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山縣大弐著 柳子新論 川浦玄智訳注 現代語訳 その四十

 則(すなわ)ち闇(やみ)者(しや)は益(ます)〃(ます)闇(やみ)に、愚(ぐ)者(しや)は益(ます)〃(ます)愚(ぐ)にして、亡(ほろ)びんこと旦(たん)夕(せき)にあり。而(しか)して自らこれを知らざるなり。それ大木の折(お)るるや、必ず蠹(きくいむし)を通ずるに由(よ)る。大(おお)堤(づつみ)の壊(くず)るるや、必ず隙(すき)を通ずるに由(よ)る。而(しか)してこれに加(くわ)ふるに疾(しつ)風(ぷう)暴(ぼう)雨(う)を以(もつ)てせざれば、則(すなわ)ち折(お)れず壊(くず)れず。然(しか)れども風雨なきを以て、その蠹(きくいむし)隙(すき)を危(あや)ぶまざる者は、愚(ぐ)の至りなり。且(か)つそれ馬を渴(かつ)してこれを馭(ぎよ)す、眞(まこと)に能(よ)くこれを馭(ぎよ)するに非(あら)ざるなり。水草を得れば則(すなわ)ち逸(いつ)せん。虎を饑(き)してこれを伏(ふ)す、眞(まこと)に能(よ)くこれを伏(ふ)するに非(あら)ざるなり。肥(ひ)肉(にく)を見れば則(すなわ)ち猛(たけ)からん。これただに馬と虎とのみならざるなり。鳥窮(きゆう)すれば則(すなわ)ち啄(ついば)み、獣(けもの)窮(きゆう)すれば則(すなわ)ち攫(つか)む。尺(せき)蠖(かく)の屈(くつ)するは、以(もつ)て伸びんことを求むるなり。龍(りゆう)蛇(だ)の蟄(ちつ)するは、以(もつ)て身を存(そん)するなり。この時に當(あた)りてや、英(えい)雄(ゆう)豪(ごう)傑(けつ)、或(あるい)は身を殺して仁(じん)を成(な)し、或(あるい)は民(たみ)を率(ひき)ゐて義に徇(したが)ふ。忠(ちゆう)信(しん)智(ち)勇(ゆう)の士、誘(ゆう)掖(えき)賛(さん)導(どう)し、以(もつ)て天下を扇動せば、則(すなわ)ち饑(き)者(しや)の食に就(つ)き、渴者(かつしや)の飲(いん)に就(つ)くが如(ごと)く、奮(ふん)然(ぜん)として起こり、靡(び)然(ぜん)として從ひ、勢(いきおい)自(みずか)ら禦(ふせ)ぐべからざるものあらん。寃(えん)を洗(あら)ひ恥を雪(そそ)ぐの心、恩に感じ報を圖(はか)るの志、勇を奮(ふる)ひ義を勵(はげ)まさば、則(すなわ)ち放(ほう)伐(ばつ)の易(やす)き、蠹(こ)を通ずるの木、隙(すき)を通ずるの堤(つつみ)にして、しかもこれに加(くわ)ふるに疾(しつ)風(ぷう)暴(ぼう)雨(う)を以(もつ)てする者といふべし。

 すなわち、物事に通じておらず何をやっても灯(あか)りを見いだせない暗(あん)愚(ぐ)な為政者は益々暗愚になり、愚(おろ)かで救いようのない愚(ぐ)昧(まい)な為政者は益々愚かになる。今日の朝、或(ある)いは夕方に国家や社会が亡びても不思議ではない状況にまで差し迫っている。
 それなのに、暗愚な為政者はそのような状況の中に置かれていることすら認識していない。大体において大(たい)木(ぼく)が折(お)れるときには、木(き)食(く)い虫が何(い)時(つ)の間にか大木の内側に入り込んで内側から木を食べ尽くすのである。大規模な堤防が壊(かい)滅(めつ)するのも、堤防の隙(すき)間(ま)から亀(き)裂(れつ)が入って広がり、豪雨や洪水などによる水圧によって壊滅するのである。けれども、堤防の隙間に亀裂が入っても、台風の疾(しつ)風(ぷう)と豪雨などによって水圧が加えられなければ壊滅せずに平常の姿を保っている。だからといって、台風などによる疾風と豪雨がないことを前提にして、堤防の隙間から生じた亀裂を修復しないような為(い)政(せい)者(しや)は愚(ぐ)の骨(こつ)頂(ちよう)である。
 他の事に例えれば、水を与えず喉(のど)が渇ききった馬に乗ってこの馬を馭(ぎよ)そうとしているようなものである。どうして水を与えず喉が渇ききった馬を乗り熟(こな)すことができようか。喉が渇ききった馬が水や草を見つければ、馭者を振り落としてでも水分を補給することを最優先するであろう。また、虎を御そうとして、捕らえて餌を与えないようなものである。飢えた虎が肥えた肉を身に付けた獲物を見つければ、猛々しく獲物に襲いかかるであろう。馬や虎だけではなく動物に飲食を与えなければ、みな、同じような行動に出るであろう。小さな鳥でも飲食を与えなければ食べられそうな物を探して一生懸命くちばしでつつくであろうし、獣に飲食を与えなければ必死で獲物を目指して狩猟するであろう。
 易経・繋辞伝に「尺(せき)蠖(かく)の屈するは、以(もつ)て伸びんことを求むるなり。龍(りゆう)蛇(だ)の蟄(ちつ)するは、以て身を存(そん)するなり。/尺取り虫が身を屈するのは、次に伸びようとするためである。龍や蛇が冬の寒い土の中に潜んでいるのは、それによって身を保とうとするためである。(以上の現代語訳は、黒岩重人著「全釈易経下」)」とある。
 何か目的を持って事を行う場合は、英雄豪傑たる者、ある時は、「身を殺して仁を成す。/時には命をすてても人徳を成しとげる(以上の現代語訳は、金谷治訳注「論語」)」。ある時は、民衆を率いて正しい道に順う。
 英雄豪傑の呼びかけに応じて忠信(忠実と信頼)と智勇(智恵と勇気)を備えた武士が、民衆を教え導き、民衆が順って、天下国家を良い方向に動かそうとする気運が生じれば、まるで飢えに苦しんでいる人々が食糧を求め、水を摂ることができない人々が水を求めるように、世の中を変えていく大きな流れができる。
 英雄豪傑と忠信と智勇を備えた武士の教えに導かれれば、民衆は勇気や気力を取り戻して自ら奮い立つ。草木が風になびくように天下国家は良い方向に向かって行き、自らの意志によって自主独立する勢いが盛んになる。無実の罪を洗い清めて羞恥心を取り戻し、これまで天下国家を紡(つむ)いでくださった先人や祖先の恩に感謝の念を抱くようになる。報恩感謝の志を掲げて、勇気を奮って正しい道を励行する。
 以上のようであれば、悪政を続けて武士や民衆を困窮させている幕府を放伐(して皇国を復活)することも難しいことではない。放伐とは、蠹(きくいむし)が内側に入り込んだ大木や隙間から亀裂が生じた堤防に疾(しつ)風(ぷう)と豪雨などによって圧力を加え(て、大木を折り、堤防を決壊させ)ること(倒幕すること)である。

 ここに至りて始めて嚮(ひび)きのいはゆる泰(たい)山(さん)の安(やす)き、ただに幕(ばく)燕(えん)の危(あやう)きのみならざるを知るなり。これその損益する所以(ゆえん)の理(ことわり)、蓋(けだ)し見るべく、而(しか)して存(そん)亡(ぼう)の機(き)、これに關(かん)せり。故(ゆえ)に國家を有(たも)つ者、無益を以て有益を害せざれば、則(すなわ)ち人(じん)君(くん)の事(こと)畢(おわ)る。昔、衞(えい)公(こう)鶴を愛す。軒(のき)に乗る者あり。その難あるに及んで、民(たみ)皆(みな)從(したが)はず。乃(すなわ)ちいはく、君(きみ)鶴を使へと。今人(じん)君(くん)の愛好する所、また皆(みな)將(まさ)に然(しか)らんとす。それかくの如(ごと)くにして、自ら悟らざる者は何ぞや。聚(しゆう)斂(れん)の臣(しん)、これが欲(よく)を輔(たす)け、貪(とん)汙(お)の吏(り)、これが非を飾り、道義の言(げん)をして、耳に入るを得ざらしむ。故(ゆえ)に智力益(ま)す所なく、德性養ふ所なきなり。古(いにしえ)の人、目の自ら見るに短(たん)なる、故(ゆえ)に鏡を以(もつ)て面(めん)を觀(み)、智の自ら知るに短なる、故(ゆえ)に道を以(もつ)て己を正しうす。人(じん)君(くん)の學(まなび)は、身に六(りく)藝(げい)の文を修むるにあらず、口に百(ひやつ)家(か)の言(げん)を誦(しよう)するにあらず。苟(いやしく)も道の信ずべきを知らば、ここに足らん。それ道の信ずべきを知らば、則(すなわ)ち道を知る者至(いた)らん。至りてこれを信ぜば、姦(かん)賊(ぞく)將(ま)た何によりて興(おこ)らん。國(くに)に姦(かん)賊(ぞく)なければ、則(すなわ)ち天下の難(なん)やまん。
 
 放(ほう)伐(ばつ)と云う段階に至って、泰山の安らぎの上に居ると錯覚していた幕府が、実は、「燕(つばめ)が幕の上に巣を作るように安心して身を置けない(注)」ような危ない状況にあることを認識する。放伐によって悪政を断ち切ることが、民衆と損益を共有するための理論的な根拠となる。為政者にはよくよく考えて欲しい。国家存亡の危機は放伐と無関係ではない(国家存亡の危機だから放伐が求められている)。天下国家を統治する為政者が、民衆に有益な(民衆を益する)ことは何も実行せず、無益な(民衆が損する)ことばかりを実行すれば、もはや、為政者としての資格はない。
 昔、次のような話があった。「古代中国の衞(えい)と云う国の懿(い)公(こう)と云う王さまが、鶴を愛し車に乗せていた。えびすが衞(えい)を伐(うつ)ってきたとき、武器を渡された部下の者たちはみな鶴を使え、鶴は立派な禄位を持っている、我々を使う必要はないではないかと戦うことを拒否した。衞はついにえびすに滅ぼされた(注)」。
 この話から、「為政者が臣下や民衆を慈愛すれば、臣下や民衆は為政者と共に天下国家を守ろうとするが、為政者が臣下や民衆のことを慮らず、自分の趣味嗜好に耽(たん)溺(でき)すれば、臣下や民衆は天下国家を守ろうとしない」ことがわかる。
 当たり前と云えば当たり前のことである。今の為政者は、どうしてこんな当たり前のことが分からないのだろうか。
 厳しく租税を取り立てる臣(しん)下(か)(聚(しゆう)斂(れん)の臣)は、幕府の将軍や各藩のお殿さまが私利私欲を追求するのを補佐し、心が汚くて欲深い役人(貪(とん)汙(お)の吏(り))は、自分の過(あやま)ちを誤(ご)魔(ま)化(か)して言い訳をする。道義的な言葉は全く耳に入らない。だから智恵を身に付けることはできず、人徳者になれるはずもない。
 昔の人々は、自らの短所を自分の目で見ることができないので、鏡に自分の短所を映し出し、短所を補うべく知恵を身に付けることの必要性を知っていた。だから、人としての道を全うしようと努力して自分の行動を正すことができた。
 天下国家を治める為(い)政(せい)者(しや)として学ぶべき事は、「書(しよ)経(きよう)・詩(し)経(きよう)・易(えき)経(きよう)・春(しゆん)秋(じゆう)・礼(らい)記(き)・学(がく)記(き)(六(りく)藝(げい)の注)」と云った帝王学を身に付けることだけではない。古代中国の「春(しゆん)秋(じゆう)・戦国時代に登場した諸(しよ)子(し)百(ひやつ)家(か)(注)」の言葉を巧みに操(あやつ)ることでもない。かりそめにも為政者たる者、人の道を全うすることの大切さを理解して、自ら実践していなければ、為政者としての資格はないのである。
 為政者が人の道を全うすることの大切さを知り、自ら実践して範を示せば、人の道を全うすることを信じる人々が現れるであろう。多くの人々が人の道を全うするようになれば、姦(かん)賊(ぞく)(極(ごく)悪(あく)非(ひ)道(どう)の罪を犯す輩(やから))もいなくなるであろう。天下国家から姦(かん)賊(ぞく)がいなくなれば、天下国家から災難は一(いつ)掃(そう)されるであろう。
 
駒嶽(こまがたけ)の陽、鬴(ふ)水(すい)の曲(くま)、吾(わが)家(や)これに居(お)る。六世(せい)なり。享(きよう)保(ほ)の初(はじめ)、數〃水患(かずかずのすいかん)を被(こうむ)り、修(しゆう)築(ちく)及ばず。因(よ)りてその宅(たく)を移し、故(こ)地(ち)には種(う)うるに菽(しゆく)麥(ばく)を以(もつ)てせり。畝(うね)間(ま)に偶(たまた)ま一(ひとつ)の石(いし)函(ばこ)を得たり。中に錢(せん)刀(とう)を藏(かく)す。皆(みな)元(げん)明(めい)以上に鑄(い)たりし所の者なり。函(はこ)底(ぞこ)に一(いち)古(こ)書(しよ)あり。題して柳(りゆう)子(し)新(しん)論(ろん)といふ。腐(ふ)爛(らん)の餘(あまり)、披(ひ)閲(えつ)するに便(べん)ならず。先(せん)人(じん)乃(すなわ)ち一本を謄(とう)寫(しや)せり。凡(およ)そ十(じゆう)三(さん)篇(ぺん)。常(じよう)時(じ)既(すで)に校(こう)定(てい)を歷(へ)たりし者ありといふ。後(のち)廿(にじゆう)餘(よ)歳(ねん)、先(せん)人(じん)歿(ぼつ)せり。余(よ)得(え)てこれを讀むに、その言(げん)政(せい)體(たい)の可否を論ぜり。間(ま)〃(ま)取るべき者あり。また憤(ふん)勵(れい)の語(ご)多(おお)し。意(おも)ふに中(ちゆう)葉(よう)以降の作ならんか。その耶(や)蘇(そ)幾(き)何(か)の類(たぐい)を斥(しりぞ)くるを觀(み)るに、蓋(けだ)しまた織田氏の時にあらんか。これを國(こく)史(し)傳(でん)記(き)に按(あん)ずるに、勝(しよう)國(こく)以(い)上(じよう)、柳(りゆう)を姓(せい)とせる者、一(いつ)にして足らず。則(すなわ)ちまた未(いま)だ何(なに)人(びと)の爲(つく)る所なるかを定むべからざるなり。余(よ)且(しば)らく衰(すい)亂(らん)の際(さい)に、尚(なお)能(よ)くこの人あり、またこの文あり、而(しか)して湮(いん)滅(めつ)ここに至(いた)れるを惜(お)しむ。ただ先(せん)人(じん)の手(しゆ)澤(たく)存(そん)するを以(もつ)て、これを外人に示すことを憚(はばか)る。ここに於(お)いて更(さら)に一本を繕(ぜん)寫(しや)して副(ふく)となし、共(とも)にこれを巾(きん)笥(し)に藏(かく)す。庶(こい)幾(ねがわく)は良友の論(ろん)定(てい)を俟(ま)って、以(もつ)て永(えい)世(せい)の家(か)藏(ぞう)となさんことを。

  寶(ほう)暦(れき)己(き)卯(ぼう)春二月                 峡(きよう)中(ちゆう) 山(やま)縣(がた)昌(まさ)貞(さだ)識(しき)

 甲斐駒ヶ岳を照らす太陽の光と、釜無川のうねるような水の流れに恵まれた土地に我が家は居住している。我が家はわたしで六代目となるが、享保(西暦千七百十六年から千七百三十六年)のはじめに何度も釜無川決壊による水害を被って修築しても復元できなくなった。よって住居を移転して旧宅跡には豆と麦を植えたところ、その畝(うね)と畝(うね)の間の低い所から偶然に一つの石でできた頑丈な箱を見つけた。開けて箱の中を見ると、古代の貨幣が保管されていた。いずれも元(げん)明(めい)天皇(西暦七百十二年古事記完成時の女帝・第四十三代天皇・天(てん)智(ぢ)天皇の皇女)よりも以前の時代に鋳(ちゆう)造(ぞう)された貨幣(和(わ)同(どう)開(かい)珎(ちん))である。その箱の底には一つの古書が隠してあった。古書の題名は「柳子新論」と書いてある。
 長年経過して腐りただれている状態で、本を開いて見ることもままならない。そこで、父・山三郎がその古書を書き写して残しておいた。凡そ十三篇から成っており、既に誰かがこの古書を校定(書物の字句などを検討して文章を確定)していた。父が亡くなってから二十数年後、わたしがこの古書を読んでみると、幕府の政体(政治体制)の是非に対する考えが書いてある。時々、政体の是非に対して取捨選択している箇所がある。また、気力を奮い起こして書いている言葉が多い。推測すると中世以降に書かれた書ではないだろうか。
 その論調がキリスト教や幾(き)何(か)学(がく)など外来の宗教や学問を受け入れていないところを観ると織田信長が活躍していた室町・戦国時代の頃に書かれたものではないだろうか。日本国の歴史や偉人伝に照らして考えると、武田が甲斐国を治めるようになってから「柳(りゆう)」の字を姓に用いた人は沢山いるので、古書を書いた「柳(りゆう)子(し)」と称する人を特定することはできない。世の中が衰え乱れた状態が続いていた時に「柳(りゆう)子(し)」と称する人がこの文章を書いたのであろう。そして、以上のような事情を察して父はこの古書がくさりただれて読めなくなってしまうことを惜しんだのであろう。しかし、わたしの祖先が長い年月をかけて隠してきた古書なので、安易に身内以外の人々にこの古書の存在を知らせることは憚(はばか)られる。そこで、更にこの古書を一つ書き写して副本を作り、正本と一緒に手文庫(布張りの小箱)に保管しておく。今後良き友人が現れ、この古書に書かれている内容の是非を論じて評価が定まるのを待ち、永遠の家宝となることを心から願っている。

  宝(ほう)暦(れき)九年(西暦千七百五十九年)己(き)卯(ぼう)春旧暦二月  峡(きよう)中(ちゆう)在住 山(やま)縣(がた)昌(まさ)貞(さだ)