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山縣大弐著 柳子新論 川浦玄智訳注 現代語訳 その二十

編民第七
【古の五人組制度を復活し戸籍を明瞭にさせて、人民の逃亡を防ぎ盗賊無頼の徒をなくすことを論じた。(注)】

柳(りゆう)子(し)いはく、古(いにし)へ民(たみ)を治(おさ)むるの法、必ず編(へん)俉(ご)あり。編(へん)俉(ご)法(ほう)なければ、則(すなわ)ち民(たみ)土(ど)に安(やす)んぜず。民(たみ)土(ど)に安(やす)んぜざれば、則(すなわ)ち國(くに)亡(ぼう)命(めい)多し。國(くに)亡(ぼう)命(めい)多ければ、則(すなわ)ち盗賊並び起る。民(たみ)を治(おさ)むるの害、盗賊より大(だい)なるはなし。近(きん)世(せい)衰(すい)亂(らん)の後(あと)を承(う)け、編(へん)俉(ご)法(ほう)を失ひ、戸(こ)籍(せき)明らかならず。十室(じゆつしつ)の邑(ゆう)、尚(なお)相(あい)識(し)らざる者あり。況(いわ)んや通(つう)邑(ゆう)大(だい)都(と)をや。無(ぶ)頼(らい)の民(たみ)、亡(ぼう)命(めい)家(いえ)を破(やぶ)る者、歳(とし)ごとに千を以(もつ)て數(かぞ)ふ。然(しか)れども此(これ)を去って彼(かれ)に居(お)れば、則(すなわ)ち知るべからざるなり。故(ゆえ)に潜(せん)匿(とく)して都下にある者、或(あるい)は終(しゆう)身(しん)追(つい)捕(ほ)を免(まぬが)れ、還(かえ)って安逸(あんいつ)の人となり、僥(ぎよう)倖(こう)にして業を起し、能(よ)く千金を致(いた)す者の、また多からずとせず。而(しか)して一旦(いつたん)その籍(せき)を編列(へんれつ)する時は、則(すなわ)ち郷(きよう)豪(ごう)土(ど)著(ちよ)の民(たみ)と、終(つい)に相(あい)分(わ)かつことなし。乃(すなわ)ち窮(きゆう)民(みん)の生をなす能(あた)はざる者の如(ごと)きは、奔走(ほんそう)して食を道路に乞(こ)ひ、溝(こう)涜(とく)に轉(てん)死(し)するに至るも、曾(か)って隣(となり)里(むら)の憫(あわれ)む所とならず。或(あるい)は髪(かみ)を薙(そ)りて僧(そう)尼(に)となり、口を四(し)方(ほう)に糊(のり)し、或(あるい)は竊盗(せつとう)して人を傷つけ、刑を他(た)邦(ほう)に受く。
患(かん)難(なん)救(すく)はず、疾苦(しつく)問(と)はず、貴(き)賤(せん)となく、親(しん)疎(そ)となく、ただその冷(れい)煖(だん)をのみこれ察すれば、則(すなわ)ち名は閭井(りよせい)を同じうするも、實(じつ)はただに仇(きゆう)視(し)するのみならざるなり。囂(ごう)囂(ごう)乎(こ)として里(さと)巷(ちまた)の間に豕(し)交(こう)し、嗷(ごう)嗷(ごう)乎(こ)として、閭閻(りよえん)の中に狗(こう)争(そう)するもの、豈(あ)にまた悲しからずや。

大(だい)貳(に)先生(柳(りゅう)子(し))はおっしゃった。
 昔の日本において民衆を統治する方法は、必ず五人組制度(近隣の五戸を一組とし互に連帯責任を以て火災・盗難・浮浪人・キリシタン宗徒等の取締に任じた制度。わが国では孝徳天皇大化改新後、白(はく)雉(ち)三年四月はじめて五保の制を定めた。注)を前提に定められた。
 五人組制度がなければ、民衆は安心して郷土で生活することができない。民衆が安心して郷土で生活できなければ、「郷土の戸籍を脱して逃亡する(注)」民が多くなる。戸籍を脱して逃亡する民が多くなれば、共同体としての絆が弱くなり盗賊が蔓延(はびこ)るようになる。民衆を統治するに中って最も害が多いのは盗賊が蔓延(はびこ)ることである。
 近年は、五人組制度が機能しなくなってきた。共同体としての絆(きずな)が段々弱くなり戸(こ)籍(せき)を脱して逃亡する民が多くなり、終に戸(こ)籍(せき)制度が破(は)綻(たん)してしまったのである。それゆえ、僅か「十戸の小さな村(注)」でも知らない住民同士が存在する。まして、江戸のような「大都市(注)」においては、知らない住民同士がひしめき合っている状況である。
 以上のような有様だから、無(ぶ)頼(らい)漢(かん)のような荒くれ者や「亡命者・郷土の戸籍を脱して逃亡する(注)」民が社会秩序を破壊しながら、どんどん増えていった。このような人々が郷土を離れて新地に赴くと、新地の人々は無頼漢や亡命者としての前歴を知らないので、のうのうと暮らしていくことができる。だから、可愛がっている部下が前歴は無頼漢や亡命者であったり、時には逃亡中の犯罪者が紛(まぎ)れ込んでいたりする。中には新地にすっかり溶け込んで、幸運にも商売に成功して大金持ちとなる人も少なくない。新地において戸籍を取得してしまえば、現地の人と見分けが付かなくなる。
 その一方で窮した民衆が生活に苦しくなると、食べ物を求めてあちこち走り回ったあげく、道路に坐り込んで物乞いをするようになる。中には溝に落ちたまま餓死する人もあるが、親戚や縁者がいないので誰も哀れだと思わない。
 中には髪を剃って僧侶や尼僧となり、安定した食生活を手に入れる人もいれば、窃盗のような罪を犯して刑罰を受けてその土地から追放される人もいる。
 そのように窮した民衆が険難に陥っても誰も救ってくれない。病気に罹(かか)って苦しんでも誰も話しかけてもくれない。貴(き)賤(せん)に関わりなく、また、親(しん)疎(そ)(親しい間柄と疎遠な間柄)に関わりなく、窮した民衆に対して、他の民衆が冷たく接するか、温かく接するかを観察してみると、同じ村や町に暮らす住民同士なのに、窮した民衆に対する他の民衆の視線は、まるで仇(かたき)を見るように冷たいものである。
 喧(やかま)しい・喧(やかま)しいと嫌われても、あちこちで「豚のように交わり(注)」、また、喧(やかま)しい・喧(やかま)しいと嫌われても、「村や里(注)」の中で犬の喧嘩のように争っている人々を見ると、何とも切なく悲しい気持ちになる。