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山縣大弐著 柳子新論 川浦玄智訳注 現代語訳 その十

 故(ゆえ)に衣(い)冠(かん)はただにその寒(かん)を拒(しの)ぐのみに非(あら)ず、裸(ら)且(か)つ跣(せん)にして禽(きん)獣(じゆう)と別なきを恥づるが爲(ため)なり。冠を制してその首を掩(おお)ひ、衣を制して以てその身を掩(おお)ひ、裳(ころも)以(もつ)てその脛(すね)を掩(おお)ひ、履(はきもの)以(もつ)てその足を掩(おお)ふ。禮(れい)にこれあり、いはく、渉(わた)らずんば揚(かか)げず、敬(けい)事(じ)あるに非(あら)ずんば、敢(あえ)て袒(たん)裼(せき)せず。君子死してその冠(かんむり)を免(ぬ)がずと。豈に皆その醜(しゆう)を恥づるが爲(ため)に非(あら)ずや。且(か)つそれ衣(い)冠(かん)は、豈(あ)にただにその醜を恥づるが爲のみならんや。また豈(あ)にただにその身(み)首(くび)を文(かざ)るのみならんや。位官職事、これに由(よ)って分たれ、禮樂刑罰、これに由(よ)って行われ、風俗これに由(よ)りて移り、政令これに由(よ)って布かれ、國家これに由(よ)って治まり、四夷これに由(よ)って服す。而(しか)して後(のち)これを仁といひ、而(しか)して後(のち)これを道といふ。 聖(せい)王(おう)の天下を陶(とう)鑄(ちゆう)する、實(まこと)にかくの如(ごと)くのみ。故(ゆえ)にいはく、堯(ぎよう)舜(しゆん)衣裳を垂(た)れて天下治(おさ)まると。それ然(しか)らざらんや。かの無(む)道(どう)の君(きみ)の若(ごと)きは、則(すなわ)ち然(しか)らず。衣(い)冠(かん)を以(もつ)て桎(しつ)梏(こく)となし、禮(れい)樂(がく)を以(もつ)て虚(きよ)文(ぶん)となす。ここを以(もつ)てその政(まつりごと)をなすや、ただ刑と法とにこれ任じ、遂(つい)に亂(らん)階(かい)を結構す。豈(あ)にまた異ならずや。或(あるい)は衰(すい)亂(らん)の後(あと)を承(う)け、古(いにしえ)を稽(かんが)ふるに及ばざれば、則(すなわ)ち服の存(そん)すといへども、制(せい)その制(せい)に非(あら)ず、文その文に非(あら)ず、貴(き)賤(せん)等(とう)なく、尊(そん)卑(ぴ)分(ぶん)なく、ただその有無にこれ由(よ)るのみ。故(ゆえ)にその道路にあるに當(あた)ってや、鹵(ろ)簿(ぼ)の美、車(しや)徒(と)の衆、人見てその富(とみ)たり貴(き)たるを知れども、その廷(てい)に入り堂に升(のぼ)るに及んでや、その衣その裳、裁(さい)制(せい)異(こと)なるなく、文(ぶん)采(さい)意(い)に随ふ。何を以(もつ)て能(よ)くその公(こう)たり侯(こう)たり伯(はく)たり卿(きよう)たり大(たい)夫(ふ)たるを知らんや。

 衣裳と冠(かんむり)は寒(かん)暑(しょ)を凌(しの)ぐためだけでなく、裸で飛び回っている禽獣(きんじゅう)と人間との違いを明確にするためのものである。冠(かんむり)を被(かぶ)り直射日光から頭を守る。衣(ころも)を着て寒(かん)暑(しよ)から身を守る。裳(も)を佩(は)いて脛(すね)を防(ぼう)御(ぎょ)し、履き物で足の裏を保護する。いずれも礼楽作法の一つである。「礼(らい)記(き)に曰(いわ)く『渉(わた)らずんば掲(かか)げず。敬(けい)事(じ)あるに非(あら)ずんば敢えて袒(たん)裼(せき)せず。/徒歩で水をわたるのでなければ衣の裾(すそ)をまき上げないし、事をつつしみ敬し行う礼の場合でなければ、はだぬぎにはならなかった。』左伝に曰く『君子死してその冠(かんむり)を免(ぬ)がずと。/子路(孔子の弟子)はきちんと冠(かんむり)のひもを結び直して死んだという。』(注)」。いずれも、礼儀を失した醜(しゅう)態(たい)を恥じたからである。
 だが、衣裳と冠は、裸で生きる醜態を恥じたり、身体を守るだけのものではない。地位と職業は衣裳と冠によって区分され、礼楽制度と刑罰も区分されている。それゆえ、我が国の風俗は良好なものとなり、政令も隅々まで行き渡るようになった。衣裳と冠が普及して国家としての体裁が整い、諸外国から尊崇・模倣されるようになった。
 以上のように、上は天子(天皇陛下)から、下は庶民に至るまで、衣裳と冠が行き渡っている社会は「仁(思いやりの心)」に溢れた社会であり、「人の道(人間としての正しい道筋)」が示されている社会である。
 聖人たる歴代天皇陛下が陶器のように国の形を整え、金を鋳(ちゆう)造(ぞう)するようにして国に力を付与された。実(まこと)に「仁」に溢れており、「人の道」が示されている社会である。以上のことを易経(注・東洋最古の古典と伝わる)の繋(けい)辞(じ)下(か)伝(でん)第二章第五節には「堯(ぎょう)舜(しゅん)(伝説の聖人たる王さま・日本に当て嵌めれば歴代天皇陛下)衣裳を垂(た)れて天下治まる/堯舜は無為自然の精神で天下を治めた」と書いてある。「仁」と「人の道」によって無為自然の精神で天下を治めたのである。ところが、暗(あん)君(くん)(悪(あく)逆(ぎゃく)非(ひ)道(どう)の王さま)が統治すると、同じ衣裳や礼楽制度を用いても、全く反対の結果となる。すなわち、衣裳と冠(かんむり)は国民を抑圧する用い方をされ、礼楽制度は形だけで、内実は虚飾となり賄賂が飛び交うようになる。政治は「仁」と「人の道」とはかけ離れたものとなる。厳しい法律と刑罰によって、国民を抑圧し、終(つい)には、謀(む)叛(ほん)が相継ぎ、やがては易(えき)姓(せい)革(かく)命(めい)を引き起こすことになる。
 以上のような悪政を反省して本来の政治制度に戻そうとしなければ、制度や文化は貴(き)賤(せん)尊(そん)卑(ぴ)の違いに関係なく、形式的に適用されるだけである。それゆえ、見た目は道路が碁(ご)盤(ばん)の目のように敷かれて、立派な馬車が整然と走っており、裕福で貴い社会のように見えたとしても、朝廷の中に入ってぐるりと見渡してみると、衣裳の区分と人格や教養の水準が一致しておらず、武力や経済力を有する人々が政治を独占し牛耳っている。本来の役職に相応しい人々がその役職に任用されていない。その役職に全く相応しくない人々が武力や経済力で地位を独り占めしている。

 若(も)し乃(すなわ)ち士(し)庶(しよ)人(じん)の服(ふく)する所、またただ有無にこれ由(よ)らば、則(すなわ)ち富(ふ)者(しや)は帛(はく)を以(もつ)てし、貧(ひん)者(じや)は布(ぬの)を以(もつ)てす。富(ふ)者(しや)は常に美にして、貧者は常に惡(あ)しく、貴(き)賤(せん)ここに於(お)いてか亂(みだ)る。敝(やぶ)れたる縕(おん)袍(ぽう)を衣(き)て、狐(こ)貉(かく)を衣(き)る者と立ちて恥じざるは、後(こう)世(せい)あることなきのみ。これを恥づるの至りこれを求め、これを求めて止(や)まざれば、則(すなわ)ち祿(ろく)足(た)らずして、俸(ほう)給(きゆう)せず。士(し)民(みん)ここに於(お)いてか窮(きゆう)す。貧(ひん)富(ぷ)固(もと)より皮(ひ)毛(もう)に屬(ぞく)せず。即(すなわ)ち人のこれを辨(べん)ずる。ただ衣をこれ察(さつ)し、服(ふく)美(び)なれば則(すなわ)ちこれを敬(うやま)ひ、服惡(あ)しければ則(すなわ)ちこれを侮(あなど)る。禦(ぎよ)侮(ぶ)の意、競(きそ)うてその美を求め、驕(きよう)奢(しや)ここに於(お)いてか長(ちよう)ず。豈(あ)にただ然(しか)りとなすのみならんや。貴(き)賤(せん)その等(ひとしき)を失(うしな)ひて、禮(れい)俗(ぞく)壊(やぶ)れ、士(し)民(みん)その貧(まずしき)を患(うれ)ひて、德(とく)義(ぎ)廢(すた)れ、驕(きよう)奢(しや)その欲を縦(ほしいまま)にして、禍(わざわい)亂(みだれ)興(おこ)る。凡(およ)そかくの如(ごと)きの類(たぐい)、その害(がい)勝(つ)げて計(はか)るべからず。これ皆(みな)衣(い)冠(かん)制(せい)なくして、文(ぶん)物(ぶつ)足らざるが故(ゆえ)のみ。かつや今の卿(けい)大(たい)夫(ふ)は、祭(さい)祀(し)典(てん)禮(れい)の時に當(あた)りては、或(あるい)は尚(なお)能(よ)くその冠(かんむり)を冠(かん)し、その服を服すけれども、而(しか)も騶(すう)從(じゆう)輿(よ)隷(れい)の屬(ぞく)、裳(しよう)を褰(かか)げ衣を掲(かか)げ、臀(しり)腰(こし)掩(おお)はず。大いにその手を掉(ふる)ひ、高くその足を踏み、疾走(しつそう)して威を示し、狂(きよう)呼(こ)して行(ぎよう)を装(よそお)ふ。慣れて風(ふう)をなし、忸(な)れて俗(ぞく)をなす。

 それゆえ、武士や庶民においても、その身に着けている衣服を見れば、裕福な人々は「帛(はく)(高価な絹織物)」で着物を仕立てるが、貧しい人々は「布(麻(あさ)や葛(くず)・当時は安価だったと思われる)」で着物を仕立てる。裕福な人々はいつも美しく着飾り、貧しい人々はいつも貧相な格好をしている。本来、身に着けている衣服で地位や職業を区分するのが礼楽制度であるが、今では貧富の差を区分しており、礼楽制度が適切に用いられていない。
 論語に「敝(やぶ)れたる縕(おん)袍(ぽう)を衣(き)て、狐(こ)貉(かく)を衣(き)る者と立ちて恥じざるは/自分は破れた綿入れの衣服を着ながら、豪華な毛皮の衣服を着たお偉いさんと並んでも、悠然として恥ずかしがらずにいられるのは(、まぁ、わたしの一番弟子である子路だけだろうなぁ。子路はボロボロの服を着て、立派な服を着ている地位の高い人と並んでも、けっして恥ずかしいとは思わない、豪傑であったなぁ。)」とあるが、このような豪傑は滅多に現れない。
 大(おお)方(かた)の人は、自分の見(み)窄(すぼ)らしい格好を恥ずかしいと思い、裕福になりたいと思っている。裕福になりたいと云う欲望には限りがないので、いつまで経っても自分の経済力や地位に満足できない。求めてばかりで足るを知らないので、終には窮(きゅう)することになる。
 貧富や尊卑は見た目だけでは判断できない。けれども、立派な服を着ている人は、おそらく立派な人物だろうと推測するから、みんな、その人物を敬う。見(み)窄(すぼ)らしい格好の人は、おそらく怠け者だろうと推測するから、みんな、その人物を軽蔑する。
 実際には見た目だけでは判断できない。しかし、愚かな人々は、見た目だけで判断し、人から侮(あなど)られないようにと表面上の富や名誉を求める。
 このような俗物が世に蔓(は)延(びこ)ると世知辛い社会となる。やがて、貴(き)賤(せん)尊(そん)卑(ぴ)の本来の意義が失われて、礼制による調和が崩れる。貧しい者は破(やぶ)れかぶれになり、裕福な者は驕(おご)り高ぶるようになる。社会の大義が失われ、道徳が乱れる。終には、人災を招き寄せ、謀(む)反(ほん)すら起こりかねない。以上のような社会の弊害は計り知れない。人々を不幸に陥れる。衣裳と冠が制度として行き渡っていないから、文化や経済活動が滞るようになる。
 今の上級役人(武士)は公式行事や式典など公の場では決められた冠や衣裳を身に着けるが、自分は馬に乗り衣裳も馬に載せ、家来を引き連れ、裳(はかま)をたくし上げて手を振っている。その上、馬を嗾(けしか)け疾(しっ)走(そう)させて、権威を誇(こ)示(じ)し、雄(お)叫(たけ)びを上げて行列する。肩で風を切って、偉そうにしている。このような悪しき習慣が何時の間にか大名行列などの風習となり定着していった。嘆かわしいことである。