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山縣大弐著 柳子新論 川浦玄智訳注 現代語訳 その九

人文第三
【この篇、上は高級官僚から下は一般国民にいたるまで正しい文物・制度・礼儀・風俗等が全く乱れてしまったことを嘆いた。(注)】

柳(りゆう)子(し)いはく、人生れて裸なるは天の性なり。貴となく賤となく、蠢(しゆん)蠢(しゆん)としてただ食をこれ求め、ただ欲をこれ遂(と)げ、禽獣と以(もつ)て異(こと)なるなし。ただ鳥と獣(けもの)とは、飛(ひ)走(そう)以(もつ)てその能(のう)を異(い)にし、羽(う)毛(もう)以(もつ)てその文(ぶん)を殊(こと)にし、大小以(もつ)てその類を分(わか)つ。乃(すなわ)ち鱗(りん)介(かい)諸(しよ)蟲(ちゆう)に至るまで、また各(おの)〃(おの)その分あり。譬(たと)へば草木の區(く)して以(もつ)て別(べつ)たるるが如(ごと)し。人は則(すなわ)ち然(しか)らず、飛走(ひそう)の異なるなく、羽(う)毛(もう)の殊(こと)なるなし。鼻(はな)口(くち)その體(たい)を同じうし、手足その形を同じうし、言語その文を同じうし、色その欲を同じうす。それ然(しか)らば則(すなわ)ち等(ひとしく)なく差(さ)なし。貴(き)賤(せん)何ぞ別(わか)たん。故(ゆえ)に強は弱を凌(しの)ぎ、剛は柔を侮(あなど)り、相(あい)害(そこな)ひ相(あい)傷(きずつ)け、相(あい)虐(しいた)げ相(あい)殺(ころ)し、攘(じよう)奪(だつ)劫(きよう)掠(りやく)、固(もと)より親(しん)疎(そ)をこれ論ぜず、また何ぞ少(しよう)長(ちよう)をこれ問(と)はん。ここを以(もつ)て穴(けつ)居(きよ)草(そう)處(しよ)、禽獣と共に死し、草木と並び朽(く)つる者、鴻(こう)荒(こう)の時乃(すなわ)ち爾(しか)り。ただ人は萬(ばん)物(ぶつ)の靈(れい)、靈(れい)なれば則(すなわ)ち神(かみ)、群(ぐん)聚(しゆう)の中、必ず傑(けつ)然(ぜん)たる者ありて、能(よ)く自らその生を遂(と)げ、以(もつ)て人の生に及ぼし、能(よ)く自らその身を養(やしの)うて、以(もつ)て人の身に及ぼし、食を作りてこれに食はしめ、衣(ころも)を作りてこれに衣(き)せ、これに稼(か)穡(しよく)を教へ、これに紡(ぼう)織(しよく)を教へ、用を利(り)し生を厚(あつ)うし、至らざる所なし。則(すなわ)ち人のこれに歸(き)すること、衆(しゆう)星(せい)の北(ほく)辰(しん)に拱(むか)ふが如(ごと)し。

 大(だい)貳(に)先生(柳(りゅう)子(し))はおっしゃった。人が裸で生まれてくるのは天の性(性命/中庸に「天の命ずる、之を性と謂う/人間は心で生きる。これを天命と言う」とある)である。しかし、生物としての人間には、貴(き)賤(せん)の区別はなく、食欲・睡眠欲など様々な欲望を満たして生きていく禽(きん)獣(じゆう)と何ら変わらない。だが、鳥は空を飛び、獣は地を走るように、異なる能力を有している。鳥には羽があり、獣は毛皮を纏(まと)っている。それぞれ形や模様が異なる。禽獣には、大きさによって色々な種類がある。魚類や貝類や昆虫類も同様である。例えば草木にも色々な種類があり、それぞれが、その種類に応じて生息している。生きとし生けるもの全て、そのようにして生息している。
 人間は鳥獣とは異なり、運動能力には大差なく、羽や毛皮を纏(まと)っている人間はいない。顔の形も身体の作りも大差はない。日本人が日本語を話すように、外国人はその国の言葉を話す。また、欲求に応じて同じような声色を使う。何をとっても大差はない。
 それなのに、人間の歴史を省みると、貴賤で人間を差別し、強い者が弱い者を虐(しいた)げ、剛が柔を侮(あなど)り、お互いに害し合い、傷付け合い、虐(しいた)げ合い、殺し合い、奪い合い、払(はら)い除(のぞ)き、退(しりぞ)け、掠(かす)め取ってきたのである。本来ならば、疎(そ)遠(えん)な人でも、親しい人でも、人間としての本質においては何ら区別するものではない。また、年長者でも年少者でも、人間としての本質においては何ら区別するものではないはずである。
 人間と禽獣や草木の違いを歴史的に見ると、人間が穴に住居を構え、禽獣や草木と共存共栄していた太(たい)古(こ)の時代は、禽獣も人間も大差がなかったかもしれない。しかし、人間は万物の霊長(れいちょう)である。人間は神仏とつながっており、文明社会を築くことができる。時には傑出した人物が現れて、天命に則(のっと)って文明の発展に寄与する。傑出した人物は、己の人間性を磨き、他の人々に貢献する。食糧事情を改良し、衣服を普及して、農業技術を発展させ、織物などの産業化を推し進める。文明社会の利便性を高めて、文明の発展に限りなく寄与し続ける。このような傑出した人物の下(もと)には、「譬(たと)えば北(ほく)辰(しん)其(そ)の所に居(お)りて、衆(しゅう)星(せい)之(これ)に共(むか)うが如(ごと)し/例えれば、北極星の回りに多くの星が集まってくるように(論語)」多くの人々が集まってくるのは自然の流れである。

また猶(なお)蚩(し)蚩(し)としてただ食をこれ謀(はか)り、ただ欲にこれ嚮(むか)はば、則(すなわ)ち何を以(もつ)てその貴(き)賤(せん)と親(しん)疎(そ)とを知らんや。故に名以(もつ)てこれを分(わか)ち、君臣となし、父子となし、夫婦となし、長(ちよう)幼(よう)となし、才以(もつ)てこれを分(わか)ち、智(ち)愚(ぐ)となし、賢(けん)不(ふ)肖(しよう)となし、業以(もつ)てこれを分ち、農(のう)工(こう)商(しよう)賈(こ)となす。而(しか)して後(のち)強は弱を凌(しの)ぎ、剛は柔を侮(あなど)り、相(あい)害(そこな)ひ相(あい)傷(きずつ)け、相(あい)虐(しいた)げ相(あい)殺(ころ)し、攘(じよう)奪(だつ)劫(きよう)掠(りやく)の俗(ぞく)やむ。その禮(れい)を制するに因(よ)りて、差(さ)等(とう)分(わか)る。その職を命ずるに因(よ)りて、官制立つ。その服を作るに因(よ)りて、衣冠成る。これを作る者、これを聖といひ、これを述ぶる者、これを賢といひ、これを率いる者、これを君といひ、これに從ふ者、これを公(く)卿(ぎよう)大(たい)夫(ふ)といひ、これに因(よ)る者、これを士といひ、これに化する者、これを民(たみ)といふ。故に上は天子より、下は庶民に至るまで、冠(かんむり)あらざることなく、衣あらざることなし。而(しか)して鳥獣と群れをなさず。これその天性分(わか)つ所あるなくして、夫の制者を待つことあるなり。故に服は身の章(あや)なり。冠(かんむり)は首の飾(かざり)なり。身に章(あや)なく、首に飾(かざり)なき、これを蠻(ばん)夷(い)の俗といひ、以て聖人の民に別(わか)つ。今それ日(じつ)月(げつ)の照らす所、舟車の通ずる所、この人あらざるなし。而(しか)してその風化の及ぶ所、この文を同じうし、この章(あや)を同じうし、而(しか)して後(のち)能(よ)くその制を承(う)け、能(よ)くその徳を被(こうむ)るなり。

 無知で凡(ぼん)庸(よう)な人間が、食べることだけ考え、欲望のままに生きていたら、貴(き)賤(せん)と親(しん)疎(そ)を区分することはなかったであろう。やがて人間は進化して、上下貴賤(じょうげきせん)の別を、君(くん)臣(しん)・父(ふ)子(し)・夫婦・長(ちょう)幼(よう)と区分するようになった。また才能の別を、智(ち)愚(ぐ)・賢(けん)不(ふ)肖(しょう)と区分するようになった。さらに業務の別を、士農工商と区分するようになった。
 以上のような区分を制度化すれば、強い者が弱い者を虐(しいた)げることはなくなり、剛が柔を侮(あなど)ることもなくなる。また、お互いに害し合い、傷付け合い、虐(しいた)げ合い、殺し合い、奪い合い、払(はら)い除(のぞ)き、退(しりぞ)けて、掠(かす)め取ることもなくなる。上下貴賤(じょうげきせん)の区分を礼楽制度として取り入れれば、社会の調和が実現する。職業の別を区分すれば、官民の制度が整う。職業の区分に応じた衣裳と冠(かんむり)(地位や階級を示す)を定めれば、一目で貴賤の区分が見分けられる。
 以上のような社会制度を創作した人を聖人、具現化した人を賢人、制度が普及すべく庶民を指導する人を君主、君主に仕える人を公(く)卿(ぎょう)大(たい)夫(ふ)、公卿大夫に仕える人を士、以上の人々に導かれて制度の恩恵を受ける人を庶民と云う。
 それゆえ、上は天子(天皇陛下)から、下は庶民に至るまで、礼楽制度に従っている。各々その職業や地位の区分に応じて、衣冠の制度に従っているのである。だから、人間は生まれた姿のままで飛び回っている禽獣とは異なる。各々天から授(さず)かった性命には、根本的な違いはないが、君に仕える者として、衣裳は職業の区分を証明するものであり、冠(かんむり)は地位を装飾するものである。
 決まった衣裳を着ていない人、冠を被(かぶ)っていない人を野蛮人と云う。聖人が考えた社会制度から逸脱した存在である。今の世の中を見渡すと、太陽が照る所や船や馬車が通る所に野蛮人は見当たらない。天皇の大御心が及ぶ所は、文化、詩歌(しいか)を同じくして、あらゆる制度の恩恵を賜(たまわ)り、その仁徳に温かく包まれている。