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期間限定「現代語訳(超意訳) 呑象高島嘉右衛門著 増補 高島易斷 上下巻 占例篇」 地山謙

十五 地山謙 ・・・ |・・

謙、亨。君子有終。
□謙は亨る。君子、終(おわり)有り。
 謙は富有になっても決して驕り高ぶらず人に謙る時。
 内は己の分に止まり、外はよく人に順う。高い山(艮)が低い地(坤)の下に在り、人に謙る形。富有になっても驕り高ぶらず人に謙る君子は、何事もすらっと通る。君子は人に謙る心を持ち続けて終りを全うする。
彖曰、謙、亨。天道下済而光明。地道卑而上行。天道虧盈而益謙、地道變盈而流謙、鬼神害盈而福謙、人道惡盈而好謙。謙尊而光、卑而不可踰。君子之終也。
□謙は亨る。天道は下(か)済(せい)して光(こう)明(めい)なり。地道は卑(ひく)くして上(じよう)行(こう)す。天道は盈(えい)を虧(か)きて謙に益し、地道は盈(えい)を変じて謙に流れ、鬼神は盈(えい)を害して謙に福(さいわい)し、人道は盈(えい)を惡(にく)みて謙を好む。謙は尊くして光り、卑(ひく)くして踰(こ)ゆ可からず。君子の終り也。
 人に謙る君子は、何事もすらっと通る。天の道は氣が下って、地に交わり、光明盛大。地の道は、氣が上って天と交わり万物を化育する。謙は人の守る道、天地みな謙の道に由る。満月は新月へ向かい、極暑は極寒へ向かう。
 天の道は満ちているものを減らし謙るものを増やす。火山が噴火して谷を埋めるように、地の道は満ちているものを謙るものへと変化流通させる。天地の神々は満ちているものには禍を蒙(こうむ)らせ、謙るものには福を授ける。人の道は満ちているものを悪(にく)み謙るものを好む。謙の德は尊い位に在れば光り輝き、卑しい位に在っても軽蔑されない。
 君子が終りを全うできる所以である。
象曰、地中有山謙。君子以裒多益寡、稱物平施。
□地中に山有るは謙なり。君子以て多きを裒(へら)し寡(すくな)きを益し、物を稱(はか)り施しを平(たいら)かにす。
 大地の下に気(け)高(だか)い山が謙っているのが謙の形。君子は、多くて満ちているものを減らし、少なくて足りないものを増やし、物の宜しきを推し量って、施しが偏らないようにする。

 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての原文の一部。
(占)夫レ地勢ハ平等ナラズ、大陸ノ平原ハ島地ノ山嶺ヨリ高キモノアリ、是レ猶智學高尚ナリト雖モ、其行フ所間凡庸ノ士ニ若カザルコトアルガゴトシ、・・・
 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての現代語訳。
(占)地球の形(地勢)は均等ではない。大陸に在る高台の平原は、島国の山よりも標高が高いことがある。知識や学問に優れている人物でも、凡庸の人より劣って見えることがある。それゆえ、占ってこの卦が出た場合は、乾為天の九三の爻辞にある「君子終日乾乾」として勉強に励み、修養に努めて、功を誇らない、というようならば、将来は思わぬ幸福を招き寄せる。
 人間は、十歳を超えると、自活や自立を考え、二十歳を超えると、家族を築き上げようとする。三十歳を超えると、子供の教育に力を入れて、四十歳を超えると、老後に思いを寄せるようになる。五十歳を超えると、人生をいかに終えるか(人生の終焉)を考えるようになる。それゆえ、卦辞・彖辞に「君子、終有り」と云う。
○恭しくへりくだって、人を尊敬できれば、人から尊敬されるようになり、やがては、大勢の人々が自分に服従するようになる。
○他に求めるところがなく、自然に幸福がやって来ると信じて待っていれば、吉運を招き寄せる。
○何事も謙遜して自分の意見を主張しないようにすれば、益々尊敬されるようになって、益々吉運を招き寄せる。
○すらすらと物事が成就しなくとも、徐々に吉運が到来する。
○内面に知識を有しながら、外面は人に従う時。
○自分の行ないを正しくして大衆の模範となる時。
○丁寧に人に接する時。
○始めは挫折するが、終には成功する。始めは卑しい立場にあるが、終には尊敬される時。
○物価は下落する。

謙 初六 ・・・ |・・

初六。謙謙君子。用渉大川。吉。
□初六。謙謙す。君子用て大川を渉る。吉。
 初六は謙遜する時の始めに居て、謙る上にまた謙る君子である。
 謙る姿勢を最後まで全うして、難事業に取り組むがよい。幸を得る。
象曰、謙謙、君子卑以自牧也。
□謙謙する君子は、卑(ひ)にして以て自ら牧(やしな)う也。
 謙る君子は、常に自分を卑(いや)しくして人に謙り、自ら道德才能を養うのである。

 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての原文の一部。
(占)己レ人ニ誇ラザルガ故ニ、人ノ憎ミヲ受ケズ、亦人ニ侮ラルルコトナシ、平安ニシテ其功竟ニ顯ハルベシ、又人ニ接スルニハ親和ヲ以テシテ、自然ニ感化セシムルヲ可トス、・・・
 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての現代語訳。
(占)自分のことを誇らないので、人から憎まれず、侮(あなど)られない。平安の世であるから、誇らずとも自然とその功績は世間に知られるようになる。人と接する時は、親しみ和することを大切にするので、自然に大衆を感化する。
○人徳があって、人々からの信望がある人が率先して、大衆を産業の振興に導いていく時である。
○自分の身を修めること、慎みの心と謙遜することを保ち続ければ、何事も吉運を招く。

 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占例の原文の一部。
(占例)某縣ノ勸業課長某、上京ノ途次、余ガ山莊ニ來リテ曰ク、余ハ職ヲ某縣ニ奉ジ孜々トシテ一意ニ勸業實ヲ擧ゲント欲シ、種牛ヲ米國ヨリ買ヒ入レ、(中略)目的ヲ達シ得ルヤ否ヤヲ豫知シ難シ、爲メニ一筮ヲ煩ハスト、乃チ筮シテ謙ノ初爻ヲ得タリ・・・
 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占例の現代語訳。
(占例)ある県庁の課長が上京する途中で、わたしの山荘に立ち寄って次のように言った。
「わたしは県庁に奉ずる中で、産業を振興するために、種牛を米国から買い入れて、品質を改良して牧畜を奨励する一方、養蚕にも力を入れてきた。また、良質の米や麦を集めて、農業の振興にも力を入れてきた。知事も賛成してくれたので、着々と事業は進んでいるが、まだ、日が浅いので成果は出ておらず、今後の成果を予知することは難しい。農業振興事業が成功するか否かを占ってほしい」。
 そこで、筮したところ、謙の初爻が出た。
 易斷は次のような判断であった。
 謙は、高い山が低い地に謙るという象をしている。尊きものが卑しいものに謙る。それゆえ、謙と名付ける。これは、上に蓄え集めた富や幸せを減らして、下に居る大衆に恵み与えて衣食を調(ととの)えようとする象である。
 現在、貴方が奉じている仕事は、殖産興業だから、正しく謙の意義を有している。
 謙の卦辞・彖辞に「謙は亨る。君子、終有り。謙は富有になっても決して驕り高ぶらず人に謙る時。内は己の分に止まり、外はよく人に順う。高い山(艮)が低い地(坤)の下に在り、人に謙る形。富有になっても驕り高ぶらず人に謙る君子は、何事もすらっと通る。君子は人に謙る心を持ち続けて終りを全うする」とあるが、これは謙遜して職務に励めば、必ず最後は成功することを云っている。また、初六の爻辞に「大川を渉る。吉。難事業に取り組むがよい。幸を得る」とあるので、どんな大事業に取り組んでも必ず成功する。
 貴方が事業に取り組む姿勢は、小象伝に「卑(ひ)にして以て自ら牧(やしな)うなり。常に自分を卑しくして人に謙り、自ら道德才能を養うのである」とあるので、「貴方は身を処するに、謙遜することを何より大切にして、仕事に奉ずるのに質素であることを心がけ、労苦を農民と共にするがよい」と易断した。
 その課長は感謝して帰っていった。その後、伝え聞いたことによると、その課長は、農場の近くに極めて質素な家屋を造ってそこに居住して仕事に励んだので、部下たちも競って仕事に励むようになった。
 果たして、易断で示した通り大成功したのである。

謙 六二 ・・・ |・・

六二。鳴謙。貞吉。
□六二。鳴(めい)謙(けん)す。貞にして吉。
 雄(おん)鳥(どり)の鳴き声に雌(めん)鳥(どり)が感応するように、九三に柔順に謙るので、自然に評判が世間に伝わる。中正の德で正しい道を守るがよい。
象曰、鳴謙、貞吉、中心得也。
□鳴(めい)謙(けん)す、貞にして吉とは、中心得る也。
 中正の德で正しい道を守るがよい。外面を飾るのではなく、心の底から謙るのである。

 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての原文の一部。
(占)此爻、九三ノ君子ニ就テ其德ニ服從シ、又人ヲシテ、其君子ニ服從セシム、己レ眞ニ其德ヲ自得シテ、之ヲ實地ニ施スガ故二、象伝ニ中心得也トモ云フ、長者ニ從ヒ事ヲ爲スニ利アルノ占トス、・・・
 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての現代語訳。
(占)九三の君子に服従して謙り、九三の君子に服従することを人に勧める。自分自身は真心から人徳を修養するように心がけ、習慣を積み上げるので、象伝に「中心得る也。心の底から謙るのである」と云う。長老(尊敬できる先輩)に従って事を為すがよい。
○国家に功労がある人を称賛して、この人を手本にすべきことを大衆に勧める時である。
○人を選抜・選考するにあたり、事を行なうために大いに動き回って、世話や仲立ちをする時である。
○正しい道を守れば、自分よりも地位が高い人に吸い寄せられるように吉運を招き寄せる。

 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占例の原文の一部。
(占例)明治二十二年、舊友井田元老院議官、病篤シト聞キ、馳セテ之ヲ請フ時ニ楠田、三浦ノ兩議官モ亦相會セリ、(中略)頻リニ苦慮スル所ナリ、此志願成就スルヤ否ヤ、一占ヲ煩ハスト、、乃チ筮シテ謙ノ第二爻ヲ得タリ・・・
 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占例の現代語訳。
(占例)明治二十二年、旧友の井田元老院議員が危篤と聞き、馳せ参じたところ、楠田・三浦という議員と同席した。
 両氏はわたしに次のように言った。
「井田氏は大垣藩(岐阜県)の出身であり、維新における功績が大きいことは世間の人も知っている。明治四年、陸軍少将に任命され、その後は、外国の公使も勤め上げた人物で、現在、わたしたちと同じ元老院の議員である。最近、明治維新に功績を残した人に対して爵位を授けるという恩典があったが、氏は残念ながらその恩典に与(あずか)ることができなかった。実に意外なことであるが、氏は将来必ずや爵位を授かると信じていた。だが、病に倒れてしまったので、生存中に爵位を授かることは難しい状況となった。何とか生存中に恩典があることを願っているが、この志願は成就するであろうか」。
 そこで、筮したところ、謙の二爻が出た。
 易斷は次のような判断であった。
 謙は高い山が低い地に謙るから、謙と云う。これを人に当て嵌めると、大きな功績を上げた人が、凡庸な人の中に埋もれている時である。
 井田氏は、維新の時に大きな功績を上げたのに、爵位を授かるという恩典に与(あずか)っていない。いわゆる「労して伐(ほこ)らず、功ありて徳とせざる」ものである。すなわち、謙の時そのものである。
 占って二爻が出た。諸君は朋友としての友情を厚くして、井田氏が功労の恩典に与れるよう申し立て、逝去する前に爵位を賜れるよう努めるべきである。このことを「鳴(めい)謙(けん)す。貞にして吉。雄(おん)鳥(どり)の鳴き声に雌(めん)鳥(どり)が感応するように、九三に柔順に謙るので、自然に評判が世間に伝わる。中正の德で正しい道を守るがよい」と云う。
 この爻が変ずると地風升となって上に昇っていく時となる。また三爻が変ずると山は崩れて地となる。いずれにしても謙遜する時は終ると考えられる。よって、逝去する前に恩典に与ることができる。今は危篤状態であるが、諸君が恩典に与れるよう間に立って動き回れば、逝去する前に爵位を賜ることができると易断した。
 その後、易断の通りになったのである。

(占例2)一人の書生が、友人某の紹介状を携えて訪ねて来て、これからある学校に入学するがその運氣を占ってほしいと頼まれた。
 そこで筮したところ、謙の二爻が出た。
 易斷は次のような判断であった。
 謙の卦は、高いはずの山が低いはずの大地の下に位置している。これを人に当て嵌めれば、高尚な君子が世間に出ることなく、家の中に居て、一緒に暮らしている子弟を薫陶(その存在が周りによい影響を与えている)しているという象である。今、あなたが学校に入学するに臨んで、この卦が出たのだから、あなたは良き師匠に出逢って心を磨く時である。
 あなたは、これまでずっと故郷に在住していたので、世間の広さを知らない。これから東京に来て良き師匠に出逢い、高尚な講義を聞いて、とくに徳行に優れた君子の教えを受け、毎日毎晩一生懸命勉強するに随って、益々師匠を尊敬する心が生じ、自分もこのような立派な人物になってみたいと思い、心から師匠を慕うようになる。
 すなわち、あなたはこれから出逢うであろう師匠の志と実行力を人生の指針とすべきである。あなたが、師匠のことを益々信じて勉強に励めば、終にその志を成し遂げて名声を得ると易断した。このことを「鳴(めい)謙(けん)す、貞にして吉とは、中心得る也。中正の德で正しい道を守るがよい。外面を飾るのではなく、心の底から謙るのである」と云う。
(この易断の結果は書いてない。)
謙 九三 ・・・ |・・

九三。勞謙。君子有終、吉。
□九三。勞(ろう)謙(けん)す。君子終(おわり)有り。吉。
 剛健正位の一陽九三は、労して伐(ほこ)らず(互卦・坎)、功して誇らず(互卦・震)。九三が君子ならば、終りを全う(艮)して幸を得る。
象曰、勞謙君子、萬民服也。
□勞謙する君子は、萬民服するなり。
 労して伐らず、功して誇らない君子の人柄に、万民は帰服する。

 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての原文の一部。
(占)此爻、君子ノ德洽ク、感通シテ大ニ世ニ行ハルルノ時トス、大事業ヲ爲シテ可ナリ、
 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての現代語訳。
(占)君子の人徳が周く世間に行き渡り、大いに社会が調和する時。
○人の苦労を代わって行なう時である。
○苦労させていただいたと感謝し、功績を上げたことを誇ることなく、善行を積み上げれば、終には吉運を招き寄せる。 ○頑固ゆえ、人と調和できない。
※この爻には占例が書いてない。

謙 六四 ・・・ |・・

六四。謙撝无不利。(六四。无不利。謙撝。)
□六四。謙を撝(ふる)うに利しからざる无し。(六四。利しからざる无し。謙を撝(ふる)う。)
 六四の大臣は天子(六五)と功臣(九三)の間に居る。上には恭謙して仕え、下には謙遜して譲り、常に謙德を発揮・発揚するから、いかなる場合も不利益はない。
象曰。謙撝无不利(无不利。謙撝)、不違則也。
□謙を撝(ふる)うに利しからざる无し(利しからざる无し。謙を撝(ふる)う)とは、則(のり)に違(たが)わざる也。
 いかなる場合も不利益はない。天の道(則)に適っている。

 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての原文の一部。
(占)地位高クシテ實力ナシ、故ニ我ヨリ下ナル者ノ、才智ヲ用ヒテ、事ヲ處スルヲ可トス・・・、
 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての現代語訳。
(占)地位は高いが実力はない。部下の才能と知恵を用いて事に対処するがよい。
○部下の中から、才能がある人材を抜擢任用して、自分の職務を補佐(代行に近い内容で)してもらう時である。
○地位が低く、野に埋もれている君子を抜擢任用して、共に事を成し遂げようとする。

 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占例の原文の一部。
(占例)明治二十二年、某貴顕來リテ、某院ノ運氣ヲ占ハンコトヲ請フ、乃チ筮シテ謙ノ第四爻ヲ得タリ・・・
 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占例の現代語訳。
(占例)明治二十二年、ある貴人がやって来て、運氣を占ってほしいと頼まれたので、筮したところ謙の四爻が出た。
 易斷は次のような判断であった。
 謙は、ただ一つある陽爻が下卦の第三爻に位置している。
 正(まさ)しく、未だ高い地位を得ていない賢人が下の位に在って、その人格が大衆に支持される時である。
 貴人が属している組織(おそらく貴族院などの組織だと思われる)は、大勢の賢人が集まっている所だが、今は陰の性質で陰の位に在るので、運氣はパッとしない。それゆえ、九三に位置する実力のある人材を抜擢任用すべきである。
 このことを「謙を撝(ふる)うに利しからざる无し。(六四。利しからざる无し。謙を撝(ふる)う。)六四の大臣は天子(六五)と功臣(九三)の間に居る。上には恭謙して仕え、下には謙遜して譲り、常に謙德を発揮・発揚するから、いかなる場合も不利益はない」と云う。「謙を撝(ふる)う」とは、自分より下の位に在る賢人を抜擢して、トップに推薦することだと易断した。
 貴人は、易断の通り、大勢の賢人を抜擢任用した。

謙 六五 ・・・ |・・

六五。不富以其鄰。利用侵伐。无不利。
□六五。富(と)めりとせずして其の鄰(となり)を以てす。用(もつ)て侵(しん)伐(ばつ)するに利し。利しからざる无し。
 六五の天子は富貴や権威に由(よ)らず謙德で接するから下(しも)々(じも)は帰服する。側近の上六・六四と共に世を統(す)べ、九三の君子を信任して世を治める。帰服しない者があれば、武力で征伐するがよい。不利益はない。
象曰、利用侵伐、征不服也。
□用(もつ)て侵(しん)伐(ばつ)するに利しとは、服せざるを征する也。
 帰服しない者があれば、武力で征伐するがよい。君主が謙德で接しても帰服しない者は、権威を発動して武力で抑えるしかないのである。

 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての原文の一部。
(占)此爻人ノ上ニ立チテ、謙ニ過キ、(中略)故ニ斷然タル處分ヲ爲セバ、尚ホ其地位ヲ全クスルヲ得ベシ、優柔不斷ニ流ルルトキハ、遂ニ其跋扈ニ苦ミ、終ニ如何トモスル能ハザルニ至ルベシ、・・・、
 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての現代語訳。
(占)人の上に立ち、あまりにも謙遜するので、下の者に侮(あなど)られることが心配される時。断固とした処置を下せば、今の地位を長く維持することができる。優柔不断であれば、下から突き上げられてその地位を維持することが難しくなる。
○君主が、あまりにも謙遜し過ぎれば、下から突き上げられる。場合によっては強硬手段に出るべきである。
○君位に在りながら、驕り高ぶることなく、部下を慈(いつく)しんで恩恵を施そうとする。立派なことだが、それでも君主に従おうとしない臣下が居れば、武力で征伐すべきである。
○上の者の寛大な処置に甘えて、仕事を怠る部下に対しては、厳しく懲らしめるべきである。
○義理と人情を大切にするあまり、財産を失うことがある。
○困窮している人を救出すべき時である。
☆因みに、次のような話がある。山が地中に入っている象は、地変(天変地異)である。地層が陥落しているからである。
 わたしが十七歳の時、盛岡藩士の早川和右衛門(わえもん)という人と交際したことがあった。八十歳を超える早川氏は、わたしに青年時代のことを話してくれた。早川氏は文武を修業するため、占いで旅費を稼ぎ、諸国を渡り歩いていた。ある年の夏、ある土地に行った時、象の形をした天然の岩石が聳え立っていた。その土地は、北海の大きな港町で、無数の商家が瓦を並べており、大勢の船舶が集まってくる町であった。早川氏はこの町にしばらく逗留し、毎日、日が暮れて家に燈が灯る頃、家路に着く人々を対象に占いをしていた。
 ある日の午後、早川氏は旅館で髪を結ってもらっていた。室内一面に船虫(海岸の岩石の間にいる虫)が集まっているので不思議に思い、髪結い師に、この土地では船虫がいつもこのように集まってくるのかと聞くと、髪結い師は、今まで、見たことはないと答えた。
 もう一度室内を眺めると、壁も天井も船虫だらけ。気持ちが悪くなって、この理由を解明すべく、占筮したところ、謙の五爻が出た。
 山が地に謙って在り、山(下卦)の上に水(二三四爻の互卦は坎水)を被っている形である。これまでは易占で天変地異が起こることを予言したことはなかったので、この易占を口に出して伝えることができなかった。けれども、心の中に不安を感じたので、日暮れになると、この町から出て行くことにした。旅館の主は、氏の行動を怪しく思い、明日の朝にすればよいと勧めたが、早川氏は握り飯と提灯を持って直ぐに旅館を出て行った。
 しばらく夜道を歩いて四里ほど経った頃、山と谷が大きく震動した(大地震が起こった)ので、びっくりして地に伏せた。動揺のあまり提灯を失い、真っ暗闇の中で呆然としていた。遙か彼方から馬の嘶(いなな)きと人の声が聞こえてきたので、声がする方向に歩いて行くと、倒れている馬を起こそうとしている人がいた。この馬はさっき出てきた港町で採れた魚を積んで、夜道を運搬している途中で大地震に出会(でくわ)したのであった。早川氏はその人に、この先の道路はどうなっているかわからないので、夜が明けるまで待つべきだと伝えた。
 その人は早川氏の言うことに従った。やがて夜が明け、飛脚の人が通りかかったので周辺の様子を聞くと、昨夜の大地震で氏が逗留していた港町は海の中に埋もれてしまい、山が崩れるなど地形が変わってしまったという。早川氏はこの話を聞いて、易占が的中したことに鳥肌が立った。かつては芭蕉の歌に詠まれた景観(象の形をした天然の岩石)は、一夜にして海に埋まってしまった。
 今思えば、船虫はこの異変を察知して、高い所に集まって来たのだろう。考えてみれば、台風などにより大風が吹き荒れる前にはカラスは木に巣を作らないし、聞いた話によれば、江戸の大火の前には、大量のネズミが橋を渡って他の地へ逃れて、連綿と続く縄(なわ)のようであったと云うし、キツネが将来を予測する力は人知のとうてい及ぶところではないと云う。
知性においては人間に劣る動物であるが、天変地異を感じて未来を予知することができる。万物の霊長と称する人間が、どうして未来を予知することができないのであろうか。
 天変地異の予知については人間は禽獣にも劣るのである。
 この書を読む者は、そのことをよく考えるべきである。

 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占例の原文の一部。
(占例)明治二十七年、國家ノ氣運ヲ占フテ謙ノ第五爻ヲ得タリ、・・・
 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占例の現代語訳。
(占例)明治二十七年、国家の氣運を占って、謙の五爻が出た。
 易斷は次のような判断であった。
 謙の卦は、高い山が低い地に謙っている象である。これを国家の氣運に当て嵌めると、明治維新の際に天下国家を憂える人々が命を賭し、時間をかけて、ようやく平和な世の中が実現した。彼らは論功行賞など願わず、それどころか、長く数百年間にわたって相続してきた藩を国家にお返しして、郡県制度を取り入れた。本当に天下国家を憂える人でなければ、できることではない。感動せずにいられようか。
 謙の時は、労して誇らず、功を上げても得意になったりしない。人徳者でなければできないことである。なぜ、そこまでできたかといえば、今は欧米各国と文明を競い合わなければならない時だったからである。自分のことよりも天下国家のことを優先し、私利私欲を求めることなく、国民が心を一つにして、近代化を推進してきたことは、世界中の国々から称賛されるべきである。
 今、日本政府は、欧米の文化を学ぶと共に、近代化を推進していく人材が世に出て来ることを期待している。このような風潮を世間の人々は自由な世の中が到来したと歓迎している。けれども、世の中には君子は少ない。君子に非ざる小人は不仁を恥じることなく、不義を畏れることなく、私利私欲を追い求める。「自由」という言葉を履き違えて、自分のやっていることを疑おうともしない。それぞれが好き勝手なことをして、自分がやっていることが認められないことを不満に思っている。
 今や国家の運氣は謙の五爻に達した。その爻辞に「富(と)めりとせずして其の鄰(となり)を以てす。用(もつ)て侵(しん)伐(ばつ)するに利し。利しからざる无し。六五の天子は富貴や権威に由(よ)らず謙德で接するから下(しも)々(じも)は帰服する。側近の上六・六四と共に世を統(す)べ、九三の君子を信任して世を治める。帰服しない者があれば、武力で征伐するがよい。不利益はない」とある。
 無職で生活がままならない人々は、自分の怠惰を責める前に、資産を保有している人々を羨ましく思い、欧州の思想・社会主義を取り入れようとする動きがある。政府は、この危険な思想が広がることを阻止すべく、威厳をもって無産無業の人々を懲らしめて、それらの人々を職業に就かせるべく教え導くことが必要だと易断した。
(この易断の結果は、書いてない。)

(占例2)明治十年、ある貴人に国家の氣運を占ってほしいと頼まれたので、筮したところ謙の五爻が出た。
 易斷は次のような判断であった。
 謙の卦は、高い山が崩れて低い地中に入り込んでしまっている象である。それゆえ、謙と名付ける。今は聖なる今上天皇(明治天皇)が日本国を統(し)治(ら)しておられ、賢明なる人々が大臣や参議として陛下を補佐しているので、欧米諸国は日本に手を出せない。
 明治維新の際、天下の諸侯は今上陛下の命令に奉じて国政に参加して、王政復古の大事業を成し遂げた。内乱になりかねない国内を治めるため、祖先から相続してきた藩を国家にお返しして、内乱を防ぎ、郡県制度を打ち立てたのは、天下国家を憂える気持ちからである。これは、謙の偉大な時である。
 また、維新の際に偉大な功績を上げた知恵と勇気に溢れた志士たちも、俸禄を辞退して、自分の功績を誇らなかった。これも、また謙の時たる所以である。
 明治十年における、天下の形勢は以上のようであり、聖なる今上天皇を元首として賢臣が補佐する政治が行なわれていたが、賢臣の中には、自分の意見が通らず野に下って、大衆に自分の意見を訴え、大衆を率いて自分の意見を実現させようとする者もいた。大衆は賢人が謙遜して野に下ってきたと勘違いして、邪な野望を抱いた賢人に人気が集まることもあった。邪心を抱いた賢人に人気が集まることは危険なことである。政府としては、この人気を分断させるべく懲罰を与えざるを得ない。
 だが、邪心を抱いた賢人九三は、艮の主爻。下(大衆の中)に止まって動かず、謙譲を装っているので、懲罰を執行することが難しい。ここにおいて、平生不平を心の底に抱いている輩(やから)がこの機に乗じて邪心を抱いた賢人九三を担(かつ)ぎ上げた。時ここに至れば、政府はこのような輩(やから)を討伐しないわけにはいかない。九三は謙を装った邪な人物に成り下がったのである。これもまた天命であり、どうすることもできない。九三が邪な臣下として、王さまの命令に従わず、あるいは、徒党を組んで善からぬ事を謀ろうとすれば、これを討伐する役割を上六が果たす。
 上六は九三と相応ずる関係にあり、易経では、このような関係を敵応と云う。その一方で、上六は九三を称賛する場合もあるので、これを上六の爻辞に「鳴(めい)謙(けん)す。柔順卦(か)極(きよく)で謙を極め、功労を誇らない九三と相応じ、九三の謙德に感応してさらに謙遜する」と云っている。すなわち、基本的には、上六と九三は心情的に相応ずる関係にあるが、九三が謙遜する心を忘れて、善からぬ事を謀ろうとすれば、九三は大義を失い、天下国家のために、上六の手によって討伐される。
 このことを上六の爻辞に「用(もつ)て師(いくさ)を行(や)り邑(ゆう)國(こく)を征するに利し。六五を補佐する老師ゆえ、その謙德を用いて自分の領地内に軍隊を出動させ、六五に帰服しない悪人を征伐するがよい」と云う。
 すでに今年、西南の乱が起こり、大義をもってこれを討伐した。貴方(あなた)(ある貴人のこと)もご存じだろう。賊もまた、ある賢人(西郷隆盛)を前面に立てて軍隊の指揮を執り、数ヶ月にわたって抵抗したが、終には城山に追い込まれて全滅した。政府軍を指揮した貴人は凱旋して太平の世が到来した。ここまでは、易断が示すところであり、よく理解できるが、謙の上六変じて艮為山となることの意味がわたしにはよくわからなかった。
 ところが、明治十一年(占筮の翌年)の五月になると、ある貴人(大久保利通)が東京で暴徒に暗殺され、一瞬にして国家の元勲を失うこととなった。
 すなわち、西に九三(西郷隆盛)の墓(塚)があり、東に上六(大久保利通)の墓(塚)がある。これが地山謙の上六変じて艮為山になった意味であることがわかったのである。
易断が示した天命に、わたしは言葉を失った。