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陰陽古事記伝 根之堅州国訪問 その六

□あらすじ
 大国主が根(ねの)堅(かた)州(す)国(くに)で生涯のパートナー(伴侶)となる須世理毘賣(すせりびめ)と結ばれ、出雲の国に連れてきたので、大国主の最初のお嫁さん八(や)上(かみ)比(ひ)賣(め)は自ら身を引いて実家に帰ってしまった。

【書き下し文】
 故(かれ)、其(そ)の八(や)上(かみ)比(ひ)賣(め)は先の期(ちぎ)りの如(ごと)くみとあたはしつ。故(かれ)、其(そ)の八(や)上(かみ)比(ひ)賣(め)は率(い)て來(き)つると雖(いえ)ども、其の嫡妻(むかいめ)、須世理毘賣(すせりびめ)を畏(かしこ)みて、其(そ)の生(う)みし子を木の俣(また)に刺(さ)し狹(はさ)みて返(かえ)りき。故(かれ)、其(そ)の子の名を木(き)俣(また)の神と云(い)い、またの名を御井(みい)の神と謂う。

〇通釈
 さて、根堅州国で修行を終え出雲の国に戻ってきた大国主の神には、八(や)上(かみ)比(ひ)賣(め)というお嫁さんがいた。ところが、大国主は須世理毘賣(すせりびめ)という正妻と一緒に戻ってきたので、大国主を待っていた八(や)上(かみ)比(ひ)賣(め)は驚いた。可哀想に、八(や)上(かみ)比(ひ)賣(め)は正妻の須世理毘賣(すせりびめ)に遠慮して、大国主の子どもを木の俣に挟んで因(いな)幡(ば)へ帰ってしまった。以上のような経緯があって、八(や)上(かみ)比(ひ)賣(め)が木の俣に挟んで置いていった大国主の子どもを名づけて「木(きの)俣(また)の神」といい、またの名を「御(み)井(い)の神」という。

〇超釈(阿部國治著 栗山要編 新釈古事記伝 第二集 致知出版社 を参考にして訳した)
 さて、根堅州国で修行を終え出雲の国に戻ってきた大国主の神には、八(や)上(かみ)比(ひ)賣(め)というお嫁さんと子どもがいた。ところが、大国主は八十神たちに何度も殺されそうになったので、八十神たちを打ち倒す強い力を身に付けるために、根堅州国に行って須佐之男の大神の下で厳しい修行をすることになった。ところがひょんな事から須佐之男の娘・須世理毘賣(すせりびめ)を修行のパートナーとして正妻に迎えることになった。その、須世理毘賣(すせりびめ)と一緒に出雲の国に戻ってきたので、大国主が強くなって帰ってくるのを心待ちにしていた八(や)上(かみ)比(ひ)賣(め)は大変驚いた。
 そして、可哀想に、八(や)上(かみ)比(ひ)賣(め)は正妻の須世理毘賣(すせりびめ)に遠慮して、大国主の子どもを木の俣に挟んで、自分は因(いな)幡(ば)へ帰ってしまったのである。さて、八(や)上(かみ)比(ひ)賣(め)が大国主の子どもを木の俣に挟んで置いていき、自分は帰ってしまったのはどういう意味があるのだろうか。木の俣に挟んで置いていった子どもを大国主の後継者として育ててほしかったのだろうか…。
 以上のような経緯があって、八(や)上(かみ)比(ひ)賣(め)が木の俣に挟んで置いていった大国主の子どもを名づけて「木(きの)俣(また)の神(大国主が木の裂け目から生きかえったように強い子どもになってほしいという思いで名づけたと解釈したい)」といい、またの名を「御(み)井(い)の神(御井とは井戸の泉の意味であるから、尽きることなく湧き続ける井戸の泉のような永遠の命に恵まれた子どもになってほしいという思いで名づけたと解釈したい)」という。

 以下、参考までに「阿部國治著・新釈古事記伝 第二集」から、抜粋要約して引用する。
 「八上比賣は大国主のためにお祈りをしながら、大国主との間に生まれたお子さまを、大切にお育てになっておられましたところに、大国主から『来なさい』というお便りがあったので、御殿へ行かれますと、そこには須世理毘賣という奥さまがおられて、どんなにか思い惑われ、悲しまれたことかと思います。ところが、事情を知ってみますと、『そうするよりほかに仕方がなかった』ということがおわかりになりました。こうして、須世理毘賣に対して敵意のようなものを持つこともなくなりましたが、寂しさ悲しさはどうすることもできなかったことと思います。こういうことは、人の世にはないほうがよいのですが、完全に絶えることのない事実でありましょう。また、大国主にとっては、新たな試練であると言えましょう。八上比賣は、いろいろ思い悩んだ末に『やはり自分はいないほうがよい』と思われて、因幡の国に帰ることを決心なさいました。しかし、お子さまは大国主のところに留めておいたほうが、本人のためによいと思われました。そこで、危険のないよう工夫をして、お子さまを木の俣に差し挟んでおきました。たぶん、御殿のお庭の木か何かであったことと思います。こうして、八上比賣は、因幡の国にお帰りになってしまいましたが、その後どうなったか全くわかりません。八上比賣のご生涯は何という悲しいことでありましょう。」
 引用は以上である。八(や)上(かみ)比(ひ)賣(め)の物語は実に切なく悲しい話である。

根之堅州国訪問のまとめ

〇あかいだき
 優しい心、人を思いやる心をもっている大(おお)汝(な)牟(む)遅(ぢ)は、八十神に言われた通りに、麓の方で凶暴な猪を愚直に待ち伏せしていた。大(おお)汝(な)牟(む)遅(ぢ)は、転がってきた大きな岩に勇敢に立ち向かっていき、捕らえようとしたところ、真っ赤に爛れるほど焼けた大きな岩に押し潰されて死んでしまった。
【以上の話について、阿部國治先生は「この『あかいだき』の示しておることは、当たり前のこと、正しいこと、世の中のためになることを行う者は、すぐには世間から誉められたり認められたりはしないものである。〔中略〕良いことをすると、そのためにかえって憎まれて、悪口を言われたり、酷い目に遭ったりするものであります。」と書いておられる】

〇大(おお)汝(な)牟(む)遅(ぢ)の神から大国主の神へ
 根堅州国における修行を終え生まれ変わった大国主の神は須佐之男の大神に言われた通りに、生(いく)太(た)刀(ち)と生(いく)弓(ゆみ)矢(や)で、八十神たちを山の裾まで、川の瀬まで追いかけてやっつけていき、出雲の国創りを始めた。このことは、大国主の神が「ふくろしおい」や「あかいだき」の「優しさ(思いやり)」だけでなく、今回の修行を通して「強さ」と「智恵」を得て、リーダーとしての資質を身に付けたことを現している。
 以下、新釈古事記伝 第二集から要約して引用する。
 『虱取り』について、他人に「おい、髪の毛の虱を取ってくれないか」などと、心やすく頼まれるまでの修行が容易ではありません。どんな人でも「髪の毛の虱を取ってください」と頼まれるようになれば、人間もたいしたものだと思うのであります。
 引用は以上である。
 今の時代、ここまで他人に信頼されるリーダーがどれほど存在するだろうか。