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抜粋「現代語訳(超意訳) 呑象高島嘉右衛門著 増補 高島易斷 上下巻 占例篇」 艮為山 一

2022年8月21日

五十二 艮為山 |・・ |・・

艮、其背不獲其身。行其庭不見其人。无咎。
□其(その)背(せ)に艮(とど)まり、其(その)身(み)を獲(え)ず。其(その)庭(にわ)に行き、其(その)人(ひと)を見ず。咎无し。
 艮(ごん)の道は、般若心経の「照(しよう)見(けん)五(ご)蘊(うん)皆(かい)空(くう)」の境地、「五蘊(色受想行識)皆(かい)空(くう)」と「照見」する境地に至るゆえ「眼(げん)耳(にー)鼻(びー)舌(ぜつ)身(しん)意(にー)は無」である。艮の卦德は、「眼(げん)耳(にー)鼻(びー)舌(ぜつ)」という感覚器官のない背中に止まっているから、自我に囚われない。自我に囚われないから、庭に行っても人を見ない、俗世間に身を置いても煩(ぼん)悩(のう)妄想や欲望を抱かない。このような境地に達すれば、咎という概念もない。
彖曰、艮、止也。時止則止、時行則行、動静不失其時。其道光明。艮其止、止其所也。上下敵應、不相與也。是以不獲其身、行其庭不見其人。无咎也。
□艮は止まる也。時止まれば則ち止まり、時行けば則ち行き、動静、其(その)時を失わず。其(その)道光(こう)明(みよう)なり。其(その)止(し)に艮(とど)まるは、其(その)所に止まる也。上下敵応し、相(あい)与(くみ)せざる也。是を以て其身を獲ず、其庭に行き、其人を見ず。咎なき也。
 艮(ごん)は「止(とど)まる」時である。止まるべき時は止まり、行くべき時は行く。止まる時も行く時も時中で対処することが肝要である。時中で対処する道は光り輝き明らかである。止まるべき時に止まるとは、止まるべき正しい所を知ることである。
 艮は全爻不応ゆえ相手を意識しない。それゆえ自我に囚われない。自我に囚われないから、庭に行っても人を見ない。俗世間に身を置いても煩(ぼん)悩(のう)妄想や欲望を抱かない。咎という概念もない。
象曰、兼山艮。君子以思不出其位。
□兼(けん)山(ざん)は艮(ごん)なり。君子以て思ふこと其(その)位を出(い)でず。
 山が連なっているのが艮(ごん)の形。
「知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。知者は動き、仁者は静かなり(論語)」。君子は、その止まる所に止まり、決して己の分限を超えないのである。

 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての原文の一部。
(占)能ク其心ヲ篤實ニシ、凡ソ既ニ進ミタル所ノモノハ、貳心ナク進ミ、著手セザルコトハ、止リテ動ク可ラズ、又人ノ情實ニ拘ハル可ラズ、譬ヘバ鼻口耳目ノ・・・
 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての現代語訳。
(占)篤実な心を保って、すでに着手している事はその調子で進め、まだ着手していない事には手を付けてはならない。また、他人の人間関係には、口を出してはならない。外界の様々な現象に対して、できるだけ反応しない(動じない)ようにすべき時である。
○全ての他人に対して依頼心を起こしてはならない。
○何事も止まる(中止する・動かない・進めない)べきである。
○事業を中止・取りやめて、何もしてはならない。
○一つの事に焦点を当てて、他の事に目を移してはならない。
○何事も篤実であることが求められる。
○偏屈なので周りの人々と調和することができない。
○妄りに動いてはならない。
○一山乗り越えたら、また一山と、苦労に苦労が重なる時である。
○物事は遅滞する。
○丁寧にやり過ぎて、速やかに事を成し遂げられない。
○止まるべき所に止まり、義理を大事にする。自分は我を張らず、他人の我は受け容れて対処すれば過ちを犯さない。
○性的な事を貪りかねない時である。
○高いものを仰ぎ見て、古いものを懐かしむべき時である。
○互いに行き違いがあって、志すことが一致しない。このことが、逆に幸いして咎なきを得る。
○止まるべき所に止まり、他の事には囚われない(自得の)時。
○それぞれが反対を向いて立っているように、人と人が向き合うことなく、それぞれがそれぞれの責任で心を立てる時。
○家臣(部下)は忠に止まり、子どもは孝に止まる。私心を捨て、それぞれが止まるべき所に止まる時である。
○相談しても、相談されても、うまくいかない時。
○手に取って確認すべき時。 ○手や指や鼻に関する物語。
○物価は再び上がって、高止まりする。

艮 初六 |・・ |・・

初六。艮其趾。无尤。利永貞。
□初六。其(その)趾(あし)に艮(とど)まる。尤(とが)无(な)し。永貞に利し。
 初六は天涯孤独の身。止まる時の最初に居て、足が地面に釘付けとなり一歩も動くことができない。動かないので、過失は犯さない。幾久しく正しい道を守るがよい。
象曰、艮其趾、未失正也。
□其(その)趾(あし)に艮(とど)まるとは、未だ正(せい)を失はざる也。
 足が地面に釘付けとなり一歩も動けない。それゆえ、未だ正しい道を失わない。

 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての原文の一部。
(占)何事ニテモ坐ナガラニシテ宜キノ時トス、妄リニ他ニ求ム可ラズ、自然ニ來ルコトハ、進ミテ爲スモ苦シカラズ、正シキ道ヲ守ルトキハ、運氣開クベシ、・・・、