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山縣大弐著 柳子新論 川浦玄智訳注 現代語訳 その五

 この時に當(あた)りて、一(いち)二(に)或(あるい)はその民(たみ)を憂(うれ)ふる者、またただ戰(せん)國(ごく)の弊(へい)を承(う)け、苟且(かりそめ)の政(まつりごと)、荏(じん)苒(ぜん)日(ひ)を送るのみ。なんぞ名(めい)教(きよう)の由(よ)る所を知らんや。卽(すなわ)ち民(たみ)の蚩蚩(しし)たる者、將(ま)たいづくんぞその土(ど)を守らん。また將(ま)たいづくんぞその身を安んぜん。今且(よ)くその大(だい)なる者を擧(あ)げんに、官制を特に甚(はなは)だしとなす。それ文(ぶん)は以(もつ)て常を守り、武は以(もつ)て變(へん)に處(しよ)するは、古(こ)今(こん)の通(つう)途(ず)にして、而(しか)して天下の達(たつ)道(どう)なり。
 如(じよ)今(こん)、官に文武の別なし。則(すなわ)ち變(へん)に處(しよ)する者を以(もつ)て常を守る。固(もと)よりその所に非(あら)ざるなり。且(か)つそれ諸(しよ)侯(こう)は國(こつ)君(くん)なり。各〃(おのおの)方(ほう)土(ど)を受け、世〃(よよ)その爵(しやく)を襲(つ)ぐ。社(しや)稷(しよく)あり、民(みん)人(じん)あり。尚(なお)且(かつ)つ將(しよう)校(こう)を以て自ら處(お)り、専(もつぱ)ら無(む)文(ぶん)の令を出す。乃(ない)至(し)、計(けい)吏(り)宰(さい)官(かん)の類(たぐい)の如(ごと)き、終(しゆう)身(しん)武(ぶ)事(じ)に興(おこ)らざる者も、また皆兵士を以(もつ)て自ら任じ、一に過(か)酷(こく)の政(まつりごと)を致(いた)す。その治(ち)道(どう)を害する者一なり。
 且(か)つ今の諸(しよ)侯(こう)と士(し)大(たい)夫(ふ)と、凡(およ)そ五(ご)品(ひん)以上に居(い)る者、咸(みな)國(こく)守(しゆ)の號(ごう)を受け、若(も)しくは八(はつ)省(しよう)の諸官に任じるも、また皆名(な)ありて實(じつ)なし。六(ろつ)品(ぴん)以下に至りては、則(すなわ)ち閟(ひ)乎(こ)としてこれを或(あるい)は聞くことなし。吾それ何の故(ゆえ)なるを知らざるなり。況(いわ)んや制を彼(かれ)に承(う)け、事(こと)に此(これ)に從(したが)ふ。則(すなわ)ち貳(じ)なからんと欲すといへども、それ得(え)べけんや。これその義なく制なき者二なり。
 將(しよう)相(しよう)を君となし、納(な)言(ごん)を臣となす。五(ご)品(ひん)の屬(ぞく)にして、四(し)品(ほん)の貴(き)なるあり。尾(び)大(だい)掉(ふる)はざるに非(あら)ざれば、則(すなわ)ち冠(かん)履(り)倒(とう)置(ち)にして、ただ權(けん)これを凌(しの)ぎ、ただ威(い)これに乗(じよう)ず。これその尊(そん)卑(ぴ)の序(じよ)を失(うしな)ふ三なり。
 且(か)つや古(いにしえ)の人、相呼ぶに必ず名(な)字(あざ)を以(もつ)てし、或(あるい)は兄(けい)弟(てい)の行(こう)を稱(しよう)せり。輓(ばん)近(きん)以来、卿(けい)大(たい)夫(ふ)一にその官を稱(しよう)して、その名を問はず。乃(すなわ)ち士(し)庶(しよ)人(じん)の職なき者に至りても、また皆濫(みだ)りに内外の官(かん)號(ごう)を冒(おか)し、兵(へ)衛(え)・衛(え)門(もん)・助(すけ)・丞(じよう)の類(たぐい)、農工商(しよう)賈(こ)奚(けい)奴(ど)輿(よ)隷(れい)の卑(ひ)より、戯(やく)子(しや)雜戶丐(かい)兒(じ)非(ひ)人(にん)の賤(せん)に及ぶまで、毎(まい)毎(まい)必ずここに於(お)いてす。それ律(りつ)の法(ほう)あるや、官を私(わたくし)し官を犯す者は、皆(みな)罪(つみ)して赦(ゆる)すことなし。今若(も)し法を以(もつ)てこれを糾(ただ)さば、天下幾(ほと)んど遺(い)民(みん)なからん。これその淆(こう)亂(らん)して、これを如何(いかん)ともすべからざる者四なり。

 このような時代の中で、国民の幸せを願う少数派の公家や武士は、戦国下(げ)克(こく)上(じよう)の弊害によって、もみくちゃにされ、なすすべもなく虚しく月日が経過した。
 このような状況では、人の踏み行うべき道を明らかにする教え(神道、仏教、儒教等)を世間に普及することはできない。だから、無知で無学な人々は生活の基盤となる職業に励むこともできない。自分や家族の身体(生命)を維持することもできないのである。
 社会が大きく乱れたのは、皇室を蔑(ないがし)ろにして武家が権力を恣(ほしいまま)にしている社会制度に根本的な問題がある。本来であれば、天皇を中心に皇族や公家が太政官(だじようかん)(太政大臣・左大臣・右大臣)に就いて政治を司(つかさど)り(文)、争い事を治めるために武士が征夷大将軍として戦(いくさ)を担う(武)。すなわち、平時には文官が政治を司り、非常時には武官が争いごとを制御する。これが、古今東西を通じた我が国の形(国体)である。
 ところが、現在(江戸中期)は、文官も武官も武家が独占している。天皇の臣下として戦を担(にな)う武官であるべき武家が文官として政治を司(つかさど)っている。本来なら、武家は文官として政治を司ってはならないはずである。だが、武家の諸侯(大名)が殿さまとして領土を所有し、各藩の政治を司り、その子孫が代々跡目を引き継いでいる。各藩には城や神社仏閣などの行政関連施設があり、民は武家に統治されている。武家は専(もっぱ)ら武道が専門で、学問には明るくないはずなのに、立場上様々な命令を下す。まるで文官のように振る舞っている。武官なのに、生涯、刀を鞘(さや)に収めたままで、戦(いくさ)の経験もないのに、自ら武士であることを誇り、思いやりの欠片もない政(まつりごと)を執行している。
 以上が、治(ち)国(こく)平(へい)天(てん)下(か)の秩序を妨害している一つ目の要因である。
 しかも、現在では、諸侯(大名)や士(し)大(たい)夫(ふ)などの区別もなくなり、地方長官(五品以上)の官位にいる武士は、加(か)賀(がの)守(かみ)や薩(さつ)摩(まの)守(かみ)などと国守(くにのかみ)を名乗り、中央行政官庁(八省の諸官。律令制で太政官に属する八つの中央行政官庁。中(なか)務(つかさ)省・式部省・治部省・民部省・兵(ひよう)部(ぶ)省・刑(ぎよう)部(ぶ)省・大蔵省・宮内省の総称)に所属する武士も、立派な役職名を名乗りながら、その中身は空っぽである。下級の武士(六品以下)に至っては、門を閉ざすように何の役割も果たしていない。どうして、こういうことになるのか、さっぱりわからない。朝廷が定めた役職なのに幕府のために従事している。すなわち、朝廷の役職を借りて幕府に仕えているのである。あってはならないことである。名分と制度とが分離して名分が乱れているのである。
 以上が、治国平天下の秩序を妨害している二つ目の要因である。
 今の体制は、本来朝廷に仕える役職であるはずの武官の征夷大将軍が文官の大政大臣を兼務している。徳川氏が実質的な君主として君臨し、御(ご)三(さん)家(け)(尾張徳川家・紀伊徳川家・水戸徳川家)・御(ご)三(さん)卿(きょう)(田安徳川家・一橋徳川家・清水徳川家)を臣下として従えている。正式な位ではない(五品)のに、朝廷で用いる高い位(四品~親王・内親王)に擬(ぎ)している。武官である幕府の力が朝廷より強く、文官である朝廷が蔑(ないがし)ろにされている。本末転倒である。幕府の権威が皇室の権威を凌(りょう)駕(が)して(幕府が朝廷の権威を笠に着て)いる。
 以上が、治国平天下の秩序を妨害している三つ目の要因である。
 昔の人は、自分は、生まれた時につけられた名を名乗り、相手を字(あざな)(元服した時に名付けられる名前)で呼んだ。或(ある)いは、必ず長(ちよう)幼(よう)の序(上下・卑(ひ)賤(せん)の序列)に従って名や字を配列して礼を重んじた。だが、最近では、名や字を用いずに、「式(しき)部(ぶ)殿(どの)や内(たく)匠(みの)頭(かみ)殿(どの)など・注」の官位を用いている。浪人や職に就いていない人も、自由に雅(が)号(ごう)を名乗っている。武士以外の農商工穢(え)多(た)非(ひ)人(にん)ですら、兵(へ)衛(え)・衛(え)門(もん)・助(すけ)・丞(じょう)などと名乗っている。
 大宝律令の規律に従えば、官位を勝手に名乗ることは許されない。大宝律令の規律を適用すれば、今の日本は、国中犯罪者だらけである。社会の秩序が完全に乱れている。
 以上が、治国平天下の秩序を妨害している四つ目の要因である。