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山縣大弐著 柳子新論 川浦玄智訳注 現代語訳 その六

 凡(およ)そかくの如(ごと)きの類(たぐい)、俗を成し風(ふう)を成す。固(もと)より一(いつ)朝(ちよう)一(いつ)夕(せき)の故(ゆえ)に非(あら)ざるなり。殿(との)・様(さま)・御(おん)・候(そうろう)・致(いたす)・仕(つかえる)等(など)の言語は、別に一家を成し、文字は別に一義を成す。乃(すなわ)ち搢(しん)紳(しん)諸(しよ)士(し)の間、日(にち)用(よう)意を通ずるも、また未だその何の義たるを知らず。事(じ)事(じ)皆爾(しか)り。豈(あ)に笑ふべく歎(たん)ずべきの甚(はなはだ)だしきに非(あら)ずや。然(しか)りといへども今の人、その間(かん)に生長し、慣れて以(もつ)て常となす。則(すなわ)ち相(あい)唱(とな)へ相(あい)和(わ)し、行はれざる者なきに似たり。若(も)しそれこれを實(じつ)事(じ)に施(ほどこ)さば、則(すなわ)ち罫(けい)礙(がい)窒(ちつ)息(そく)して相(あい)通(つう)ぜず。ここに於(お)いて更に一家の法を立つるも、また且(か)つ顚(てん)倒(とう)侏(しゆ)離(り)の習(ならい)、薫(くん)蕕(ゆう)別(べつ)なく、精(せい)粗(そ)分(ぶん)なし。髪を簡(えら)んで櫛(くしけず)り、米を數(かぞ)へて炊(かし)ぐ。推(お)して文なき者、動(どう)靜(せい)云(うん)爲(い)、唯(い)唯(い)としてこれ命のまま、剿(そう)説(せつ)雷(らい)同(どう)す。また何の條(じよう)理(り)かこれあらん。今それ艸(くさ)木(き)の區(く)別(べつ)あるや、物を以(もつ)てし名を以(もつ)てし、條(じよう)理(り)あらざる者なし。人事にしてかくの如(ごと)し。嗚(あ)呼(あ)會(あ)って艸(くさ)木(き)にだも如(し)かずといふか。

● 武家による文武の独占(秩序妨害の一つ目の要因)
● 二君(朝廷と幕府)の並列(秩序妨害の二つ目の要因)
● 幕府の権威が皇室を凌駕(秩序妨害の三つ目の要因)
● 大宝律令の規律違反(秩序妨害の四つ目の要因)
 以上の四つの要因によって風俗が乱れたのは、一(いっ)朝(ちょう)一(いっ)夕(せき)のことではない。
 殿(との)・様(さま)・御(おん)・候(そうろう)・致(いたす)・仕(つかえる)等(など)の言葉は、それぞれ相応(ふさわ)しい家柄や用いられ方があり、それぞれ意味がある。本来、皇族、公家、武家、商家など、その身分・役割分担に応じた言葉の用いられ方があるのに、今は出(で)鱈(たら)目(め)に用いられている。言葉に限らずあらゆる慣習や風俗が乱れている。笑ってしまうしかないほど嘆(なげ)かわしい状況である。けれども、今の人はこのような状況が、当たり前のように生まれ育っているので、ここまで乱れてしまった世の中の状態を気にも留(と)めずに呑(のん)気(き)に暮らしている。
 ここまで乱れてしまった状態を誰一人として気にも留めていない。だから、慣習や風俗の乱れを正そうとする人はいない。脳天気に暮らしている人々に、慣習や風俗を正すことを求めることは、それらの人々が窒息してしまうほど難しいことである。
 事(こと)、ここに至れば、野蛮人のように乱れた慣習を元に戻すことは難しい。君子と小人の区別もなく、繊細なことと粗雑なことの区別もなく、一人ひとりの髪の毛の質に合わせて櫛(くし)を作ったり、お米の数を数えてから煮炊きするように難しいことである。
 立ち居振る舞いや言行が身に付いていない無教養な人は、言われるまま命令されるままみんな同じように妄(もう)動(どう)する。何の見識も具えていない。草木には様々な種類があり、その種類に応じて生育している。万物には必ず名があり、その名に応じた生育のルールがある。ところが、今の世の人々は名と実が一致していない。草木にも劣る存在である。

孔(こう)夫(ふう)子(し)嘗(か)つていふ。名正しからざれば則(すなわ)ち言(げん)順(じゆん)ならず、言(げん)順(じゆん)ならざれば則(すなわ)ち事成らず、事成らざれば則ち禮(れい)樂(がく)興(おこ)らず、禮(れい)樂(がく)興(おこ)らざれば則(すなわ)ち刑罰中(あた)らず、刑罰中(あた)らざれば則(すなわ)ち民(たみ)手(て)足(あし)を措(お)く所なしと。彼(か)の衞(えい)國(こく)だにかくの如(ごと)くそれ甚(はなは)だしいかな。もし夫(ふう)子(し)をして目をこの間(ま)に寓(ぐう)せしめんか、未(いま)だそのこれを何といふを知らざるなり。政(まつりごと)の未(いま)だ地に堕(お)ちざる、蓋(けだ)し二千有(ゆう)餘(よ)年(ねん)、久しといふべし。ここを以(もつ)てその化(か)の海(かい)内(だい)に被(こおむ)れる、廣(ひろ)しといふべし。その德の民(みん)心(しん)に浹(しよう)洽(こう)する、深しといふべし。その衰(おとろ)ふるに及んでや、白(はく)龍(りゆう)水(みず)を失ひ、制を小(こ)魚(ざかな)に受く。千里を跋(ばつ)渉(しよう)し、暴(ばく)露(ろ)雨を冒(おか)す。また難(なん)なりといふべし。

 聖(せい)人(じん)・孔(こう)子(し)は「名正しからざれば則(すなわ)ち言(げん)順(したが)わず、言(げん)順(したが)わざれば則(すなわ)ち事(こと)成(な)らず、事(こと)成(な)らざれば則(すなわ)ち礼(れい)楽(がく)興(おこ)らず、礼(れい)楽(がく)興(おこ)らざれば則(すなわ)ち刑(けい)罰(ばつ)中(あた)らず、刑(けい)罰(ばつ)中(あた)らざれば則(すなわ)ち民(たみ)手(て)足(あし)を措(お)く所無し。/名と実が一致しなければ、言葉に重みがなくなる。言葉に重みがなくなれば、物事が正しく行われない。物事が正しく行わなければ、社会の調和が乱れる。社会の調和が乱れれば、無(む)闇(やみ)に刑罰が執行されるようになる。無闇に刑罰が執行されるようになると、民衆が安心して暮らせなくなる」と説いている。
 孔子は祖(そ)国(こく)魯(ろ)を追われて衛(えい)の国に滞在していた時があるが、衛(えい)の国は随分乱れていた。その衛よりも乱れている今の日本は、孔子の目にはどのように映るであろうか。
 神武天皇肇(ちょう)国(こく)以来、二千数百年の歴史を誇る日本の国柄が有する力は、未だ地に堕ちてはいない。肇(ちょう)国(こく)以来、国民の幸せを祈り続けてきた歴代天皇をお慕いする国民の気持ちは、広くまた深く国中全体に行き渡っている。
 しかし、皇室を中心とする本来の政治の形は衰退してしまった。「天に登る白竜(後醍醐天皇を白龍に例えた)もいったん水を失えば小魚に制御されてしまった(注)」。「千里もの長い距離を彷徨い、覆いもなく雨に冒されボロボロになるように病に倒れて後醍醐天皇は崩御したのである」。まさしく、今は国難と云える状況である。

この時に當(あた)つてや、一(いち)二(に)忠(ちゆう)臣(しん)の力を獲(え)て、或(あるい)は能(よ)くその位に復せんも、また且(か)つ小(しよう)國(こく)の君(きみ)に若(し)かざるなり。然(しか)りといへどもかくの如(ごと)くにして尚(なお)能(よ)くその宗(そう)廟(びよう)を保ち、百(ひやく)世(せい)廢(はい)せずして、今に到るまで四百有(ゆう)餘(よ)年(ねん)なり。權(けん)下(した)に移るといへども、道それ斯(ここ)にあらざらんや。先(せん)王(おう)の大(だい)經(けい)大(だい)法(ほう)は、自(みずか)ら律(りつ)令(りよう)の見るべきあり。若(も)し能(よ)く民(たみ)を愛するの心あらば、名それ正しうすべからざらんや。禮(れい)樂(がく)それ興(おこ)すべからざらんや。刑罰それ措(お)くべからざらんや。哀しいかな、天下その人あることなきなり。旣(すで)に盡(ことごと)くその古(いにしえ)に復(ふく)する能(あた)はず。また盡(ことごと)くその舊(きゆう)に變(へん)ずる能(あた)はず。その盡(ことごと)くさざる所の者あるは何ぞや。豈(あ)にその物を尚(たつと)ぶを知って、名を尚(たつと)ぶを知らず、己(おのれ)の爲(ため)にするを知って、天下の爲(ため)にするを知らざるに由(よ)るか。そもそもまた學(がく)政(せい)行はれず、而(しか)して術(じゆつ)智(ち)及ばざる所あるか。

 このような状況の中で、楠(くすの)木(き)正(まさ)成(しげ)・正(まさ)行(つら)親子とその一族のように、何代にもわたって後醍醐天皇に仕えた数少ない忠臣の活躍と努力により、天皇の地位や権威は未だ揺らいではいない。しかし、天皇の権力はまるで小国の殿さまのように微力になってしまった。
 しかし、朝廷は今もその役割を保ち続けており、天皇の御(み)代(よ)は百代を超えて続いている。万世一系の皇統は今も保たれて続けている。天皇陛下のご存在が室町幕府以来四百年以上(江戸時代も含めれば六百年以上)に及ぶ武家の政治を支えているのだ。国を動かす権力は幕府が握っているが、国を統治する権威は、今も天皇陛下が有しておられる。
 古代中国から伝わった政治制度は大(たい)宝(ほう)律(りつ)令(りょう)など我が国の政治制度の礎(いしずえ)になっている。今の為(い)政(せい)者(しゃ)に国民の幸せを祈る気持ちがあるならば、どうして名を正さずにいられようか。どうして礼(れい)楽(がく)制度を復活させずにいられようか。どうして刑罰を適正に執行しないでいられようか。ところが、哀しいことに、以上のことを実現できる人材が見当たらない。そのため、皇室を中心とした本来の政治体制に戻すことは極めて難しいのである。
 今の人々は、衣食住など物質面を優先して、名を正すことの大切さを蔑(ないがし)ろにしている。自分のためになることには一生懸命になるが、天下国家のためになることには見向きもしない。そもそも、本来学ぶべき国学を疎(おろそ)かにしているから、正しい政治が行われないのだ。だから、知識も技術も正しく用いられないのである。