卯(う)月(づき)と皐(さ)月(つき)に中る区分
卯月と皐月にまたがる陰陽消長卦と十二支、二十四節氣の順序で整理してみる。
卯(う)月(づき)(和風月明)
【新暦四月一日から三十日】
4月は、白く可憐に咲く卯の花が満開になる次期で、「卯の花月」が略されて「卯月」と呼ばれるようになった。(「暮らしのこよみ」)
皐(さ)月(つき)(和風月明)
【新暦五月一日から三十一日】
5月はさつき。田植えの時期ということもあり、「早苗月(さなえづき)」と呼ばれ、それが「さつき」へと変化したともいわれています。(「暮らしのこよみ」)
澤天夬(易経・陰陽消長卦)
【新暦四月十九日から五月十九日ころまで】
次に易経の「澤天夬」の全体像を表す言葉(卦辞・彖辞、彖伝、大象伝)を示す。これらの言葉は【四月二十二日ころから五月十九日ころまで】に当て嵌まる。
《卦辞・彖辞》
夬、揚于王庭。孚號。有厲。告自邑。不利即戎。利有攸往。
○夬(かい)は王(おう)庭(てい)に揚(あ)ぐ。孚(まこと)ありて號(さけ)ぶ。厲(あやう)き有り。告(つ)ぐること邑(ゆう)よりす。戎(じゆう)に即(つ)くに利(よろ)しからず。往(ゆ)く攸(ところ)有るに利し。
夬は決する(五陽爻の君子が一陰爻の小人を決し去る)時である。勢い衰えた小人(上六の一陰爻)の悪(あつ)行(こう)を公(おおやけ)にして民衆に知らしめる(広く一般大衆に認識してもらう)のである。君子が至誠の心で高らかに民衆に訴えても、権力を有する佞人(上卦兌の主爻)上六はしたたかなので危険が伴う。だから、先ずは近隣の人々から説得していく。すなわち足(あし)下(もと)を固めるのである。権力を有する上六の佞人を決し去るに中っては武力を用いるべきではない。武力を用いれば世の中が混乱するだけである。
以上を踏まえて前進すれば必ずや佞人上六を決し去ることができる。
《彖伝》
彖曰、夬、決也。剛決柔也。健而説、決而和。揚于王庭、柔乘五剛也。孚號、有厲、其危乃光也。告自邑、不利即戎、所尚乃窮也。利有攸往、剛長乃終也。
○彖に曰く、夬は決する也。剛、柔を決する也。健にして説(よろこ)び、決して和(やわら)ぐ。王庭に揚ぐるは、柔、五剛に乘ずれば也。孚ありて號(さけ)ぶ、厲き有りとは、其れ危ぶめば乃ち光(おお)いなる也。邑(ゆう)より告ぐ、戎(じゆう)に即くに利しからずとは、尚(たつと)ぶ所乃ち窮すれば也。往く攸(ところ)有るに利しとは、剛長ずれば乃ち終れば也。
彖伝は次のように言っている。夬は五陽爻の君子が一陰爻の小人を除去することを決する時である。剛健な五陽(君子)が柔弱な一陰(小人)を除去することを決する。下卦乾の健やかな性質と上卦兌の悦(よろこ)んで和らぐという性質を兼ね備えているので、君子が小人を除去することを民衆は悦(よろこ)び和合一致する。小人の悪行を公にして民衆に知らしめる(広く一般大衆に認識してもらう)のは、一陰(小人)が五陽(君子)よりも高位に居て、権力を持っているからである。君子が至誠の心で高らかに民衆に訴えても、権力を有する佞人(上卦兌の主爻)上六はしたたかなので危険が伴う。畏(おそ)れ危ぶみ慎んで行動してこそ、大事を為し遂げられるのである。先ずは近隣から説得する。すなわち足下を固めて、武力を用いるべきではない。武力を用いれば世の中が乱れ、民衆の支持を失い君子が窮するからである。以上を踏まえて前進すれば必ずや佞人上六を決し去ることができる。君子が小人を権力の座から排除して、君子の道が完成するのである。
《大象伝》
象曰、澤上於天夬。君子以施祿及下。居德則忌。
○象に曰く、澤、天に上(のぼ)るは夬なり。君子以て祿(ろく)を施(ほどこ)して下(しも)に及ぶ。德を居(お)くは則(すなわ)ち忌(い)む。
大象伝は次のように言っている。澤(兌)が天(乾)の上に昇り決(けつ)潰(かい)して、恩澤の慈雨を降らせるのが夬の形である。君子はこの形を見習って、家臣には恩(おん)祿(ろく)を、民には恩恵を施すのである。德を出し惜しみして民に恩澤を施さないのは、君子の忌(い)み嫌うことである。貴方が君子ならば、德を出し惜しみすることを戒め慎まなければならない。
辰(たつ)(十(じゆう)二(に)支(し))
陰陽消長卦の「澤天夬」に当て嵌まる十二支は「辰」である。
「震」「振」「伸」に通じ、万物の成長が勢いよく、身を震わせながら成長している状態を示す。(陰陽五行)
「辰は伸なり(中略)」と(中略)あるよう、万物が伸びることである。生の活動である。(「干支の智恵」)
穀(こく)雨(う)(二十四節氣の六節氣)
【新暦四月十九日ころから五月四日ころまで】
「清明」の次の二十四節氣は「穀雨」である。
地上の穀物を育てる春雨が降るころ。穀雨とは、百穀を潤す雨という意味です。(絵で楽しむ)