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陰陽古事記伝 天若日子の派遣 一

天(あめの)若(わか)日(ひ)子(こ)の派遣

□あらすじ
 大国主に取り込まれた天(あめの)菩(ほ)比(ひ)に替わって高天原の魂の御子(若くて元気と云う意味らしい)・天(あめの)若(わか)日子(ひこ)を出雲の国に派遣したが、天(あめの)若(わか)日子(ひこ)は邪心を抱いており、八年経っても音信不通だった。そこで、雉を派遣して天(あめの)若(わか)日子(ひこ)の様子を探らせた。

【書き下し文】
是(ここ)を以(も)ちて高(たか)御(み)産(む)巣(す)日(ひ)の神・天照大御神、また諸(もろもろ)の神等(かみたち)に、「葦原(あしはら)の中(なか)つ國に遣(つか)わせし天(あめの)菩(ほ)比(ひ)の神、久しく復(かえりごと)奏(もう)さず。また何(いづ)れの神を使(つか)わさば吉(よ)けむ」と問いたまひき。爾(しか)くして思金(おもいかね)の神、答えて、「天(あま)津(つ)國(くに)玉(たま)の神の子、天(あめの)若(わか)日(ひ)子(こ)を遣(つか)わす可(べ)し」と白(まを)しき。故(かれ)、爾(しか)くして天(あめ)之(の)麻(ま)迦(か)古(こ)弓(ゆみ)・天(あめ)之(の)波(は)波(は)の矢(や)を以(も)ちて、天(あめの)若(わか)日子(ひこ)に賜(たま)いて遣(つか)わしき。是(ここ)に天(あめの)若(わか)日子(ひこ)、其(そ)の國に降(くだ)り到(いた)りて、即(すなわ)ち大國主の神の女(むすめ)、下(した)照(てる)比(ひ)賣(め)を娶(めと)りて、また其の國を獲(え)んと慮(おもいはか)りて、八年(やとせ)に至(いた)るも復(かえりごと)奏(もう)さざりき。故(かれ)、爾(しか)くして天照大御神・高御産巣日の神、また諸(もろもろ)の神等(たち)に、「天(あめの)若(わか)日子(ひこ)、久しく復(かえりごと)奏(もう)さず。又、曷(いづ)れの神を遣(つか)わしてか、天(あめの)若(わか)日子(ひこ)の淹(ひさ)しく留(とど)まれる所由(ゆえ)を問(と)わん」と問(と)いたまひき。是(ここ)に諸(もろもろ)の神及び思金(おもいかね)の神、答えて、「雉(きぎし)、名は鳴女(なきめ)を遣(つか)わす可(べ)し」と白(まを)す時に、「汝(な)行きて、天(あめの)若(わか)日子(ひこ)を問わん状(かたち)は、『汝(な)を葦原(あしはら)の中つ國に使わせし所以(ゆえ)は、其(そ)の國の荒振(あらぶ)る神等(ども)を言(こと)趣(む)け和(やわ)せとぞ。何(いか)にか八年(やとせ)に至るまで復(かえりごと)奏(もう)さぬ』」と詔(の)りたまひき。

〇通釈(超釈はない)
 そこで、高(たか)御(み)産(む)巣(す)日(ひ)の神と天照大御神は諸々の神々を集めて、「出雲の国(葦原(あしはら)の中(なか)つ國)に派遣した天(あめの)菩(ほ)比(ひ)の神が何年経っても何も報告してこない。これでは話にならないので、次の神を派遣しようと思うが、どの神を派遣すればよいだろうか」と尋ねた。すると、思金(おもいかね)の神が「天(あま)津(つ)國(くに)玉(たま)の神(高天原の魂)の子、天(あめの)若(わか)日(ひ)子(こ)を派遣すべきでしょう」と答えた。以上のような経緯で、天(あめの)若(わか)日(ひ)子(こ)に天(あめ)之(の)麻(ま)迦(か)古(こ)弓(ゆみ)と天(あめ)之(の)波(は)波(は)の矢(や)を賜(たま)り、出雲の国(葦原(あしはら)の中(なか)つ國)に派遣することになった。ところが、天(あめの)若(わか)日(ひ)子(こ)は自分が出雲の国を乗っ取ろうと謀んで、大国主の神の娘の下(した)照(てる)比(ひ)賣(め)と政略結婚して、八年経っても高天原には何も報告しなかった。
 待ちきれなくなった天照大御神と高御産巣日の神は諸々の神々を集めて、「天(あめの)若(わか)日(ひ)子(こ)は何時まで経っても何一つ報告してこない。その理由を知りたいのだが、どうしたらよいだろうか」と尋ねた。すると、諸々の神々と思金(おもいかね)の神は、「鳴(なき)女(め)と云う名の雉(きじ)を派遣するのがよいでしょう」と答えた。そして、鳴(なき)女(め)を派遣する時に、「お前(天(あめの)若(わか)日(ひ)子(こ))を出雲の国(葦原(あしはら)の中(なか)つ國)に派遣したのは、その国の荒ぶる神共を平定するためであったが、どうして八年も経っているのに何の報告もしてこないのか」それを尋ねてきなさいと仰せになった。