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陰陽古事記伝 葦原中国の平定

葦(あし)原(はらの)中(なかつ)国(くに)の平定

□あらすじ
 天照大御神は伊邪那岐の命の天命に背いた須佐之男の子孫・大国主から出雲の国を譲り受けるべく、長男の天(あめの)忍(おし)穗(ほ)耳(みみ)の命(みこと)を天降らせようとしたが、天(あめの)忍(おし)穗(ほ)耳(みみ)の命(みこと)が怖じ気づいて戻ってきてしまったので、陽の神様・思金の神と相談して、次男の天(あめの)菩(ほ)比(ひ)を派遣したが、大国主に取り込まれて戻ってこなかった(天(あめの)菩(ほ)比(ひ)は出雲の国造・出雲大社の宮司の先祖神である)。

【書き下し文】
天照大御神の命(みことのり)以(も)ちて、「豐(とよ)葦(あし)原(はら)之(の)千(ち)秋(あきの)長(なが)五(い)百(ほ)秋(あき)之(の)水(みず)穗(ほの)國(くに)は、我(あ)が御子(みこ)、正(まさ)勝(かつ)吾(あ)勝(かつ)勝(かち)速(はや)日(ひ)天(あめの)忍(おし)穗(ほ)耳(みみ)の命(みこと)の知らす國ぞ」と言(こと)因(よ)さし賜(たま)いて、天降(あまくだ)しき。是(ここ)に天(あめの)忍(おし)穗(ほ)耳(みみ)の命(みこと)、天(あめ)の浮橋(うきはし)にたたして詔(の)りたまひしく、「豐(とよ)葦(あし)原(はら)之(の)千(ち)秋(あきの)長(なが)五(い)百(ほ)秋(あき)之(の)水(みず)穗(ほの)國(くに)は、いたくさやぎて有(あ)りなり」と告(の)りたまひて、更(さら)に還(かえ)り上(のぼ)りて天照(あまてらす)大神(おおみかみ)に請(まを)しき。爾(しか)くして高(たか)御(み)産(む)巣(す)日(ひ)の神・天照大御神の命(みことのり)以(も)ちて、天(あめ)の安河(やすのかわ)の河原(かはら)に八百萬(やおよろず)の神を神集(かむつど)えに集(つど)えて、思金(おもいかね)の神に思わしめて、「此(こ)の葦(あし)原(はら)の中(なか)つ國は、我(あ)が御子(みこ)の知らす國と言(こと)依(よ)さし賜(たま)える國なり。故(かれ)、此(こ)の國に道(ち)速(はや)振(ぶ)る荒(あら)振(ぶ)る國つ神等(ども)の多(あまた)在(あ)るを以爲(おも)うに、是れ何(いず)れの神を使わしてか言(こと)趣(むけ)ん」と詔(の)りたまひき。爾(しか)くして思金(おもいかね)の神及び八百萬(やおよろず)の神、議(はか)りて白(まを)ししく、「天(あめの)菩(ほ)比(ひ)の神、是(こ)れ遣(つかわ)す可(べ)し」。故(かれ)、天(あめの)菩(ほ)比(ひ)の神を遣せば、乃(すなわ)ち大國主の神に媚(こ)び附(つ)きて、三年(みとせ)に至るも復奏(かえりごともう)さず。

〇通釈(超釈はない)
 大国主の神が創り上げた出雲の国(豐(とよ)葦(あし)原(はら)之(の)千(ち)秋(あきの)長(なが)五(い)百(ほ)秋(あき)之(の)水(みず)穗(ほの)國(くに))を高天原から見おろして、天照大御神は次のような勅命を下した。「出雲の国(豐(とよ)葦(あし)原(はら)之(の)千(ち)秋(あきの)長(なが)五(い)百(ほ)秋(あき)之(の)水(みず)穗(ほの)國(くに))は、伊邪那岐の命の天命に背いた須佐之男の子孫・大国主ではなく、伊邪那岐の命の天命に順って高天原を知らして(仁德で統治して)いる我(あ)が御子(みこ)である正(まさ)勝(かつ)吾(あ)勝(かつ)勝(かち)速(はや)日(ひ)天(あめの)忍(おし)穗(ほ)耳(みみ)の命(みこと)が知らす(仁德で統治する)べき国である」。以上のような勅命を第一子の天(あめの)忍(おし)穗(ほ)耳(みみ)の命(みこと)に言(こと)因(よ)さし賜(たま)い(聖なる言葉で依頼し)て、高天原から出雲の国へ天降(あまくだ)らせようとした。
 ところが、天(あめの)忍(おし)穗(ほ)耳(みみ)の命(みこと)が高天原から出雲の国へ向う途中で、天(あめ)の浮橋(うきはし)で出雲の国の様子を見て驚き、高天原に戻ってきて、「出雲の国(豐(とよ)葦(あし)原(はら)之(の)千(ち)秋(あきの)長(なが)五(い)百(ほ)秋(あき)之(の)水(みず)穗(ほの)國(くに))は、ひどく騒がしい様子です」と、天照大御神に告げた。そこで、天照大御神は高(たか)御(み)産(む)巣(す)日(ひ)の神に命じて、天(あめ)の安河(やすのかわ)の河原(かはら)に八百萬(やおよろず)の神を集め、智恵の神様・思金(おもいかね)の神を中心に今後どうすればよいかを考えさせた。そして、「出雲の国(葦(あし)原(はら)の中(なか)つ國)はわたしの御子(天(あめの)忍(おし)穗(ほ)耳(みみ)の命(みこと))が知らすべき国である。しかし、出雲の国には、荒ぶる地上の神(国つ神)が沢山いて、天(あめの)忍(おし)穗(ほ)耳(みみ)の命(みこと)は戻ってきてしまった。さて、次に、どの神を派遣して、荒ぶる地上の神を平定すればよいだろうか」とお尋ねになった。
 そこで、思金(おもいかね)の神と八百萬(やおよろず)の神が相談した結果、「天照大御神の第二子である天(あめの)菩(ほ)比(ひ)の神を派遣すべきである」と云う結論に達した。ところが、天(あめの)菩(ほ)比(ひ)の神は、大国主の神に取り込まれて、三年経っても戻ってこなかった。(天(あめの)菩(ほ)比(ひ)の神の子孫は代々出雲大社の宮司を務めている)

葦原中国の平定のまとめ

〇天照大御神の勅命
 「出雲の国(豐(とよ)葦(あし)原(はら)之(の)千(ち)秋(あきの)長(なが)五(い)百(ほ)秋(あき)之(の)水(みず)穗(ほの)國(くに))は、我(あ)が御子(みこ)である正勝吾勝勝(まさかつあかつかち)速日天忍穗耳(はやひあめのおしほみみ)の命(みこと)が知らす(仁德で統治する)べき國である」。以上のような勅命を第一子の天(あめの)忍(おし)穗(ほ)耳(みみ)の命(みこと)に言(こと)因(よ)さし賜(たま)い(聖なる言葉で依頼し)て、高天原から出雲の国へ天降(あまくだ)らせようとした。
 ところが、天(あめの)忍(おし)穗(ほ)耳(みみ)の命(みこと)が高天原から出雲の国へ向う途中で、天(あめ)の浮橋(うきはし)で出雲の国の様子を見て驚き、高天原に戻ってきてしまった。正(まさ)勝(かつ)吾(あ)勝(かつ)勝(かち)速(はや)日(ひ)天(あめの)忍(おし)穗(ほ)耳(みみ)の命(みこと)は皇室の先祖。

〇天(あめの)菩(ほ)比(ひ)の神の派遣と失敗
 思金(おもいかね)の神と八百萬(やおよろず)の神が相談した結果、「天照大御神の第二子である天(あめの)菩(ほ)比(ひ)の神を派遣すべきである」と云う結論に達した。だが、天(あめの)菩(ほ)比(ひ)の神は、大国主の神に取り込まれて、三年経っても戻ってこなかった。天(あめの)菩(ほ)比(ひ)の神の子の建(たけ)比(ひ)良(ら)鳥(とり)の命(みこと)は出雲の國(くにの)造(みやつこ)(出雲大社の宮司)。