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陰陽古事記伝 八俣の大蛇退治 一

八(や)俣(また)の大(おろ)蛇(ち)退治

□あらすじ
 日本の国土を開拓するために、五穀の種を持参して出雲の国に天降っていった須佐之男は、農業普及の前提条件となる治水事業(八岐の大蛇退治は例え話)に取り組んだ。

【書き下し文】
故(かれ)、避(さ)り追われて出雲(いずも)の國の肥(ひ)の河(かわ)上(かみ)、名は鳥(とり)髮(かみ)の地に降りき。此(こ)の時に箸(はし)、其(そ)の河より流れ下(くだ)りき。是(ここ)に須佐之男の命、其(そ)の河上に人有りと以(お)爲(も)ひて尋(たづ)ね覔(もと)め上(のぼ)り往(ゆ)けば、老夫(おきな)と老女(おみな)と二人在りて童女(おとめ)を中に置きて泣けり。爾(しか)くして、「汝(なれ)等(ども)は誰ぞ」と、問い賜いき。故(かれ)、其(そ)の老夫(おきな)答えて、「僕(あれ)は國つ神、大(おお)山(やま)津(つ)見(み)の神の子ぞ。僕(あ)が名は足(あし)名(な)椎(づち)と謂い、妻が名は手(て)名(な)椎(づち)と謂う。女(むすめ)が名は櫛(くし)名(な)田(だ)比(ひ)賣(め)と謂う」と言(ま)をしき。また問いしく、「汝(な)が哭(な)く由(ゆえ)は何ぞ」。答えて白(まを)さく、「我(あ)が女(むすめ)は本(もと)より八(や)たりの稚女(むすめ)在り。是(これ)を高(こ)志(し)の八俣のおろち、年(とし)毎(ごと)に來(き)て喫(くら)う。今(いま)其(そ)の來(く)る可(べ)き時ぞ。故(ゆえ)に泣く」と言(ま)をしき。爾(しか)くして問いしく、「其(そ)の形は如(い)何(か)に」。答えて、「彼(そ)の目は赤かがちの如(ごと)くして、身一つに八つの頭、八つの尾有り。また其の身に蘿(ひかげ)と桧(ひ)・榲(すぎ)生(お)い、其の長さは谿(たに)八(や)谷(たに)、峽(お)八(や)尾(お)を度(わた)りて其(そ)の腹を見るに悉(ことごと)く常に血(ち)爛(ただ)れたるなり【此に謂う赤かがちは今の酸(ほお)醤(づき)なり】」と白(まを)しき。

〇通釈
 須佐之男命に殺された大(おお)氣(げ)都(つ)比(ひ)賣(め)の神から産まれ出た食材は神産巣日神によって種として再生された。須佐之男命はその種を持って、伊邪那岐の命に授かった天命(海原=日本を知らせ=日本のことを思いやって国土を開拓せよ)を実行するため出雲国の斐伊川の上流にある鳥(とり)髮(かみ)という所にお降りになった。
 その時、斐伊川の上流から箸が流れ下ってきたので、須佐之男命は川の上流に人が住んでいる部落があるだろうと思って川上に向かって行ったところ、お爺さんとお婆さんが二人、若い娘さんを真ん中に置いてシクシクと泣いていた。その光景を見た須佐之男命が「あなた方はどなたですか」と聞いたところ、お爺さんが次のように答えた。「わたしは国つ神の大山津見神の子で、名前は足(あし)名(な)椎(づち)といいます。妻の名前は手(て)名(な)椎(づち)といいます。娘の名前は櫛(くし)名(な)田(だ)比(ひ)賣(め)といいます。」
それを聞いた須佐之男命は、また「あなた方はどうして泣いていたのですか」と聞いたところ、お爺さんは次のように答えた。「わたしたちには娘が元々八人おりました。ところが、毎年八岐大蛇がやって来て、娘を一人ずつ食べてしまうのです。ついに娘は一人になってしまいました。今年もそろそろ八岐大蛇がやって来る季節になりましたので、家族揃って泣いていたのです。」
 須佐之男命は、「その大蛇はどんな形をしているのですか」と聞いたところ、お爺さんは「その目はホオヅキのように赤く、巨大な身体に八つの頭と八つの尻尾が付いており、身体中に苔(こけ)や檜(ひのき)や杉などが生えており、その長さは八つの谷と八つの峡谷に渡るほどで、その腹にはいつも血が滴っています」と答えた。

〇超釈
 穀物の神様である大(おお)氣(げ)都(つ)比(ひ)賣(め)の神から産まれ出た食材は陰の神様である神産巣日神に依頼して種として再生された。須佐之男命はその種を持って、伊邪那岐の命に授かった天命(海原=日本のことを思いやって国土を開拓せよ)を実行する(国土開拓の基盤整備となる農業の普及を行う)ため出雲国の斐伊川の上流にある鳥(とり)髮(かみ)という所にお降(くだ)りになった。
 斐伊川は度々決壊して周辺の土地を水没させてしまう荒々しい川だった。須佐之男命は、この地において農業を普及をするためには、斐伊川の治水事業から始めなければならないと思った。その時、斐伊川の上流から箸が流れてきたので、上流に人が住んでいる部落があるだろうと思って川上に向かって行くと、お爺さんとお婆さんが二人、若い娘さんを真ん中に挟んでシクシクと泣いていた。
 須佐之男命が「あなた方はどなたですか」と聞くと、お爺さんが「わたしは国つ神の大山津見神の子で、名前は足(あし)名(な)椎(づち)といいます。妻の名前は手(て)名(な)椎(づち)といいます。娘の名前は櫛(くし)名(な)田(だ)比(ひ)賣(め)といいます。」と答えた。
 須佐之男命が「どうして泣いていたのですか」と聞くと、お爺さんは「わたしたちには娘が八人おりました。ところが、毎年八(や)岐(ま)大(たの)蛇(おろち)がやって来て、娘を一人ずつ食べてしまうのです。ついに娘は一人になってしまいました。今年もそろそろ八岐大蛇がやって来る季節になりましたので、家族揃って泣いていたのです。」と答えた。
 すると須佐之男命は、「その大蛇(おろち)はどんな形をしているのですか」と聞いた。お爺さんは「その目はホオヅキのように赤く、巨大な身体に八つの頭と八つの尻尾が付いています。身体中には苔(こけ)や檜(ひのき)や杉などが生えており、その長さは八つの谷と八つの峡谷に渡り、その腹にはいつも血が滴(したた)っています」と答えた。
 お爺さんの話を聞きながら、須佐之男命は、八岐大蛇の活動が斐伊川の氾濫を起こしているのではないかと思った。そして、八岐大蛇を退治すれば氾濫も収まるのではないかと考えて、それが斐伊川の治水事業になるに違いないと確信するに至ったのである。