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抜粋「現代語訳(超意訳) 呑象高島嘉右衛門著 増補 高島易斷 上下巻 占例篇」 艮為山 二

2022年8月22日

艮 九三 |・・ |・・

九三。艮其限。列其夤。厲薫心。
□九三。其(その)限(げん)に艮(とど)まる。其(その)夤(いん)を列(さ)く。厲(あやう)くして心を薫(くん)す。
 九三は互卦(三四五)震(動く)の主爻で上卦に接している。「動静、其時を失わず(彖伝)」とあるように、動くべき時は動き、上卦(為政者)と下卦(臣民)をつなぐ任務にありながら、止まることに固執する。それゆえ、上卦と下卦のつながりを断ち切ってしまう。任務不履行で立場は危うく、心中、煙で燻(いぶ)されたようにもやもやしている。
象曰、艮其限、厲心薫也。
□其(その)限(げん)に艮(とど)まるとは、厲(あやう)くして心を薫(くん)する也。
 止まることに固執したので、上卦と下卦のつながりを断ち切ってしまう。任務不履行で立場が危うくなり、心中、煙で燻されたようにもやもやしているのである。

 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての原文の一部。
(占)身壯健ナレドモ、運動セザルヲ以テ、氣鬱ノ病ヲ發スルノ象アリ、又氣性強ク、我意アリテ、比例ヨリ才ノ劣リタル者トス、此ニ人アリ、他人ノ爲ニ心力ヲ勞シ、・・・
 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての現代語訳。
(占)健康体だが、運動しないので、精神的な病気にかかる時である。気性が強く我が儘で、才能が劣った人物である。例えば一人の人物が居たとする。その人物は他人のために心と力を尽くして苦労しているが、報酬の有無など意に介さない。慎み深くて礼儀正しい。愛嬌もあるので、周りの人々に好かれて、称賛しない人は誰もいない。好人物である。
 正反対の人物が居たとする。何事も損得勘定でしか動かない。感情を露(あら)わにして、学識を鼻にかけ、何かと言い掛かりを付けて、嫌なことを人に押しつける。嫌な人物である。
 この爻に該当する人物は、苦労ばかりして幸福からは見放されている。自分の悲運を嘆いてばかりいる。占ってこの爻が出たら、苦労して報われないという悪循環から脱して、自己変革によって幸運を掴み取る努力をするべきである。
○何事も閉塞して通じない。
○自ら事を為そうとするが思ったようにならない。心痛のあまり病気にかかって倒れかねない時である。
○門前で怪我をする(あと一歩で挫折する)。
○伸び縮みできないので、上下が隔絶して疎遠になる。心が安定しないこと甚だしい時である。
○この爻が変ずると山地剥となる。剥ぎ落とされそうになるが、誰も助けてくれない。
○組織の長として、確乎不抜の志を抱いている。だが、あらゆる手段を尽くしても途中で挫折する時である。

 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占例の原文の一部。
(占例)某氏來リテ、某貴顕ノ運氣ヲ占ハンコトヲ請フ、乃チ筮シテ、艮ノ第三爻ヲ得タリ、・・・
 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占例の現代語訳。
(占例)ある人がやって来て、ある貴人の運氣を占ってほしいと頼まれたので、筮したところ艮の三爻を得た。
 易斷は次のような判断であった。
 艮は二つの山が相(あい)対している時である。山には、大きな山と小さな山があるように、大きな器量の人と小さな器量の人がいる。三爻は内卦の山であって、外卦の山よりは小さな山である。見識は高くないが、陽爻陽位で才能と志は剛強である。上卦と下卦の境目に居て、剛強な性格を抑えているが、世の中の事情には疎(うと)いところがある。自立心は高いが、偏屈で口下手なので人から諫められても聞き容れようとしない。周りの人々から愛されていない(嫌われている)ので、心痛が絶えず何事も上手く行かない。それゆえ、心の中はいつも苛立っている。それゆえ、精神的に鬱屈(うつくつ)している。このような精神状態を人体に喩えると「限(腰の骨)」である。腰は上体と下体の境に在り屈曲するたびに負担が重く苦労が絶えない。耳目鼻口のように快楽を味わうこともない。
 以上のようであるから、鬱屈が積もり積もって蓄積して、終には病気に罹ってしまう。人間は苦労が多くて志が叶わないと、精神的に鬱屈して、それが積もりに積もると、心臓を圧迫するようになる。このことを「其(その)限(げん)に艮(とど)まる。其(その)夤(いん)を列(さ)く。厲(あやう)くして心を薫(くん)す。 九三は互卦(三四五)震(動く)の主爻で上卦に接している。「動静、其時を失わず(彖伝)」とあるように、動くべき時は動き、上卦(為政者)と下卦(臣民)をつなぐ任務にありながら、止まることに固執する。それゆえ、上卦と下卦のつながりを断ち切ってしまう。任務不履行で立場は危うく、心中、煙で燻(いぶ)されたようにもやもやしている。」と云う。
 今は苦労しても報われない。運氣が閉塞しているからである。運氣の隆盛は天命である。天命は天命として承(うけたまわ)って、自ら変ずることによって運氣を開いていくことを考えるべきである。それができなければ、どんどん追い込まれていくと易断した。
 ある人は以上の易占を聞いて、この占断に従って対処したいと云った。