三十三天山遯 ☰ ☶ 乾上艮下
互卦 四四天風姤 ☰☴
綜卦 三四雷天大壯☳☰
錯卦 十九地澤臨 ☷☱
天山遯は小人(陰)の勢いがどんどん盛んになる時なので、君子(陽)は小人(陰)に真正面から立ち向かってはならない。陰陽消長卦の循環で捉えると、盛運の流れに乗り上限の乾為天☰☰の時が終わり、小人(陰)が最下に入り込んで天風姤☰☴の時になると衰運の流れに転ずる。さらに小人が下に入り込み天山遯の時になると、君子(陽)が立ち向かって行けないほどに小人(陰)の勢いが盛んになり、六十四卦の中で最も閉塞逼迫して途方に暮れる天地否☰☷の時に向かって行く。その後、風地観☴☷→山地剝☶☷とどんどん沈んで行き、下限の坤為地☷☷に至るのである。
易経は「その時に中りなさい」と教えている。「衰運の真っ只中に居る時には、衰運から盛運に転じることはできない。衰運の中でやれることをやりなさい」と教えているのである。だから、天山遯の時には、小人(陰)に立ち向かわずに、安全な所に避難してやれることをやるのである。
易経には様々な解釈があり、著者が易経に惹かれるきっかけとなった安岡正篤先生は実に面白い解釈をしている。「澤山咸☱☶の時に出逢った若い男女が結ばれて雷風恒☳☴の時となり、夫婦となって幾久しく共に歩む。だが、男たる者家庭に縛られてはならない。広く社会に出て社会人としての役割を果たさなければならない。だから、家庭から逃げて社会に向かうことが必要である。それが天山遯の時である」と。実に面白い解釈である。
著者は天山遯の時を、衰運の流れに身を任せて、やがてやってくる盛運の流れをイメージし、今自分が何をやるべきかを考える。そして、小人が蔓延(はびこ)って乱れている社会には背を向けて、今やるべきことを只管(ひたすら)やり続ける時だと解釈している。陰陽消長卦の循環で捉えると衰運の時はまだまだ続くが、やがては地雷復☷☳の時が来て盛運に転じる。その時に発揮する陽のパワーを衰運の時に蓄えておくのである。
外に向かっては、大きな事には絶対に取り組んではならないが、小さな事なら取り組むこともできる。社会的に何もしないというわけにはいかないので、仕事や生活など必要最小限の事にはキッチリと取り組んで成就すべきは成就するのである。
内に向かっては、将来展望を描き、志をしっかりと確立して、将来外に向かって発揮するパワーを今は内に蓄えておくのである。以下省略。