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山縣大弐著 柳子新論 川浦玄智訳注 現代語訳 その三三

 且(か)つその農を治むる者、豈(あ)に田は必ず百(ひやく)畝(せ)、税は必ず什(じゆう)の一にして、而(しか)して後(あと)に薄(はく)とせんや。叔(しゆく)世(せい)これが法を立つるに、上(うえ)は石(こく)に四斗(と)を税(ぜい)し、中(ちゆう)には石(こく)に三斗(と)五升(しよう)を税(ぜい)し、下(した)には石(こく)に三斗(と)を税(ぜい)し、率(おおむ)ね以(もつ)て常(つね)となす。若し豐(ほう)儉(けん)を計(はか)りてこれを収(おさ)めば、それ今の時に於(お)いて、甚(はなは)だしくは厚(あつ)しとなさず。しかれども數(すう)十(じゆう)年(ねん)來(らい)の如(ごと)き、窮(きゆう)民(みん)或(あるい)は培(ばい)養(よう)に給(た)らずして、田蕪(あ)れ野荒れ、その得る所は什(じゆう)にすでに二三を減じ、而(しか)して吏(り)の検(けん)する所は、剔(てき)抉(けつ)幾(ほと)んど盡(つ)く。則(すなわ)ちこれを勝(しよう)國(こく)の時に比すれば、損する所既(すで)にその半(なかば)に過(す)ぐ。且(か)つ地の肥(ひ)瘠(せき)は、常ある者の如(ごと)きも、また未(いま)だ必ずしも人(じん)力(りき)に由(よ)らずんばあらず。而(しか)して加(くわ)ふるに水(すい)旱(かん)の災(わざわい)を以(もつ)てす。則(すなわ)ち古(いにしえ)のいはゆる膏(こう)腴(ゆ)は磽(こう)确(かく)の地に若(し)かざる者あらん。況(いわ)んや民(みん)力(りよく)の加(くわ)ふる所、薄(はく)賦(ふ)の田に専(もつぱ)らにして、而(しか)して租税の増す所、偏(ひと)へに豐(ほう)穣(じよう)の地にあり。則(すなわ)ち今の田を賣(う)るや、上(うわ)者(もの)は下(した)者(もの)に如(し)かず。乃(すなわ)ちそのこれを買ふ者も、またただその下(した)者(もの)を擇(えら)んで、而してその上(うわ)者(もの)を求めず。それ田の上(じよう)下(げ)あるや、必ず以(もつ)てその入る所の多少を分とす。而して今或は之に反す。吾未だその何の故なるかを知らざるなり。若し今その溝(こう)洫(きよく)を更正し、上下の等を改定し、因(よ)って數(かず)歳(とし)の入(いり)を計(はか)り、以(もつ)て租(そ)調(ちよう)の法となし、計(けい)吏(り)をして私(し)智(ち)を逞(たくま)しうするを得(え)ざらしめば、則(すなわ)ち民(みん)業(ぎよう)必ず安(やす)く、而(しか)して農(のう)事(じ)必ず擧(おこ)らん。これその食を足し財を通ずるの道のみ。しからば則(すなわ)ち天下の大(だい)利(り)、豈(あ)にただこれのみならんか、いはく、否(いな)、然(しか)らず。今天下の士(し)大(たい)夫(ふ)、請(せい)を託(たく)して官(かん)を得、賂(まいない)を納(い)れて貴(たつとき)を取る。則(すなわ)ち饕(とう)餮(てつ)の族、廟(びよう)堂(どう)の上に盤(ばん)桓(かん)し、貪(たん)賺(けん)の俗、輦(れん)轂(こく)の下に羅(ら)織(しよく)す。
 
 一方、農業について考えると、古代中国の周王朝においては、農業を営む人に与えられる田んぼの大きさは十(じゆつ)反(たん)(百アール)と決まっており、税率は収穫高の一割であった。これは理想の税制であるが、わが国においては、高い税率で収穫高の四割(十斗=百升の収穫高で四斗=四十升の税)、普通の税率では三割五分、低い税率で三割と定め、収穫高の三割から四割を税として農民から徴収している。豊作の時に、倹約を心がければ重税とは云えないが、不作の時には甚だしく高い税負担となる。ここ数十年に渡って不作が続いたので、民衆は困窮し、草木を養い育てる気力も失って、田畑は荒れてしまった。そのため、収穫高は二割から三割ほど減っている。それなのに、役人が税負担を検査する時にはそのような状況を一切考慮せずに課税するので、民衆は困窮する。武家が台頭する前の田畑が整備されていた時代と今の時代を比較すると、今は田畑が荒れて収穫高が二割から三割も減っている。農家の税負担は倍増し、収入は半減していることになる。しかも、常に肥沃な土地の状態を保つためには、農民が人力で田畑を耕すしか方法はない。そして、洪水や干(かん)魃(ばつ)などの自然災害に見舞われた場合、農民は益々困窮する。
 昔からよく「肥(ひ)沃(よく)な土地は痩せた土地よりも万人に好かれる」と言われているように、痩(や)せた土地を好む人など皆無だが、税金を沢山取り立てられるのは収穫高が多い肥(ひ)沃(よく)な土地である。農民は収穫高が少なくあまり課税されない痩せた土地を耕すことになる。すなわち、田畑の売買は、肥(ひ)沃(よく)な土地の田畑よりも痩(や)せた土地の田畑の方が盛んに行われるようになる。田畑を買うとしたら人力で耕せば価値が高くなる痩(や)せた土地の田畑を選んで買い、決して肥(ひ)沃(よく)な土地の田畑は買わない。田畑の価値はその田畑で得られる収穫高で決まる(肥(ひ)沃(よく)な土地の田畑の方が高い)はずである。しかし、今は肥(ひ)沃(よく)な土地の田畑よりも痩(や)せた土地の田畑の方が人気がある。どうして正反対になってしまうのか、わたしにはよく理解できない。
 もし、今、その田と田の間の水路を修理や整備して、痩せた田畑を肥沃な田畑に改良し、一年間に収穫できる農産物の量を標準化して、課税の基準を設け、課税を担当する役人の裁量に因らずとも誰もが同じように課税できるようにすれば、民衆は安心して仕事に集中できるようになり、農業が盛んになるであろう。以上のやり方が食糧事情を安定させ、経済を活性化させる唯一の方法である。
 ところが、残念ながら、そのやり方は採用されない。何故なら、今、幕府の実情を見ると武士や知識人は、自ら願い望んで官僚の地位を得るために、賄賂を支払って、その地位を取得している。すなわち、賄賂を貪(むさぼ)る肥え太った輩(やから)が、要職を独占して「わだかまって勢威を張り(注)」、その下には「貪(むさぼ)り欺(あざむ)く(注)」賤しい俗人共が権力に「連なり並んで(注)」横行しているからである。