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山縣大弐著 柳子新論 川浦玄智訳注 現代語訳 その十三

 たとひ先(せん)世(せい)桀紂(けつちゆう)の如(ごと)き者ありて、猶(な)を能(よ)くその國(くに)を亡(ほろ)ぼさずして、その子その孫、相(あい)嗣(つ)ぎて天下に王とし、また皆一切、その事に因(いん)循(じゆん)し、刑は必ず炮(ほう)烙(らく)、樂(がく)は必ず靡(び)嫚(まん)、酒池肉林(しゆちにくりん)、以(もつ)て長(ぢよう)夜(や)の宴(えん)を開き、而(しか)る後(のち)能(よ)く政(まつりごと)をなすとせんか。苟(いやしく)も民(たみ)を憂(うれ)ふるの心ある者は、五尺の童(どう)子(じ)といへども、必ずなさざるなり。これその害の大にして、且(か)つ見るべきが故(ゆえ)なり。その害の小にして見るべからざるを以(もつ)て、依然としてこれに居(お)るは、豈(あ)に闇(くら)からずや。且(か)つ事にはこれを古(いにしえ)に行ふべくして、これを今に行ふべからざる者あり。これを前に施(ほどこ)すべくして、これを後(あと)に施(ほどこ)すべからざる者あり。故(ゆえ)に仲(ちゆう)尼(じ)の言にいはく、殷(いん)は夏(か)の禮(れい)に因(よ)る、損益する所、知るべきなり。周(しゆう)は殷(いん)の禮(れい)に因(よ)る、損(そん)益(えき)する所、知るべきなりと。禹(う)湯(とう)は古(いにしえ)の聖(せい)人(じん)なり。夏(か)殷(いん)は古(いにしえ)の聖(せい)世(せい)なり。猶(な)ほ且(か)つ一切これに因(よ)れば、則(すなわ)ち行はれざる所あるなり。損益してその可(か)なるを擇(えら)んで、然(しか)る後(のち)政(せい)策(さく)觀(み)るべき者あり。

 ただ闇(やみ)雲(くも)に「前例」を踏(とう)襲(しゅう)すれば、古代中国王朝の暴君と云われる桀(けつ)王(おう)(夏(か)王朝)や紂(ちゅう)王(おう)(殷(いん)王朝)のような悪政を取り入れることになるので、国を滅ぼすことにつながりかねない。暴君の悪政はその子や孫に引き継がれ、世の中にはその害悪が蔓延(はびこ)る。残(ざん)虐(ぎゃく)な刑罰(火あぶりの刑。炭火の上に油を塗った銅の柱を架けわたし、罪人にその上をあるかせ、足がすべって火の中におち焼死させる酷(こっ)刑(けい)、紂(ちゅう)王(おう)が用いた・注)が横行し、「音楽は弱々しくみだりがわしい曲を奏する(注)」。「酒(しゆ)池(ち)肉(にく)林(りん)(酒の池と肉のはやし、豪遊するたとえ・注)」の饗(きよう)宴(えん)で長夜を悦楽する。こんな有り様ではまともな政治はできない。
 苟(いやしく)も国民の幸せを願う心のある人は、まだ小さくて蒙(もう)昧(まい)な童(どう)子(じ)であっても、火あぶりの刑のような残(ざん)虐(ぎやく)なことは絶対にやらない。火あぶりの刑のような残(ざん)虐(ぎやく)なことでなくても、国民を苦しめるような悪政は即(そつ)刻(こく)止(や)めるべきなのに、見て見ぬふりをしている役人は、何たる愚(おろ)か者であろうか。また、過去はうまくいったが、現在では通用しない政策もある。あるいは、政策を導入する順序を間違えてもうまくいかないものだ。
 それゆえ、聖人・孔子(仲(ちゅう)尼(じ))は「殷(いん)は夏(か)の礼に因(よ)る、損益する所、知るべきなり。周(しゅう)は殷(いん)の礼に因(よ)る、損益する所、知るべきなり。/殷(いん)の礼(れい)楽(がく)制度は、夏(か)の礼(れい)楽(がく)制度の善いところを取り入れ、悪いところを除いたものと仮定して、殷(いん)が夏(か)の礼(れい)楽(がく)制度の何を取(しゅ)捨(しゃ)したかを研究すれば、一定の法則が発見できるであろう。同じように、現在の王朝・周(しゅう)の礼(れい)楽(がく)制度は、前王朝・殷(いん)の礼(れい)楽(がく)制度の善いところを取り入れ、悪いところを除いたものと仮定して、周(しゅう)が殷(いん)の礼(れい)楽(がく)制度の何を取捨したかを研究すれば、夏(か)から殷(いん)へ、殷(いん)から周(しゅう)へと取(しゅ)捨(しゃ)された礼(れい)楽(がく)制度の共通項(原理原則)を発見できるであろう」と言っている。
 夏(か)王朝を立ち上げた「禹(う)」と殷(いん)王朝を立ち上げた「湯(とう)」は古(いにしえ)の聖人である。夏(か)王朝と殷(いん)王朝は古(いにしえ)の聖なる王朝である。だからといって、盲目的に夏(か)王朝と殷(いん)王朝の政治制度や政策を取り入れれば、どんな害悪が及ぶか分からない。それゆえ、孔子は「損益する所、知るべきなり」と言っているのである。

 況(いわ)んや今の世、戰(せん)亂(らん)の後(あと)を承(う)け、制作の時を距(へだ)つること、千(せん)有(ゆう)餘(よ)年(ねん)。世その世に非(あら)ず、國(くに)その國に非(あら)ず。禮(れい)の因(よ)るべきなく、法の襲(つ)ぐべき者なきをや。然(しか)らば則(すなわ)ちそのいはゆる故事(こじ)とは、ただこれ割據(かつきよ)の遺(い)俗(ぞく)、戎(じゆう)蠻(ばん)の餘(よ)風(ふう)なり。これを以(もつ)て天下の民(たみ)を御(ぎよ)す、その事(こと)を敗(やぶ)り物を害するに非(あら)ざる者、幾(ほと)んど希(まれ)なり。偶(たまた)まその不可なるを知ってこれを改むるあるも、またただ苟(かり)且(そめ)の輩(やから)、一(いち)事(じ)の利を見て、後害(のちのがい)を圖(はか)らず。則(すなわ)ち朝にはこれを是(ぜ)として、夕(ゆうべ)にはこれを非とし、昨(さく)は則(すなわ)ち得(とく)として、今は則(すなわ)ち失(しつ)とす。飜(ほん)覆(ぷく)波(は)瀾(らん)の如(ごと)く、變(へん)態(たい)風(ふう)雨(う)の如(ごと)し。群(ぐん)聚(しゆう)して事を議し、雑駁論(ざつぱくろん)を立つ。會(あ)って一(いち)事(じ)もこれを決すること能(あた)はず、依違(いい)としてこれを久しうし、荏(じん)苒(ぜん)時を過(すご)し、譏(そし)りを群(ぐん)小(しよう)に取る者、滔(とう)滔(とう)として皆これなり。ここを以(もつ)てその事に從(したが)ふ者、利を見て進み、害を見て退き、ただその罪を免れんことを欲して、その身を致さんことを欲せず。讒(ざん)諛(ゆ)その間に窺(うかが)ひ、便嬖(べんぺい)その虚(きよ)に乗(じよう)じ、財を出して事を成し、貨を納(い)れて私を求め、賄(わい)賂(ろ)の俗、朝(ちよう)野(や)に公行(こうこう)す。故(ゆえ)に貧者(ひんじや)の萬善(まんぜん)も、富(ふ)人(じん)の一非(いつぴ)に勝つこと能(あた)はず、而(しか)して人その誣(ふ)罔(もう)に勝(た)へざるなり。

 今の世の中は、壬(じん)申(しん)の乱(西暦六七二年)を経て、大(たい)宝(ほう)律(りつ)令(りょう)が制定されてから、千年以上が経過した。今は、その時代と比べて、あらゆる面で大きく変化した。その(壬申の乱の)時とは社会構造も、国の統治方法も異なっている。礼(れい)楽(がく)制度も法令もそのまま継承されていない。その当時から引き継がれてきた「前例」は、各地を牛(ぎゅう)耳(じ)る為政者から為政者へと引き継がれてきた。それは権力を維持するための「慣習」であり、勢力を誇示するための野蛮な「風習」である。
 以上のような悪しき「慣習」や「風習」で国民を統治しようとしても、うまくいかないのは当然である。稀(まれ)にその悪しき「慣習や風習」を改めようとするケースもあるが、風(かざ)見(み)鶏(どり)のような連中が、朝(ちょう)令(れい)暮(ぼ)改(かい)して、元(もと)の木(もく)阿(あ)弥(み)に戻ってしまう。
 船頭が風見鶏のように右往左往して舟が揺れ続ければやがて転覆する。風雨が順風から逆風に転じれば、あっという間に転覆してしまうのである。それと同じで、愚かな連中が多数集まって議論したところで、何も決められない。徒(いたずら)に時が過ぎるだけである。
 以上のようであるから、あらゆる事業に従事する人々は、利益が得られると思えば前に進み、損失が発生すると思えば後ろに退く。上手に世渡りすることだけを考えて、自分の身を修めようとはしない。讒(ざん)言(げん)や揶(や)揄(ゆ)が飛(と)び交(か)い、侫(ねい)人(じん)が跋(ばっ)扈(こ)する。金持ちが世の中を動かして私腹を肥やしている。官民問わず賄(わい)賂(ろ)が飛(と)び交(か)う。貧しい人々が善い事を進めようとしても、金持ちの悪事に太刀打ちできない。悪人が善人を誹(ひ)謗(ぼう)中(ちゅう)傷(しょう)して貶(おとし)める。

 且(か)つ士の青雲に志すや、才(さい)不(ふ)才(さい)に論なく、善く賂(まひな)ふ者はこれを得、善く賂(まひな)はざる者はこれを失ふ。得失(とくしつ)の際、憂(ゆう)懼(く)交(こも)〃(ごも)至(いた)る。ここを以て日に權(けん)貴(き)の門に走り、屑(せつ)屑(せつ)乎(こ)としてただ幸をこれ求む。甚(はなは)だしきはその産(さん)を破り、その家を傾け、俸(ほう)禄(ろく)給(た)らずして、妻(つま)孥(ど)を鬻(ひさ)ぎ、罪悪自らその禍(わざわい)を買ふ者あるに至る、何ぞその不智なるや。かくの如(ごと)きの輩(やから)、固(もと)より經藝(けいげい)の一端(いつたん)を知らず。なんぞ以(もつ)て治安の策を擧(あ)げるに足らんや。たとひそれをして一官(いつかん)に居(お)るを得(え)しむるも、志す所は財(ざい)利(り)に過ぎず。財利の人を以(もつ)て、財利の權(けん)を執(と)る、財利何の時かやまん。これ皆その害の大にして且(か)つ見るべき者、而(しか)も一人としてその非を知る者なきなり。豈(あ)に愚(ぐ)の甚(はなは)だしきに非(あら)ずや。董(とう)仲(ちゅう)舒(じょ)いはく、政(まつりごと)をなすの用(よう)は、これを琴(きん)瑟(しつ)に譬(たと)ふ。調(ととの)はざること甚(はなは)だしければ、必ず絃(げん)を解(と)いて、更にこれを張りて、乃(すなわ)ち鼓(こ)すべきなりと。今や天下の琴(きん)瑟(しつ)、調(ととの)はざることまた甚(はなは)だし。これ宜(よろ)しく更(こう)張(ちよう)すべきの秋(とき)なり。機は失ふべからざるなり。士を擢(ぬき)んでて相となし、卒(そつ)を抜きて將(しよう)となすは、固(もと)より不可なきなり。義を以(もつ)て禮(れい)を興(おこ)し、禮(れい)を以(もつ)て人を制し、賢(けん)良(りよう)の士を擧(あ)げ、諂(てん)諛(ゆ)の徒(と)を誅(ちゆう)し、賄(わい)賂(ろ)の途(みち)を塞(ふさ)ぎ、廉(れん)恥(ち)の端(はし)を開(ひら)くに若(し)かず。而(しか)る後(のち)始めて治(ち)をいふべきなり。而(しか)る後(のち)始めて道を語るべきなり。これをこれ天下の大(おおいなる)政(まつりごと)といふ。

 武士が立身出世を志しても、才能や仁徳ある人が地位を得られるのではない。沢山賄(わい)賂(ろ)を出した人が地位を得て、賄(わい)賂(ろ)を出せない人は才能や仁徳があっても地位を得られない。賄(わい)賂(ろ)の多(た)寡(か)で地位が決まってしまう。国を憂(うれ)える人々は絶望的な心境に陥るしかない。
 立身出世できるのは、賄賂政治の門に下り(才能や仁徳ある人を押しのけて)、ただ自分の幸せを願っている人々だけである。
 甚(はなは)だしい場合は、立身出世するために破産して家が傾き、お金に窮(きゆう)して妻や娘を売ってしまうケースすらある。何と愚(おろ)かなことであろうか。以上のような輩(やから)は経(仏教の教え)や芸(芸(げい)事(ごと))も全く知らない。どうして国を治めて安(あん)寧(ねい)に導く政策を考えられるであろうか。もし、そのような政策を考える役人がいたとしても、その目的は私腹を肥やすことにある。私腹を肥やす役人が考える政策が、国や民の役に立つはずがない。貧しい人々が苦しむだけである。私腹を肥やそうとしている役人は陰に隠れて表に出ないので、誰にも咎められない。何と愚かな社会であろうか。
 董(とう)仲(ちゅう)舒(じょ)(漢代の学者。武帝に儒教を以て政治・教育の中心となすべきを献策した。/注)は「政(まつりごと)をなすの用は、これを琴(きん)瑟(しつ)に譬ふ。調(ととの)はざること甚(はなは)だしければ、必ず絃(げん)を解いて、更にこれを張りて、乃ち鼓(こ)すべきなり。/政治が成功する要因は、楽器の琴(こと)に例えると分かり易い。琴(こと)の音(ね)色(いろ)が乱れること甚(はなは)だしい場合は、必ず絃(げん)を交換して、ピーンと張るように調整すれば、綺麗な音(ね)色(いろ)を奏(かな)でるようになる。」と云っている。
 今の日本の政治は乱れること甚(はなは)だしい。今こそ絃(げん)を張り替える(政治に携わる人材を刷新する)時期である。この機会を逃してはならない。武士の中から優れた宰(さい)相(しょう)を選出し、優れた人材を将軍に抜(ばっ)擢(てき)すれば、不可能なことではない。
 天皇中心の政治体制と云う大義を掲(かか)げて、礼(れい)楽(がく)制度を復(ふっ)興(こう)する。礼(れい)楽(がく)制度を用いて社会を統制し、賢人や善人を役人に登用する。媚(こ)び諂(へつら)う侫(ねい)人(じん)は役人から排除して、賄(わい)賂(ろ)が飛び交うのを防ぐ。恥じること敬することを重んじる風習を醸(じょう)成(せい)する。その後、治国平天下や人の道を議論すべきである。以上が、天下の王道を歩む政治のあり方である。