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抜粋「現代語訳(超意訳) 呑象高島嘉右衛門著 増補 高島易斷 上下巻 占例篇」 水沢節 二

2022年9月7日

節 六三 ・|・ ・||

六三。節若、則嗟若。咎无。
□六三。節(せつ)若(じやく)せざれば、則(すなわ)ち嗟(さ)若(じやく)す。咎无し。
 兌(悦ぶ)の最上で悦び過ぎて羽目(節度)を外し、険難(坎)に遭遇して、嘆き悲しむ。どうして人を咎められようか。
象曰、節嗟、又誰咎也。
□節せざるの嗟(なげき)は、又誰(たれ)か咎めん也。
 羽目を外して嘆き悲しむ。自業自得だ。一体誰を咎められようか。

 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての原文の一部。
(占)例ヘバ人ヨリ金ヲ借リ、返濟ノ期ニ至リ、元利ニ若干ノ不足アリテ、皆濟ヲ爲シ得ザルヲ不面目トシ、荏苒經過利上ニ利ヲ加ヘ、終ニ身代限ヲ爲シ、權利者、義務者、・・・
 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての現代語訳。
(占)例えば人からお金を借りて返済期限が到来した。お金が足りないので全額返済することができない。面目ないと意地を張って、債務者も債権者も困難な状況に陥っている。言葉を慎み、何事も丸く治まることを第一に考えて、負債を返済するために精一杯努力すべきである。
○自分がサボって失敗する。自分の責任を痛感して後悔するしかない。他人のせいにしてはならない。
○自分の力ではできない事を請け負ってしまい、難渋する時である。

 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占例の原文の一部。
(占例)明治二十年十一月、舊大垣藩主、戸田氏(中略)此時、舊臣ノ之ヲ送ル者數十人、伯曰ク、妻子ヲ携ヘテ航海スルニ、海上ノ安否ヲ筮シテ、節ノ第三爻ヲ得タリ、・・・
 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占例の現代語訳。
(占例)明治二十年十一月、旧大垣藩主の戸田伯爵がオーストリアの全権公使に任命された。夫人と令嬢を伴って赴任する日に、わが家を訪問された。これから妻子と一緒に横浜から航海に出るので、海上の安否を占ってほしいと頼まれた。そこで、筮したところ節の三爻を得た。
 易斷は次のような判断であった。
 節の内卦兌は戦艦、外卦坎は険しい水。戦艦が水を被って険難に陥る。風は西から北を旋回して暴風となる。暴風が吹き荒れて険難に陥るが、戦艦は丈夫だから、結果的には無事である。このことを「節(せつ)若(じやく)せざれば、則(すなわ)ち嗟(さ)若(じやく)す。咎无し」と云う。「節(せつ)若(じやく)せざれば、則(すなわ)ち嗟(さ)若(じやく)す」とは、節度を保つべき時に羽目を外してしまうことを云う。それゆえ、嘆き悲しむことになる。以上のことから、横浜から航海に出て、海上で困難な状況に陥ることが予測できる。しかし、「咎无し」という言葉があるので、結果的には無事であると易断した。
 この易断をした時に、三人の貴人が同席していた。三人は心配して、次のような会話があった。「易は聖人の書物で、大変に奥深い内容なので、研究すればするほど様々に解釈することができる。高島氏が目に見えるように予測している内容は、やや行き過ぎではないだろうか。ここまで具体的に予測できるとは信じられない」と、二人の貴人が言った。
 それに対して「いやいや、高島氏の易断は天命を示しているから、凡人の理解できるものではない」と、一人の貴人が言った。
 以上の見解について、わたしは次のように応えた。
「わたしの予測は易占だからこそ示せたものであり、易占以外の方法では予測できない。至誠の心で神仏に問いかけて、天命を引き出したのである。天地の道と人の道が一つになるところに真理が示される。最近は、形而下の学問ばかりに心酔して、形而上の学問を粗末にしている。わたしの易占に疑問を抱くのは、易占が示している真理を理解できないからである」。わたしの易占を疑った二人の貴人は何も言うことができなかった。
 その後、四年が経過して戸田伯爵は帰国した。伯爵は出国時の航海はわたしが易断した通りだったとおっしゃった。