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山縣大弐著 柳子新論 川浦玄智訳注 現代語訳 その四

 これよりその後、昭(しょう)宣(せん)忠(ちゅう)仁(じん)の諸(しよ)公(こう)、武を聰(そう)王(おう)の制に繼(つ)ぎ、事に大(たい)賓(ほう)の令に從(したが)ふ。綿(めん)綿(めん)たる洪(こう)祉(し)、日に盛んに月に隆(さか)んなり。郁(いく)郁(いく)たる文(ぶん)物(ぶつ)、三代の時に譲(ゆず)らざるに幾(ちか)し。保(ほ)平(へい)の後(のち)に至り、朝政漸(ようや)く衰へ、壽(じゆ)治(じ)の亂(らん)、遂(つい)に東(とう)夷(い)に移り、萬(ばん)機(き)の事(こと)、一(いつ)切(さい)武(ぶ)斷(だん)、陪(ばい)審(しん)權(けん)を專(もつぱ)らにし、廢(はい)立(りつ)その私(わたくし)に出(い)づ。この時に當(あた)ってや、先(せん)王(おう)の禮(れい)樂(がく)、蔑(べつ)焉(えん)として地を掃(は)へり。室町氏繼(つ)いで興(おこ)り、武(ぶ)威(い)益(ます)々(ます)盛(さか)んなり。名は將(しよう)と偁(しよう)せるも、實(じつ)は南(なん)面(めん)の位(くらい)を僭(せん)せり。然(しか)りといへども先(せん)王(おう)の明德、深く民(みん)心(しん)に浹(しよう)洽(こう)せり。則(すなわ)ち強(きよう)暴(ぼう)の臣(しん)すら、尚(なお)忌(き)憚(たん)なきこと能(あた)はず。ここを以(もつ)て神(しん)器(き)移(うつ)らず、皇(こう)統(とう)綫(いと)のごとく存(そん)せり。數(すう)世(せい)の後(のち)に逮(およ)び、豪(ごう)傑(けつ)交(こも)〃(ごも)起(おこ)り、各(おの)〃(おの)一(いつ)方(ぽう)據(よ)り、龍(りゆう)驤(じゆ)虎(こ)奔(ほん)、相(あい)奪(うば)い相(あい)害(そこな)ひ、窮(きゆう)已(い)あることなし。姦(かん)賊(ぞく)事(こと)を謀(はか)り、戎(じゆう)蠻(ばん)これ簒(うば)ふ。首(くび)に巾(きん)帽(ぼう)なく、衣(ころも)に領(りよう)袖(しゆう)なし。驕(きよう)傲(ごう)德(とく)を偁(しよう)し、暴逆功に伐(ほこ)る。

 古代中国における周(しゅう)公(こう)旦(たん)(九頁参照)・召(しょう)公(こう)奭(せき)(注・周公旦とともに成(せい)王(おう)を補佐した)、伊(い)尹(いん)・傅(ふ)説(えつ)(注・ともに殷の良相)のような優れた賢臣が我が国にも次々に(武(たけ)内(うちの)宿(すく)禰(ね)、中(なか)臣(とみの)鎌(かま)足(たり)、和(わ)気(けの)清(きよ)麻(ま)呂(ろ)、坂(さかの)上(うえの)田(た)村(むら)麻(ま)呂(ろ)など)現れて、神(じん)武(む)天皇による肇(ちょう)国(こく)以来、誰一人として天皇陛下の恩(おん)沢(たく)(国民を大御宝として思いやる慈しみの政治)を賜(たまわ)らない国民は存在しない。
 政治の舵(かじ)取(と)りは、昭(しょう)宣(せん)公(こう)(注・藤(ふじ)原(わらの)基(もと)経(つね)・補足・日本史上初の関白)や忠(ちゅう)仁(じん)公(こう)(注・藤(ふじ)原(はらの)基(もと)経(つね)の養父良(よし)房(ふさ)・補足・蘇我天皇に信任された公(く)卿(ぎょう))などの優秀な臣下に任せて、聖徳太子の事(じ)績(せき)を引き継いで制定された「大(たい)宝(ほう)律(りつ)令(りょう)(西暦七百一年に制定)」と云う制度に従った。天(あま)照(てらす)大(おお)御(み)神(かみ)が身に付けていた勾(まが)玉(たま)(思いやりの象徴)から生まれた天(あめの)忍(おし)穂(ほ)耳(みみ)の命(みこと)の血を、男系で連(れん)綿(めん)と引き継いでいる歴代天皇は、常に国民の幸せを祈る思いやりの政治を追求してきた。我が国にしか見られない僥(ぎょう)倖(こう)である。
 社会は日に日に盛んになり、文化や制度が発展したのは、日(ひゆう)向(が)三(さん)代(だい)(邇(に)邇(に)芸(ぎの)命(みこと)、火(ほ)遠(お)理(りの)命(みこと)・山(やま)幸(さち)彦(ひこ)、鵜(う)草(かや)葺(ふき)不(あえ)合(ずの)命(みこと))の流れを男系(父系)で継承して「知らす」政治(国民のことをよく知り、国民を思いやる政治・古事記の解釈)を実践してきたからである。
 ところが、保平の乱(保(ほう)元(げん)の乱…平安後期に京都で起こった内乱、平(へい)治(じ)の乱…保元の乱後、京都で勃(ぼっ)発(ぱつ)した内乱)により、朝廷の力は少しずつ衰え始め、治(じ)承(しょう)・寿(じゅ)永(えい)の乱(源平合戦)によって、実権は遂に東国の武士(源頼朝)の手に渡った。源氏が衰えると臣下である北條氏が権力を握り、将軍を意のままに立てるようになった。政治は武力で行われるようになり、天皇陛下の臣下であるはずの武士が権力を恣(ほしいまま)にするようになったのである。そして、物事の成立や廃止が武家の独断で決められるようになり、歴代天皇が大切にしてきた礼(れい)楽(がく)制度は段々軽んぜられるようになった。
 足利氏による室町時代になると、武(ぶ)家(け)の権力は益々盛んになり、征(せい)夷(い)大(たい)将(しょう)軍(ぐん)と名乗りながら、天皇を上回る実権を握るようになった。しかし、足利氏が実権を握るようになっても、神(じん)武(む)天皇肇(ちょう)国(こく)以来、大(おお)御(み)宝(たから)としての国民の幸せを祈り続けてきた歴代天皇をお慕いする気持ちは国民に広くまた深く行き渡っている。足利氏と雖(いえど)も歴代天皇をお慕いする気持ちに変わりはないので、天皇の地位を奪い取ることはできなかった。
 天照大御神から邇(に)邇(に)芸(ぎの)命(みこと)に引き継がれた三種の神器(八(や)尺(さか)の勾玉(まがたま)、八(や)咫(たの)鏡(かがみ)、草薙剣(くさなぎのつるぎ))は、歴代天皇に引き継がれて今日に至る。すなわち、万(ばん)世(せい)一(いっ)系(けい)の皇(こう)統(とう)は連(れん)綿(めん)として引き継がれているのである。
 その後、数百年が経過し、武家から武家に(戦国時代~安土桃山時代・織田信長・豊臣秀吉・徳川家康~江戸時代へと)次々に権力が移った。龍が天に昇り、虎が奔(ほん)放(ぽう)に走り回るように、奪い合い、傷付け合い、窮(きわ)まるところがない。極(ごく)悪(あく)人(にん)が邪(よこしま)なことを謀(はか)り、武器を持った荒くれ者が凶悪な事件を起こす。「首に巾(きん)帽(ぼう)なく、衣(ころも)に領(りょう)袖(しゅう)なし」と云われるような「無統制、無政府状態(注)」に陥ってしまった。驕(おご)り高ぶっている人物が人徳者だと嘯(うそぶ)き、暴力によって奪ったことを功と言い換えて誇っているのである。