(つと)めて時に對(たい)して、萬(ばん)物(ぶつ)を育す。
 大象伝は次のように言っている。天(乾)の下で雷(震)が轟(とどろ)き渡り、萬(ばん)物(ぶつ)を鼓動して各(おの)々(おの)その性質に順って天災などあらゆる事象が発動・発生するのが无妄の形である。
 昔の王さま(リーダー・指導者)はこの形を参考にして、勉(つと)めて天の時に中(あた)って対処して(春には春やるべきことをやり、秋には秋やるべきことをやるように天災など天地自然の道に素直に順って)、盛んに萬物を養い育てた(禍転じて福と成す)のである。

天雷无妄初九(天地否初六の之卦・爻辞)

《爻辞》
初九。无妄。往吉。
○初九。无(む)妄(ぼう)なり。往(ゆ)きて吉(きつ)。
 初九は剛健正位で、下卦震の主であり无(む)妄(ぼう)の成(せい)卦(か)主(しゆ)(天災の主であり、また、天地自然の道に素直に順う時の主人公)でもある。至誠にして私心なく天の道に則(のつと)る(天地自然の道に素直に順う)无妄の時の始めに居て、无妄の道を全うする(天地自然の道に素直に順う)。それゆえ、何をやっても、最終的には幸福を招き寄せる。

《小象伝》
象曰、无妄之往、得志也。
○象に曰く、无(む)妄(ぼう)の往(ゆ)くは、志を得る也(なり)。
 小象伝は次のように言っている。初九が无妄の道を全うできる(天地自然の道に素直に順う)のは、天が命ずる志(己の天命)を心得ているからである。