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山縣大弐著 柳子新論 川浦玄智訳注 現代語訳 その十九

 且つその吏たる者は、不(ふ)學(がく)無(む)術(じゆつ)、ただ銭(せん)貨(か)の貴(たつと)ぶべきを知りて、利を見て義を廢(はい)す。則(すなわ)ち商(しよう)買(ばい)の權(けん)は、上は王公(おうこう)を侮(あなど)り、下は朝(ちよう)士(し)を凌(しの)ぎ、工を使ふことなく奴隷の如く、農を視(み)ること臧(ぞう)獲(かく)の如し。生を厚うするの道亡び、官その制なければなり。かの工の若(ごと)き者は、能く器物を制し、以(もつ)て天下の用を利する者なり。また皆(みな)商(しよう)買(ばい)と利を争(あらそ)ひ、錐(すう)刀(とう)を是(こ)れ競(きそ)ふ。則(すなわ)ち材(ざい)は皆(みな)麁(そ)惡(あく)、器(うつわ)は皆(みな)古(こ)窳(ゆ)、日ならずして成り、時ならずして毀(やぶ)る。ただ售(う)れ易(やす)きを欲して、その堅(けん)緻(ち)を欲せず。要(よう)はなす能(あた)はざるに非(あら)ざるなり。此(これ)をなせば則(すなわ)ち富み、彼(かれ)をなせば則(すなわ)ち貧しきが故(ゆえ)なり。況(いは)んや官(かん)局(きよく)にある者、多く奴隷を養(やしな)ひて、稱(しよう)して弟子となし、彫(ちよう)琢(たく)刻(こく)鏤(ろう)、一に他人の手に出(い)でて、而(しか)して己(おのれ)は一規矩(きく)を正(ただ)しうする能(あた)はず、美を服し旨(むね)を食ひ、亢顔(こうがん)自(みずか)ら大(だい)匠(しよう)と稱(しよう)す。實(じつ)はこれ一買(ばい)豎(じゆ)の財を媒(ばい)する者のみ。これまた實(じつ)ある者は名なく、名ある者は實(じつ)なし。而(しか)して利は名を逐(お)うて入(い)り、實(じつ)に背(そむ)いて出(い)づ。それ誠(まこと)にかくの如(ごと)くならんか、刺(し)猴(こう)瓊(けい)葉(よう)も、また何ぞその身を養(やしな)ふに益(えき)あらんや。故(ゆえ)に今の百工(ひやつこう)は、即(すなわ)ち商(しよう)買(ばい)の傭(よう)奴(ど)のみ。何ぞ以(もつ)て巧拙(こうせつ)を論ずるに足らんや。用を利するの道壊(こわ)る。

 しかも、武家の役人ときたら、学ぶことを怠っており、文官としての実務能力も不足している。ただ予算を確保することだけを考えて、大義を捨てて利益を上げることだけに血(ち)眼(まなこ)になっている。結局のところ、商売によって利益を得た者が権力を有するようになり、お金の力がを過大視されている。お金の力で権力を得た者は、皇室を尊崇する気持ちを失い、朝廷の役人を下に見ている。武家の役人は職人を奴隷のようにこき使い、農民を奴隷のように蔑視している。士農工商の身分に応じて役割分担を全うし、各々が生活を豊かにする職分制度の確立を役人が怠ったからである。民を大御宝として慈しむ本来の政治の在り方は忘れ去られてしまった。
本来の職人気質は、実用的な器物を製作して、天下の人々の生活に役立つことを喜びとすることである。それなのに、今の職人は、僅かな利益を得るために商売にうつつを抜かしている。少しでも利益を上げようとして、粗悪な材料を用いて器物を製作するので、器物の形が歪んで整っていない。時間をかけずに製作するので、短期間で壊れてしまう。少ない利益で生活するためには沢山売るしかないのである。品質の良い器物を製作しても時間ばかりかかって利益が得られないのである。
 要するに、良い器物を製作できないわけではない。良い器物を製作しても生活できないから、粗悪な器物を製作するしか方法がないのである。利益を得るためには粗悪な器物を製作するしかなく、良い器物を製作すれば貧乏に甘んじるしかないからである。すなわち、誠実な農民や職人は一生懸命に仕事をしても報われずに貧しい状況から脱することはできない。何と理不尽なことであろうか。
 お上御用達の職人の親分は、弟子と称して奴隷のようにお抱えの職人をこき使い、踏(ふ)ん反(ぞ)り返っている。手間暇かかることは、自分でやらず全て職人にやらせて、感謝することもない。自分は何の道徳心もなく、襟を正そうという気持ちの欠片(かけら)すらない。絹をふんだんに使用した高級な着物を纏(まと)い、贅沢な料理を食べて、恥ずかしげもなく、自分こそ技量の優れた職人だと大(おお)法(ぼ)螺(ら)を吹いている。
 お上御用達の職人は、お抱えの職人の労働力を売買する商人にすぎない。実力のある職人は有名にはなれず、有名な職人には実力がない。実力がないのに有名な職人が利益を得て、実力があるのに無名な職人は利益を得られない。以上のような有様なので、どうにもこうにもならない。「言っていることは目立つが実益の得られないことや葉は美しいが実がないこと(注)」は、何の役にも立たない。それゆえ、今の農民や職人は、商買を行う下男や使用人のようである。どうして、その職能(農家や職人としての職業能力)の巧拙を論ずることなどできようか。本業を通して社会に貢献すると云う道徳律が壊れてしまったのである。

 これ他(ほか)なし、官その制なければなり。故(ゆえ)に今の民(たみ)、身(み)日(ひ)に空(むな)し。ここを以て斷(だん)然(ぜん)乃(すなわ)ちいふ、耕(たがや)すも食(しよく)に益(えき)なく、織(お)るも衣(ころも)に益(えき)なしと。士(し)もまたいふ、學(がく)も身に益なく、業(ぎよう)も家に益なしと。乃(すなわ)ちその事を廢(はい)し、而(しか)してただ奇(き)邪(じや)にこれ從(したが)ひ、譸(ちゆう)張(ちよう)をこれ務(つと)む。ああ世の末(すえ)を逐(お)ふ者、何ぞその多くして、而(しか)して本(もと)を務(つと)むる者、何ぞその寡(すくな)きや。古(いにしえ)にいふあり、いはく、上の好む所、下これより甚(はなは)だしき者ありと。先王(せんおう)そのかくの如(ごと)きを察す。故(ゆえ)に德を貴(たつと)び貨(か)を賤(いや)しみ、以(もつ)て民(たみ)の邪(じや)慝(とく)を禁ぜり。教(きよう)令(れい)上(うえ)に明らかにして、風俗下(した)に美なる所以(ゆえん)なり。今且(か)つ須(すべか)らく官を置き職を立て、末(すえ)を抑(おさ)へ本(もと)に復(ふく)し、商(しよう)買(ばい)の權(けん)を奪(うば)ひ、農工の業を興(おこ)すべし。しかる後(のち)士氣漸(ようや)く復(ふく)し、各〃(おのおの)その生をなす所を樂しまば、則(すなわ)ち四(し)民(みん)その處(ところ)を得て、天下安(やす)きに居(お)らん。

 こんなことになってしまったのは、役人が士農工商の身分に応じて役割分担を全うする職分制度を確立することができなかったからである。それゆえ、現在の民衆は毎日の生活が実に空しいと感じている。以上のことを踏まえて、わたしは断固として発言しよう。農家が田畑を一生懸命に耕しても、ほとんど税として吸い上げられてしまうので食生活は貧しく、職人が一生懸命に着物を織り上げても、ほとんど税として吸い上げられてしまうので、食べていくのに精一杯で自分の着物を新調することもできない。
 武士について発言すれば、一生懸命に学問に励んでも学んだ知識を発揮する機会がないから役に立たない。一生懸命に仕事に励む気持ちを失って、豊かな家庭を築くことができない。遂には仕事を放り出して珍しい事や邪な事にうつつを抜かして、世間を欺(あざむ)き偽(いつわ)り続ける。
 あぁ世も末だと感じさせる人物が、何と多いことであろう。そして、本業を全うして世のため人のために役立とうと考える人物が、何と少ないことであろう。
 古典の孟(もう)子(し)(滕文公(とうぶんこう)の言葉)に「上の人が好むことは、下の人はそれ以上に好むものである」と云う言葉がある(注)。古(いにしえ)の歴代天皇陛下は、そのことを十分に察しておられた。それゆえ、常に物事を道徳的に考えて行動され、金銭的な利益のみを追求することを卑しいことと考え、質素であられたので、民衆は天皇陛下のお姿を尊崇(そんすう)して邪(よこしま)な心や卑しい行為を踏み止まったのである。上に居(お)られる天皇陛下の教え導きがあるから、下に居(い)る民衆の風俗が美しくなるのである。
 今こそ、是非とも役人の在り方を正し、本来の職業倫理を取り戻して、枝(し)葉(よう)末(まつ)節(せつ)に囚(とら)われずに、根源的な原理原則を大切にすべきである。商買に成功した商人に利権が集中することを抑制して、農民や職人が誇りを持って仕事ができる環境を整えるべきである。以上を実行すれば、民衆の士氣は少しずつ高まっていき、それぞれが従事している持ち場や本業を楽しむようになる。そうなれば、士農工商各層がそれぞれに求められている役割を全うして、天下国家は安泰になるであろう。