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抜粋「現代語訳(超意訳) 呑象高島嘉右衛門著 増補 高島易斷 上下巻 占例篇」 沢風大過

2022年6月2日

二八 沢風大過 ・|| ||・

大過、棟橈。利有攸往。亨。
□大過は、棟(むなぎ)橈(たわ)む。往く攸有るに利し。亨る。
 大過は上下二陰、真中四陽、上下両端が弱く、真中の強さに耐えかねる形で倒壊の危機。だが巽は巽順な性質、兌は和悦する性質、陽剛九二と九五には中庸の德がある。剛中にして巽順に謙り、和悦する美德を以て倒壊の危機を救うべく進み往くがよい。すらっと通る。
彖曰、大過、大者過也。棟橈、本末弱也。剛過而中、巽而説行。利有攸往。乃亨。大過之時大矣哉。
□大過は大なる者過ぐる也。棟(むなぎ)橈(たわ)むとは、本末弱ければ也。剛過ぎたれども中し、巽にして説(よろこ)びて行く。往く攸有るに利し。乃ち亨る。大過の時、大なる哉(かな)。
 大過は上下二陰(小なる者)、真(まん)中(なか)四陽(大なる者)、大なる者の力が強過ぎる。
 倒壊の危機。上下両端が弱く、真(まん)中(なか)の強さに耐えかねる形である。四陽は強過ぎるが、九二と九五は中庸の德を備えて、巽順に謙り、和悦する美德を以て進み行く。倒壊の危機を救うべく進み往くがよい。すらっと通る。大過の時は、何と偉大であろうか。
象曰、澤滅木大過。君子以獨立不懼、世遯无悶。
□沢、木を滅するは、大過なり。君子以て独立して懼(おそ)れず、世を遯(のが)れて悶(もだ)ゆる无し。
 木を潤(うるお)し養う沢の水が、木を浸(おか)し木が枯れようとしている形。
 世の中が乱れ、正しい道が滅びようとしている時。
 君子は、毅然と独立して懼(おそ)れることなく、世を遯(のが)れて悶(もだ)えることもない。

 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての原文の一部。
(占)、人才集リテ無事ニ苦シミ、諺ニ云フ、船頭多くして船を山へ上ぐるノ恐レアルノ時トス、又小金ヲ所有シテ、大金ナル物品ヲ買フコトヲ約束シ、・・・
 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての現代語訳。
(占)才能ある人々が集まって、無事を維持することに苦労する。
 諺(ことわざ)に云う「船頭多くして船山へ上がる」という時。
 また、小(こ)金(がね)しかないのに、大(たい)金(きん)の物品を購入することを約束したが、お金を調達できず、手付け金を損する失策を犯しかねない時。軽はずみに動いてはならない。
○全体を観ると、大洪水の起こりかねない時である。我も彼も大きな困難に遭遇する。
○背中を合わせている象。あらゆる事が背き合う。
○心の中で夢が大きく膨らむが、行いは右往左往して定まらない時。
○心身ともに安定せずに、後悔することがある。
○柔らかいものを用いれば無事、強いものを用いれば大事に至る。
○分に過ぎたことを望む。 ○双方(両側)に破れて、分かれる。
○張り裂けて、外に破れ出るという状況。
○証文(契約文書等)を取り交わす時。 ○物価は下がる。

大過 初六 ・|| ||・

初六。藉用白茅。无咎。
□初六。藉(し)くに白(はく)茅(ぼう)を用(もち)う。咎无し。
 潔白(けつぱく)な茅(ちがや)を祭器の下に敷くように恐懼戒慎する。それゆえ咎を免れる。
象曰、藉用白茅、柔在下也。
□藉(し)くに白(はく)茅(ぼう)を用(もち)うとは、柔、下に在る也。
 恐懼戒慎する。初六が陰柔にして最下の位に居るからである。

 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての原文の一部。
(占)、我身柔ニシテ剛ニ對ス、敬愼ニシテ、損順ナルベシ、又大事ヲ思ヒ立ツノ時トス、蟻穴能ク堤ヲ壊ル、必ズ心ヲ小ニシテ、過ナカランコトヲ要ス、・・・
 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての現代語訳。
(占)自分の心身は柔らかく、剛健の相手に立ち向かって行く。慎みと敬(うやま)いの心を忘れずに巽順であるべきである。大事なことを思い立つ時。蟻の穴は堤を破壊する力がある。必ず小さな事に心を配って過ちの無いように用心すべきである。人は謀(はかりごと)を好むが、成功するかどうかは天のみが知る。大事を成そうとする人は、必ず天地・神仏をお祭りして、そのご加護を得るべきである。
○人に捕らえられて自由に動くことができず、困窮して苦しむ。
○謙譲の心と畏れ慎む心を常に抱けば、問題は降りかかってこない。
○両(もろ)刃(は)の剣の形。血を見る象もある。

 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占例の原文の一部。
(占例)明治元年、東久世中將鍋島肥前守、官軍ノ先鋒トシテ、横濱ニ下向セラレ、舊幕府(中略)余ニ嚮導及周旋ノ事ヲ托セラル、余乃チ筮シテ、大過ノ初爻ヲ得タリ、・・・
 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占例の現代語訳。
(占例)明治元年、東(ひがし)久(く)世(ぜい)中将・鍋(なべ)島(しま)肥(ひ)前(ぜん)守(のかみ)が官軍の先(せん)鋒(ぽう)として、横浜に下(げ)向(こう)された時、旧幕府は神奈川奉行から横浜を治めていた。佐賀藩はわたしが頻繁に出入りしていた所であるから、官軍と旧幕府の間に入って、色々な事務作業に関わっていた。その時、佐賀藩の藩士である下村三郎右衛門が兵士百人を率いて、浦賀を治めよと命令を受け、わたしに道案内と斡旋を託された。そこで、占筮したところ大過の初爻を得た。
 易斷は次のような判断であった。
 大過は、兌の口が外卦、人に背を向けて談判している。全体を観れば、四つの陽爻が中で連帯して、二つの陰爻が上下にある。剛壮の士(サムライ)が、氣力盛んにして大きな過ちを引き起こす象。
 今、浦賀には、開(かい)陽(よう)回(かい)天(てん)など六艘(そう)の軍艦が碇(てい)泊(はく)している。旧幕府から脱走してきた士(サムライ)数千人がそれらの軍艦に搭乗して、浦賀の与力や同心も、士(サムライ)に応じていると聞く。よって、兵士を率いて、浦賀を治めようとするのは、薪を背負って火の中に入るようなものである。
 初爻の爻辞にある「藉(し)くに白(はく)茅(ぼう)を用(もち)う」とは、柔らかいものが、剛(つよ)いものに立ち向かわずに、事を成し遂げられると云うことである。「白(はく)茅(ぼう)」は潔白な者だから、昔の祭祀においては、これを敷き、酒を注いで、神様のご加護を得た。
 だから、潔白と慎み敬う心によって、相手に接し、剛壮の敵が力を用いることを封じ、柔よく剛を制するように、浦賀の海門の咽(の)喉(ど)を治めることが上策である。
 大過は、全体の勢いに着目すべき時である。よって、「浦賀では、事に処するに僅か十数人を偵察役として送り込み、民間人を装って事前に様子を窺うべきである」と易断した。
 以上の易断に基づき、下村氏にどうやって浦賀を治めるかを説明したところ、下村氏はその通りに対処した。すなわち、武器を持たずに、十五人を偵察役として出張させ、無事に浦賀を治めたのである。