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山縣大弐著 柳子新論 川浦玄智訳注 現代語訳 その十二

大體第四
【この篇、今日の急務は、小人を退け賢良を用い、賄賂買官の悪風を禁絶し、故事慣例を一(いっ)洗(せん)(きれいに洗い流すこと・禊(みそぎ)祓(はら)い)して徹底的に弊(へい)政(せい)(政治の弊害)を改めることであると論じた。ちなみに当時、長崎奉行になるには二千両、目付には一千両と相場が決まっていて、幕府の高い役職まで金で買うことができたという。(注)】

 柳(りゆう)子(し)いはく、天下國家を治むる者は、先(ま)ずその大なる者を治め、而(しか)して小(しよう)者(しや)これに從(したが)ふ。故(ゆえ)に大(だい)利(り)は興(おこ)さざるべからざるなり。大(だい)害(がい)は除かざるべからざるなり。何をか大利といひ、何をか大害といふ。君(きみ)仁(じん)に臣(しん)賢(けん)に、而(しか)して善(ぜん)人(にん)政(まつりごと)をなすは、天下の大利なり。君(きみ)暴(ぼう)に臣(しん)愚(ぐ)に、而(しか)して小人事を用ふるは、天下の大害なり。大利興れば、則ち大害止み、善人擧(あ)げらるれば、則ち小(しよう)人(じん)伏(ふ)す。古語にこれあり、いはく、衡(こう)誠(まこと)に懸(か)かる、欺(あざむ)くに軽(けい)重(ちょう)を以(もっ)てすべからず。縄(じょう)墨(ぼく)誠(まこと)に陳(つら)ぬ、誣(し)ふるに曲(きょく)直(ちょく)を以てすべからず。規(き)矩(く)誠(まこと)に設(し)く、罔(し)ふるに方(ほう)圓(えん)を以(もっ)てすべからざるなりと。それ聖人の道は、權(けん)衡(こう)なり、縄(じょう)墨(ぼく)なり、規(き)矩(く)なり。これを懸(か)けて以て輕(けい)重(ちよう)を正し、これを陳(つら)ねて以(もつ)て曲(きよく)直(ちよく)を正し、これを設けて以(もつ)て方(ほう)圓(えん)を正す。何の利か興(おこ)らざらん、何の害か除かざらん。故(ゆえ)に舜(しゆん)は衆より選んで、皐(こう)陶(よう)を擧(あ)ぐれば、則(すなわ)ち不(ふ)仁(じん)者(しや)遠ざかる。湯(とう)は衆より選んで、伊(い)尹(いん)を擧(あ)ぐれば、則(すなわ)ち不(ふ)仁(じん)者(しや)遠ざかる。これをこれ能(よ)くその大なる者を治(おさ)むといひ、これをこれ能(よ)くその利を興(おこ)すといひ、これをこれ能(よ)くその害を除くといふ。乃(すなわ)ちこれをこれ治(ち)國(こく)の道といふなり。

 大(だい)貳(に)先生(柳(りゅう)子(し))はおっしゃった。天下国家を治める優れた指導者は、先(ま)ず、政治の根本的な理念やビジョンを明確に定める。すると自然に政治体制や組織が定まり、明確になった理念やビジョンから具体的な政策が導き出されるようになる。それゆえ、天下国家の大きな利益につながる政策を最優先して実施するようになり、天下国家に大きな損害を与える事柄を取り除く努力がなされる。
 さて、何が天下国家の大きな利益であろうか。何が天下国家の大きな損害であろうか。
 名君が賢人を臣下として抜(ばっ)擢(てき)し、善人を任用して仁(じん)政(せい)(民を思いやる政治)を行えば、天下国家の大きな利益となる。暴君が愚かな臣下を率いて、小人を任用して悪政(民を虐(しいた)げる政治)を行えば、天下国家の大きな損害となる。
 仁(じん)政(せい)(天下国家の大きな利益)を行う名君が出現すれば、悪政(天下国家の大きな災害)を行う暴君は忌(い)み嫌われ、善人が要職に任用されれば、小人は立つ瀬がなくなる。
 礼(らい)記(き)に「衡(こう)誠(まこと)に懸(か)かる、欺(あざむ)くに軽(けい)重(ちょう)を以(もっ)てすべからず。縄(じょう)墨(ぼく)誠(まこと)に陳(つら)ぬ、誣(し)ふるに曲(きょく)直(ちょく)を以てすべからず。規(き)矩(く)誠(まこと)に設(し)く、罔(し)ふるに方(ほう)圓(えん)を以(もっ)てすべからざるなり。/衡(はかり)が正しく用いられれば、物事の軽(けい)重(ちょう)を欺(あざむ)くことはできない。縄(なわ)(で描いた曲線)と墨(すみ)(で描いた直線)が正しく並べられていれば、曲線と直線を欺(あざむ)くことはできない。規(コンパス)と矩(ものさし)が正しく用いられていれば、円形と四角形を欺くことはできない。」とある。
 聖人の行う政治は「衡(はかり)」である。「縄(なわ)(で描いた曲線)と墨(すみ)(で描いた直線)」である。「規(コンパス)と矩(ものさし)」である。これらを用いて軽(けい)重(ちょう)(事の軽さと重さ)を正し、曲(きょく)直(ちょく)(事の歪みと真っ直ぐさ)を正し、方(ほう)圓(えん)(事の角張っている様と丸い様)を正す。以上により、天下国家に大きな利益を招き寄せて、大きな損害から民を守る。
 それゆえ、名君・舜(しゆん)は大衆の中から「軽(けい)重(ちょう)、曲(きょく)直(ちょく)、方(ほう)圓(えん)」を正すことのできる「皐(こう)陶(よう)」と云う人材を司法長官に抜(ばっ)擢(てき)したので、不(ふ)仁(じん)な(思いやりの心のない)人々は遠ざかったのである。また、名君・湯(とう)は大衆の中から「軽(けい)重(ちょう)、曲(きょく)直(ちょく)、方(ほう)圓(えん)」を正すことのできる「伊(い)尹(いん)」と云う人材を宰(さい)相(しょう)として抜(ばっ)擢(てき)したので、不(ふ)仁(じん)な(思いやりの心のない)人々は遠ざかったのである。
 以上は、「大(たい)人(じん)(治国平天下を天命と心得る立派な指導者)が、よく天下国家を治める」ことの歴史的な事例であり、「大人が、よく天下国家に利益をもたらす」ことの歴史的な事例である。これこそ治国平天下の王道である。

 かの衰(すい)世(せい)の若(ごと)きは則(すなわ)ち然(しか)らず。その位にあるを見るに、孰(たれ)か能(よ)くその德を有する者ぞ。その職にあるを見るに、孰(たれ)か能(よ)くその才を有する者ぞ。或(あるい)は叢(さう)睉(ざ)にして事(こと)を敗(やぶ)り、或(あるい)は倉(そう)卒(そつ)にして擧(きよ)を失ふ。道將(ま)た何の從(よ)る所ぞ。法將(ま)た何の由(よ)る所ぞ。乃(すなわ)ち國(くに)の亡(ほろ)びざる者は幸(さいわい)のみ。それ既(すで)に然(しか)り。則(すなわ)ち今の政(まつりごと)に從(したが)ふ者、自らその謀(はかりごと)を出すこと能(あた)はず、自らその慮(おもんばかり)を發(はつ)すること能(あた)はず。率(おほむ)ね先(せん)世(せい)の事に因(いん)循(じゆん)し、可と不可とを問ふことなく、輒(すなは)ちいはく、故事(こじ)のみ、故事のみと。事の窮(きは)むべからざるを如何(いかん)ともすることなし。それ故事(こじ)の因(よ)るべき者は、先(せん)王(おう)の立てし所、賢者の定めし所にして、歷(れき)世(せい)政(せい)教(きよう)に害なく、行ひて事に益ある者にして、而(しか)して後(のち)可となす。不可なれば則(すなわ)ちその意を觀(み)、その情を察し、これを古に考えて悖(もと)ることなく、これを今に試みて戻ることなくんば、方(はじ)めて以(もつ)て有(ゆう)政(せい)に施(ほどこ)すべし。何ぞ必ずしも拘(こう)拘(こう)として、ただ故(こ)にのみこれ由(よ)らんや。

 ところが、国家が衰退している時には全く逆のことが行われる。高い地位に就いている人の中に大人のような人徳者は見当たらなくなる。役職に就いている人の中に優れた才能を有する賢臣が見当たらなくなる。人の上に立つ者がこせこせしており度量がない。中には、突然、取り乱してしまう者もいる。人の道を心得ていない。法律にも従わない。このような状況で国が滅びないのは、たまたま運がよいだけである。
 昔の政治がすでに以上のようであったのに、今、政治に携わっている人々は、盲(もう)目(もく)的(てき)に現状を容認しているだけである。進んでより良くしようと考える者は誰もいない。天下国家を憂(うれ)える気持ちを誰も持っていない。盲目的に前任者のやり方を踏(とう)襲(しゅう)しているだけで、物事の是非善悪を考えようともしない。何かを問われれば、「前任者はこう判断した」「前例はこうなっている」などと繰り返すだけで、政治が滞(とどこを)り行き詰まっていてもどうすることもできない。
 大体において「前例に従う」ケースは、先(せん)王(おう)(歴史に残る王さま)による成功事例や賢臣(歴史に残る臣下)による成功事例だけである。歴史的に見て、その政策が政治経済に副作用を残さず、国民の利益に資する成功事例だから、「前例に従う」のである。「前例」となる政策が政治経済に副作用を残し、国民の利益を損(そこ)なうようなケースは、どうして副作用が残ったのか、どうして国民の利益を損(そこ)なったのかをよく研究して、二度とそのようなことにならないように工夫するのが、あるべき政治の姿ではないだろうか。