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四季と易経 その五十九

白露(はくろ)(二十四節氣の十五節氣)

【新暦九月七日ころから二十一日ころまで】
 「処暑(しよしよ)」の次の二十四節氣は「白露(はくろ)」である。
 草花の葉先に透明の露が結び、白く光って見えるという「白露」。日中と朝晩の寒暖差が大きくなると、朝には草や枝などに露がつきやすくなります。この時季に迎える九月九日は「重陽(ちようよう)の節句」。中国では奇数を陽の数とし、その中で最大の数である「九」が重なるこの日に長寿を祈りました(絵で楽しむ)

草露白(そうろしろし)(七十二候の四十三候・白露の初候)

【新暦九月七日ころから十一日ころまで】
 意味は「草の露が白く光る(絵で楽しむ)」である。
 「絵で楽しむ」には次のように書いてある。
 朝晩と日中の気温差により、草に降りた美しい露が白く光って見えるころ。濡れて香り立つ草木からも、秋の深まりを感じられる時季です。(中略)月も美しく見える時季であることから、月が夜の間にこぼした「月の雫(しずく)」とも呼ばれました。

 「草露白(そうろしろし)」は、易経・陰陽消長卦の「天地否」九四に中る。次に「天地否」九四の文章(爻辞と小象伝)を示す。
 「天地否」九四の言葉は【新暦九月七日ころから十一日ころまで】に当て嵌まる。

天地否九四(易経・陰陽消長卦)

《爻辞》
九四。有命无咎。疇離祉。
○九四。命(めい)有り、咎无し。疇(たぐい)、祉(さいわい)に離(つ)く。
 九四は剛健だが控え目な大臣(大人九五の側近)。世の中が乱れ崩壊に向っていく否の時が半(なか)ばを過ぎた。天命に順って天子(トップ)に奉公して閉(へい)塞(そく)した世の中を泰平に導く。
 君位に近く(トップの側近として)悪(にく)まれる恐れがあるが、人から咎められるような過失は犯さない。同志(九五・上九)と共に大いなる泰平の福を得る。しかし、まだ否の時は終わっていない。泰の時が到来するまで油断してはならない。

《小象伝》
象曰、有命无咎、志行也。
○象に曰く、命(めい)有り咎无しとは、志(こころざし)行なわるる也。
 小象伝は次のように言っている。九四は君位に近く(トップの側近として)悪(にく)まれる恐れがあるが、人から咎められるような過失は犯さない。
 君子(九四・九五・上九の陽)が時を得て閉塞した世を泰平に導くという志が成し遂げられたのである。しかし、まだ世の中が乱れ崩壊に向っていく否の時は終わっていない。泰の時が到来するまで油断は禁物である。

 「天地否」九四の之卦は「風地観」である。次に「風地観」の全体像を表す言葉(卦辞・彖辞、彖伝、大象伝)と「風地観」の六四の言葉(爻辞、小象伝)を示す。これらの言葉は「天地否」の九四と同じく【新暦九月七日ころから十一日ころまで】に当て嵌まる。

風地観(天地否九四の之卦)

《卦辞・彖辞》
觀、盥而不薦。有孚顒若。
○觀は盥(かん)して薦(すす)めず。孚(まこと)有り顒(ぎよう)若(じやく)たり。
 観には「周観(周く物を観る)」「仰観(手本を示す、仰ぎ観る)」の意味がある。上の者が下の者を周(あまね)く観て手本を示すから、下の者は上の者を仰ぎ観るのである。
 宗(そう)廟(びよう)の祭(さい)祀(し)でお供え物を献(けん)上(じよう)する前に、祭主が手を洗い清めて神様の前に進み、至誠の心と厳(げん)粛(しゆく)な態度で神様を天から迎えるのである。為政者が至誠の心と厳粛な態度を民に示せば、民は自然に為政者を尊(そん)崇(すう)して仰ぎ観るようになる。

《彖伝》
彖曰、大觀在上、順而巽、中正以觀天下。觀盥而不薦、有孚顒若、下觀而化也。觀天之神道而、四時不忒。聖人以神道設教、而天下服矣。
○彖に曰く、大觀上に在り。順にして巽、中正以て天下を觀る。觀は盥(てあら)いて薦めず、孚(まこと)有り顒(ぎよう)若(じやく)たりとは、下觀て化する也。天の神道を觀るに、四(しい)時(じ)忒(たが)わず。聖人、神道を以て教えを設けて、天下服す。
 彖伝は次のように言っている。山のように見識が高く臣民が仰ぎ観る陽剛(上九の老師と九五の天子・トップ)が上に在る。二人は柔順(坤)に天の道に従い、巽順(巽)に謙遜して高ぶらない。剛健中正の德を備えた九五の天子(トップ)が周(あまね)く天下を観察して手本を示し、臣(しん)民(みん)は仰ぎ観る。
 例えば、宗廟の祭祀でお供え物を献上する前に、祭主が手を洗い清めて神様の前に進み出て、至誠の心と厳粛な態度で神様を天から迎えるように、為政者が至誠の心と厳粛な態度を民に示せば、民は自然に為政者を尊崇して仰ぎ観る。
 臣民(下)は為政者の至誠な心と厳粛な態度を観て自然と風化する。天の神(しん)道(とう)を観察すると、春夏秋冬息(やす)まず循環して違(たが)い誤ることはない。
 聖人は神道に則(のつと)り臣民を教化する。すなわち、神道が声も形もなく、自然にして霊(れい)妙(みよう)な働きであるように、聖人は言葉や規則を用いずとも至誠な心で臣下人民を風化させ、自然に天下萬民は信服するのである。

《大象伝》
象曰、風行地上觀。先王以省方、觀民設教。
○象に曰く、風、地の上を行くは觀なり。先王以て方を省み、民を觀て教を設く。
 大象伝は次のように言っている。風が地上に周(あまね)く(四方八方)吹き渡る(坤下巽上)のが観の形である。昔の王さま(トップ)はこの形を見習って天下諸国(各地)を巡(じゆん)幸(こう)し、風俗・慣習・文化の相違を詳(つまび)らかに観察して、それぞれに適した国是(規則)を定め、それぞれに適した教育を施(ほどこ)して民(人々)を教え導いたのである。

風地観六四(天地否九四の之卦・爻辞)

《爻辞》
六四。觀國之光。利用賓于王。
○六四。國(くに)の光を觀(み)る。用(もつ)て王に賓(ひん)たるに利(よろ)し。
 六四は九五の天子(トップ)に最も近く、天子(トップ)からの信頼の厚い大臣(側近)である。間(ま)近(ぢか)に聖賢の德を仰ぎ観て、今後の治(ち)国(こく)平(へい)天(てん)下(か)の光(方向性・ビジョン・シナリオ)を観る。朝廷の賓(ひん)客(かく)として聖(せい)君(くん)(九五)に仕えて確(しか)と補佐するが宜しい。

《小象伝》
象曰、觀國之光、尚賓也。
○象に曰く、國(くに)の光を觀(み)るとは、賓(ひん)たるを尚(たつと)ぶ也(なり)。
 小象伝は次のように言っている。六四が間近に聖賢の德を仰ぎ観て治国平天下の光(方向性・ビジョン・シナリオ)を観る。
 六四は朝廷(組織)の賓(ひん)客(かく)として聖(せい)君(くん)(トップ)に仕えて確(しか)と補佐せんと庶(こい)幾(ねが)うのである。