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山縣大弐著 柳子新論 川浦玄智訳注 現代語訳 その十八

 且(か)つ大(だい)商(しよう)の富(とみ)に於(お)けるや、居(きよ)貨(か)萬(まん)もて計(はか)り、奴(ぬ)婢(ひ)十(じゆう)もて數(かぞ)ふ。家(か)宝(ほう)器(き)用(よう)、錦繍珠玉(きんしゆうしゆぎよく)、皆(みな)我(わ)が足(た)らざる所にして、而(しか)して彼は則(すなわ)ち餘(あま)りあり。ここを以(もつ)て封君首(ほうくんくび)を俛(ふ)し、敬(けい)すること父兄の如(ごと)し。先王(せんおう)の命ずる所の爵(しやく)位(い)安(いづ)くにありや。德義の教(おしへ)輟(や)む。これ他(ほか)なし、官(かん)その制(せい)なければなり。それ農は能(よ)く百穀(ひやつこく)を播(ま)き、春(はる)耕(たがや)し秋(あき)穫(か)り、草(そう)處(しよ)露(つゆ)宿(やど)し、手足胼胝(へんちい)、作(さく)役(やく)して以(もつ)て上に奉じ、餘(よ)力(りよく)以(もつ)て父母及び妻子を養ひ、亹々(びび)として怠(おこた)らざる者なり。それ人(ひと)食(しよく)なければ則(すなわ)ち生きず。貴(たつとき)は王公たり、富は四(し)海(かい)を有(たも)つも、しかもその司令をなす者は、農に非(あら)ずや。故(ゆえ)に先(せん)王(おう)司(し)農(のう)の職を命じ、男に稼(か)穡(しよく)を勧(すす)め、女に紡績(ぼうせき)を教へ、税斂(ぜいれん)を薄くして以(もつ)てこれを富まし、力(ちから)役(やく)を省(はぶ)きて以(もつ)てこれを安(やす)んじ、これを親しみこれを愛し、鰥(かん)寡(か)咸(みな)その德を被(こうむ)れり。後世(こうせい)は則(すなわ)ち然(しか)らず。

 しかも、大商人の経済力の大きさは、その住居は豪(ごう)華(か)絢(けん)爛(らん)、保有している財産は山のように沢山あり、使用している下男下女、召使いは十人を超えている。家宝のような器を沢山用いて、錦(にしき)と刺(し)繍(しゆう)でできた立派な織物を身に付け、真珠や宝石を沢山身に纏(まと)っている。何一つ不自由のない豊かな生活を謳(おう)歌(か)しており、まるで無限のように沢山の資産を保有している。
 以上のようであるから、お殿様といえども、大商人が保有する富の力には太(た)刀(ち)打(う)ちすることができない。父兄を尊崇(そんすう)するように大商人を持ち上げている。
 歴代天皇が詔(みことのり)した爵位は一体どうなってしまったのであろうか。道徳に基づく義の教え(何事も大義を立てることの必要性を説く教え)は失われてしまった。道徳が社会の中から葬られてしまった。それゆえ、幕府や各藩が所管する「役所」においてすら規則や制度が整備されていない有様である。
 ところで、農民について考えると、あらゆる種類の穀物の種を蒔き、春になれば田畑を耕して、秋になれば収穫する。露(つゆ)が宿(やど)るような草(くさ)葺(ぶき)きの家で、手足を労して刈り取った農作物をお上(かみ)に納め、残った農作物で家族(父母や妻子)を養い、怠ることなく勤勉に働き続ける。人間は、食べなければ生きていくことができないから、大商人と云えども農民の働きに感謝しなければならないはずである。
 その点、貴いのは天皇陛下のご存在である。日本は周囲を海で囲まれている風光明媚で農作物が沢山収穫できる自然豊かな島国だが、農耕技術が未発達だった。それゆえ、天照大御神に始まる神代の時代から神武天皇による肇(ちよう)国(こく)を経て歴代天皇陛下に至るまで、代々農耕技術を開発して、民に農業技術を普及した。その上、男性を農業生産に従事させ、女性は動植物の繊維を加工して糸を紡ぐ仕事に従事させた。生産性を高めた上で税金はできるだけ少なくして、民の生活水準を豊かにした。
 歴代天皇陛下は民を大(おお)御(み)宝(たから)としてその幸せを祈り続けた。民に過大な力仕事を担わせないように努力して、民が安心して生活できるように導いた。民に親しみ、民を愛して、夫婦は勿論のこと、未婚の男女やあらゆる人々が、天皇陛下の恩恵を賜った。しかし、武家が実権を握るようになってからは、天皇陛下の慈愛が民に届きにくくなり、民は以前のように幸せではなくなった。

 磽(こう)确(かく)の地、斥(せき)鹵(ろ)の田、日にその力を竭(つく)し、才(わず)かに儋(たん)石(せき)を得れば、則(すなわ)ち姦(かん)吏(り)その利を争ひ、税する所は什(じゆう)に六七、調(ちよう)庸(よう)と併(あわ)せ收(おさ)め、盡(つく)さざればやまず。偶(たまた)ま肥(ひ)壌(じよう)の入(はい)る所、以(もつ)て食に當(あ)つべきものあれば、則(すなわ)ち畫(かく)してこれを計(はか)り、校(こう)してこれを正し、課(か)役(えき)と並び賦(ふ)し、竭(つく)さざれば措(お)かず。窮(きゆう)乏(ぼう)死に至るも、曾(かつ)て回(かい)顧(こ)せず。それかくの如(ごと)くなれば、則ち土に肥(ひ)瘠(せき)なく、歳(とし)に豊(ほう)歉(けん)なく、凍(とう)餒(だい)相依り、遂(つい)にその業を廢(はい)し、計盡(つ)き術窮(きわ)まれば、則(すなわ)ち販(はん)鬻(いく)して末を逐(お)ふ者あり。奔(ほん)走(そう)して食を乞(こ)う者あり。散じて溝(こう)壑(がく)轉(てん)ずる者あり。亡命して竊盗(せつとう)する者あり。劫(こう)略(りやく)して相(あい)殺(ころ)す者あり。人愈〃(いよいよ)少くして、地愈〃(いよいよ)荒る。負(ふ)郭(かく)二(に)頃(けい)の田、收(おさ)むる所は斗(と)升(しよう)に過ぎず。加ふるに水(みず)旱(ひでり)の災(わざわい)を以(もつ)てすれば、則(すなわ)ち手を束(たば)ねて斃(たお)るるを俟(ま)つ者あり。故(ゆえ)に民(たみ)の閭(りよ)巷(こう)にあるや、善く鬻(ひさ)ぐ者は富み、善く耕す者は饑(う)う。これを先王(せんおう)の典(のり)に視(くら)ぶれば、豈(あ)に異ならずや。

今は、やせ細った大地、塩分を含んだ不毛の土地を、田畑にすべく努力して耕作して、やっと僅かな量の米穀を収穫できるようになったとたんに、無慈悲な役人たちが税収を確保しようと躍起になって、収穫量の六~七割を税として民から吸い上げてしまう。民の手元にはほとんど残らない。民が頑張って農産物を生産すればするほど税金として吸い上げられてしまう仕組みである。偶然、肥沃で農産物がよく収穫できる土地が見つかれば、計画的に農地として開(かい)墾(こん)して、区画など土地を整備して移住希望者を募集して、農産物を沢山生産させ、重税を課す。重税ゆえ、死ぬほど一生懸命働いて農産物を沢山生産しなければ、生活できない状況に追い込み、過労で亡くなるようなことがあっても、重税を課したことを反省しない。
 以上のような状況だから、肥沃な土地でも痩せた土地でも、年寄りや若者が、凍えたり飢えたりしながらも、お互いに助け合って頑張るが、終には農業を止めるしか選択肢がなくなる。二進も三進も行かず、どうすればよいかと思いかねて、家財を売って補っても足りず、終には田畑を売ってやりくりするしかなくなるほど追い込まれる人も少なくない。あちらこちらを駆け回って食べ物を恵んでもらい命をつなぐ人、散々苦労して谷間に転ずるように堕落する人も少なくない。借金などで首が回らなくなり夜逃げして窃盗などの犯罪に手を染める人もいる。物を奪うために他人を脅迫したあげくに殺人事件を引き起こしてしまう人もいる。
 以上のような有様なので、村落からは人がどんどんいなくなり、せっかく開拓した田畑は荒れ果ててしまう。
 お城に近くて肥沃な田んぼが二百畝(うね)(一反の十分の一、約一アール)あったとしても、収穫したお米はほとんど税として吸い上げられてしまうので、手元に残るお米は一升の枡(ます)に過ぎない。そのような重税に加えて干ばつなどの自然災害に見舞われれば、打つ手はなくなり、飢えて倒れるのを待つだけとなる。民衆の生活を俯瞰すると、熱心に商売を行っている人々は豊かになっているが、熱心に田畑を耕している人々は飢えて貧しくなっている。古の歴代天皇陛下が民を大(おお)御(み)宝(たから)として慈しんだ政治の在り方と比べて、何と云う違いであろうか。