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超釈古事記 須賀の宮

2021年7月12日

須賀の宮

【書き下し文】
故(かれ)、是(ここ)を以(も)ちて其(そ)の速(はや)須佐之男の命、宮(みや)を造(つ)作(く)るべき地(ところ)を出雲の國に求(もと)めき。爾(しか)くして須(す)賀(が)という地(ところ)に到(いた)り坐(ま)して、「吾(あれ)(あれ)、此(こ)地(こ)に來て、我(あ)が御(み)心(こころ)、すがすがし」と詔(の)りたまひて、其(そ)地(こ)に宮(みや)を作り坐(ま)しき。故(かれ)、其(そ)地(こ)は今に云(い)う須(す)賀(が)なり。この大(おお)神(かみ)、初めて須賀の宮を作りし時、其(そ)地(こ)より雲立ち騰(のぼ)りき。爾(しか)くして御(み)歌(うた)を作(よ)みき。其(そ)の歌に曰(いわ)く
 八(や)雲(くも)立つ
 出(いず)雲(も)八(や)重(へ)垣(がき)
 妻(つま)籠(ご)みに
 八(や)重(え)垣(がき)作る
 その八(や)重(え)垣(がき)を

是(ここ)に其(そ)の足(あし)名(な)椎(づち)の神を喚(め)して告(の)りたまひて、「汝(な)は我(あ)が宮(みや)の首(おびと)に任(ま)けん」と言(の)りたまひき。また、名(な)を負(お)おせて稻(いな)田(だ)の宮(みや)主(ぬし)、須(す)賀(が)の八(やつ)耳(みみ)の神と號(なづ)けき。
故(かれ)、其(そ)の櫛(くし)名(な)田(だ)比(ひ)賣(め)以(も)ちて、くみどに起(おこ)して生める神の名(みな)は八(や)嶋(しま)士(じ)奴(ぬ)美(み)の神と謂(い)う。又、大(おお)山(やま)津(つ)見(み)の神の女(むすめ)、名(な)は神(かむ)大(おお)市(いち)比(ひ)賣(め)を娶(めと)りて生みし子は大(おお)年(とし)の神。次に宇(う)迦(か)之(の)御(み)魂(たま)の神。兄(え)、八(や)嶋(しま)士(じ)奴(ぬ)美(み)の神、大(おお)山(やま)津(つ)見(み)の神の女(むすめ)、名(な)は木(この)花(はな)知(ち)流(る)比(ひ)賣(め)を娶(めと)りて生みし子は、布(ふ)波(は)能(の)母(も)遲(ぢ)久(く)奴(ぬ)須(す)奴(ぬ)の神。此(こ)の神、淤(お)迦(か)美(み)の神の女(むすめ)、名(な)は日(ひ)河(かわ)比(ひ)賣(め)を娶(めと)りて生みし子は、深(ふか)淵(ふち)之(の)水(みず)夜(や)禮(れ)花(はな)の神。此(こ)の神、天(あま)之(の)都(つ)度(ど)閇(へ)知(ち)泥(ね)の神を娶(めと)りて生みし子は、淤(お)美(み)豆(づ)奴(ぬ)。此(こ)の神、布(ふ)怒(の)豆(づ)怒(の)の神の女(むすめ)、名(な)は布(ふ)帝(て)耳(みみ)の神を娶(めと)りて生みし子は、天(あめ)之(の)冬(ふゆ)衣(きぬ)の神。此(こ)の神、刺(さし)國(くに)大(おお)の神の女(むすめ)、名(な)は刺(さし)國(くに)若(わか)比(ひ)賣(め)を娶(めと)りて生みし子は、大(おお)國(こく)主(ぬし)の神。またの名(な)は大(おお)穴(あな)牟(む)遲(じ)の神と謂(い)い、またの名(な)は葦(あし)原(はら)色(し)許(こ)男(お)の神と謂(い)い、またの名(な)は八(や)千(ち)矛(ほこ)の神と謂(い)い、またの名(な)は宇(う)都(つ)志(し)國(くに)玉(たま)の神【宇都志は音】と謂(い)い、并(あわ)せて五つの名(みな)有り。

〇通釈
 以上のようにして、須佐之男命は、櫛(くし)名(な)田(だ)比(ひ)賣(め)と新婚生活をおくるための宮殿を建てる土地を出雲国で探し求めた。しばらくすると、須賀という土地に到着して、「わたしはここ(須賀の地)に来て、心がすがすがしくなった」と言って、その土地に宮殿を建てた。その土地の名前を今「須賀」というのである。
 須佐之男命が須賀の地に宮殿を建てた時に、その地から雲が立ち上(のぼ)った。そこで、次の歌を作った。
 八(や)雲(くも)立つ  八重の雲が立ち上る
 出(いず)雲(も)八(や)重(へ)垣(がき) 出雲に八重の垣根を
 妻(つま)籠(ご)みに   大事な妻を守るために
 八(や)重(え)垣(がき)作る 八重の垣根を作った。
 その八(や)重(え)垣(がき)を その見事な雲の八重の垣根よ。

 この宮殿に櫛(くし)名(な)田(だ)比(ひ)賣(め)の父親である足(あし)名(な)椎(づち)の神を召しかかえて「貴方をわたしの宮殿の首長に任命しよう」と言った。そして、稻(いな)田(だ)の宮(みや)主(ぬし)須(す)賀(が)の八(やつ)耳(みみ)の神という名前を賜ったのである。
 その後、須佐之男命と櫛(くし)名(な)田(だ)比(ひ)賣(め)との間に産まれた神の名前は八(や)嶋(しま)士(じ)奴(ぬ)美(み)の神という。(八(や)嶋(しま)士(じ)奴(ぬ)美(み)の神から数えて六代後の末裔が大国主神である)
 また、大(おお)山(やま)津(つ)見(み)の神の娘、名(な)は神(かむ)大(おお)市(いち)比(ひ)賣(め)を娶(めと)って産まれた子の名前は大(おお)年(とし)の神。次に宇(う)迦(か)之(の)御(み)魂(たま)の神。
 (ここからは大国主神につながる八(や)嶋(しま)士(じ)奴(ぬ)美(み)の神の子孫について次のように書いている)八(や)嶋(しま)士(じ)奴(ぬ)美(み)の神が大山津見の神の娘である木(この)花(はな)知(ち)流(る)比(ひ)賣(め)を娶(めと)って産まれた子の名前は布(ふ)波(は)能(の)母(も)遲(ぢ)久(く)奴(ぬ)須(す)奴(ぬ)の神(二代目)である。この神が淤(お)迦(か)美(み)の神の娘の日(ひ)河(かわ)比(ひ)賣(め)を娶(めと)って産まれた子の名前は深(ふか)淵(ふち)之(の)水(みず)夜(や)禮(れ)花(はな)の神(三代目)である。この神が天(あま)之(の)都(つ)度(ど)閇(へ)知(ち)泥(ね)の神を娶(めと)って産まれた子の名前は、淤(お)美(み)豆(づ)奴(ぬ)(四代目)である。この神が布(ふ)怒(の)豆(づ)怒(の)の神の娘である布(ふ)帝(て)耳(みみ)の神を娶(めと)って産まれた子の名前は天(あめ)之(の)冬(ふゆ)衣(きぬ)の神(五代目)である。この神が刺(さし)國(くに)大(おお)の神の娘の刺(さし)國(くに)若(わか)比(ひ)賣(め)を娶(めと)って産まれた子の名前は大(おお)國(こく)主(ぬし)の神(六代目)である。またの名(な)は大(おお)穴(あな)牟(む)遲(じ)の神といい、またの名(な)は葦(あし)原(はら)色(し)許(こ)男(お)の神といい、またの名(な)は八(や)千(ち)矛(ほこ)の神といい、またの名(な)は宇(う)都(つ)志(し)國(くに)玉(たま)の神といい、并(あわ)せて五つの名前を持っている。

〇超釈
 以上のようにして日本の国土開拓の礎(いしずえ)(農業を普及するための基盤となる治水工事)を築いた、須佐之男命は、伊邪那岐の命から授かった天命(日本の国土開拓)を継承してくれる子孫を産むために、櫛(くし)名(な)田(だ)比(ひ)賣(め)と新婚生活を営む住居を建てるための土地を出雲国で探し求めた。しばらくすると、須賀という地に到着して、「わたしはここ(須賀の地)に来て、心がすがすがしくなった。すがすがしい心で子作りに励めば聡明な跡継ぎが産まれるだろう」と言って、その土地に宮殿を建てた。その土地の名前を今「須賀」というのである。
 須佐之男命が須賀の地に宮殿を建てた時に、その地から雲が立ち上(のぼ)った。そこで、次の歌を作った。
 八(や)雲(くも)立つ  八重の雲が立ち上る
 出(いず)雲(も)八(や)重(へ)垣(がき) 出雲に八重の垣根を
 妻(つま)籠(ご)みに   大事な妻を守るために
 八(や)重(え)垣(がき)作る 八重の垣根を作った。
 その八(や)重(え)垣(がき)を その見事な雲の八重の垣根よ。

 この宮殿に櫛(くし)名(な)田(だ)比(ひ)賣(め)の父親である足(あし)名(な)椎(づち)の神を召しかかえて「貴方をわたしの宮殿の首長に任命しよう」とおっしゃった。そして、稻(いな)田(だ)の宮(みや)主(ぬし)須(す)賀(が)の八(やつ)耳(みみ)の神という名前を賜って管理を任せた。
 その後、須佐之男命と櫛(くし)名(な)田(だ)比(ひ)賣(め)との間に産まれた神の名前は八(や)嶋(しま)士(じ)奴(ぬ)美(み)の神という。(八(や)嶋(しま)士(じ)奴(ぬ)美(み)の神から数えて六代後の末裔が大国主神である)
 また、大(おお)山(やま)津(つ)見(み)の神の娘、名(な)は神(かむ)大(おお)市(いち)比(ひ)賣(め)を娶(めと)って産まれた子の名前は大(おお)年(とし)の神。次に宇(う)迦(か)之(の)御(み)魂(たま)の神。
 (ここからは大国主神につながる八(や)嶋(しま)士(じ)奴(ぬ)美(み)の神の子孫について次のように書いている)八(や)嶋(しま)士(じ)奴(ぬ)美(み)の神が大山津見の神の娘である木(この)花(はな)知(ち)流(る)比(ひ)賣(め)を娶(めと)って産まれた子の名前は布(ふ)波(は)能(の)母(も)遲(ぢ)久(く)奴(ぬ)須(す)奴(ぬ)の神(二代目)である。この神が淤(お)迦(か)美(み)の神の娘の日(ひ)河(かわ)比(ひ)賣(め)を娶(めと)って産まれた子の名前は深(ふか)淵(ふち)之(の)水(みず)夜(や)禮(れ)花(はな)の神(三代目)である。この神が天(あま)之(の)都(つ)度(ど)閇(へ)知(ち)泥(ね)の神を娶(めと)って産まれた子の名前は、淤(お)美(み)豆(づ)奴(ぬ)(四代目)である。この神が布(ふ)怒(の)豆(づ)怒(の)の神の娘である布(ふ)帝(て)耳(みみ)の神を娶(めと)って産まれた子の名前は天(あめ)之(の)冬(ふゆ)衣(きぬ)の神(五代目)である。この神が刺(さし)國(くに)大(おお)の神の娘の刺(さし)國(くに)若(わか)比(ひ)賣(め)を娶(めと)って産まれた子の名前は大(おお)國(こく)主(ぬし)の神(六代目)である。またの名(な)は大(おお)穴(あな)牟(む)遲(じ)の神といい、またの名(な)は葦(あし)原(はら)色(し)許(こ)男(お)の神といい、またの名(な)は八(や)千(ち)矛(ほこ)の神といい、またの名(な)は宇(う)都(つ)志(し)國(くに)玉(たま)の神といい、并(あわ)せて五つの名前を持っている。
 伊邪那岐の命から授かった天命(日本の国土開拓)を継承してくれる子孫である八(や)嶋(しま)士(じ)奴(ぬ)美(み)の神と母親である櫛(くし)名(な)田(だ)比(ひ)賣(め)に後を託して、自らは根(ねの)堅(かた)州(す)国(くに)に向かった。そして、出雲国と地下でつながっている根(ねの)堅(かた)州(す)国(くに)では、やがて六代後の末裔である大国主神の正妻となる須(す)勢(せ)理(り)毘(び)売(め)が産まれるのである。
 須佐之男命の国土開拓の話はここで終わり、六代後の末裔である大国主の話にバトンタッチされる。