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陰陽古事記伝 須勢理毘賣(すせりびめ)の嫉妬

須(す)勢(せ)理(り)毘(び)賣(め)の嫉妬

□あらすじ
 須佐之男の女性関係に苦しんでいる妻の須勢理毘賣(すせりびめ)の姿を見て、反省した須佐之男は、須勢理毘賣(すせりびめ)と永遠の夫婦として仲睦まじくあることを誓った。

【書き下し文】
又(また)、其(そ)の神の嫡后(おおきさき)、須勢理毘賣(すせりびめ)の命(みこと)、甚(はなはだ)だ嫉(うわなり)妬(ねたみ)爲(し)き。故(かれ)、其(そ)の日子遲(ひこじ)の神、わびて、出雲より倭(やまと)の國に上(のぼ)り坐(ま)さんとして束裝(よそお)い立ちし時に、片(かた)御(み)手(て)は御馬(みま)の鞍(くら)に繋(か)け、片(かた)御(み)足(あし)は其(そ)の御(み)鐙(あぶみ)に蹈(ふ)み入れて歌い曰(たま)ひしく、
 ぬばたまの  黑(くろ)き御(みけ)衣(し)を  ま具(つぶさ)に
 取(と)り装(よそ)い  沖(おき)つ鳥(とり)  胸(むな)見る時
 はたたぎも  是(これ)は適(ふさ)はず  辺(へ)つ波(なみ)
 其(そ)に脱ぎ捨て  鳥(そにどり)の  青き御(みけ)衣(し)を
 ま具(つぶさ)に  取(と)り装(よそ)い  沖(おき)つ鳥(とり)
 胸(むな)見る時  はたたぎも  是(これ)は適(ふさ)はず
 辺(へ)つ波(なみ)  其(そ)に脱ぎ捨(う)て  山方(やまがた)に
 蒔(ま)きし  茜(あたね)春(つ)き  染(そ)め木が汁(しる)に
 染(し)め衣(ころも)を  ま具(つぶさ)に  取(と)り装(よそ)い
 沖(おき)つ鳥(とり)  胸(むな)見る時  はたたぎも
 是(こ)し宜(よろ)し  愛(いと)子(こ)やの  妹(いも)の命(みこと)
 群鳥(むらとり)の  我(あ)が群(む)れ去(い)なば  引(ひ)け鳥(とり)の
 我(あ)が引け去(い)なば 泣かじとは 汝(な)は言(い)うとも
 やまとの  一本(ひともと)薄(すすき)  項(うな)傾(かぶ)し
 汝(な)が泣(な)か様(さま)く  朝天(あさあめ)の  霧(きり)に立たむぞ
 若草(わかくさ)の  妻(つま)の命(みこと)  事(こと)の
 語(かた)りごとも  此(こ)をば
爾(しか)くして其(そ)の后(きさき)、大(おお)御(み)酒(き)の坏(さかづき)を取り、立ち依(よ)り指(さ)し擧(あ)げて、歌い曰(たま)ひしく、
 八(や)千(ち)矛(ほこ)の  神の命(みこと)や  我(あ)が大國主(おおくにぬし)
 汝(な)こそは  男(お)にいませば  うち見る
 島(しま)の先々(さきざき)  かき見る  磯(いそ)の先(さき)落(お)ちず
 若草(わかくさ)の  妻(つま)持(も)たせらめ  我(あ)はもよ
 女(め)にしあれば  汝(な)を除(き)て  男(お)は無し
 汝(な)を除(き)て  夫(つま)は無し  綾垣(あやかき)の
 ふはやが下(した)に  蚕(むし)衾(ぶすま)  柔(にこ)やが下(した)に
 栲(たく)衾(ぶすま)  さやぐが下(した)に  淡雪(あわゆき)の
 若(わか)やる胸を  栲綱(たくづの)の  白き腕(ただむき)
 そ叩(だた)き  叩(たた)き愛(まな)がり  真(ま)玉(たま)手(で)
 玉手差し枕(ま)き  股長(ももなが)に  寝(い)をし寝(な)せ
 豊(とよ)神(み)酒(き)  奉(たてま)つらせ
如此(かく)歌いて、即(すなわ)ちうきゆひ爲(し)て、うながけりて今に至るまで鎭(しづ)まり坐(ま)す。 此(これ)を神語(かむがたり)と謂(い)う。

〇通釈(超釈はない)
 沼(ぬな)河(かわ)比(ひ)賣(め)の噂(うわさ)を聞いた大国主の正妻須世理毘賣(すせりびめ)は、悲しい思いをして、八(や)上(かみ)比(ひ)賣(め)や沼(ぬな)河(かわ)比(ひ)賣(め)を心の底から嫉妬するようになった。妻が苦しんでいる様子を見て、大国主は妻の悲しい思いや嫉妬心を宥(なだ)めようと思って優しい言葉をかけるようになった。
 ある日、大国主が出雲の国から大和の国(奈良県)に出陣しようとしている時に、妻があまりにも寂しそうにしていたので、片手を馬の鞍(くら)にかけ、片足を鐙(あぶみ)に入れたままの姿で、次のような歌をお詠みになった。
 ぬばたまの  黑(くろ)き御(みけ)衣(し)を  ま具(つぶさ)に
 取(と)り装(よそ)い  沖(おき)つ鳥(とり)  胸(むな)見る時
 はたたぎも  是(これ)は適(ふさ)はず  辺(へ)つ波(なみ)
 其(そ)に脱ぎ捨て  鳥(そにどり)の  青き御(みけ)衣(し)を
 ま具(つぶさ)に  取(と)り装(よそ)い  沖(おき)つ鳥(とり)
 胸(むな)見る時 はたたぎも  是(これ)は適(ふさ)はず
 旅に出ようとして、黒色の衣装(八(や)上(かみ)比(ひ)賣(め)の例え)を身に付けたが、まるで沖の水鳥が自分の胸元を見るようにして羽ばたくように、袖を通してみても、どうも似合わない。岸に波が寄せる所に黒色の衣装を脱ぎ捨て、カワセミのような青色の衣装(沼(ぬな)河(かわ)比(ひ)賣(め)の例え)をしっかりと着込んで、沖の水鳥が自分の胸元を見るように、袖を通して広げてみても、どうもこれもしっくりこない。
 辺(へ)つ波(なみ)  其(そ)に脱ぎ捨(う)て  山方(やまがた)に
 蒔(ま)きし  茜(あたね)春(つ)き  染(そ)め木が汁(しる)に
 染(し)め衣(ころも)を  ま具(つぶさ)に  取(と)り装(よそ)い
 沖(おき)つ鳥(とり)  胸(むな)見る時  はたたぎも
 是(こ)し宜(よろ)し  愛(いと)子(こ)やの  妹(いも)の命(みこと)
 そこで、波が寄せる浜辺に青色の衣装も脱ぎ捨て、山の畑に蒔いた茜(あかね)の根の染め草の汁で染めた茜色の衣装(須世理毘賣(すせりびめ)の例え)をしっかりと着込んで、沖の水鳥が自分の胸元を見るように、袖を通して広げてみたら、これはよく似合っている。どの衣装よりもしっくりくる。やっぱりわたしはあなたでないと駄目なのだ。
 あなたと一緒でなければ、あなたがいなければ出雲の国創りはできないのだ。愛しい妻よ、愛しい妻よ。
 群鳥(むらとり)の  我(あ)が群(む)れ去(い)なば  引(ひ)け鳥(とり)の
 我(あ)が引け去(い)なば 泣かじとは 汝(な)は言(い)うとも
 やまとの  一本(ひともと)薄(すすき)  項(うな)傾(かぶ)し
 汝(な)が泣(な)か様(さま)く  朝天(あさあめ)の  霧(きり)に立たむぞ
 若草(わかくさ)の  妻(つま)の命(みこと)  事(こと)の
 語(かた)りごとも  此(こ)をば
 群れる鳥のように、わたしが大勢の部下と共に出雲の国を旅立ったら。一羽の鳥が飛び立てば、大勢の鳥がいっせいに飛び立つように、わたしが大勢の部下と共に出雲の国から大和の国に旅立ったら、あなたは泣かないと言い張っても、山の中にある一本のスズキのように、うな垂れて、あなたはきっと泣くでしょう。あなたはきっと泣くでしょう。雨の朝、立ち込める霧のように、さめざめと泣くでしょう。いつまでも泣いているでしょう。
 若草のように美しい妻よ、美しい妻よ。以上の歌がわたしの本当の気持ちです。
 浮気された悲しみと嫉妬のあまり、大国主を疑っていた須世理毘賣(すせりびめ)は大国主の本心を知り、疑っていた自分を恥ずかしく思い、盃(さかずき)を持って大国主の所に駆け寄って行き、次のような歌をお詠みになった。
 八(や)千(ち)矛(ほこ)の  神の命(みこと)や  我(あ)が大國主(おおくにぬし)
 汝(な)こそは  男(お)にいませば  うち見る
 島(しま)の先々(さきざき)  かき見る  磯(いそ)の先(さき)落(お)ちず
 若草(わかくさ)の  妻(つま)持(も)たせらめ  我(あ)はもよ
 女(め)にしあれば  汝(な)を除(き)て  男(お)は無し
 汝(な)を除(き)て  夫(つま)は無し
 八(や)千(ち)矛(ほこ)という武神で名高い、わたしの夫、大国主の神さま…。あなたは出雲の国を開拓する勇敢な男であられますから、訪れた島々の岬や、あちこちの浜辺の岬のそれぞれに、若草のように美しいお妃さまがいらっしゃるのでしょう。それは仕方ないことだと思いますが、わたしは女ですから、あなた以外に夫がいるはずもなく、あなた一人を夫としてお慕いしております。
 綾垣(あやかき)の ふはやが下(した)に 蚕(むし)衾(ぶすま) 柔(にこ)やが下(した)に
 栲(たく)衾(ぶすま)  さやぐが下(した)に 淡雪(あわゆき)の
 若(わか)やる胸を  栲綱(たくづの)の 白き腕(ただむき)
 そ叩(だた)き  叩(たた)き愛(まな)がり 真(ま)玉(たま)手(で)
 玉手差し枕(ま)き 股長(ももなが)に 寝(い)をし寝(な)せ
 豊(とよ)神(み)酒(き)  奉(たてま)つらせ
 綾の織物のふわふわ揺れている下で、絹の布団の柔らかな肌触りの中で、わたしの淡雪のような胸を抱いて、足と足を絡ませて、玉のように美しいわたしの手を枕にして、ゆっくりとお休みください。さあ、この盃(さかずき)に入っている御(お)神(み)酒(き)を、ゆっくりとお召し上がりください。
 愛する須世理毘賣(すせりびめ)が、以上のように心を込めた歌をお詠みになったので、大国主の神は心からお喜びになった。そして、二人は盃(さかずき)を取り交わして、永遠の夫婦として仲(なか)睦(むつ)まじくあることを誓ったのである。このように盃(さかずき)を取り交わして、心が動かないことを誓うことを「盞(うき)結(ゆい)」というのである。また、このような夫婦のあり方をお手本として後世に伝えることが求められる。そこで「愛する心が変わらないことを固く誓い合い、仲睦まじく、お互いに首に手をかけ合って、現在に至るまで鎮座しておられる」この話を「神(かむ)語(がたり)」と讃えているのである。

 参考までに「阿部國治著 新釈古事記伝 第二集」から、抜粋要約して引用する。
「『うきゆい』を漢字で書くと『盞(うき)結(ゆい)』であって、酒(さか)杯(ずき)を取り交わして、心の動かぬことを誓うことであります。夫婦の実態は、天地神明に誓って、天地の化育に参加するところの一根本共同体を形成して、その実を挙げていくところにあります。神さまにお誓いして、親兄弟、親戚朋友の祝福を受けて、家をつくり、村をつくり、国をつくる仕事をするのが、夫婦の役目であります。その生むところの子は、家の子であり、村の子であり、国の子であり、神の子なのであります。いったん夫婦となった以上は、その夫婦の根本の気持に揺るぎがあってはならないことは言うまでもありません。『誓い』を立てたその時が出発点となって、夫婦の道の追求がはじまるのであります。実際に、一人の男と一人の女が結婚して、家をつくり経営していくことは、決して容易なことではなくて、必ず数々の波風が吹き付けてくるものであります。そのような場合には、はっきりとその波風の正体を見届けて、その障害物を取り除かなければなりません。このような生涯を取り除いて進んでいくところにこそ、結婚生活の尊さがあるのであります。」