毎日連載! 易経や易占いに関する情報を毎日アップしています。

期間限定「現代語訳(超意訳) 呑象高島嘉右衛門著 増補 高島易斷 上下巻 占例篇」 風地観

二十 風地観 ||・ ・・・

觀、盥而不薦。有孚顒若。
□観は盥(てあらい)して薦(すす)めず。孚(まこと)有り顒(ぎよう)若(じやく)たり。
 観は「周観(周く物を観る)」「仰(ぎよう)観(かん)(手本を示す、仰ぎ観る)」の時。
 上の者が下の者を周く観て手本を示し、下の者は上の者を仰ぎ観る。宗廟の祭祀でお供え物を献上する前に、祭主が手を洗い清めて神様の前に進み、至誠の心と厳粛な態度で神様を天から迎える。王さまが至誠の心と厳粛な態度で臨めば、民は自然に王さまを尊崇して仰ぎ観る。
彖曰、大觀在上、順而巽、中正以觀天下。觀盥而不薦、有孚顒若、下觀而化也。觀天之神道而、四時不忒。聖人以神道設教、而天下服矣。
□大(たい)観(かん)上に在り。順にして巽、中正以て天下を観る。観は盥(てあらい)して薦(すす)めず。孚(まこと)有り顒(ぎよう)若(じやく)たりとは、下(した)観(み)て化するなり。天の神道を観るに、四時忒(たが)わず。聖人、神道を以て教えを設けて、天下服す。
 臣民が山のように仰ぎ観る陽剛(上九・九五)が上に在る。柔順(坤)に天の道に従い、巽順(巽)に謙遜して高ぶらない。剛健中正の德を備えた天子九五が周く天下を観察して手本を示し、臣民は仰ぎ観る。例えば、宗廟の祭祀でお供え物を献上する前に、祭主が手を洗い清めて神様の前に進み、至誠の心と厳粛な態度で神様を天から迎えるように、王さまが至誠の心と厳粛な態度で臨めば、民は自然に王さまを尊崇して仰ぎ観る。臣民(下)は王さまの至誠な心と厳粛な態度を観て自然と風化する。天の神道を観察すると、春夏秋冬息(やす)まず循環して違(たが)い誤ることはない。聖人は神道に則って臣民を教化する。すなわち、神道が声も形もなく、自然にして霊妙な働きであるように、聖人は言葉や規則を用いずとも至誠な心で臣下人民を風化させ、自然に天下万民は信服する。
象曰、風行地上觀。先王以省方、觀民設教。
□風、地の上を行くは観なり。先王以て方を省み、民を観て教えを設(もう)く。
 風が地上に周く吹き渡るのが観の形。昔の王は、諸国を巡幸し、風俗・慣習・文化の相違を詳(つまび)らかに観察して、それぞれに適した国是を定め政治教育を施したのである。

 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての原文の一部。
(占)諸人ヨリ尊敬ヲ受クルノ時トス、故ニ其身ヲ愼ミ、其志行ヲ正クシ、信義ヲ以テ人ニ交リ、總テ人ノ模範ト爲ルベシ、然ルトキハ期セズシテ幸福來リ、求メズシテ利益ヲ得ベシ、・・・
 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての現代語訳。
(占)多くの人々(庶民・大衆・諸人)から尊敬される時。
自分の身を慎み、正しい志を抱き、信義を大切にして、よく人と交り、人々の模範となるような人間を志すべき時である。期待しなくても、幸福を招き寄せ、求めなくても、利益を得られるようになる。
○生まれつき才能と人徳を具えている。よく世間の事を考えた上で心を清くして諸事を行えば、多くの人々(庶民・大衆・諸人)だけでなく、神仏をも感動させることができる。
○至誠の心が感じられなければ、吉運を招いても、応じてはならない。
○上の人を仰ぎ親しめば、高貴な人の支援を得られる。
○上の人は下の人を教え導き、下の人は上の人を信服する時。
○泥棒のような犯罪者が身を隠す所がない時。
○世の中が衰退して、賄賂が盛んに飛び交う時。
○上手に見せて誤魔化そうとする時。
○大地に風が吹いて、見た目は清らかになる時。
○観察する時。 ○示す時。 ○変化する予兆を観察する時。
○与える時。 ○外見はよく見えるが、内情は空っぽな時。
○尊敬して慎む時。 ○教え諭す時。
○物価は今は安いが、やがて高騰する。
観 初六 ||・ ・・・

初六。童觀。小人无咎。君子吝。
□初六。童(どう)観(かん)す。小人は咎无し。君子は吝。
 初六は、民を教え導く九五の天子から最も遠く離れている。それゆえ子供のように表面的・短期的・一面的にしか物を観ることができない。庶民の常であるから、咎められない。君子ならば、恥ずかしい。
象曰、初六童觀、小人道也。
□初六の童観は、小人の道なり。
 子供のように表面的・短期的・一面的にしか物を観ることができない。大局観がなく近視眼的にしか物を観られない小人の常である。

 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての原文の一部。
(占)世ニ立チ業ヲ創ムルノ時トス、唯其心掛次第ニテ、將來ノ運モ定マルベシ、其身卑賤ニ在ル者ハ、其日送リニ、日ヲ消スル童子ノ如クナルモ可ナリ、・・・
 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての現代語訳。
(占)世のため人のために事業を開始する時。貴方の心がけ次第で、貴方が属する社会の運命が決まる。身分が低い者は、目先のことに追われても仕方ないが、一定の地位に在り、事を成し遂げようと思っている者は、時勢と世論の動向をよく観て、見識に基づき長期的・根本的な切り口で対応しようとしなければ、大いに恥をかく。
○陰柔な性質を有する人々が内部にいる組織は、観察する視点が狭いので全体が見えない。目先に囚われる時である。
○遠くまで見通せない。耳目聡明ではない。君子は恥じるべき。
○人を騙して、理屈の通らない財産を貪る。
○密かに私財を貯えて、上司や親の目を欺こうとする。
○小人が占ってこの卦爻が出たら、虚偽で人を惑わすことになる。

 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占例の原文の一部。
(占例)某石炭會社ノ社員來リテ曰ク、某局石炭ノ購入ニ方リ、甲乙石炭ノ火力ヲ試験シ、然ル後入札ニ付セラレントス、其勝敗如何ンヲ占ハンコトヲ請フト、乃チ筮シテ、観ノ初爻ヲ得タリ、・・・
 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占例の現代語訳。
(占例)ある石炭会社の社員がやって来て、「ある役所が石炭を購入するのにあたって、わが社の製品甲と他社の製品乙の石炭の火力を試験して比較してから決定しようとしているが、甲乙どちらに決定するかを占ってほしい」と頼まれた。
 そこで筮したところ、観の初爻が出た。
 易斷は次のような判断であった。
 観とは、見ること。今回の占いでは石炭の品質を見ることである。今、ある役所が石炭を購入するのにあたって、火力を試験してから、競争入札にかけようとしているのは公平なやり方である。このことを卦辞・彖辞に「大観上に在り。順にして巽、中正以て天下を観る。臣民が山のように仰ぎ観る陽剛(上九・九五)が上に在る。柔順(坤)に天の道に従い、巽順(巽)に謙遜して高ぶらない。剛健中正の德を備えた天子九五が周く天下を観察して手本を示し、臣民は仰ぎ観る」と云う。
 今回占って初爻が出た。初爻の立場で考えれば、初六は九五とは応じていない。遠く離れて君主の影響が届かない位置に在る。しかも、最下に在るので「童観」と云う。童観は見識が幼稚であり遠くまで見通すことができない。ここで童観とは、石炭の火力を試験する者を指している。
 初六の爻辞に「小人は咎无し。君子は吝。庶民の常であるから、咎められない。君子ならば、恥ずかしい」とあることからすれば、正しい者が敗れ、不正を犯した者が勝利を得る。人間には人格の優れた君子と劣った小人とがいる。君子の智恵は正しさに安んじており、小人の智恵は不善に巧みである。世間の人々が恥知らずならば、小人の巧みで不善な智恵に騙される。今回の試験は、正しい者が敗れ、不正を犯す者が勝利を得る。
 例えば、甲乙それぞれ十トンの石炭を燃やして試験したとする。
 貴方の会社の製品甲は不正をしないが、他社の製品乙は十トンの石炭と偽って十一トンの石炭を用意する。また、乙の石炭の中に貴方の会社の製品甲の石炭を混ぜたりもする。
 このような不正を試験管が見抜けない。
 よって、「貴方の会社の製品甲は残念ながら敗れる」と易断した。
 その後、伝え聞くところ、通常の試験では、甲の製品が勝利したが、その役所の試験だけは、乙の製品が勝利したと云う。

(占例2)友人がやって来て、「ある豪商から招待状が来た。わたしが交際している人々も集まって来る。その時、わたしがどのように接待されるのかを占ってほしい」と頼まれた。
 そこで筮したところ、観の初爻が出た。
 易斷は次のような判断であった。
 観を全体に眺めれば大きな山。家屋に例えると、衆人が集まって仰ぎ見る象(かたち)。だから名付けて観と云う。高楼の上で相見える時。初爻から四爻まで下の者が上の見識が高い者を見上げている。初爻が出たので、貴方は地位が低い童子と見なされて接待を受ける。知り合いが多い中で、そのような接待を受けるのは、小人ならばともかく、君子としては不快である。知り合いも貴方も恥ずかしい思いをするだけである。以上のことから「童観す。小人は咎无し。君子は吝。初六は、民を教え導く九五の天子から最も遠く離れている。それゆえ子供のように表面的・短期的・一面的にしか物を観ることができない。庶民の常であるから、咎められない。君子ならば、恥ずかしい」と云う。
 友人は以上の易断を聞き、招待を受けるかどうか迷っていたが、折角だからと出席した。
 実は、当日、わたしも招待されていたので同席したのだが、その友人は数十人の中で末席に座っていた。本来、知識や功労からしてもっと上座に座るべき人物だが、冷遇されていた。易断の通りなので、やむを得ないことである。

観 六二 ||・ ・・・

六二。闚觀。利女貞。
□六二。闚(き)觀(かん)す。女(じよ)の貞に利し。
 六二は、民を教え導く九五の天子と遠く離れて、門の間からそっと外をのぞき観る。女の道(陰の役割)を固く守るがよい。
象曰、闚觀。女貞、亦、亦可醜也。
□闚(き)觀(かん)す。女(じよ)の貞は、亦(また)、醜(は)ず可き也。
 女の道を固く守る。君子ならば、恥ずかしい…。

 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての原文の一部。
(占)心ニ待チ焦レ、輕躁ニ失スルコトアリ、又高堂ニ入リ、貴顕ニ謁シテ、恐レ臆スルノ象アリ、是レ常ニ學問ヲ怠リ、識量ヲ研カザルノ致ス所ナリ、・・・
 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての現代語訳。
(占)心が待ち焦がれて、軽率に動いて失敗する。立派なお寺で修行した立派なお坊さまに謁見して、恐れおののく時である。常に学問を怠って見識を磨かなかったからである。このようになることを避けるには、言葉は慎み、行いを正して、他人から侮(あなど)られることを防がなければならない。以上のようであるから、小さな事なら実行してもよいが、大きな事は実行してはならない。
○幼い子供や女性のような見識しか持てない。
○不正を恐れて、中庸の德を身に付けようとする。
○勤勉に事を為して立身出世する。

 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占例の原文の一部。
(占例)明治二十三年、貴族院ヲ占ヒテ、觀ノ第二爻を得タリ、・・・
 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占例の現代語訳。
(占例)明治二十三年、貴族院の運勢を占って筮したところ、観の二爻が出た。
 易斷は次のような判断であった。
 観は、上下の卦が合致する時は、一つの毅然とした大山のようである。あるいは、高い楼閣のようである。そして、上卦の二爻は政府の高官で、人民を上から俯瞰している。上卦の二爻の下に位置する四爻は人民であり、人格者である政府の高官を仰ぎ見ている。それぞれ互いに相見えるから観と云う。それぞれの爻においては、下から上に至る過程で見識や人格が磨かれ、その位に相応しい人物が就いてる。
 まず、卦全体を俯瞰して、その意味するところを説くと、初爻は卦の最下にあるから、最も人格が劣っており、子供のようである。それゆえ、爻辞に「童観す。小人は咎无し。君子は吝。民を教え導く九五の天子から最も遠く離れている。それゆえ子供のように表面的・短期的・一面的にしか物を観ることができない。庶民の常であるから、咎められない。君子ならば、恥ずかしい」とある。
 二爻は、女性のような見識しか具えていない。それゆえ家の中のことには通じているが、世間のことには通じていない。それゆえ、象伝に「闚(き)觀(かん)す。女(じよ)の貞は、亦(また)、醜(は)ず可き也。女の道を固く守る。君子ならば、恥ずかしい…」とある。
 三爻は、二爻よりも一つ上に進んで、一定の見識を具えている。だから自分ができることは行い、できないことは行わない。それゆえ、爻辞に「我が生を観て進退す。上に進むか下に退くかという境目に居る。己の才德や功績をよく省察し、時勢や環境を見極めて、出処進退を決定する」とある。
 四爻は、三爻よりも一つ上に進み、高い見識を具えている。君主を支える側近として、天から授かった才能と智恵が輝いている。それゆえ、君主を支える時は至誠の心で仕えるのである。
 五爻は天命によって君位に在る人物で、聖人のような見識を具えて、臣民から仰ぎ見られている。その光輝く九五の人徳から、臣民は多くのことを学ぶ。臣民を教導すれば、誰からも咎められない。
 上爻は、九五の後にいる顧問官。君主を補佐する顧問官としての役割を全うすれば咎められない。役割を全うできなければ、その地位に安んずることができない。それゆえ、象伝に「其の生を観るとは、志未だ平らかならざるなり。一挙手一投足が注目される。聖君の相談役として、志を安閑として呑気に構えていられないのである」とある。
 観の卦全体を俯瞰すれば、以上の通りである。
 今回、貴族院の運勢を占って二爻が出た。二爻は陰爻陰位で位正しく、陽爻陽位の九五に応じている。だが、貴族院は皇族や華族や高額納税者から議員が選出されている。どうして「女の貞に利し。女の道(陰の役割)を固く守るがよい」であろうか。
 これでは、九五の恩恵に報いることができない。日本政府がどれだけ近代化しているかを客観的に捉えて、欧米各国の近代化と比較し、足りないところは学ぶべきである。またそのことを貴族院として主張し、侃々諤々の議論を重ねて、欧米各国から称賛されるようになることを望む。
 大象伝に「方を省み、民を観て教えを設く。諸国を巡幸し、風俗・慣習・文化の相違を詳らかに観察して、それぞれに適した国是を定め政治教育を施したのである」と云っているのは、そのことである。
 わたしは、以上の易断に示された良識の府として貴族院が進化することを望んだ。

観 六三 ||・ ・・・

六三。觀我生進退。
□六三。我が生を観て進退す。
 上に進むか下に退くかという境目に居る。己の才德や功績をよく省察し、時勢や環境を見極めて、出処進退を決定する。
象曰、觀我生進退、未失道也。
□我が生を観て進退すとは、未だ道を失わざる也。
 時勢や環境を見極めて、出処進退を決定する。
 道を得るには至らないが、道に外れる心配はない。

 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての原文の一部。
(占)此爻貴賤ノ分界ニ居リ、大觀ノ時ニ遇フ、故ニ時宜ヲ謀リ、身ヲ省ミ、是非ヲ明ニシテ、進退ヲ決スベシ、又放恣ノ行ヲ爲サズ己ヲ勉メ、人ヲ憐マバ、必ズ幸福アルベシ、・・・
 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての現代語訳。
(占)貴きと卑しきの境目に居て、大いなる観の時に中る。時の宜しきを計り、自省して、是非善悪を明らかにし、進退を決定するべきである。物事をやりっ放しにならないように注意し、よく勉強して、思いやりの気持ちで人に接すれば、必ずや幸福を招き寄せる。
○自分が為し遂げようとしている事業の成否を冷静に判断して、決行するかしないか、進退を決定するべきである。
○自分の本業が何であるかをよく考えてから動くべきである。
○「温故知新」。古来から伝わる法則を将来に応用するべきである。

 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占例の原文の一部。
(占例)友人來テ曰ク、同業者三名組合ヲ立テ、北海道ニ漁業ヲ開ントス、前途ノ吉凶ヲ占ハンコトヲ請フト、乃チ筮シテ觀ノ第三爻を得タリ、・・・
 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占例の現代語訳。
(占例)友人がやって来て「同業者三人を集めて組合を結成し、北海道で漁業をやろうと思うが、前途の吉凶を占って欲しい」と頼まれたので筮したところ、観の三爻が出た。
 易斷は次のような判断であった。
 観は風が地上に吹いている。風は人の目には見えないが、風によって物が動くので風の存在が分かる。事業に当て嵌めると、事業を始める前の計画作成と利益予測は容易にできるが、いざ始めると、思っていなかった事態に遭遇する。
 貴方は、北海道で漁業をやろうと思っているが、貴方以外の二人は、貴方に比べて才能も智恵も不足しており、資金力もない。見識が低くて忍耐力も弱い。事業を遂行するにあたって貴方の足を引っ張ることになる。貴方に独りになっても事業を成し遂げようという覚悟がなければ、事業に取り組むべきではない。
 吉凶を占って、この爻が出た時は、ほんの少しも他の力を借りず、自分の智恵と資金力だけでやれるかどうか熟慮して、成否や吉凶を判断すべきである。このことを「我が生を観て進退す。上に進むか下に退くかという境目に居る。己の才德や功績をよく省察し、時勢や環境を見極めて、出処進退を決定する」と云う。
 以上のように易断したが、友人は、同業者三人で漁業に取り組んだ。
 同業者二人は事業半ばに至る前に挫折した。友人は、予定していた資金よりも多額の資金を投入したが、不漁が続いて、遂に事業は軌道に乗らず、大損した。

観 六四 ||・ ・・・

六四。觀國之光。利用賓于王。
□六四。國の光を観る。用て王に賓たるに利し。
 間近に聖賢の德を仰ぎ観て治国平天下の光を観る。朝廷の賓客として聖君を確(しか)と補佐するがよい。
象曰、觀國之光、尚賓也。
○國の光を観るとは、賓たるを尚ぶ也。
 聖賢の德を仰ぎ観て治国平天下の光を観る。
 朝廷の賓客として聖君を確(しか)と補佐せんと庶(こい)幾(ねが)う。

 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての原文の一部。
(占)此爻ヲ得ルトキハ、貴顕ノ愛顧ヲ蒙ルベシ、又德アルモノハ、貴顕ニ随從シテ、國家ノ大猷ニ與ルベキノ時ナリ、時ヲ察シ、勢ヲ知リ、我德ヲ量リ、・・・
 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての現代語訳。
(占)貴人の愛顧を賜る時。貴人に随行して国家の大事業に参画する時。時を観察して状況を知り、貴人に仕えるべきである。名君が人を用いるのは国家のため。側近としての役割を果たすべく、部下の中から賢人を抜擢任用する。それが実現できれば、万民は喜び政府を信頼する。名君に仕えて国家のために尽くす時である。
○卑しい人物が貴い人物に仕え、大衆に恩沢を施すために、貴い人物を確(しか)と補佐する時である。
○目上の人に取り立てられて運が開ける。
○思ってもいなかった吉運を招き寄せる。
○苦労の中から吉運が開けていく。
○近いところに明るいものがある。側近として君主に接近する時。
○願望を実現しようとして利益を得る時。

 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占例の原文の一部。
(占例)明治七年、某貴顕ノ清國ニ渡航スルヲ占ヒ、筮シテ觀ノ第四爻を得タリ、・・・
 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占例の現代語訳。
(占例)明治七年、ある貴人が清国に渡航することの是非を占って筮したところ、観の四爻が出た。
 易斷は次のような判断であった。
 観は四つの陰爻が時流に乗って二つの陽爻に迫る。臣民が勢力を増大して、君位を犯そうとする。今回占って四爻が出た。これを清国に渡航する貴人の是非に当て嵌めて考えると、貴人が清国に渡航すれば、四陰が二陽に迫るように清国の君位を脅かすことになる。
貴人と清国との談判は至って難しいものとなる。
 貴人は日本国の未来を担って渡航する。政府の命令(すなわち天皇の命令)に奉じて、その意志を貫徹し、大いに日本国の権威を高める。わが国の光を相手の国及び世界各国に知らしめて、相手国の国王から賓客の礼儀を以て歓迎される。
 このことを「國の光を観る。用て王に賓たるに利し。間近に聖賢の德を仰ぎ観て治国平天下の光を観る。朝廷の賓客として聖君を確(しか)と補佐するがよい」と云う。
 貴人は、日本国の代表として、日本の権威を辱(はずかし)めることなく、政府の命令に奉じて、その意志を貫徹して帰国したのである。

観 九五 ||・ ・・・

九五。觀我生。君子无咎。
□九五。我が生を観る。君子なれば咎无し。
 天下の治乱興亡は天子の德風に従う。聖君は自分の政治の是非を量るため、天下の治乱・万民の風俗を観察する。天下は治まり万民の風俗が善良ならば、咎められない。
象曰、觀我生、觀民也。
□我が生を観るとは、民を観る也。
 自分の政治の是非を知る。理想の天子を目指して、益々德を養う。

 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての原文の一部。
(占)人ニ對シテ信ナレバ、人我ヲ信ズ、人ノ信ゼザルハ我ノ信ナラザルニ由ル、爾ニ出タルモノハ爾ニ反ル、愼マザル可ケンヤ、・・・
 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての現代語訳。
(占)人を信用すれば、人から信頼される。
 人から信頼されないのは、人を信用していないからである。
 自分が発したものが、自分に返ってくる。慎むべきである。
○君位に在る者として、臣民が善き徳を具えているかどうかは、自分が徳を具えているかどうかにかかっている。それゆえ、臣民を観察することは、自分の生き方を観察することである。
○観察する(される)時、仰ぐ(仰がれる)時。
○陽剛の性質を具えた人物(君子・大人)が天命を授かって、人々(小人)を教え導く時。
○賢者や人徳者が大きな成功を治めて、世間から尊ばれる時。

 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占例の原文の一部。
(占例)友人或ル會社ノ社長ニ推撰セラレ來テ其社ノ盛衰如何ヲ占ハンコトヲ請フ、乃チ筮シテ觀ノ第五爻を得タリ、・・・
 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占例の現代語訳。
(占例)周りの人々から推薦されてある会社の社長に就任した友人がやって来て、会社の盛衰を占ってほしいと頼まれた。
 そこで、筮したところ、観の五爻が出た。
 易斷は次のような判断であった。
 観の卦全体を俯瞰すれば、大きな山のような象(大艮)をしている。また、高楼のようでもある。この象を国家に当て嵌めれば、君位に在る人物(君主)が威風堂々としており、天から授かったすぐれた人徳を臣民に示す。その人物は、高い位から万民を俯瞰し、万民の病気や苦しみを救済するので、臣民は高い位に在るその人物の一挙手一投足を仰ぎ見る。以上のように、上下互いに相見える時ゆえ「観」と名付ける。(観は陰陽消長の循環の中で陰が長ずる時である。)陽たる君子(君主)は陰たる小人(臣民)が恐るべき存在であることを知っており、その地位を維持するべく、君子に相応しい人德を磨き続ける。
 一方小人は、最初は君子を追いやって君位を奪い取ろうとする。やがて、君子を追いやることはできないことを知り、それぞれ、下の位に安んじて、それをよしとする。
 今回占って五爻が出た。友人は社長という上の地位から、下の社員をよく観察して恩沢を施す時である。
 社員の立ち居振る舞いは、社長のそれを写し出す鏡である。社員の立ち居振る舞いが善良ならば、社長のそれも善良であることがわかり、逆ならば、社長の立ち居振る舞いに問題があることがわかる。この場合は、大いに反省して改善しなければならない。
 以上のようであるから「我が生を観る。君子なれば咎无し。天下の治乱興亡は天子の德風に従う。聖君は自分の政治の是非を量るため、天下の治乱・万民の風俗を観察する。天下は治まり万民の風俗が善良ならば、咎められない」と云う。
 社長個人に当て嵌めれば、社長個人の一挙手一投足に常に社員全員が注目している。自分の言行を慎み、率先垂範して事に中らなければならない。それが実現できれば、社員は社長を手本とするようになり、命令しなくてもきちんと仕事をこなすようになる。
 以上から、会社の吉凶盛衰は友人の心の中に存在すると易断した。
 その友人は易断に発憤して社長職をこなした。
 その結果、社員から末端の工員まで社長の人徳に感化されたのである。

観 上九 ||・ ・・・

上九。觀其生。君子无咎。
□上九。其の生を観る。君子なれば咎无し。
 賢人上九は九五の相談役として万民から仰ぎ観られ、一挙手一投足が注目される。聖君の相談役に相応しい人物(君子)ならば、咎められない。
象曰、觀其生、志未平也。
□其の生を観るとは、志未だ平らかならざる也。
 一挙手一投足が注目される。聖君の相談役として、志を安閑として呑気に構えていられないのである。

 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての原文の一部。
(占)天下ノ重職國家ノ大任ニ當ルノ位ニシテ、緊要ノ時トス、風地觀ハ神ヲ祭ルノ卦、此爻上位ナルガ故ニ、心ヲ潔クシ、行ヲ正シクシテ、位ヲ保ツベシ、・・・
 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての現代語訳。
(占)天下国家の重鎮として君主の相談役としての大任に中る。非常に重要な役割を担っている。風地観は神仏を尊崇して祭祀する時。
 この爻は上の位に居るので、下の位の者から観れば神仏である。心を清潔にして、行いを正しくすれば、その地位を保つことができる。
 志を見失えば、自ら災難を招き寄せる。
○何事も他力に頼ってはならない。中途半端に関わっている人々の存在が、思わぬ障害になる時である。
○孤立しない。必ず誰かと共にある。
○直接任務を遂行しなくても、下の人物のために役割を果たす時。
○万事、吉運を招き寄せる時。
○人々から尊崇されすぎて、結局何もできないこともある。

 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占例の原文の一部。
(占例)明治十八年ノ歳鈔鳥尾得庵居士來遊アリ、終日易理ヲ論ジタルノ末、談今日我國ニ於テ眞ニ易道ニ通ゼル者有リヤ無シヤ(中略)鳥尾君曰ク、有無ノ論辨多言ヲ煩スコトヲ須ヒズ、一占以テ之ヲ決スルニ如ズト、余遂ニ之ヲ筮シテ觀ノ上爻を得タリ、・・・
 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占例の現代語訳。
(占例)明治十八年の年末に鳥(とり)尾(お)得(とく)庵(あん)居士が遊びに来た。終日、易の話をした後で、今の日本にどれだけ易を理解している人がいるか、という話になった。
 鳥尾居士は一定数いると云い、わたしはほとんどいないと応えたので、結論が出なかった。そこで、今の日本にどの程度易を理解している人がいるかを占うことになり、筮したところ、観の上爻が出た。
 易斷は次のような判断であった。
 上爻は世間に超然としている位。観の全体像を眺めると大艮であり、神仏を祭祀する卦である。六爻を三才に配当すると、五爻と上爻を天の位と考える。六爻は天位中の天位。このことから考えると、天道は変ずることなく、常に「其の生を観る。万民から仰ぎ観られ、一挙手一投足が注目される」が、人間は常に変化しており、天道とは一致しない。天(易の原理)は常に陽剛の徳を具えているが、人(易を学ぶ人)はそうではない。また、上爻を(易の原理と見立てて、これを)時に当て嵌めれば「未来」を指す。今はまだ易の原理を本当に理解している人は存在しないが、後世は易の原理を体得する人物が現われる。以上のように解説したところ、鳥尾居士は納得して、次のように言った。
「おっしゃるように、観の上爻は、そのように解釈することができる。そこで、中筮法で占った場合どうなるか、再考してみたい」。
 筮したところ、水沢節の三爻が変じて水天需に移行すると出た。
 節の三爻の象伝に「節せざるの嗟(なげき)は、又誰か咎めんなり。羽目を外して嘆き悲しむ。自業自得だ。一体誰を咎められようか」とある。これを断ずると、今、易の原理を本当に理解している人が存在しないのは、霜が降る冬の季節に、春の花が咲くことを求め、暑い夏の日に寒い冬の日を求めるようなもので、どうにもならないことであるから、誰を咎めることもできない。今の日本にどの程度易を理解している人がいるかを占って、二度筮を立てたところ、同じ結論に到達した。
「嗚呼、やはり、今の日本には、易の原理を本当に理解している人はいないのだなぁ」と慨嘆して、鳥尾居士と別れた。

(占例2)わたしの親友の商人が三階建ての家屋を建築しようとして、有名な建築家に依頼して図面を書いてもらった。
 商人はその図面を示して、その可否を占ってほしいと、わたしに依頼したので、筮したところ、観の上爻が出た。
 易斷は次のような判断であった。
 観の卦の全体像を見渡すと高楼の形をしている。上爻を建築家として見立てると、見識が高い建築家が西欧でも有名な建築の専門書を模範として図面を書いたようだから、構造上の問題はない。だが、本来この爻は、天子の後ろに控えて、天子にアドバイスする顧問官の地位である。天下国家の重大事に対処するに中り自ら固く信じている意見を至誠の心でアドバイスしなければならない。
 そのアドバイスは天下国家の一大方針として施工される。
 大衆のレベルは、政府のレベルを写し出す鏡である。大衆のレベルが高ければ、顧問官として問題ない。レベルが低ければ、顧問官としての役割を全うしていない。政府の信頼に背いて、大衆の風俗を乱したことの責任を負わなければならない。
 その設計図の完成度が極めて高くても、それは西欧の設計図を模範としているので、日本に適しているとは限らない。西欧と日本では気候風土が異なる。家屋の建築もその違いを踏まえたものでなければならない。
 建築家は西欧の設計図を模範とするだけでなく、その違いを踏まえた折衷案を示さなければならない。湿気の多い日本では、夏場の快適性を基本とした設計が求められるが、冬が長い西欧では、冬場の快適性を基本とした設計が求められる。
 しかし、その建築家の図面は西欧の設計図を模範としており、日本の気候風土には不向きである。そのため、その設計図に基づいて家屋を建てると変更箇所が多く、不満を感じると易断した。
 象伝に「其の生を観るとは、志未だ平らかならざる也。一挙手一投足が注目される。聖君の相談役として、志を安閑として呑気に構えていられない」とは、そのことである。
(残念ながら、易断の結果は、何も書いてない。)