毎日連載! 易経や易占いに関する情報を毎日アップしています。

期間限定「現代語訳(超意訳) 呑象高島嘉右衛門著 増補 高島易斷 上下巻 占例篇」 火澤睽 二

睽 六三 |・| ・||

六三。見輿曳。其牛掣。其人天且劓。无初有終。
□六三。輿(くるま)の曳(ひ)かるるを見るに其(そ)の牛は掣(せい)、其の人は天且(か)つ劓(ぎ)。初めなくして終り有り。
 角が上下に曲っている牛を御している正応上九を、額に入れ墨があり鼻を切られた罪人と勘違いする。始めは上九を敬遠するが、やがて疑念は氷解して上九と親しみ合う。
象曰、見輿曳、位不當也。无初有終、遇剛也。
□輿(くるま)の曳(ひ)かるるを見るとは、位当(あた)らざれば也。初めなくして終り有りとは、剛に遇(あ)えば也。
 上九を罪人と勘違いする。過ぎたる位(過剛)に居て、目が曇っているのである。やがて親しみ合う。上九に遇って疑念が解けたのである。

 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての原文の一部。
(占)思ハザル點ヨリ、災ヲ醸スコトアルベシ、然レドモ一時ノ過誤ヨリ起リタル者ナレバ、後漸ク消解スルノ占トス、人、此爻ニ遇フトキハ、事ニ關ラザルヲ可トス、
 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての現代語訳。
(占)思ってもいなかった理由で、災難を招き寄せることがあるが、一時的な誤解が原因なので、やがて解決する。
○この爻が出た時は、何事にも関わらないことが望ましい。

 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占例の原文の一部。
(占例)一日東京ノ友人某來リ、予ニ謂テ曰ク、僕舊功アル某貴顕ヨリ、一時ヲ依托セラレタリ、其事ノ吉凶如何請フ、之ヲ筮セヨト、乃チ筮シテ、睽ノ第三爻ヲ得タリ、・・・
 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占例の現代語訳。
(占例)東京から友人がやって来て、「昔、功績を上げたある貴人から一つのことを委託されたのだが、その吉凶を占ってほしい」と頼まれたので、筮したところ睽の三爻を得た。
 易斷は次のような判断であった。
 睽は自分(下卦兌)は沢の水ゆえ下に降り、相手(上卦離)は火の性質ゆえ上に昇る。
すなわち、依頼者である貴人と依頼を受けた君との関係はギクシャクしている。睽は自分と相手が背き合う時である。だが男女関係は別で、お互いに志が通じ合う。だから彖伝に「睽(けい)は、火動きて上(のぼ)り、沢動きて下(くだ)る。上卦離(火)が上に進み、下卦兌(沢水)は下に進む。お互い向かうところが異なり背き合う形」と云い、「男女睽(そむ)きて其(その)志通ずるなり。男女も時に反発し、相交わって子孫が繁栄する」と云う。
 また、睽の卦德については「説(よろこ)びて明に麗(つ)き、柔進みて上り行き、中を得て剛に応ず。是(ここ)を以て小事は吉。「悦んで(兌)明に麗く(離)」という性質があり、柔順な天子六五が中庸の德を得て剛健な家臣九二と志を通じている。全体を和合一致させることはできないが、柔順な天子と剛健な家臣が志を通じて、小事は成就する」と云っている。
以上のことから、君にあることを委託した貴人は、婦人を使いとして君に頼んできたのではないだろうか。婦人を通して君に何かを伝えようとしているのかもしれない。「小事は吉」の意味をよくよく考えた方がよいだろう。爻辞には「輿(くるま)の曳(ひ)かるるを見るに其(そ)の牛は掣(せい)、其の人は天且(か)つ劓(ぎ)。初めなくして終り有り。角が上下に曲っている牛を御している正応上九を、額に入れ墨があり鼻を切られた罪人と勘違いする。始めは上九を敬遠するが、やがて疑念は氷解して上九と親しみ合う。」とあるが、牛は陰であり人に制御される存在である。婦人もまた陰であり男性に制御される存在である。
 睽の時は、五爻(上位)の貴女が二爻(下位)の男子に身を任せて、上下逆さまである。このことを「輿(くるま)の曳(ひ)かるるを見るに其(そ)の牛は掣(せい)」と云うのである。よって、君がこの委託を受けると、婦人が絡んだ事件が起こり、貴人から責められて、面目を失い、多大な損失を出して、過ちを償うことになる。このことを「其の人は天且(か)つ劓(ぎ)。額に入れ墨があり鼻を切られた罪人」と云うのである。一つの委託を受けたばかりに、このような顛末に巻き込まれる。このことを「初めなくして終り有り」と云う。
 貴人の委託を受ければ、凶運を招くことは以上のように明らかである。君は決して委託を受けてはならないと易断した。
 友人は易占を深く信じていなかったので、この易占に従わなかった。
 終には、この易占で示したような顛末に巻き込まれて、大いに後悔したのであるが、幸い、この易占を事前に聞いていたので、途中で身を引いて大事には至らなかったと云う。

睽 九四 |・| ・||

九四。睽孤。遇元夫、交孚。厲无咎。
□九四。睽(けい)孤(こ)なり。元(げん)夫(ぷ)に遇(あ)い、交(こも)々(ごも)孚(まこと)あり。厲(あやう)けれども咎无し。
 六五と六三に近づくが、六五は九二、六三は上九と正応ゆえ相手にされない。孤立無援。己の志がねじ曲がっていたことを反省して、本来応ずるべき初九の賢人に面会する。
お互い真心から交わって親しみ合う。危ない立場であったが、咎を免れる。
象曰、交孚、无咎、志行也。
□交(こも)々(ごも)孚(まこと)あり咎无しとは、志行わるる也。
 真心から交わって親しみ合う。咎を免れる。私心を滅して公に奉じ、志に沿って行動するのである。

 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての原文の一部。
(占)此爻身高位ニ在ルモ、親戚舊故少ナク、且ツ我意ニ強キヲ以テ、衆ニ嫌ハレ、除けものトナルノ象アリ、故ニ憂慮絶エズ、且不滿ノ事多カルベシ、・・・
 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての現代語訳。
(占)地位は高いが、縁者は少なく、自己中心的なので、下々に嫌われて孤立無援。心配事は絶えずに不満も多い。
○真心を大事にして、柔和に人と接すれば、その人德に惹かれて、支援してくれる人が現れる。
○部下に助けられる(部下の支援を得る)時である。

 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占例の原文の一部。
(占例)明治二年十二月、晦、予海軍省蒸氣船飛龍丸ヲ拜借シ、支那米ヲ積載シ、南部宮古ニ向ヒテ出帆ス、予乗船ニ際シ、筮シテ、睽ノ第四爻ヲ得タリ、・・・
 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占例の現代語訳。
(占例)明治二年十二月、わたしは海軍の蒸気船「飛龍丸」を借りて支那から輸入した米を積んで、南部藩の宮古に向かって出航した。
 乗船してからの運勢を占って、筮したところ睽の四爻を得た。
 わたしは常に、何か事に臨む時には占筮して運氣を予測している。四爻の爻辞に「咎无し」とあるので、乗船してからの運勢については、何も心配しなかった。乗船してしばらくすると多忙な日々を忘れて、ゆったりと過ごした。そして、南部藩で父と共に過ごした昔のことに思いを馳せた。その頃、宮古の阿波屋いた「すえ」という芸者と親しくしていたことを思い出した。そこで、宮古に着いたならば久しぶりに「すえ」と再会しようと思い、居ても立ってもいられない気持ちになった。蒸気船は迅速なはずのに、気持ちが先行して、遅々として進まない。宮古に着いたら、さっそく「すえ」を招いて、船長や士官にも引き合わせよう、きっと吃(びつ)驚(くり)するだろう。などと一人で考えて心の中で喜んでいた。船長や士官の顔を見ては、その時のことを想像してニヤニヤしたり、夜も眠れないほどウキウキした。年も明けて一月三日の夜十時頃、宮古港に到着した。お米が届いたので役場の人々が船に乗り込んできた。その中に面識のある人が二人いたので、再会したことを喜び合い、宿の手配をお願いしてから、阿波屋の「すえ」に、わたしが来たことを伝えて、宿まで来るように伝えてもらうことにした。
 それから、船長をはじめ士官十数名と宿に行き、芸者を呼んで酒宴を催した。その席でたびたび「すえ」はどうした、「すえ」はまだかと、宿の人を叱りつけると、「はいはい」と答えるのに、いくら待っても「すえ」の姿は見えない。夜も更けて、酔っぱらう者や眠る者も出て来て、そろそろ酒宴も終りにさしかかった頃、わたしは大きな声で「すえ」はどうしたと叫んだところ、「わたしは、先刻からここにいますよ」と老婆が答えた。わたしは老婆を見て吃驚して開いた口がふさがらなかった。よく考えれば「すえ」と別れてから二十年近く経つ。昔の「すえ」が、そのまま現れるはずもないのだ。それにしても老いたものだと、その後の話を聞くと、大きな病を患い、縁故もないので、昆布やスルメを干して細々と暮らしていると云う。まことに哀れな話を聞いて、世の浮き沈みを噛み締めた。
そして「すえ」の今後を思って、宮古が凶作なので、「すえ」のために支那米二十俵分の小切手を置いてきた。「すえ」は深く喜んで頭を深く下げて帰って行った。
 爻辞の「睽(けい)孤(こ)なり。元(げん)夫(ぷ)に遇(あ)い、交(こも)々(ごも)孚(まこと)あり。厲(あやう)けれども咎无し。六五と六三に近づくが、六五は九二、六三は上九と正応ゆえ相手にされない。孤立無援。己の志がねじ曲がっていたことを反省して、本来応ずるべき初九の賢人に面会する。お互い真心から交わって親しみ合う。危ない立場であったが、咎を免れる」という辞が、そのまま当て嵌まる。

睽 六五 |・| ・||

六五。悔亡。厥宗噬膚。往何咎。
□六五。悔(くい)亡(ほろ)ぶ。厥(その)宗(そう)、膚(ふ)を噬(か)む。往(ゆ)きて何の咎あらん。
 九四の大臣に邪魔されて、賢臣九二と直ぐに親しむことができない。公の席で九二と腹を割って話せないので、悔いが残る。やがて九二と横町で会見し、柔らかい肉を噬(か)むように深く交わり和合する。悔いることはなくなる。事を進めて何の問題があろうか。
象曰、厥宗噬膚、往有慶也。
○厥(その)宗(そう)、膚(ふ)を噬(か)むとは、往(ゆ)きて慶(よろこび)有る也。
 六五が九二と深く交わり和合する。事を進めれば大いなる喜びがある。

 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての原文の一部。
(占)此爻目下ノ賢人、我ヲ助ケテ、難事ヲ處理スルノ時ナリ、又政府ニシテ或ハ大臣輔相ノ官邸ヲ宮中ニ設ケ置キ、夜中ト雖モ、容易ニ機事ヲ通ズルコトヲ得ルノ象アリ、・・・
 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての現代語訳。
(占)賢い部下に助けられて、困難な事に対処する時である。
○政府や官邸のような公的な機関が、神社の境内に出張所を設けて、夜中であっても機密情報を入手しようとする。爻辞に「主(しゆ)に巷(ちまた)に遇(あ)う。咎无し。六五の天子が横町の陋(ろう)屋(おく)に出向いて九二と謁(えつ)見(けん)する。お互いに志を通じ合う」とある二爻と応じているからである。

 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占例の原文の一部。
(占例)明治二十三年春、當年ノ衆議院ヲ占フテ、乃チ筮シテ、睽ノ第五爻ヲ得タリ、
 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占例の現代語訳。
(占例)明治二十三年の春、当年の衆議院を占って筮したところ睽の五爻を得た。
 易斷は次のような判断であった。
 上卦離火は上に昇り、下卦兌沢の水は下に降る。お互い背き合う時。国家に当て嵌めると、上卦は政府。政府は火のように明るい智恵(明智)を有しており、欧米各国の文明を取り入れて、文明開化を進めようとしている。その進め方は民力を超えて、急進的に過ぎる。まるで火がどんどん上に昇って行くようである。下卦の民衆は、農業・工業・商業に従事しており、政府が進める文明開化の中で流通するようになった新しい商品やサービスを消費して、少しずつ贅沢になってきている。民衆は、着るものや身に付けるものを新調するなど出費が嵩み、生計が苦しくなっている。下卦兌沢の水が下に降る。上卦離火は上に昇り、下卦兌沢の水は下に降る。お互い背き合うのである。
 二人の女性がいたとする。一人の女性は、必要な商品はどんどん買いたいと思っている。もう一人の女性は、必要な商品でも、家計を圧迫するものは買うべきではないと思っている。二人の女性は言い争うようになる。これも睽の時である。それゆえ彖伝に「二女同じく居(お)り、其(その)志、行(おこない)を同じくせず。一つの家に中女(離)と少女(兌)が同居して、志と行動が異なり背き合う」と云う。政府と民衆、二人の女性が背き合って、大変な社会になる。新聞紙上を賑わして、人間社会においては一大事だが、天のように大局的な視点で観察すれば、小事である。それゆえ卦辞・彖辞に「睽(けい)は、小(しよう)事(じ)は吉。睽は上卦離(火)は上に進み、下卦兌(沢水)は下に進む。お互いの意志が正反対を向いて背き合う時だが、明らか(離)に悦ぶ(兌)性質によって、小事は成就する」と云う。
 けれども、国家の文明が進化すること(文明開化)を、望まない人はいない。文明が進化しなければ、日本は、独立を維持することができないし、欧米列強と対等に交際することもできない。このことは誰もが理解している。民衆は政府が文明開化を進めることに賛成している。このことを、彖伝に「説(よろこ)びて明に麗(つ)く。悦んで(兌)明に麗く(離)という性質がある」と云う。
 今、六五の君主(離の文明・明智・明德を具えている)は、九四の大臣を従え、上九の顧問官を相談役に置き、さらに九二の議員に國政を任せ、上下の意思が通じて、立憲政治の基礎は固まっている。このことを、彖伝に「柔進みて上り行き、中を得て剛に応ず。柔順な天子六五が中庸の德を得て剛健な家臣九二と志を通じている」と云う。
 睽の時を熟知して、時に中れ(適切に対処する)ば、災難を招き寄せることはなく、利益を得ることもできる。天地の道は陰陽背き合っている時でも、万物造化の働きが制止しているわけではない。男女背き合っている時でも、子孫繁栄の働きが途絶えるわけではない。天地宇宙あらゆる存在が、背き合ったり交わったりして、生成発展しているのである。睽の時をこのように考え・活用すれば、何も心配することはない。
 爻辞に「悔(くい)亡(ほろ)ぶ。厥(その)宗(そう)、膚(ふ)を噬(か)む。往(ゆ)きて何の咎あらん。九四の大臣に邪魔されて、賢臣九二と直ぐに親しむことができない。公の席で九二と腹を割って話せないので、悔いが残る。やがて九二と横町で会見し、柔らかい肉を噬(か)むように深く交わり和合する。悔いることはなくなる。事を進めて何の問題があろうか」とある。「悔(くい)亡(ほろ)ぶ」とは、心配するには及ばないと云うことである。「厥(その)宗(そう)」は、本家のこと。すなわち民衆は国の根本である。
上に居る六五の政府が、下に居る九二の議員に対して「厥(その)宗(そう)」と言っているのは、政府として民衆を大切にしていることの現れである。
 以上のようであるから、「膚(ふ)を噬(か)む。柔らかい肉を噬(か)むように深く交わり和合する」ように、スムーズな流れで衆議院の議事は進んで、議論はまとまる。このことを「厥(その)宗(そう)、膚(ふ)を噬(か)む。往(ゆ)きて何の咎あらん。やがて九二と横町で会見し、柔らかい肉を噬(か)むように深く交わり和合する。悔いることはなくなる。事を進めて何の問題があろうか」と云う。
 以上の易占を、ひと言で表現すれば、「案ずるよりも産むが安し」と云うことである。

睽 上九 |・| ・||

上九。睽孤。見豕負塗、載鬼一車。先張之弧、後説之弧。匪寇婚媾。往遇雨則吉。
□上九。睽(けい)孤(こ)なり。豕(いのこ)が塗(どろ)を負い、鬼を載(の)すこと一(いつ)車(しや)なるを見る。先には之(これ)が弧(ゆみ)を張り、後には之が弧(ゆみ)を説(と)く。寇(あだ)に匪(あら)ず婚(こん)媾(こう)なり。往きて雨に遇えば則(すなわ)ち吉。
 睽の極致で人に背(そむ)くこと甚だしい。正応六三も正比六五も受け入れず、孤立無援。六三を豚が泥を背負っているように汚らわしく思い、六三が乗っている車には汚らわしい幽霊が沢山いるように見える。弓を射って六三を殺そうとするが、冷静に観察したら誤解していたことに気付き、弓を射るのをやめる。
 六三は汚らわしくなどない。理想的な結婚相手である。結婚して子宝を得るがよい。
象曰、遇雨之吉、群疑亡也。
□雨に遇うの吉は、群(ぐん)疑(ぎ)亡(ほろ)ぶれば也。
 結婚して子宝を得るがよい。誤解に気付き、親しみ和して、互いに疑念が消滅する。

 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての原文の一部。
(占)人ノ上ニ立ツ者、世ノ人情如何ヲ解スル能ハズ、例ヘバ我レ人ヲ疑フトキハ、人モ亦我ヲ疑フ、能ク此理ヲ了悟シテ疑念ヲ消散シ誠意ヲ以テ遍ク人ニ交ルベシ、・・・
 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての現代語訳。
(占)上に立ちながら、下々の心情を知らない。人を疑うことなく、誠実な気持ちで、多くの人々とお付き合いすべきである。
○誠実な気持ちで、多くの人々とお付き合いできれば、今までは苦手だった人とも、打ち解けて合って、親しくお付き合いできる。
○時間をかければ事を成し遂げられる。何事も急いではならない。
○理屈を言ったり、相手を論破してはいけない。慎みなさい。

 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占例の原文の一部。
(占例)東京ノ大家某氏ノ夫人其令嬢ヲ伴ヒ、余ガ別荘を訪ヒ來リテ曰ク、妾ガ良人頃日氣鬱疾ヲ得テ、日夜快々醫藥効ナク、殆ド數旬ニ亘ル、(中略)現今ニ於テ實ニ痛心焦慮スル所ナリ、請フ幸ニ之ヲ筮セヨト、余沈默筮ヲカゾフルニ、睽ノ上爻ヲ得タリ、・・・
 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占例の現代語訳。
(占例)東京在住のある有名人の婦人が令嬢を連れて、わたしの別荘を訪ねて来て、次の二つを占ってほしいと依頼された。
 一つは、夫の鬱病が治らず、婦人や妾が心配している。
 もう一つは、娘婿の品行に問題があり、将来が心配なこと。
 そこで、二つを占って筮したところ睽の上爻を得た。
 易斷は次のような判断であった。
 睽は上卦離火は中女で、下卦兌沢は少女である。離火の性質を有する中女(婦人に例えている)は物事に詳しい博識な人、沢水の性質を有する少女(令嬢に例えている)は水が滞るように目の前の流行に幻惑されて物事に通じない人である。二人の女性の気持ちは相反している。離の中女(婦人)が進めば、兌の少女(令嬢)は退く。女性(婦人と令嬢)は本来家の中の事は心配するが、家の外の事はあまり関心がなく、衣食住に不満がなければ、それに満足して安心してしまい、その結果、家政が傾くことがある。男性(ご主人)は只管(ひたすら)(ひたすら)社会に出て働き、世の中を憂い、後輩を育て、やがては天下国家のために尽くそうとする。家の中のことには無頓着、あるいは忙しくて気が回らない。
 女性と男性の違いは昼と夜、天地の関係、陰陽の関係。睽の時は家族が和合しない時。姉妹が同居して、それぞれ反対に向かって行く時。家長(ご主人)が厳しく戒めてもほとんど効果がない。ご主人はそのことを苦しみ悩んで、遂に鬱病になった。
 それゆえ、彖伝に「睽(けい)は、火動きて上(のぼ)り、沢動きて下(くだ)る。二女同じく居(お)り、其(その)志、行(おこない)を同じくせず。上卦離(火)が上に進み、下卦兌(沢水)は下に進む。お互い向かうところが異なり背き合う形。一つの家に中女(離)と少女(兌)が同居して、志と行動が異なり背き合う形」と云う。
 そこで、貴女とお嬢さんには、よく考えてもらいたい。道德的に考えれば、お嬢さんは子供として親に従わなくてはならない。貴女は知識も経験も豊富だが、お嬢さんは知識も経験も不足している。以上のことから、家の中において、お嬢さんが貴女に従わなくてはならない。お嬢さんが反省して、お母様の貴女に従えば、貴女はお嬢様を愛らしく思い心が安定する。心が安定すれば、ご主人を気遣う時間も増える。気遣う時間が増えれば、ご主人の病気も回復に向かうと易断した。
 このことを、彖伝に「説(よろこ)びて明に麗(つ)き、柔進みて上り行き、中を得て剛に応ず。悦んで(兌)明に麗く(離)という性質があり、柔順な天子六五が中庸の德を得て剛健な家臣九二と志を通じている」と云う。病気はまだ重くないので「小事は吉。柔順な天子と剛健な家臣が志を通じて、小事は成就する」と云う。

(二つ目の心配「娘婿の品行に問題があり、将来が心配なこと」に対しては、次のように書いてある。)
 睽の上爻が出たのは、お嬢さんとお婿さんとの夫婦関係がギクシャクしていることを表している。夫婦間がギクシャクしていれば、そこに疑いが生ずる。一旦、疑いが生ずれば、疑いが疑いを招き、あらゆることを疑うようになる。そこで「睽(けい)孤(こ)なり。豕(いのこ)が塗(どろ)を負う。睽の極致で人に背(そむ)くこと甚だしい。正応六三も正比六五も受け入れず、孤立無援。六三を豚が泥を背負っているように汚らわしく思う」と云う。
「睽(けい)孤(こ)なり」とは、人情の機微を理解できないので、孤立無援に陥っている人である。「豕(いのこ)」とは、愚鈍でデリカシーのない人である。今、お嬢さんは、夫のことを疑い、豚が不潔な落とし穴に陥っているように、品行不正で見るに堪えないと妄想している。お婿さんのことを、わたしはよく知っている。学識も人間性も人並み以上の人物だと思う。それなのに、占ってこのような結果となったのは、お嬢さんの猜疑心を映し出したのである。
 易占で予測すると、お婿さんが芸者遊びをするので、お嬢さんは疑うようになったようだ。だが、芸者は政府も公認する存在なので、芸者遊びをすることを悪いことと捉えない方がよいと思う。わたしも時々芸者遊びをすることがある。貴女のご主人(お嬢さんのお父さま)は、厳格な君子人だから、芸者遊びをしないが、それは、世間では珍しいことである。ご主人と比較すれば、誰もが自堕落な人間に見えてしまう。極上の着物と普通の着物を比べれば、普通の着物が劣って見えるようなものである。そのような尺度で評価されたら、たまったものではない。このことを「鬼を載(の)すこと一(いつ)車(しや)なるを見る。豚が泥を背負っているように汚らわしく思い、六三が乗っている車には汚らわしい幽霊が沢山いるように見える」と云う。
 お嬢さんは猜疑心のあまり、お婿さんと別れたいと思っている。
 新しいお婿さんをもらっても同じことを繰り返す。結局は別れることになる。今のお婿さんを信じて、夫婦生活を続ければ、やがて結婚してよかったと思えるようになる。このことを「先には之(これ)が弧(ゆみ)を張り、後には之が弧(ゆみ)を説(と)く。寇(あだ)に匪(あら)ず婚(こん)媾(こう)なり。弓を射って六三を殺そうとするが、冷静に観察したら誤解していたことに気付き、弓を射るのをやめる。六三は汚らわしくなどない。理想的な結婚相手である」と云う。また、「往きて雨に遇えば則(すなわ)ち吉。六三は汚らわしくなどない。理想的な結婚相手である。結婚して子宝を得るがよい」とは、仲睦まじい夫婦になると云うことである。お嬢さんが奥さんとしての役割を全うすれば、幸せを招き寄せることができる。
 これまでは貴女(婦人)とお嬢さん(令嬢)の気持ちが背き合っていたので、家庭内が不和となり、生真面目なご主人は、精神的に不安定となり、ご主人は遂に鬱病になってしまった。お嬢さんは貴女(婦人)に従い、貴女はお嬢さんを愛(いと)おしく思ってご主人に接すれば、主人の鬱病は治る。また、お婿さんが自然に芸者遊びを控えることを、静かに待つべきだと易断した。
 婦人も令嬢も共に家柄の良い貴婦人なので、易占の示したメッセージに感服して、これまでの悩みは解消した。その後、易占のメッセージを戒めと心得て、家族円満となり、ご主人の鬱病も治ったのである。