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期間限定「現代語訳(超意訳) 呑象高島嘉右衛門著 増補 高島易斷 上下巻 占例篇」 水天需

五 水天需 ・|・ |||

需、有孚。光亨。貞吉。利渉大川。
□需(じゆ)は、孚(まこと)有り。光(おおい)に亨(とお)る。貞(てい)なれば吉。大(たい)川(せん)を渉(わた)るに利(よろ)し。
 需(じゆ)は孚(まこと)(坎)が剛健(乾)な性質に支えられている。孚(まこと)は光のように隅(すみ)々(ずみ)を普(あまね)く照らしてすらすら通る。道を守れば幸を得る。難事業に取り組むがよい。
彖曰、需須也。険在前也。剛健而不陥。其義不困窮矣。需有孚、光亨、貞吉、位乎天位、以正中也。利渉大川、往有功也。
□需(じゆ)は須(ま)つ也。険(けん)前に在(あ)るなり。剛健にして陥(おちい)らず。其(そ)の義困(こん)窮(きゆう)せず。需は孚(まこと)有り、光(おおい)に亨(とお)る、貞(てい)なれば吉とは、天(てん)位(い)に位(くらい)するに、正(せい)中(ちゆう)を以てするなり。大(たい)川(せん)を渉(わた)るに利(よろ)しとは、往(ゆ)きて功(こう)有るなり。
 需(じゆ)は待つ時。乾(剛健)が進もうとするが、坎(険難)が立ち塞(ふさ)がって容易に進めない。乾(剛健)は泰(たい)然(ぜん)と時が至るのを待つから険難には陥らない。天命を素直に受け容れるから困(こん)窮(きゆう)することもない。孚(まこと)が剛健な性質に支えられて光のように隅々を照らしすらすら通る。道を守れば幸を得る。九五が剛健中正の德を備えているからである。難事業に取り組むがよい。時が至るのを待って行動すれば成功する。
象曰、雲上於天需。君子以飲食宴樂。
□雲、天に上(のぼ)るは需(じゅ)なり。君子以て飲食宴楽(えんらく)す。
 雲が天高く上がり慈(じ)雨(う)を待っているのが需(じゆ)の形。
 君子は、悠(ゆう)然(ぜん)と身心を養(やしな)い、慈(いつくしみ)の雨を待つ。

 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての原文の一部。
(占)常ニ心力ヲ養ヒ沈重ニシテ五爻ノ時ノ至ルヲ待ツベシ、篤實ニシテ常ヲ守リ謙和ニシテ信アルモノハ自然ニ幸福ヲ得ベシ、事ヲ急ギ難ヲ冒シテ目前ノ利ヲ求メント欲スレバ却テ迷惑ヲ來スコトアルベシ、愼ムベシ・・・
 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての現代語訳。
(占)常に心を磨き、人間として成長するように努力して、冷静沈着で落ちついた精神を常に保てるように心がけるべきである。五爻の時に至るのを泰然と待つべきである。常に篤実と謙遜を心がけ、調和を重んじ、人々からの信頼が厚い人は、自然に幸福を得る。
事を急いで無理を重ね、目先の利益を求めれば、困ったことが起こる。慎まなければならない。
○進もうとすれば、険阻坎難に遭遇する。今は、直ちに進んではならない。何事も時が至るのを待つべきである。
○万事、成功するまでに時間がかかる。時が至るのを待っていれば、(五爻に至れば)終に成し遂げることができる。
○正しさを忘れ、慎む心を失えば、大きな困難に遭遇する。
○大きな志を抱いて、時が至るのをゆったりと待つ時である。
○競争は不可。 ○節操を守る時。 ○頭痛がする時。

需 初九 ・|・ |||

初九。需于郊。利用恆。无咎。
□初九。郊(こう)に需(ま)つ。恆(つね)を用ふるに利(よろ)し。咎(とが)无(な)し。
 上(じよう)卦(か)坎(かん)水(すい)(険難)から最も遠い所で時が至るのを待つ。六四の所へ妄(もう)進(しん)せず常の道を全うして、時を待つがよい。身を誤ることはない。
象曰、需于郊、不犯難行也。利用恆、无咎、未失常也。
□郊(こう)に需(ま)つとは、難を犯して行かざるなり。恆(つね)を用ふるに利(よろ)し。咎(とが)无(な)しとは、未(いま)だ常(つね)を失わざるなり。
 最も遠い所で待つ。危険を冒して進むことなく、時が至るのを待つ。常の道を全うして、時を待てば、身を誤ることはない。待つ時に安んずれば、常の道を失わない。

 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての原文の一部。
(占)進マントシテ前途ニ妨ゲアリ、時機ノ至ルヲ須ツ、宜シク我本業ニ安ンジテ猥ニ進ムベカラズ、動ヲ好テ静ヲ嫌ヒ急ニ進テ利ヲ博セント欲スレバ、此占ニ反シテ禍ヲ取ルベシ、能ク動静ヲ考ヘテ常ヲ守ルベシ・・・
 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての現代語訳。
(占)進もうとするが、前途に妨害が待ち受けていることを知り、時機が到来するのを待っている。よく本業に安んじて、妄りに進んではならない。動くことを好んで、静止することを嫌い、利益を求めて、急進すれば、災いを招き寄せる。動くべき時、静かにすべき時のタイミングをよくよく考えて平常心を保つべきである。
○時が至らないのに、強引に事業を企画して実行すれば険難に陥って後悔する。とくに新規事業は大失敗する。

 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占例の原文の一部。
(占例)友人横濱ノ商左右田金作氏來リ告ゲテ曰ク、爰ニ或ル事業ノ會社アリテ、其利益甚ダ多キ見込ナリ、余ハ之ニ入社セント欲ス、請フ前途ノ吉凶ヲ占ハンコトヲト、乃チ筮シテ需ノ初爻を得タリ・・・
 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占例の現代語訳。
(占例)横浜で商売をしている友人の左(そ)右(う)田(だ)金作氏がやって来て、「わたしが知っている会社が、ある事業を計画して大きな利益を見込んでいる。わたしはこの会社に介入しようと思っているが、この会社の将来の吉凶を占ってほしい」と頼まれた。
 そこで、占ったところ、需の初爻を得た。
 易斷は次のような判断であった。
 需の卦は、内卦の乾は陽剛の性質を有しているから、財政力があると考えられる。外卦の水は高い所から低い(卑しい)所に降ってくるという性質を有する。しかも険難に遭遇する。つまり、その会社は、現在険難な出来事に遭遇しており、危険な状態にあるので、株主から資金を集めて、対処しようとしている。
 よくその会社の状況を見極め、財政状態を把握して、大丈夫と判断できたら介入するがよい。これが需の時に処する方法である。
 彖伝に「需(じゆ)は須(ま)つ也。険(けん)前に在(あ)るなり。剛健にして陥(おちい)らず。需(じゆ)は待つ時。乾(剛健)が進もうとするが、坎(険難)が立ち塞(ふさ)がって容易に進めない。乾(剛健)は泰(たい)然(ぜん)と時が至るのを待つから険難には陥らない」と云う所以である。
 初爻の爻辞に「郊(こう)に需(ま)つ。上(じよう)卦(か)坎(かん)水(すい)(険難)から最も遠い所で時が至るのを待つ」とあるが、郊は街外れの地で危険からは遠い所である。今(初爻の段階で)は、株式を購入せず、介入して共倒れになるリスクを避けるべきである。
 五ヶ月後には(九五の時に至れば、危険な状態を脱出して)、会社の運氣は盛大になるから、しばらく様子を見て、時機の到来を待ち、(ここぞというタイミングで)株式を購入するべきだと易断した。
 それから五ヶ月後、易断の通りとなったのである。

需 九二 ・|・ |||

九二。需沙。少有言、終吉。
□九二。沙(すな)に需(ま)つ。少しく言(げん)有れど、終(つい)には吉なり。
 上卦坎水(険難)に近付く。妄(もう)進(しん)せずに河原(かわら)の砂浜で待つ。周(まわ)りの人から「勇気がない」「進歩がない」と批判・中傷されるが、終には幸を得る。
象曰、需于沙、衍在中也。雖少有言、以終吉也。
□沙(すな)に需(ま)つとは、衍(ゆたか)にして中(ちゆう)に在るなり。少しく言(げん)有りと雖(いえど)も、吉(きつ)を以(もつ)て終わる也。
 妄(もう)進(しん)せずに河原(かわら)の砂浜で待つ。従(しよ)容(うよう)和(わ)楽(らく)して批判・中傷に惑わず、寛大でゆったりと時に中る。「勇気がない」「進歩がない」と批判・中傷されるが泰(たい)然(ぜん)として動かず、終には幸を得るのである。

 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての原文の一部。
(占)有爲ノ才アルヲ以テ速ニ事ヲ成サント欲スレドモ、前途ニ妨ゲアルヲ察シ、止マリテ時ヲ需ツモノナリ、已ニ第三爻ハ進ミテ災ニ罹リシガ・・・
 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての現代語訳。
(占)何事も為し遂げる才能があるので、事を成そうとするが、前途に妨害が待ち構えていることを察知し、止まって時が至るのを待つ。九三は進んで行って災難を招き寄せるが、九二は九三よりも坎険から離れており、また思慮深いので災難を免れる。火事が隣の家まで燃え広がったが、わが家は火事の延焼から免れたようなものである。
○寛大な心で、従容と時が至るのを待てば、終には吉運が得られる。
○今は友だちと言い争ってはならない。やがて、自分の意のままに事が運ぶようになる。
○言い争えば敗れる。言葉を慎むべきである。
○無理して事を成そうとすれば、財産を失うなどの損害を招く。

 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占例の原文の一部。
(占例)友人永井泰次氏、北海道ヲ商人某ニ貸與セシ金アリテ、既ニ返濟ノ期限ヲ過ギタレドモ、何ノ音信ナキヲ以テ、其返濟ヲ督促スレドモ、亦何ノ回報モナシ、因テ自ヲ彼ノ地ニ赴カント欲シ、其成否ヲ占ハンコトヲ請フ、乃チ筮シテ需ノ第二爻を得タリ・・・
 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占例の現代語訳。
(占例)友人の永井泰次郎氏が北海道の商人にお金を貸した。
 期限が過ぎたので催促したが何の返事もない。北海道に赴いて返済を迫ろうと思っているが、その可否を占ってほしいと頼まれた。
 そこで、占ったところ、需の二爻を得た。
 易斷は次のような判断であった。
 需は、自分は泰然と坐っていながら時が到来するのを待っている。自分から進んで目的地に行ってはならない。
 彖辞(卦辞)に「需(じゆ)は、孚(まこと)有り。需(じゆ)は孚(まこと)(坎)が剛健(乾)な性質に支えられている」とあるのは、永井氏がお金を貸した北海道の商人は、故意に期限が過ぎたのにお金を返済しないわけではない、と云うことである。
 期限が過ぎても返済しないのは、よほどの理由があるからだ。おそらく、その商人は事業において何らかの紛争に巻き込まれており、東奔西走しているのだろう。
 このことを「少しく言(げん)有れど。周(まわ)(まわ)りの人から「勇気がない」「進歩がない」と批判・中傷される」と云う。
 四ヶ月経てば(五爻に至れば)、その商人は、必ずお金を返済する。このことを「終(つい)には吉なり。終には幸を得る」と云う。
 友人の永井氏は、この易断に従って、返済を迫ることをやめて、しばらく待っていた。果たして、四ヶ月後、その商人はお金を返済した。

需 九三 ・|・ |||

九三。需于泥。致寇至。
□九三。泥(どろ)に需(ま)つ。寇(あだ)の至(いた)るを致(いた)す。
 上卦坎水(険難)が目(もく)前(ぜん)に迫(せま)る。川の水と河原の土が混じった泥の場所で待つ。やり過ぎる性格で上六・六四と応比ゆえ、妄進して災いを招き寄せる。
象曰、需于泥、災在外也。自我致寇、敬愼不敗也。
□泥(どろ)に需(ま)つとは、災い外(そと)に在(あ)るなり。我より寇(あだ)を致(いた)す、敬(けい)愼(しん)すれば敗(やぶ)れざる也。
川の水と河原の土が混じった泥の場所で待つ。外(がい)卦(か)坎(かん)の災いが目前に迫っている。険難に向かって妄進して災いを招き寄せる。恭(うやうや)しく慎(つつし)んでじっと待てば険難に陥ることはないのに、妄進して災いを招き寄せる。

 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての原文の一部。
(占)事ヲ遂ントスルノ意急ニシテ、自ラ困難ヲ醸シ、進退自由ナラザルノ境ニ至リタルナリ、宜シク心ヲ改メ事ヲ愼テミ、敗ヲ取ルコト勿ルベシ、世ノ才子此爻ヲ得バ、躁進ノ非ヲ知テ固ク本業ヲ守リ愼テ時ノ至ルヲ待ツベシ・・・
 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての現代語訳。
(占)事を成し遂げようとする意欲が空回りし、自ら困難を招き寄せ、進退が自由にならない境遇に追い込まれる。よくよく心を改め、何事も慎みの心を大切にして、自分から敗北を招き寄せるようなことがないように心がけるべきである。世間で才能があると称賛されている人物を占って、この爻が出たら、その人物は発言や行動が過ぎることを反省し、本業に専念して、何事も慎みの心を抱くように心がけ、時が到来するのを待つべきである。水難、盗難、病難などに遭遇することが心配される。何事も慎んで自重すべきである。
○険阻坎難に遭遇しそうになる。険難に陥ることを畏れて止まれば、災難を免れる。
○水の恐さを過小評価して溺死した人は、水を咎めることはできない。何事も畏れ慎み敬して止まる時は、自ら失敗を招くことはない。
○物事と自分の間に隔たりがあって、しっくりしない状況。運に恵まれない時だと心得て、己の分を守るべきである。
○いつも不正の誘惑に誘われて、病気になる心配がある。誘惑を断ち切って病気にならないように心がけるべきである。
○時が到来しない段階で事を為そうとすれば困窮する。

 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占例の原文の一部。
(占例)佃島在監ノ時、西村、三瀬、及余三人ノ身事ヲ占フ・・・
 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占例の現代語訳。
(占例)わたしが牢獄に囚われ、佃(つくだ)島(じま)の流刑地に入っていた時、西村、三(み)瀬(せ)、わたしの三人の身の上について占った。
 わたしが佃島に居た時、西村勝(かつ)蔵(ぞう)と三瀬周(しゆう)三(ぞう)の二人と最も仲が良かった。ある日、二人がわたしのところにやって来て、嘆きながら次のように言った。
「わたしたちの身上に、大変なことが起こりそうなので、一緒に今後のことを考えた方がよい」。
 わたしが、「大変なこととは、何のことか」と聞いたところ、
「昨日、役所で会議があって、わたしたちは、そこで使役させられていたのだが、会議は長引いて夜になり、わたしたちも帰ることができなかった。そこで、ひそかに何の会議をしているのか盗み聞きしたところ、菜の油の値段はどんどん下がっているのに、菜の種の値段はどんどん上がっている。こんなことでは、囚人に菜の種から菜の油を作らせても、損失が出るだけだ。これからは製油の仕事は止めて、横須賀造船所の築造を請け負おうと思っている。囚人の中に高島嘉右衛門という人物がいて、リーダーの資質を具えている。この人物に指揮を任せればよい。また西村勝蔵という人物は、会計に明るい。この人物に経理を任せればよい。さらに三瀬周三という人物は、医術に長けているから、この人物にけが人を治療させればよい。
 彼らはただ者ではない。出所すればとんでもない悪事を犯しかねない。そこで、この事業に従事させれば、激務のため天命を全うするだろう。そうなれば、世のため人のため、そして彼らのためでもある。
 会議の内容は以上のようであった。役所の人が、このようなことを話し合っているのは、囚人を働かせて得た収入を、役所の予算として補填しているからだ。もし、この事業が実行されれば、わたしたちは、とんでもない災難を被(こうむ)るので、何とかしないといけない。どうすれば助かるかを占ってほしい」と請われた。
 そこで、三人の身の上を占うことにした。
 先ず、西村勝蔵の身の上を占ったところ、需の三爻を得た。
 易斷は次のような判断であった。
 需は待つ時(須)である。坎の険難が前に立ち塞がっており、乾の剛健がこれに臨んで、大川を渡ろうと安易に進んではならない時である。だが、爻辞は「泥(どろ)に需(ま)つ。寇(あだ)の至(いた)るを致(いた)すす。上卦坎水(険難)が目(もく)前(ぜん)に迫(せま)る。川の水と河原の土が混じった泥の場所で待つ。やり過ぎる性格で上六・六四と応比ゆえ、妄進して災いを招き寄せる」とある。
 九三は内卦の極点。最も外卦坎の険難に近い。危ない位置に居る。
 だから、象伝に「災い外(そと)に在(あ)るなり。外(がい)卦(か)坎(かん)の災いが目前に迫っている」とある。
 以上のことから、「わたしたちが被るとんでもない災難」とは、西村勝蔵の身の上に関して言えば、横須賀造船所の築造のことではなくて、その外(ほか)にある。
 西村は物事を深く考えて思慮する人である。今は運悪く囚人となっているが、出所すれば、再び犯罪を犯すような人ではない。
 以上のことから、西村の災難は、病気に罹ることだと推測できる。
 西村が病気に罹った場合は、自愛することが肝要である。
 それゆえ、象伝に「我より寇(あだ)を致(いた)す、敬(けい)愼(しん)すれば敗(やぶ)れざるなり。険難に向かって妄進して災いを招き寄せる。恭(うやうや)しく慎(つつし)んでじっと待てば険難に陥ることはないのに、妄進するから災いを招き寄せたのである」とある。
 次に三瀬周三の身の上を占ったところ、火風鼎の二爻を得た。
 易斷は次のような判断であった。
 吉運である。爻辞には「鼎、実(じつ)有り。我が仇(きゆう)、疾(やまい)有り。我に即く能はず。吉。鼎(かなえ)にはご馳走が沢山入っている。乱れた秩序を一掃して新しい秩序を打ち立てる段階に入った。一方で、旧来の制度習慣(穢いもの)に囚われた人(初六)が存在する。そのような人に取り込まれる隙を与えず、新しい秩序を打ち立てれば、幸を得る。」とある。
 鼎は重い器だから、容易に動かしてはならない。その中に食べ物などが入っていればなおさらである。しかも、二爻が変ずれば、下卦巽風は艮山となる。山は止まって動かない。すなわち、三瀬の身は動かないと考えるべきである。もし三瀬の身を動かそうとする者があれば、それは敵である。それでも、三瀬の身を動かそうとする者が現れたら強く断るべきである。だが、爻辞に「我が仇(きゆう)、疾(やまい)有り。我に即く能はず。旧来の制度習慣(穢いもの)に囚われた人(初六)が存在する。そのような人に取り込まれる隙を与えず、新しい秩序を打ち立てれば、幸を得る」とあるので、三瀬の敵は病弱で、三瀬の身を動かすことはできない。
 以上のことから、横須賀造船所の築造の件を心配することはない。
 最後に、わたしの身の上を占ったら、艮為山の五爻を得た。
 易斷は次のような判断であった。
 爻辞には「其(その)輔(ほ)に艮(とど)まる。言(げん)序(じよ)有り。悔い亡ぶ。力不足の天子だが、中庸の德を備えているので、口から発する言葉を頬(ほお)骨(ぼね)の所で止めて軽々しく発しない。言葉を発する時には、道理に適った事を順序立てて話すので、天子として後悔することはない。」とある。
 わたしは、この爻辞をどのように解釈すべきか迷ったので、時間をかけてじっくりと考えた。するとある時、はっと閃いた。すなわち「輔(ほ)」とは、頬(ほお)骨(ぼね)である。「言(げん)序(じよ)有り。口から発する言葉を頬(ほお)骨(ぼね)の所で止めて軽々しく発しない」のである。しかも「悔い亡ぶ。言葉を発する時には、道理に適った事を順序立てて話すので、後悔することはない」とある。
 これは、やがてわたしは、その発言内容が目上の人に認められ、罪を許されるということである。
 その後、三人とも、横須賀造船所の話がどうなるか、待っていたが、果たして、西村勝蔵は病気に罹って危篤に陥ったが、三瀬周三の看護によって、治癒した。また、三瀬周三は、横須賀造船所の築造を企画した役人が退職したことによって、この話自体がなくなった。そして、西村と三瀬は罪を許されて出所した。
 しかし、わたしだけは、罪が許されずに囚人に止まった。
 だがある時、佃島収容所の役人である和田十一郎氏の身の上を占ったところ、その易占が的中して、罪を許され出所できたのである。

需 六四 ・|・ |||

六四。需于血。出自穴。
□六四。血に需(ま)つ。穴より出(い)づ。
 険(けん)難(なん)に足を踏み入れ、血が流れるようにじっと待つ。辛(しん)抱(ぼう)強く待ち続ければ、やがて九五に助けられて険難(穴)から脱出できる。
象曰、需于血、順以聽也。
□血に需(ま)つとは、順(じゆん)にして以(もつ)て聴(き)くなり。
 辛抱強く待ち続ける。天(てん)子(し)の話を聴いて素直に順おうと思っているのである。

 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての原文の一部。
(占)才弱クシテ志モ亦弱ク險ノ穴中ニ陥リテ困窮甚シキノ時トス、然ルニ上位ノ人ノ爲メニ救ハレテ、漸クニシテ難ヲ免ルルコトヲ得タルノ時ナレバ、大智ノ人ニ從テ其助ヲ受クベシ、又人ト競ヒテ事ヲ爲スハ凶ナリ、・・・
 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての現代語訳。
(占)才能が不足しており、志も低いので、険難の穴の中に陥って、大いに困窮する。地位が高い人に助けられ、ようやく険難を脱出することができる。智恵のある人に助けてもらうべきである。
○人と事業を競い合うことは凶運である。争って闘えば怪我をする。
○鉱山事業を営んでいる場合は、人を沢山雇用して(人を沢山集めて)、鉱石を穴から沢山採掘して、利益を得られる。
○険難に遭遇する恐れがある。進んで事を為そうとすれば宜しいことは何もない。退けば吉運を招き寄せる。

 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占例の原文の一部。
(占例)明治十九年、知友米國人工學博士ブリジュース氏來リテ曰ク、余ガ娘アーネーナルモノハ、佛國公使館附書記官某氏ノ妻タリ、今分娩ニ臨ミ非常ノ難産ニシテ、命旦夕ニ迫ル、願クハ占筮シテ天命ノ在ル所ヲ知タシメヨト、乃チ筮シテ需ノ第四爻ヲ得タリ、
 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占例の現代語訳。
(占例)明治十九年、友人でもある米国人のブリジューンズ工学博士がやって来て、次のように言った。
「わたしの娘は、フランス公使館の書記官の妻である。出産にあたり大変な難産で苦しんでおり、ここ一日が山場である。天命を知りたいので、占ってほしい」。
 そこで、占ったところ、需の四爻を得た。
 易斷は次のような判断であった。
 需の卦は待つ時。それゆえ、万事待つことを正義とする。今、出産に臨んでいるならば、赤ちゃんが出てくるのを待つことである。
 爻の段階によって、待つことの内容が異なる。
 九五の段階では、楽しんで待つ。上六の段階では、穴に陥って待つ。
 易に詳しい人は、その段階に応じて対処法を施す。需の形全体を産婦の身体に当て嵌めれば、九三は陰部にあたるので、この陽爻が変じて陰爻になれば、安産を意味するが、占って出たのは六四なので、安産を意味しない。六四は腹部にあたるので、帝王切開を暗示している。だとすれば、爻辞の「血に需(ま)つ」とは、お産の出血ではなくて、お腹からの出血のことで、「穴より出(い)づ」とは陰部のことではなくて、切り開いたお腹のことである。
 以上のことから、帝王切開の手術を待つということになる。
 もし、九五の「酒(しゆ)食(し)に需(ま)つ/楽しんで待つ」という幸福を安易に期待して、帝王切開の手術をせずに、虚しく時を過ごせば、終には上六の「穴に入(い)る」という不幸を招き寄せて、母子共々命を失う可能性がある。
 以上のことから、速やかに帝王切開の手術を行なって、娘さんの命を守るべきであると易断した。
 ブリジューンズ工学博士は、この易断を信用して、医師に伝え帝王切開の手術をしてもらった。そのため、赤ちゃんは生まれてすぐに命絶えてしまったが、大事な娘さんの命は守ることができた。

需 九五 ・|・ |||

九五。需于酒食。貞吉。
□九五。酒(しゆ)食(し)に需(ま)つ。貞(てい)なれば吉(きつ)なり。
 理想的な天子だが、九二と応じないのが唯一の欠点。需(じゆ)の時に中(あた)り優(ゆう)游(ゆう)と酒(しゆ)食(し)を楽しみ楽しませ身心を養って時機が至るのを待つ。「雲、天に上(のぼ)るは需なり。君子以て飲食宴(えん)樂(らく)す」とは九五のこと。
 真(ま)心(ごころ)で正しい道を守り、時至って天下を平(へい)定(てい)する。
象曰、酒食貞吉、以中正也。
□酒(しゆ)食(し)の貞(てい)吉(きち)とは、中(ちゆう)正(せい)なるを以(もつ)て也。
 真心で正しい道を守り、時至って天下を平定する。中正備えた天子だからである。

 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての原文の一部。
(占)宴樂ニ耽ラズ僥倖ヲ求メズ其友疑ハズシテ共ニ拮据力ヲ盡サバ、遂ニ富貴利達ヲ得ベシ・・・
 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての現代語訳。
(占)宴楽に耽らず、僥倖を求めず、友だちを疑わず、力を合わせて全力を尽くせば、遂には、地位と報酬を得ることができる。
○大衆から厚く信頼されて、尊敬される時である。
○何事も自然に成就する時である。
○大勢の人々が集まって飲食宴楽の賑わいが溢れる時である。

 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占例の原文の一部。
(占例)某氏某縣ヨリ來リ余ガ廬ヲ訪テ曰ク、今ヨリ某貴顕ニ懇願ノ事アリテ、謁見ヲ求メント欲ス、因テ先方ノ待遇如何ヲ占ハンコトヲ請フト、乃チ筮シテ需ノ第五爻ヲ得タリ・・・
 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占例の現代語訳。
(占例)ある人がある県からやって来て、次のように言った。
「今から、ある貴人にお逢いして、あることをお願いしようと思っているが、先方はどのように対応するかを占ってほしい」。
 そこで、占ったところ、需の五爻を得た。
 易斷は次のような判断であった。
 需は、待つ時。久しく会っていなかった人と偶然会って共に喜ぶ時。
 あなたが先方を訪ねて行けば、その貴人は善き仲間が来たと喜んでくれる。直ぐにあなたと面会し、あなたの願いを聞き入れてくれる。
 あなたがその貴人に会うために上京している期間に、その貴人は何度もあなたを饗宴に招待してくれる。あなたとその貴人は食事を共にして話を重ね、交流を深める。共に敬愛の心を抱くようになって、親しい間柄になる。
 それゆえ「酒(しゆ)食(し)に需(ま)つ。貞(てい)なれば吉(きつ)なり。理想的な天子だが、九二と応じないのが唯一の欠点。需(じゆ)の時に中(あた)り優(ゆう)游(ゆう)と酒(しゆ)食(し)を楽しみ楽しませ身心を養って時機が至るのを待つ。『雲、天に上(のぼ)るは需なり。君子以て飲食宴(えん)樂(らく)す』とは九五のこと。真(ま)心(ごころ)で正しい道を守り、時至って天下を平(へい)定(てい)する」と云う。
 その後、しばらくしてから、ある人がやって来て「あなたの易断を信じて、安心して貴人を訪ねたところ、とても厚遇して頂き、わたしの願いを聞き入れてくれた」と御礼の言葉を述べた。易占の絶妙さに大いに感服したのである。

需 上六 ・|・ |||

上六。入于穴。有不速之客三人來。敬之終吉。
□上六。穴に入(い)る。速(まね)かざるの客三人來(きた)る有り。之(これ)を敬すれば終(つい)には吉(きつ)。
 坎(かん)険(けん)の極点で険難の穴に陥る。才能乏しく自力で穴から抜け出せない。需が窮(きわ)まる時を待っていた三賢人(初九・九二・九三)が招いてないのにやって来る。三賢人を忌(い)み嫌わず敬して接すれば、やがて穴から抜け出せる。
象曰、不速之客來。敬之終吉、雖不當位、未大失也。
□速(まね)かざるの客來(きた)る。之(これ)を敬すれば終(つい)には吉(きつ)とは、位(くらい)に當(あた)らずと雖(いえど)も、未(いま)だ大いに失わざる也。
 三賢人を忌(い)み嫌わず敬して接すれば、やがて穴から抜け出せる。上位に居て、下位の三賢人を敬(うやま)えば、大(たい)過(か)なく無事に穴から抜け出せるのである。

 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての原文の一部。
(占)險難ノ極ニ居リ、才暗ク力微ナリ、一身ノ方向立タズ、爲メニ困難スル者ナリ、故ニ入穴ト曰フ、有不速之客三人來トハ、是レ同氣相求メ同病相憐ノ理ニシテ・・・
 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての現代語訳。
(占)険難の極点に居て、才能も力も弱いので、自分自身の方向性が立たずに、困難に陥っている。それゆえ「穴に入(い)る。坎(かん)険(けん)の極点で険難の穴に陥る。才能乏しく自力で穴から抜け出せない」と云う。
「速(まね)かざるの客三人來(きた)る有り。需が窮(きわ)まる時を待っていた三賢人(初九・九二・九三)が招いてないのにやって来る」とは、同じ気持ちを抱いている者同士は求め合い、同じ病気に罹っている者同士は憐れみ合うように、上六が招き寄せるのではなく、お客が勝手にやって来る。
 この爻は君位ではないが、大衆から慕われるのは、上六が大衆から尊敬される人德を具えているからである。大衆から尊敬される人德を保ち続ければ、険難に遭遇しても、思いがけない支援者が現れて、険難から脱出できる。事の正不正をよくよく知っておくべきである。
○険難の真っ直中に陥って、失望に沈み込む時。人を敬する気持ちを失わずに、時が至るのを待てば、終には吉運を招き寄せる。

 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占例の原文の一部。
(占例)明治二十二年十二月、友人神保長兵衛ノ妻、胃癌ニ罹りリテ蓐ニ就ク、因テ余ニ其生死ヲ占ハンコトヲ請フ乃チ筮シテ需ノ上爻ヲ得タリ・・・
 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占例の現代語訳。
(占例)明治二十二年十二月、友人の神(じん)保(ぽ)長(ちよう)兵(べ)衛(え)の奥さんが胃がんに罹った。その生死を占ってほしいと頼まれたので、占ったところ、需の上爻を得た。
 易斷は次のような判断であった。
 需の卦は、「遊(ゆう)魂(こん)」の卦でもある。「遊魂」とは、人の魂がその身体を離れて浮遊することである。すなわち、奥さんの天命は終焉する。
 需は待つという意味があるから、しばらくの間は天命を保つ。
 上爻は、待つという需の卦の終着地。これ以上行くことはできない。奥さんの胃がんは治らない。このまま亡くなって、魂は身体を離れる。
 爻辞に「穴に入(い)る」とあるのは、埋葬することの兆し。また、「速(まね)かざるの客三人來(きた)る有り」とあるのは、僧侶がやって来て葬儀を行なうことを云う。
 さらに、「之(これ)を敬すれば終(つい)には吉(きつ)」とあるのは、奥さんが安らかに亡くなって、周りの人々も奥さんを尊敬して厚く弔(とむら)うので、奥さんの魂は成仏することを云う。
 この卦は、「帰(き)魂(こん)(魂が帰る、確実に死ぬという占い)」の卦ではないが遊魂の卦である。残念ながら、胃がんは治らず亡くなるという結論になる。
 その後、何日も経たずに、友人の奥さんは亡くなった。

(占2)知人の中野氏は大阪に住んでいたが、ある日突然自殺したという記事が新聞に掲載され、様々な理由が報じられた。
 氏の自殺は実に意外であり、大変驚いた。
 生前に相談してくれれば、何か役に立つアドバイスもできたろうに。実に惜しいことである。嘆息して悲しんでいたところ、友人がやって来て、本当に自殺なのか疑いがあると告げられた。
 友人は自殺の真相について占ってほしいと請うので、占ったところ需の上爻を得た。
 易斷は次のような判断であった。
 中野氏は商業に従事している商人だった。「穴に入(い)る」とは、鉱山を採掘していることに関係していたのであろう。
「速(まね)かざるの客三人來(きた)る有り」とは、事業が計画通りに進まず、損失を補填するため、借入をしたものの、返済できずに、終に思い詰めて自殺したのであろう。
 上卦坎は心配事を加えるという意味や心を病むという意味がある。
 上爻変ずれば巽となる。巽は風である。これは精神病(ノイローゼ)の象(かたち)である。また、この卦は遊魂の卦であり、遊魂はすなわち放心状態となって自殺することを示している。その後、真相は、易断の通り(自殺)であることが判明した。

(占3)ある日、友人の伊東氏がやって来て、次のように言った。
「わたしの倅(せがれ)は、幼い頃から京都の呉服屋に奉公していたが、最近、消息を絶って何日も経過した。わたしは大変心配している。倅がどうなったのかを占ってほしい」。
 そこで占ったところ、需の上爻を得た。
 易斷は次のような判断であった。
 需の卦は、待つ時。内卦の老父が外卦坎の中男の消息を待っている。
 今回占って、上爻が出た。上爻の爻辞に「穴に入(い)る」とある。これを推測すると、あなたのご子息は、同僚の三人と共に、花(か)柳(りゆう)の巷(ちまた)で遊び回っており、女色に耽っている。
 この爻が変ずれば上卦坎は巽となる。巽は風、入り込むという性質がある。つまりは、今月の末になれば、必ず同僚と一緒に帰宅する。
 その後、息子さんは無事帰ってきた。
 易断を重ねて、この卦爻が何度も出た。
 その体験から云えることは、爻辞に出てくる象(かたち)を応用することが肝要だと云うことである。易を学ぶ者は、このことをよく知らなければならない。