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期間限定「現代語訳(超意訳) 呑象高島嘉右衛門著 増補 高島易斷 上下巻 占例篇」 地火明夷 二

明夷 九三 ・・・ |・|

九三。明夷。于南狩。得其大首。不可疾貞。
□九三。明(めい)夷(やぶ)る。于(ゆ)きて南に狩(かり)す。其(そ)の大(たい)首(しゆ)を得(う)。疾(はや)くす可(べ)からず。貞(てい)。
 義勇に富む九三は、離(明)の極みに居る。暗黒の時を支配する正応上六を討伐すべく、南方(明らかな方面)に兵を進めて、首(しゆ)領(りよう)上六を討ち取る。急いではならぬ。大志と大義を掲(かか)げて、時の到来を待つのである。
象曰、南狩之志、乃得大也。
□南に狩(かり)すの志、乃(すなわ)ち大いに得(う)る也。
 九三の大(たい)志(し)は、南方に兵を進め、首領上六を討ち取って、大いに成就する。

 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての原文の一部。
(占)運盛ンニシテ大事業ヲ起スノ時ナリ、我智ヲ以テ彼ノ智ヲ開クノ時ナリ、其事業ハ南ニ向始ルヲ宜シトス、然ルトキハ大利益ヲ得ベシ、然レドモ・・・
 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての現代語訳。
(占)暗黒の時に、氣運盛んに大事業を起こす。自分の智恵を用いて、相手の智恵を開く時である。
○事業を起こす際には南に向かって始めるがよい。その場合は大きな利益を得る。一気に進めてはならない。少しずつ進めるのである。
○暗黒の時代の中で明るさが見え始め、災難を回避できる時である。
○(時を待って)進んで行けば、被害を取り除くことができる。
○(時が至れば)暗君を討伐することができる。

 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占例の原文の一部。
(占例)明治十六年、某商人來リテ、氣運ヲ占ハンコトヲ請フ、乃チ筮シテ、明夷ノ第三爻ヲ得タリ、…
 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占例の現代語訳。
(占例)明治十六年、ある商人がやって来て、氣運を占ってほしいと頼まれたので、筮したところ明夷の三爻を得た。
 易斷は次のような判断であった。
 明夷は、日が没して暗い夜が始まる暗黒の時。賢者が愚者に潰され、善人は悪人に迷惑を被る。今回占って三爻が出た。いつも自分を邪魔している者を討伐して退治する時。南方面に向かって、存亡をかけて商機を窺い、相場を制して、大金を勝ち取る。
 このことを「九三。明(めい)夷(やぶ)る。于(ゆ)きて南に狩(かり)す。其(そ)の大(たい)首(しゆ)を得(う)。義勇に富む九三は、離(明)の極みに居る。暗黒の時を支配する正応上六を討伐すべく、南方(明らかな方面)に兵を進めて、首(しゆ)領(りよう)上六を討ち取る」と云う。周王朝を立ち上げた武王が滅びゆく殷王朝の暗君・紂王を討伐した時に例えられる。
 貴方を邪魔する者に対しては、寛大に振る舞って油断させ、じっくり待って好機を捉え、確実に討伐すべし。このことを「疾(はや)くす可(べ)からず。貞(てい)。急いではならぬ。大志と大義を掲(かか)げて、時の到来を待つのである」と云う。
 その後、その商人は勝機を捉えて相手を倒したと云う。

 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占例の原文の一部。
(占例二)明治二十七年八月廿六日、平壌進軍ヲ占ヒテ、明夷ノ第三爻ヲ得タリ、乃チ之ヲ某氏ニ贈ル、・・・
 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占例の現代語訳。
(占例2)明治二十七年八月二十六日、平壌進軍(日清戦争~同二十七年七月から同二十八年三月~)を占って筮したところ明夷の三爻を得たので、ある人(おそらく伊藤博文)に進言した。
 易斷は次のような判断であった。
 明夷は内卦が日で外卦は地。日が没して地中に沈む暗黒の時である。これを人事に当て嵌めると、自分は文明的なやり方で物事を進めようとするが、相手は野蛮なやり方で妨害しようとする。このことを聖人は、世に広く知られている殷王朝から周王朝に移行する時の歴史に当て嵌めて例えた。明夷は暗黒の時。万事、暗く不透明である。
 しかし、彖辞に「明(めい)夷(い)は、艱(かん)貞(てい)に利(よろ)し。明夷は明るい太陽が大地の下に沈み、君子が小人に仕える暗黒の時。君子に降りかかる艱難辛苦に中って、時の流れに身を任せることなく、逆らうこともなく、常に正しい道を守るがよい」とある。
 平壌における戦争は、さんざん艱難辛苦を経た後に、利益を得られる結果となることを示している。また、三爻は武王が紂王を討伐した物語に例えて「于(ゆ)きて南に狩(かり)す。其(そ)の大(たい)首(しゆ)を得(う)。疾(はや)くす可(べ)からず。貞(てい)。暗黒の時を支配する正応上六を討伐すべく、南方(明らかな方面)に兵を進めて、首(しゆ)領(りよう)上六を討ち取る。急いではならぬ。大志と大義を掲(かか)げて、時の到来を待つのである」と云っている。「南に狩(かり)す」とは、南に向かって狩猟すること。禽獣は敵の例え。敵は禽獣のように拙劣である。「其(そ)の大(たい)首(しゆ)を得(う)」とは、敵の大将を討伐することだから、わが国が戦争に勝利することは間違いない。しかし、敵を侮(あなど)ると、とんでもないことになる。このことを「疾(はや)くす可(べ)からず。貞(てい)。急いではならぬ。大志と大義を掲(かか)げて、時の到来を待つのである」と云う。南に向かって敵を攻撃すれば討伐できるので、わが軍は敵の北に回り込んで南に向かって攻略することが望まれる。
 その(易占の結果を進言した)後、九月十五日までの、わが軍の動きを見ると、東西南北四方から平壌を攻撃したが、南から北に向かって行った師団は苦戦して作戦の目的を達成できなかった。北から南に向かって行った師団は大勝して、敵の大将を討伐した。十六日には平壌を占拠した。すなわち、爻辞の「于(ゆ)きて南に狩(かり)す。其(そ)の大(たい)首(しゆ)を得(う)。暗黒の時を支配する正応上六を討伐すべく、南方(明らかな方面)に兵を進めて、首(しゆ)領(りよう)上六を討ち取る。」という易占は、全て的中したのである。
 易占とは何と絶妙であろうか。
 伝え聞くところ、平壌への攻撃は同年八月下旬あるいは九月上旬に行う予定だったが、交通事情や人員体制の不備によって軍の食糧を確保できなかったので、九月の中旬に延期されたと云う。すなわち、爻辞の「疾(はや)くす可(べ)からず。貞(てい)。急いではならぬ。大志と大義を掲(かか)げて、時の到来を待つのである」という易占も的中していたのである。

明夷 六四 ・・・ |・|

六四。入于左腹。獲明夷之心。于出門庭。
□六四。左(さ)腹(ふく)に入(はい)る。明夷の心を獲(え)たり。于(ゆ)きて門(もん)庭(てい)を出(い)づ。
 暗黒の。貞(てい)。暗黒の時を支配する正応上六を討伐すべく、南方(明らかな方面)に兵を進めて、首(しゆ)領(りよう)上六に仕え、その暗愚な心の中を観察する。このままでは自分の身が滅びることを知り、国外へ脱出して時を待つ。
象曰、入于左腹、獲心意也。
□左(さ)腹(ふく)に入(はい)るるとは、心(こころ)意(い)を獲(う)る也。
 上六に仕える。上六の心の中を観察して、身の処し方を探るためである。

 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての原文の一部。
(占)柔順ニシテ時ノ流行ニ隨ヒ、又能ク主人ノ心腹ヲ得タリ、然レドモ後難ノ恐レアリ、豫メ退身ノ策ヲ運ラスベキノ時トス、・・・
 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての現代語訳。
(占)柔順で時流に適合し、上司の本心をよく知っていたとしても、背後から災難が忍び寄ってくる恐れがある。それゆえ、事前に避難策を講じておくことが必要である。
○賢人が社会的地位を失って、落ちぶれていく時である。
○災難を回避するため、知恵を絞って対応策を講じるべき時である。
○相手の悪意を察して交際を絶つべき時である。

 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占例の原文の一部。
(占例)縉紳某來リテ、氣運ヲ占ハンコトヲ請フ、乃チ筮シテ、明夷ノ第四爻ヲ得タリ、
 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占例の現代語訳。
(占例)ある紳士がやって来て、氣運を占ってほしいと頼まれたので、筮したところ明夷の四爻を得た。
 易斷は次のような判断であった。
 明夷は暗黒の時代。物事の黒白が判定できない。だから、是非善悪の判断ができない。君子が小人に苦しめられる時である。
 今回占って四爻が出た。貴方(ある紳士)が所属している役所の長官と貴方の関係がギクシャクしているのは価値観が異なるからである。長官は貴方のことを好ましく思っていないことを、貴方はよく知っている。ならば、そのように居心地の悪い役所で仕事をして、お互いに不愉快な思いをして、苦労をするよりは、思い切って役所を辞めてしまったほうがよい。このことを「左(さ)腹(ふく)に入(はい)る。明夷の心を獲(え)たり。于(ゆ)きて門(もん)庭(てい)を出(い)づ。暗黒の首(しゆ)領(りよう)上六に仕え、その暗愚な心の中を観察する。このままでは自分の身が滅びることを知り、国外へ脱出して時を待つ」と云う。
 明夷の時は、普段ならばよく見える目を覆ってしまうように、普段なら役に立つ智恵を用いることができない時である。よって、速やかに辞職すべきである。
 その後、伝え聞くところ、紳士は親友に依頼して、長官に辞意を伝えたところ、長官は承諾し、紳士は他の部局に異動したと云う。

明夷 六五 ・・・ |・|

六五。箕子之明夷。利貞。
□六五。箕(き)子(し)の明夷なり。貞に利し。
 暗黒の首領が君臨している時。六五を殷(いん)の暴君紂(ちゆう)王(おう)に仕えた箕(き)子(し)に例える。箕(き)子(し)は暗黒の時に処して狂人のふりをして難を逃れた。外面は狂人のふりをして、内面は正しい道を守り抜いた箕(き)子(し)の態度を見習うがよい。
象曰、箕子之貞、明不可息也。
□箕(き)子(し)の貞は、明、息(やす)む可(べ)からざるなり。
 箕子は正しい道を守り抜いた。息(やす)むことなく、明德を保ち続けたのである。

 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての原文の一部。
(占)此爻進退兩難ノ地位ニ立ツノ時トス、人ハ縱ヒ人タラザルモ我ハ我トシテ其難ニ堪ヘ忍ブベシ、然ルトキハ後必ズ其報アルベシ、・・・
 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての現代語訳。
(占)進んでも退いても艱難辛苦に遭遇する。周りの人々にどんなに非道いことをされても、自分は正気を保って艱難辛苦に堪え忍べば、必ずや、終に報われる時が来る。
○とぼけて相手を欺く時。あるいは、とぼけた相手に欺かれる時。

 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占例の原文の一部。
(占例)明治十八年五月、千家大教正ノ依頼ニ應ジ、佛教ノ運氣ヲ筮シ、明夷ノ第五爻ヲ得タリ、(占ノ因由ハ詳ニ天地否第五爻ノ神道運氣ノ占ニ在リ故ニ此ニ略ス)
 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占例の現代語訳。
(占例)明治十八年五月、大宗教家の千家氏(出雲大社権宮司)から依頼されて、仏教の運氣を占ったところ明夷の五爻を得た。
 易斷は次のような判断であった。
 明夷は文明開化の離火が下にあり、蒙昧な坤地が上から覆っている。太陽が西に沈んで暗黒の時代が到来した。
 仏教は印度から伝わって普及した明智・明德に満ち溢れた教えであるから、その霊妙で高貴な教典は、数ある宗教の中でも断然優れている。仏教の明智・明德は万物を普く照らしてくれるが、今は暗黒の時代だから、その明智・明德を発揮することができない。僧侶が怠惰だから、仏教が衰退したという側面もある。衰退すべくして衰退していると見ることもできる。しかし、一時的な衰退は陰陽消長の循環だから、僧侶が今の状況を深く反省して奮起すれば、暗黒の時代を脱して、仏教の明智・明德を再び発揮することもできる。
 六五の爻辞には箕子の話が引用されている。紂王に虐げられた箕子の誠実な生き方を見習うべきである。今回、仏教の運氣を占って五爻が出た。僧侶は箕子を見習って、どんなに虐げられても、じっと耐えるべきである。だが、それがどんなに難しいことか、箕子の人生が物語っている。どんな賢人でも暗黒の時代を誠実に生きることは難しい。
 以上のことから、今の僧侶には本当の仏法を普及することは難しく、仏教の明智・明德を再び発揮することはできないかもしれない。だが、数多くの僧侶の中には高僧も存在する。高僧が中心となり仏法を普及しようと努力すれば、やがては多くの僧侶も誠実さを取り戻して、徐々に仏教が立ち直って行くかもしれない。人事を尽くせば天命も開けてくる。高僧の頑張りがこれからの仏教の盛衰を左右すると易断した。
 以上の易占を聞いて、千家氏は「今の神仏二教の盛衰は、易占の通りである。神仏二教とも、今の指導者の頑張り如何によって、これからの盛衰が決まるのだなぁ」と呟いた。

明夷 上六 ・・・ |・|

上六。不明晦。初登之天、後入于地。
□上六。明かならずして晦(くら)し。初めには天に登り、後(のち)には地に入(はい)る。
坤(陰)の極点、暗(あん)愚(ぐ)の極みに居る明夷の暗君。始めは首(しゆ)領(りよう)として暴逆と無道を恣(ほしいまま)にするが、諸侯や庶民に怨まれ、終(つい)には九三に討ち取られて地の下に沈む。
象曰、初登于天、照四國也。後入于地、失則也。
□初めには天に登るとは、四(し)國(こく)を照らす也。後(のち)には地に入るとは、則(のり)を失う也。
 首領として暴逆と無道を恣にした。権勢が国中に行き渡っていたのである。九三に討ち取られて地の下に沈む。首領の道を大きく逸脱したのである。

 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての原文の一部。
(占)世ノ暗昧ナル者、僥倖ニシテ上位ニ居ル時トス、己レ明ナリト思ヒテ、其實至暗ナルヲ知ラズ、勢ニ乘シテ、人ニ困難ヲ與フルコト多ク、・・・
 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての現代語訳。
(占)暗黒の帝王が世の中を牛耳っている。自分では明君だと思っているが、どうにもならない暗君である。調子に乗って臣民を苦しめ、人災をばらまくので、臣民に怨まれる。自戒しなければならない。
○一度は成功するが、やがて悪事が発覚して失敗に終わる時。
○始めは高い位にいるが、社会に迷惑をかけて失墜する時である。
○多くの人に迷惑をかけるような大失敗をする時である。

 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占例の原文の一部。
(占例)明治二十一年六月、余坂田服部ノ兩氏ト謀リ、尾州熱田ニ於テ、セメント製造所を購ヒタリ、(中略)二十三年春、該會社ノ景況ヲ占ヒテ、明夷ノ上爻ヲ得タリ、・・・
 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占例の現代語訳。
(占例)明治二十一年の六月、わたしは坂田・服部両氏と共同で名古屋のセメント工場を買収した。セメントは土木事業に欠かせない製品であるが、毎年多くを輸入で賄っていた。坂田氏が社長になって事業を始めたところ、滑り出しは極めて好調で、みんな安心した。
しかし、同二十三年の春に会社の景況を占って筮したところ、明夷の上爻を得たのである。
 易斷は次のような判断であった。
 明夷は暗黒の時代を表しているが、上爻はそれが甚だしい時である。「明かならずして晦(くら)し」とは、今は、セメント工場の将来は明るいように思えるので、みんな安心しているが、意外なところから一転して暗い状況に陥ると云うことであろう。「初めには天に登るとは、四國を照らす也」とは、事業の滑り出しは製品の品質の高さが評価されることを云う。
「後(のち)には地に入るとは、則(のり)を失うなり」とは、工場の規律が乱れて、セメントの製造に問題が起こり、評価は地に堕ちることを云う。
 わたしは吃驚して、坂田社長に忠告したが、今の製品が好評なので、社長は聞く耳を持たなかった。また、工員も製品の評価が高いことに油断をして、徐々に気持ちが弛み、工場の規律が乱れていった。遂に取引先に不良品を納品して、苦情が入ったが、社長も工員もそんなはずはないと思い込んで、きちんと対応しなかった。怒った取引先が、工場の検査を要求したところ、不良品を出荷していたことが判明したのである。
 易占が絶妙なことは、今回の事態を事前に予測できたことからも明らかである。易占を聞く耳を持たないと、後で後悔することになる。

 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占例の原文の一部。
(占例二)明治二十六年、愛知「セメント」會社ノ景況ヲ占ヒテ、明夷ノ上爻ヲ得タリ、
 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占例の現代語訳。
(占例2)明治二十六年、再び名古屋のセメント会社の景況を占ったところ、またもや、明夷の上爻を得た。
 易斷は次のような判断であった。
 明夷は明智・明德を具えた人が暗愚な人に傷付けられる時。上爻は暗君が自ら破滅する時である。セメントは土木事業に必要不可欠な製品だが、毎年多くの数量を外国から輸入している。日本経済のためには輸入に頼らず自国で生産できる体制を作ることが望ましいので、わたしは同志三人と名古屋のセメント工場を買収したのである。国産のセメントを本格的に製造するようになってから数年経過して、漸(ようや)く外国製品を上回る品質の製品を製造できるようになり、しかも低価格で販売したので、どんどん評価が上がっていった。
 ところが、今回占って明夷の上爻が出た。今後の展開が心配である。
 わたしは今年北海道炭鉱鉄道会社に就任することになり、横浜を離れるので息子にこの凶占のことを伝えて、セメント会社に注意するように指示した。その上で色々と考えてみると、神奈川県において、港を造成する工事をする際に、わたしのセメント会社の製品と英国のセメント会社の製品など複数のセメント会社の製品を混合してコンクリートを作り海底に埋めて堤防を築いた。工事の途中でコンクリートに亀裂が生じ、その原因がわが社を含めた国産のセメントが粗悪だからだと英国の会社が主張した。新聞各紙もこのことを伝えたので、国産のセメントの信用が失墜し、価格は暴落して、会社経営に打撃を与えた。
 その後、原因究明の試験を重ねたところ、セメントと砂利の混合割合によって亀裂が生じたことが判明したことで、国産のセメントが粗悪でないことは証明できたので、世間の誤解は解けたのだが、試験期間が長かったため、二十六年中は、厳しい経営を強いられた。
(爻辞に「明かならずして晦(くら)し。初めには天に登り、後には地に入(はい)る。始めは首(しゆ)領(りよう)として暴逆と無道を恣(ほしいまま)にするが、諸侯や庶民に怨まれ、終(つい)には九三に討ち取られて地の下に沈む」とあるように)吾がセメント会社が生産したセメント製品は良品であるとの評判が大いに上がって、まるで天に昇って四方を照らすようであったが、海底に沈んで亀裂を生じ、世間の信用を失って顔色を失った。日が大地に沈んで明るさを失ったようなものである。
あぁ、易占とは何と絶妙であろうか。世間の人々は易経を学んでいる人を決して軽視してはならない。