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四季と易経 その七十四

霜月(しもつき)と師走(しわす)に中る区分

 霜月(しもつき)と師走(しわす)にまたがる陰陽消長卦と十二支、二十四節氣の順序で整理してみる。

霜月(しもつき)(和風月明)
【新暦十一月一日から三十日】

寒さが深まり、霜が降りる【霜降月(しもふりづき)】が転じて「霜月」。冷たい北風が吹き始めるころです。農村地では収穫祭が行われ、お米の神様が大地のエネルギーを穂と一粒の実に託し、惠を与えてくれることを実感できます。(「暮らしのこよみ」)

師走(しわす)(和風月明)
【新暦十二月一日から三十一日】

旧暦では十二月(子月(ねづき))が新年。お盆と同じように先祖の霊を弔い月でした。師走の【師】は僧侶のこととされ、僧侶が年末の仏事で忙しく走り回る月だったので、「師馳せる月」。そこから【師走】と表現したようです。(「暮らしのこよみ」)

坤為地(易経・陰陽消長卦)

【新暦十一月二十二日ころから十二月二十一日ころまで】

 次に易経の「坤為地」の全体像を表す言葉(卦辞・彖辞、彖伝、大象伝)を示す。これらの言葉は【十一月二十二日ころから十二月二十一日ころまで】に当て嵌まる。

《卦辞・彖辞》
坤、元亨。利牝馬之貞。君子有攸往。先迷、後得主。利西南得朋、東北喪朋。安貞吉。
○坤は、元(おお)いに亨(とお)る。牝(ひん)馬(ば)の貞に利(よろ)し。君子往(ゆ)く攸(ところ)有り。先んずれば迷い、後(おく)るれば主を得(う)。西南に朋(とも)を得(え)、東北に朋(とも)を喪(うしな)うに利(よろ)し。貞に安んずれば吉。
 柔順に柔順を重ねた坤の時は、貴方が担っている役割(生活や仕事などにおける貴方の役割と貴方が仕えている人のリーダーとしての資質)の大きさに応じて成就する。貴方は脇役としての自分の役割をはっきりと認識して、雌(めす)馬(うま)が雄(おす)馬(うま)に柔順に従うように、貴方が仕えている人に従うが宜しい。
 今の貴方には脇役の君子として、進むべき道がある。自分が先頭に立てば道に迷うが、雌(めす)馬(うま)が雄(おす)馬(うま)に仕えるように、今、貴方が仕えている人に従えば、貴方が生涯仕える人物に巡り逢うことができる。西南(坤・陰の方角)の地にある故郷に居る時は家族や友達との関係を大切にしなさい。親元を離れて東北(艮・陽の方角)の地に赴けば家族や友達と離れ離れになるが、それが脇役の君子の道だから、宜しいのである。貴方は脇役の君子として、貴方が今、仕えるべきリーダーに柔順に従うが宜しい。

《彖伝》
彖曰、至哉坤元、萬物資生。乃順承天。坤厚載物、德合无疆。含弘光大、品物咸亨。牝馬地類、行地无疆。柔順利貞、君子攸行。先迷失道、後順得常。西南得朋、乃與類行。東北喪朋、乃終有慶。安貞之吉、應地无疆。
○彖に曰く、至れるかな坤(こん)元(げん)、萬(ばん)物(ぶつ)資(と)りて生ず。乃(すなわ)ち順にして天を承(う)く。坤厚くして物を載(の)せ、德无(む)疆(きよう)に合う。含(がん)弘(こう)光(こう)大(だい)にして、品(ひん)物(ぶつ)咸(ことごと)く亨(とお)る。牝馬は地の類、地を行くこと无(む)疆(きよう)なり。柔順利貞、君子の行う攸(ところ)なり。先んずれば迷いて道を失い、後(おく)るれば順(したが)って常を得(う)。西南に朋(とも)を得るは、乃ち類と行くなり。東北に朋を喪うは、乃ち終(つい)に慶(よろこ)び有るなり。貞に安んずるの吉は、地の无(む)疆(きよう)なるに應(おう)ず。
 彖伝は次のように言っている。乾元(物事が最大限に成し遂げられる力)に至るほどに偉大であるなぁ、坤元の(萬物を生み出す)力は…。乾元が発する根源的なエネルギーを坤元が丸ごと受け容れて、萬物は生み出された。すなわち大地(坤)が柔順に天(乾)の根源的な力(元氣)を受け容れて、あらゆる事象(萬物)を創造したのである。
 坤の性質は、陰德を厚く積み上げて萬物をその上に載せているから、疆(かぎ)りない乾の性質と合致する。萬物は優しく包含されて光り輝き、それぞれ天から授かった性命(天命)を発揮して、すらすら成長する。
 雄馬に柔順に従う雌馬は、天に対する地に分類される。雌馬は大地としての役割を果たすために疆(かぎ)りなく進んで行く。雌馬はあくまでも雄馬に柔順で、脇役としての貞しさを固く守る。以上が雄馬に従順に従う坤の君子である雌馬の行く道である。
 雌馬は自分が先頭に立てば道に迷うことになるが、雄馬のリーダーに仕えれば、やがて生涯仕える人物に巡り逢える。西南(坤・陰の方角)の地にある故郷に居る時に家族や友達との関係を大切にするのは、生涯仕える人物に巡り逢うための基礎固めである。
 東北(艮・陽の方角)の地に赴けば家族や友達と離れ離れになるが、それが脇役の君子の道である。最初は寂しいけれども、やがて生涯仕える人物に巡り逢って、終には喜びを得られる。今は、脇役の君子として、仕えるべきリーダーに柔順に従えば幸を得るのである。大地(坤)の性質は天(乾)の疆(かぎ)りない性質に相応じているからである。

《大象伝》
象曰、地勢坤。君子以厚德載物。
○象に曰く、地(ち)勢(せい)は坤(こん)なり。君子以(もつ)て德を厚くし物を載(の)す。
 大象伝は次のように言っている。乾の元氣(天地宇宙の根源的なパワー)を受け容れて萬物を包容・含蓄・創造しているのが、坤の卦象である。坤の君子は、この卦象に倣(なら)って、陰德を厚く積み上げて、あらゆる事象を包容・含蓄・創造するのである。

亥(い)(十(じゆう)二(に)支(し))

 陰陽消長卦の「坤為地」に当て嵌まる十二支は「亥(い)」である。
 「とじる」「根」に通じ、万物が根のみを残して、その一切の活動を止め、生命をその根に蓄えている状態を意味している。(陰陽五行)
 植物の果実が堅い核を形成し、エネルギーを凝縮、蓄積している様子を表す。(「干支の智恵」)

小雪(しようせつ)(二十四節氣の二十節氣)

【新暦十一月二十二日ころから十二月二十一日ころまで】
 「立冬(りつとう)」の次の二十四節氣は「小雪(しようせつ)」である。
 そろそろ北日本や山沿いから初雪の便りが届くころ。晴れた日に運ばれて花弁(かべん)のように舞う雪を「風花(かざばな)」と呼びます。(中略)晩秋から初冬にかけ、移動性高気圧に覆われて春のように暖かくなる日があります。そんな陽気が「小春日和(こはるびより)」。小春は冬の季語になります。(絵で楽しむ)

虹蔵不見(にじかくれてみえず)(七十二候の五十八候・小雪(しようせつ)の初候)

【新暦十一月二十二日ころから二十六日ころまで】
 意味は「虹を見かけなくなる(絵で楽しむ)」である。
 「絵で楽しむ」には次のように書いてある。
 日が短くなり、雨も少なく乾燥する時季。そのため、虹を見られることも少なくなります。「蔵」の字は、潜むということを意味します。十一月二十三日は、(中略)秋の収穫に感謝を捧げる「新嘗祭(にいなめさい)」の祝日でした。期限は七世紀と古く、天皇が新米や新酒を天地の神様に捧げ、自らも食すという儀式。

 「虹蔵不見(にじかくれてみえず)」は、易経・陰陽消長卦の「坤為地」初六に中る。次に「坤為地」初六の文章(爻辞と小象伝)を示す。
 「坤為地」初六の言葉は【新暦十一月二十二日ころから二十六日ころまで】に当て嵌まる。

坤為地初六(易経・陰陽消長卦)

《爻辞》
初六、履霜堅氷至。
○初(しよ)六(りく)。霜を履(ふ)みて堅(けん)氷(ぴよう)至る。
 初六は雄(おす)馬(うま)(剛陽のリーダー)に柔順に従う雌(めす)馬(うま)(柔陰の部下)の君子の始まりであるから、どんなに小さな悪事でも見逃してはならない。初(はつ)霜(しも)を履む季節が来れば、やがて堅い氷が張る厳寒の季節が到来するように、小さな悪事(初(はつ)霜(しも))を見逃せば(積小)、やがて大きな悪事(堅(けん)氷(ぴよう))に至る(為大)のである。

《小象伝》
象曰、履霜堅氷、陰始凝也。馴致其道、至堅氷也。
○象に曰く、霜を履(ふ)みて堅(けん)氷(ぴよう)とは、陰の始めて凝(こ)る也。其の道を馴(じゆん)致(ち)すれば、堅(けん)氷(ぴよう)に至る也。
 小象伝は次のように言っている。初(はつ)霜(しも)を履む季節が来れば、やがて堅い氷が張る厳寒の季節が到来するように、小さな悪事(初(はつ)霜(しも))を見逃せば、やがて大きな悪事(堅(けん)氷(ぴよう))に至るのは、柔順であるべき雌馬(柔陰の部下)に邪(よこしま)な気持ちが芽生え、悪事を重ねて堅(けん)固(ご)になり、終には取り返しがつかなくなるからである。 
 邪(よこしま)な気持ちに馴れてしまい、小さな悪事を重ね続ければ、初(はつ)霜(しも)が堅(けん)氷(ぴよう)に至るように、やがて大きな悪事に至り、雄(おす)馬(うま)(剛陽のリーダー)に柔順に従う雌(めす)馬(うま)(柔陰の部下)の君子としての資質を失ってしまうのである。

 「坤為地」初六の之卦は「地雷復」である。次に「地雷復」の全体像を表す言葉(卦辞・彖辞、彖伝、大象伝)と「地雷復」の初九の言葉(爻辞、小象伝)を示す。これらの言葉は「坤為地」の初六と同じく【新暦十一月二十二日ころから二十六日ころまで】に当て嵌まる。

地雷復(坤為地初六の之卦)

《卦辞・彖辞》
復、亨。出入无疾。朋來无咎。反復其道、七日來復。利有攸往。
○復は亨(とお)る。出(しゆつ)入(にゆう)、疾(やまい)无(な)く。朋(とも)來(きた)りて咎(とが)无(な)し。其(そ)の道に反(はん)復(ぷく)し、七日にして來(きた)り復(かえ)る。往(ゆ)く攸(ところ)有るに利(よろ)し。
 復は一(いち)陽(よう)来(らい)復(ふく)して(山地剝の一番上に在った一陽が剝落して、陰爻ばかりの坤為地となった後に、一番下に一陽が復って来て地雷復となり)漸次に陽が長じて行く時である。小人(陰)に剝(はく)尽(じん)された君子(陽)の道が次第に伸び栄えていく(陽が長じていく)。
 陽氣が内に入って長ずるのを害するものはなく、陽氣が集まり次第に伸び栄えるので、過失を犯すこともない。陽氣が天地の道を反復往来(陰陽消長)し、剝尽(陽が消え始めて)から七変化(天風姤、天山遯、天地否、風地観、山地剝、坤為地、地雷復)して、また来復(陽が復って来て長じ始める)する。進んで行って事を為すがよい。

《彖伝》
彖曰、復亨、剛反也。動而以順行。是以出入无疾、朋來无咎。反復其道、七日來復、天行也。利有攸往、剛長也。復其見天地之心乎。
○彖に曰く、復は亨(とお)るとは、剛(ごう)反(かえ)ればなり。動きて順を以て行く。是(ここ)を以て出(しゆつ)入(にゆう)疾(やまい)无(な)く、朋來りて咎无し。其の道に反復し、七日にして來(きた)り復(かえ)るとは、天(てん)行(こう)也(なり)。往く攸(ところ)有るに利しとは、剛長ずれば也。復は其(そ)れ天地の心を見るか。
 彖伝は次のように言っている。復は一陽来復して漸(ぜん)次(じ)(徐々)に陽が長じて行く時。小人(陰)に剝(はく)尽(じん)された君子(陽)の道が次第に伸び栄えていく(陽が長じていく)。一陽来復して陽の勢いがだんだん盛んになって行くのである。
 動く(下卦震)に順(上卦坤)を以てする(上卦坤の母から下卦震の長男が生まれた)。すなわち天地自然の道に順って動き進み行くから、些(いささ)かも無理なところがない。それゆえ陽氣が内に入って(一番下に陽が復って来て)長ずるのを、害するものはない。志を同じくする陽氣が集まって次第に伸び栄えていくので、過失を犯すこともない。
 陽氣が天道を反復往来し、剝尽(陽が消え始めて)から七変化(天風姤、天山遯、天地否、風地観、山地剝、坤為地、地雷復)してまた来復する(陽が復って来て長じ始める)。天地の自然な運行(天地の道)である。進んで行って事を為すがよい。剛陽の勢いが次第に盛んになって行くからである。一陽来復の時はさながら天地の心を見るようである。

《大象伝》
象曰、雷在地中復。先王以至日閉關、商旅不行。后不省方。
○象に曰く、雷(らい)地中に在(あ)るは復なり。先(せん)王(おう)以て至(し)日(じつ)に關(せき)を閉(と)ぢ、商(しよう)旅(りよ)行かず。后(きみ)方(ほう)を省(かえり)みず。
 大象伝は次のように言っている。復の時は、雷(下卦震・長男)が大地(上卦坤・母)の中に潜んでいる。未だ微弱な陽氣だから大地(母)の中で着実に力を養っているのである。
 昔の王さまは、復(一番下に陽が復って来た)の形に倣って、一陽来復する(陰氣が最大に達して最も日が短くなった次の瞬間、陽氣が下から復ってきて、漸次に日が長くなって行き始める)冬至の日に関所を閉ざして(経済活動や社会の動きを停止して)商人旅人の足を止め(仕事先から自宅に戻り)、自らの巡幸も休み(日頃の活動をお休みして)、陽氣を養い育てる(冬至占を立て来年の運勢を前知して氣力を養い育てる)のである。

地雷復初九(坤為地初六の之卦・爻辞)

《爻辞》
初九。不遠復。无祗悔。元吉。
○初九。遠からずして復(かえ)る。悔(くい)に祗(いた)る无(な)し。元吉。
 復の成(せい)卦(か)主(しゆ)(主人公)初九は一(いち)陽(よう)来(らい)復(ふく)して(山地剝の一番上に在った一陽が剝落して、陰爻ばかりの坤為地となった後に、一番下に一陽が復って来て地雷復となり)道に復(かえ)る(漸次に日が長くなって行く)始めの段階である。
 もし、道を踏み外しても遠くまで行かず、速やかに過ちを覚(さと)って正しい道に復(かえ)る。それゆえ後悔することはなく、大いなる幸運を招き寄せるのである。

《小象伝》
象曰、不遠之復、以修身也。
○象に曰く、遠からざるの復は、以(もつ)て身を修(おさ)むる也(なり)。
 小象伝は次のように言っている。もし、道を踏み外しても遠くまで行かず、速やかに過ちを覚(さと)って正しい道に復る(道德心を取り戻す)。その身を修めて心を正し(修身・正心・誠意・致知・格物)、直(ただ)ちに過ちを改める(反省・改心・改善する)のである。