毎日連載! 易経や易占いに関する情報を毎日アップしています。

陰陽古事記伝 天若日子の派遣 二

□あらすじ
 様子を探りに行った雉は矢で射殺された。裏切りが発覚した天(あめの)若(わか)日(ひ)子(こ)は返し矢で死んだ。

【書き下し文】
故(かれ)、爾(しか)くして鳴(なき)女(め)、天(あめ)より降(くだ)り到りて、天(あめの)若(わか)日(ひ)子(こ)の門(かど)なる湯(ゆ)津(つ)楓(かつら)の上に居て、言(こと)の委曲(つばひら)けきこと天つ神の詔(みこと)命(のり)の如(ごと)し。爾(しか)くして天佐具賣(あめのさぐめ)、此(こ)の鳥(とり)の言(こと)を聞きて、天(あめの)若(わか)日(ひ)子(こ)に語りて言(まを)しく、「此(こ)の鳥は其(そ)の鳴く音(こえ)、甚(いと)惡(あ)し。故(かれ)、射殺(いころ)すべし」と、云(い)い進むるに、即(すなわ)ち天(あめの)若(わか)日(ひ)子(こ)、天(あま)つ神の賜(たま)えりし天(あめ)の波(は)士(じ)弓(ゆみ)、天(あめ)の加久矢(かくや)を持ちて、其(そ)の雉(きぎし)を射殺(いころ)しき。爾(しか)くして其(そ)の矢、雉(きざし)の胸より通りて、逆(さか)しまに射上(いあが)りて、天(あめ)の安河(やすのかわ)の河原(かわら)に坐(いま)す天照大御神・高木(たかぎ)の神の御所(みもと)に逮(いた)りき。是(こ)の高木の神は、高(たか)御(み)産(む)巣(す)日(ひ)の神の別名(ことな)ぞ。故(かれ)、高木の神、其(そ)の矢を取りて見れば、血、其の矢の羽(は)に箸(つ)けり。是(ここ)に高木の神、「此(こ)の矢は天(あめの)若(わか)日(ひ)子(こ)に賜(たま)える矢ぞ」と告(の)りたまひて、即(すなわ)ち諸(もろもろ)の神等(たち)に示して詔(の)りたまわく、「或(も)し天(あめの)若(わか)日(ひ)子(こ)、命(みことのり)を誤(あやまた)ず、惡(あ)しき神(かみ)を射(い)んと爲(す)る矢の至(いた)りなば、天(あめの)若(わか)日(ひ)子(こ)に中(あた)らずあれ。或(も)し邪(あ)しき心有らば、天(あめの)若(わか)日(ひ)子(こ)、此(こ)の矢に禍(まが)れ」と、云(い)いて、其(そ)の矢を取りて其(そ)の矢の穴より衝(つ)き返(かえ)し下(くだ)ししかば、天(あめの)若(わか)日(ひ)子(こ)が朝床(あさとこ)に寢(い)ねたる高胸坂(たかむなさか)に中(あた)りて死にき。【これ還(かへり)矢(や)の本なり】また其(そ)の雉(きぎし)還(かえ)らず。故(かれ)、今(いま)に諺(ことわざ)に「雉(きぎし)の頓使(ひたづかい)」と曰(い)う本、是(これ)れなり。

〇通釈(超釈はない)
 高天原の神々に命じられて、出雲の国(葦原(あしはら)の中(なか)つ國)に降ってきた鳴(なき)女(め)は、天(あめの)若(わか)日(ひ)子(こ)の家の門にある桂の木の上に止まって、高天原の神々から尋ねてくるように命じられた詔(みことのり)を天(あめの)若(わか)日(ひ)子(こ)に正確に伝えた。すると、鳴(なき)女(め)の言葉を聞いた天(あめの)佐(さ)具(ぐ)賣(め)(隠密に行動する巫女)は、「この鳴(なき)女(め)が発する鳴き声は害悪だから、射殺してしまうべきだ」と天若日子(あめのわかひこ)に伝えると、何と天(あめの)若(わか)日(ひ)子(こ)は、高天原の神々から賜った天(あめ)之(の)麻(ま)迦(か)古(こ)弓(ゆみ)と天(あめ)之(の)波(は)波(は)の矢(や)を用いて、鳴(なき)女(め)を射殺してしまったのである。すると、その矢は鳴(なき)女(め)の胸を突き抜けて、天に昇っていき高天原の天(あめ)の安河(やすのかわ)の河原(かわら)に居られた天照大御神と高木(たかぎ)の神(高(たか)御(み)産(む)巣(す)日(ひ)の神の別名)の所に至った。高木(たかぎ)の神(高(たか)御(み)産(む)巣(す)日(ひ)の神の別名)が、その矢を手に取って見ると、羽根に血が付いていた。驚いた高木(たかぎ)の神(高(たか)御(み)産(む)巣(す)日(ひ)の神の別名)は「この矢は天(あめの)若(わか)日(ひ)子(こ)に賜(たまわ)った矢である」とおっしゃって、諸々の神々を集めて、その矢を指し示し、「もし天(あめの)若(わか)日(ひ)子(こ)が命令に背かず、荒ぶる神を射殺した矢がここ(高天原)に届いたのならば、天(あめの)若(わか)日(ひ)子(こ)には当たるな。もし反逆心があって射た矢が、ここに届いたのならば、天(あめの)若(わか)日(ひ)子(こ)はこの矢に当たって禍を受けよ」とおっしゃって、その矢を下界に投げ返すと、矢は家で寝ていた天(あめの)若(わか)日(ひ)子(こ)の胸に当たって、天(あめの)若(わか)日(ひ)子(こ)は死んだ(これが返し矢の起こり)のである。結局、高天原から派遣した鳴女(なきめ)は行ったきり戻ってこなかった。これが「雉(きぎし)の頓(ひた)使(づかい)」という諺(ことわざ)の語源である。