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期間限定「現代語訳(超意訳) 呑象高島嘉右衛門著 増補 高島易斷 上下巻 占例篇」 天雷无妄

二五 天雷无妄 ||| ・・|

无妄、元亨利貞。其匪正正有眚。不利有攸往。
□无(む)妄(ぼう)は、元に亨る。貞しきに利し。其れ正しきに匪(あら)ざれば、眚(わざわい)有り。往く攸有るに利しからず。
 无(む)妄(ぼう)は至誠にして私心なく天の道に則れば、何事もすらすらと通る。
 常に天の道に順うがよい。順わなければ人災を招き、何をやっても失敗する。
彖曰、无妄、剛自外來而爲主於内。動而健、剛中而應、大亨以正。天之命也。其匪正有眚、不利有攸往、无妄之往、何之矣。天命不祐、行矣哉。
□无(む)妄(ぼう)は剛、外より来りて内に主と為り。動きて健、剛中にして応じ、大いに亨りて以て正し。天の命也。其れ正しきに匪(あら)ざれば、眚(わざわい)有り、往く攸有るに利しからずとは、无妄の往くは何(いずく)に之(ゆ)かん。天命祐(たす)けず、行かん哉(や)。
 无妄は天地否の時に初九の一陽が卦外から来て主人公となった形。天の如く健やかに、間断なく(乾健)活動(震動)している。剛健中正の九五が柔順中正の六二と相応じて、天の道に順うので、何事もすらすらと通る。天の命ずるところである。
 天の道に順わなければ人災を招き、何をやっても失敗する。无妄は無為自然の時だからである。正しい道(天の道)に外れて何処に行くのか。
 天から見放されて、どうして進んで行けようか。
象曰、天下雷行、物與无妄。先王以茂對時育萬物。
□天の下に雷(かみなり)行(ゆ)き、物(もの)与(みな)无妄なり。先王以て茂(つと)めて時に対して、万物を育(はぐく)む。
 天(乾)の下で雷(震)が轟き渡り、万物は各々その性質に順って発育する。
 昔の王は、天の時に素直に順って、万物を養い育てるのである。

 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての原文の一部。
(占)此爻ヲ得ルトキハ、百事望ヲ達スル所ナキノ時ナリ、深く愼ミ恭順ニシテ、无妄ノ時ノ移リ易ルヲ待ツベシ、・・・
 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての現代語訳。
(占)あらゆることが望み通りにはいかない時。深く慎んで、何事にも恭しく柔順に振る舞い、无妄の時が終るのを待つしかない。慎みを忘れて、妄進すれば、天災と人災が続けて起こり、大凶に陥る。正しいことを行なっても、吃驚(びつくり)するほどの災難に襲われる。
 昔の言葉に「神は善に福を与え、悪に禍を与える」とあるが、これは道德を「勧善懲悪」の一面から述べたに過ぎず、天雷无妄の時は善人が正しいことを行なったとしても、無闇に動けば必ず災難に襲われる。
ひたすら慎んで无妄の時が終るのを待つより外に対処法はない。
○何も考えずに、何も行なわないことを「可(よし)」とする時。
○希望を抱いてはならない。厭なことが次々に起こりかねない時。
○天の道に順って動くしかない。無為自然に対処する時。
○何かを欲して動けば凶。 ○無為自然に任せる時。
○何気ない行動がとんでもないハプニングに発展する。
○ひたすら天命(宿命)に順って行動する時。どんなに智恵を絞っても絶対にうまくいかない時。
○至誠の心で対処する時。 ○正直な心で対処する時。
○真理は自然である。天命に任せて、己の意志を持ってはならない。どんな形で吉凶が現れても、無為自然に対処する。妄動すれば過ちを犯す。禍福を求めずに天の道に順う。 ○物価は高騰する。
无妄 初九 ||| ・・|

初九。无妄。往吉。
□初九。无妄なり。往きて吉。
 至誠にして私心なく天の道に則る无妄の時の始めに居て、无妄の道を全うする。
象曰、无妄之往、得志也。
□无妄の往くは、志を得る也。
 无妄の道を全うする。天が命ずる志(天命)を心得ているのである。

 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての原文の一部。
(占)一ノ誠心ヲ以テ人ニ接ス、所謂ル眞實无妄ナリ、然ルトキハ吉ヲ得ルナリ、若シ聊タリトモ不義不正ノ念ヲ挟ムコトハ、災害アルベキ時トス、・・・
 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての現代語訳。
(占)ひらすら至誠の心を抱いて、天の道に順えば吉運となる。少しでも不義・不正の思いが生ずれば、災害(天災・人災)に遭遇する。
○至誠の心を主とする時。 ○志を確立する時。

 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占例の原文の一部。
(占例)九州出身ノ力士ニ毛谷村六介ト云フ者アリ、體格肥大重量三十貫餘アリ、(中略)大關ノ地位ニ進ムヤ否ヤヲ筮センコトヲ請フ、乃チ筮シテ、无妄ノ初爻ヲ得タリ、・・・
 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占例の現代語訳。
(占例)九州出身の毛(け)谷(や)村(むら)六(ろく)介(すけ)という力士は、実に立派な体格で体重は三十貫(百十二・五キロ)を超えていた。幕下付け出し(アマチュア時代に優秀な成績を治めた力士を優遇する地位)二段目に昇進して、直ぐにでも幕の内に昇進する勢いだった。
 明治十七年某月、わたしは、友人と両国に出向いて相撲を観戦した。友人は大変な毛谷村のファンで、毛谷村が大関まで昇進するかどうかを占ってほしいと頼まれた。
 そこで、占筮すると天雷无妄の初爻を得た。
 易斷は次のような判断であった。
 无妄は上卦乾、下卦震。上卦の乾を父親とすれば、下卦の震は長男。これを力士の体型に例えると、上半身は大きくて強く健康的だが、下半身は小さくて弱いという象(形)。
 下卦震を足とすれば、初爻が変じると坤となり、坤は全て陰爻だから、勝敗で言えば敗れる。これは足を痛めて(怪我をして)相撲が取れなくなるという意味。この力士(毛谷村)は、足を怪我して相撲が取れなくなり、来年には引退する。
 六二の爻辞に「耕(こう)獲(かく)せず。菑(し)畬(よ)せず」とある。来年は、耕しても収穫できない。また、開墾しても田畑を作ることができない。すなわち、農業を続けることができない。
 以上のことから「毛谷山は努力と鍛錬を重ねて力士になったが、足を痛めて相撲界から引退し、転職することになる」と易断した。
 翌年(明治十八年)毛谷村六介力士は、案の定、足を骨折して相撲を辞め、転職したのである。

无妄 六二 ||| ・・|

六二。不耕獲。不菑畬。則利有攸往。
□六二。耕(こう)獲(かく)せず。菑(し)畬(よ)せず。則ち往く攸有るに利し。
 天理に則って無為自然に无妄の時に中る。
 例えば、田畑を耕さなくても収穫があり、開墾しなくても田畑を得る。
 無為自然の境地を保持して、進み行くがよい。
象曰、不耕獲、未富也。
□耕(こう)獲(かく)せずとは、未だ富まざる也。
 例えば、田畑を耕さなくても収穫があり、開墾しなくても田畑を得る。富を求める邪心なく、無為自然に无妄の時に中る。

 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての原文の一部。
(占)此爻ヲ得ルトキハ、所謂ル弱ノ肉ハ強ノ食ト云フガ如ク、身ニ道理アルモ、權力アル者ノ奴タルノ時ニシテ、威權強キ者ノ爲メニ、・・・
 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての現代語訳。
(占)弱肉強食の時。自分の行いが正しく道理に適っていても、権力者の僕(しもべ)なので、権力者に支配され、小国は大国に呑み込まれる。このような時は、狼狽したり、躓(つまず)いたりする。しかし、薪を背負って火に向かって行くようでなければならない。
○思いがけなく祖先の積善の德の恩沢にあずかる時である。
○天沢履と同じく、礼に適っていても危うい立場にいて、傷付く時。
○私利私欲から離れる。希望を叶えようとする心を捨てる。物事を前に進めることは難しい。淡々とやるべきことをやるしかない。
○本業(本分)を固く守り、他に心を動かさなければ、思いがけない幸運に出遇う時。

 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占例の原文の一部。
(占例)明治十四年一月、余寒ヲ熱海ニ避ク、熱海ノ地タル霊泉ノ病痾ヲ療スル(中略)幸ニ高島氏ノ一占ヲ勞セント、余乃チ命ニ應ジテ之ヲ筮シ、无妄ノ第二爻ヲ得タリ、・・・
 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占例の現代語訳。
(占例)明治十四年一月、寒さを逃れて、熱海の温泉で持病を癒しながら自然を満喫していたところ、沢山のお客さまがお見えになった。一日ゆったりと歓談したお客さまに、華族の島田公や神奈川県知事の成(なる)島(しま)柳(りゆう)北(ほく)氏などがおられる。また、大隈重信、伊藤博文、井上馨氏らもおられた。その時に大隅氏は、次のように言われた。
「最近、中央アジアのイリカスタルにおいて、清国とロシアの両国が国境を争って議論が決しない。ひょっとすると、戦争が始まるという風説もあり、日本はどちらを支持するかを各国が注目している。幸い高島氏とお逢いしているので占筮を願いたい」と。
 その願いに応じて占筮すると天雷无妄の二爻を得た。
 易斷は次のような判断であった。
 清国は隣国なので、これを内卦とし、ロシアを外卦と見立てる。
 无妄は、内卦震は木(陰陽五行説)で、動く性質を有する。物に例えれば木槌(きづち)である。外卦の乾は全てにおいて大いなる性質を有しており、金(陰陽五行説)である。物に例えれば巨(きよ)鐘(しよう)(巨大な鐘)である。現在、清国は自国を維持する力が不足しており、小さな外交トラブルを解決するために軍隊を送ることを好まない。広く国境を接する強国ロシアに向かって軍隊で威嚇すれば、ロシアとの交渉はギリギリのところまで緊迫する。
 またロシアは帝王国として侵略主義を維持するため、財政的に厳しい状態にある。それを乗り越えるため、戦争を押し進めて富を手に入れ、財政危機を解消しようとしている。
このような状況では、清国は妄りに軍隊を動かせない。木槌で巨鐘を叩いても巨鐘を傷つけることはできない。木槌が砕け散ってしまう。
 六二の爻辞に「耕(こう)獲(かく)せず。菑(し)畬(よ)せず。則ち往く攸有るに利し」とあるが、これには二通りの解釈がある。一つは、耕すけれども得られないと解釈し、一つは、耕さずして得ることができると解釈する。どちらにも解釈することができる。どちらも常識に反する内容だが、こういうことは起こり得る。それゆえ、雜卦伝には、「无妄は災なり」と書いてある。災は思いもよらない時に襲ってくる。理不尽な災害は沢山ある。今は、そういう時である。
 以上のことから、清国とロシアの交渉を推察すれば、ロシアと国境を接してトラブルになることは、清国にとって災である。清国は、自ら進んで軍隊を用いる愚行は犯さないであろう。よって、「清国の政府は、ロシアに対抗せず、自国の土地を譲与するか、お金で解決する。決して軍隊は動かさない」と易断した。
 以上の結果を伝えたところ、手を敲いて、すばらしいと絶賛する人もいれば、疑って納得しない人もいたが、その後、易断の通りになったことは、衆人の広く知るところである。

(占例2)東京の青山に一人の富豪商人がいる。今から三世代前に本家と分家にわかれた。分家は勤労と節約で商売は繁盛していた。本家は遊び人が代々続いて資産を食い潰してしまった。分家の主人は大変に心配して、本家に資金を援助してきたが、衰運を止めることは難しく、日々貧困に陥り、今や助けようのない状態に至った。
 本家の主人は分家を嫉(ねた)んで、本家に吸収しようと企んでいた。ある日、分家の主人を本家に呼び寄せて、次のように言った。
「お前も知っているように、最近本家の経済状態が思わしくない中で、分家の経済状態は益々繁盛している。本家が分家を立てたのは、本家が衰運に至った時でも、存続できるようにするためである。今、このような状態に陥ったからには、本家と分家が合併して、本家を継続させようと思う。お前もそのことを理解してほしい」。
 分家の主人は大いに驚いて、あらゆる方法で断ろうとしたが、本家は聞き入れず、本家と分家が争う形になった。本家の主人はとんでもない理屈を付けて裁判所に訴えた。分家の主人は狼狽して、わたしのところに飛んで来て、わたしに吉凶を占ってほしいと頼んだ。
 そこで、占筮すると天雷无妄の二爻を得た。
 易斷は次のような判断であった。
 无妄は上卦乾、下卦震。乾は金、震は木である。上卦を本家、下卦を分家とする。震(分家)は木であり動くという性質を持っている。分家は木の槌で金の堅い性質の物を打ち砕こうとしているのである。分家は勝つ事ができない。しかも、爻辞に「耕(こう)獲(かく)せず。菑(し)畬(よ)せず」とある。本来、耕す者は必ず獲るはずだし、開墾する者も必ず得るはずである。
 しかし今は、耕しても獲られず、開墾しても得られない。理不尽なことである。理不尽ではあるけれど、今はそういう時である。分家は勤労と節約を重ねて莫大な資産を手に入れたが、理不尽なことが起こる時の中にあって、その資産を守ることができない。分家は本家に資産を譲与することになる。それゆえ、六三の爻辞に「无妄の災なり。理由もないのに災難に遭遇する」とある。
 以上のことから、「分家は資産を本家に譲与し、本家と縁を絶った上で、残った財産を用いて事業を興すことを決断すべきである。今までのように、勤労と節約を重ねて行けば、再び繁盛して、逆に今よりも莫大な資産を得ることになる」と易断した。
 この易断を聞き、分家の主人は大いに喜んでわたしの提言に従い速やかに資産を本家に譲渡して、本家と別れて勤労と節約を重ね、それほど年月を重ねずして、莫大な資産を手に入れたのである。
 付言すると、わたしが易占を始めた頃、「耕(こう)獲(かく)せず。菑(し)畬(よ)せず」の意味が理解できなかったのだが、今、この易占を立てたことで、ようやく意味が分かった。「時」と「災」の関係が理解できたのである。「耕(こう)獲(かく)せず。菑(し)畬(よ)せず」は、何とも理不尽なことだが、无妄とは、こういう時なのである。

无妄 六三 ||| ・・|

六三。无妄之災。或繋之牛。行人之得、邑人之災。
□六三。无妄の災(わざわい)なり。或いは之が牛を繋ぐ。行(こう)人(じん)の得るは、邑(ゆう)人(じん)の災なり。
 理由もないのに災難に遭遇する。例えば、「ある人が繋いでおいた牛を、旅人が黙って牽(ひ)いて行ったところ、近くにいた村人が犯人と間違えられた」ようなものである。村人にはとんだ災難である。
象曰、行人得牛、邑人災也。
□行(こう)人(じん)の牛を得るは、邑(ゆう)人(じん)の災也。
 旅人が牛を盗んだら、村人が犯人に間違えられた。何と理不尽な災難であろうか。

 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての原文の一部。
(占)此爻ヲ得ルトキハ、我ガ女ヲ他人ニ奪ヒサラルルコトアルノ時トス、・・・
 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての現代語訳。
(占)恋人や連れ合いを他人に奪い取られるように、理不尽なことが起こる時。また、他人が愛している女性が行方不明となり、その女性を奪って隠していると疑われることもある。淫行は慎むべきである。強引に災難を逃れようとすれば、逆に大きな災難に襲われる。自然に災難が去って行くのを待つしかない。
○多くの人の生命を奪う大災害が、誰も予測しない中で起こり得る時。
○人から疑われて、予想外の災難に遭遇することがある。
○対処してもうまくいかない。がんばっても正しく思われない。それなのに、災難に遭遇する時。
○恐れ、驚く。 ○薄命。 ○無実の罪に陥る。

 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占例の原文の一部。
(占例)一日友人某氏突然余ガ舎ヲ訪ヒ、謂テ曰ク、僕頃日朋友某ト共ニ、一商業ヲ計リシニ、(中略)請フ一筮ヲ勞セント、乃チ筮シテ、无妄ノ第三爻ヲ得タリ、・・・
 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占例の現代語訳。
(占例)友人の某氏が突然わが家にやって来て、次のように言った。
「わたしは朋友の某と共に商売を始めようと思い立った。その商売は成功する可能性が大きいので、それを某に伝えて、商売の権利関係を書面にしよう(契約しよう)と思い、某と会うことを約束した。けれども、某は、家業が忙しくて、口約束はできるが、書面での契約は次の機会にしようという手紙を送ってきた。彼はどうして来ないのか。約束をしたくないのか。わたしが彼を訪ねる必要があるのか」。
 某氏に易占を頼まれたので、占筮すると天雷无妄の三爻を得た。
 易斷は次のような判断であった。
 友人の朋友某は、親戚か、知り合いから、ある女性を預かって世話をしていたが、その女性は、遠くからやって来た旅人と恋仲となり家出をしてしまった。これは无妄の災いである。理不尽な災難に発展しかねない。
「或いは之が牛を繋ぐ」。牛は陰の存在で、人に制御されるもの。
 これを解読すると、陰の存在で人に制御されるのは女性である。繋ぐとは、預けられること。この女性は、旅人と家出したので、預け主から、彼(友人の朋友某)は婦人と同意の上で婦人を隠して(かくまって)いると疑われて、大いに迷惑している。
 だから、「行(こう)人(じん)の得るは、邑(ゆう)人(じん)の災なり」と云う。朋友某が、「家業が忙しくて」とは、そのことである。友人は、易断が奇異な内容であることに驚いた様子であった。
 数日後、友人がやって来て、次のように言った。
「この前の易断は、一言の間違いもなく、全て的中した」。

无妄 九四 ||| ・・|

九四。可貞。无咎。
□九四。貞にす可し。咎无し。
 九四は不正不応で妄動し易い。天の道に順うがよい。天の道に素直に順えば咎を免れる。
象曰、可貞、无咎、固有之也。
□貞にす可し、咎无しとは、固(もと)より之を有する也。
 天の道に順えば、咎を免れる。誰もが、元来、无妄の道(無為自然な天の道)を具えているのである。

 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての原文の一部。
(占)此爻事ヲ爲スニ用ユ可ラズ、陽ニシテ應ナシ、詮ナキコトヲ企テ、剛陽の位置ヲ失フ可ラズ、又常業ヲ守リ、他人ノ福利ヲ羨ム可ラズ、・・・
 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての現代語訳。
(占)自分の思い通りに事を為そうとしてはならない。陽の性質だが応じる相手はいない。私利私欲で事を企てて、今の立場(社会的地位)を失ってはならない。本業を大切に守って、隣の芝生(他人の仕事)は青いと羨(うらや)ましがってはならない。无妄の時が終るのをじっと待つしかない。無事を幸せだと感じること。人としての行いを慎んで問題が起こらなければ善しとする。事を為してはならない。
○古い習慣を守って、今のあり方に満足できれば吉である。

 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占例の原文の一部。
(占例)某貴顕來テ、運氣ヲ占ハンコトヲ請フ、乃チ筮シテ无妄ノ第四爻ヲ得タリ、・・・
 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占例の現代語訳。
(占例)某貴人が訪ねて来て、運氣を占ってほしいと頼まれたので、占筮したところ天雷无妄の四爻を得た。
 易斷は次のような判断であった。
 四爻は陽爻陰位。才能と智慧に秀でていても、氣力が付いて来ない。貴方の希望を追い求めれば、无妄の時に背き、必ず災難に遭遇する。
 以上のことから、「今年は妄りに動かずに、天の道に順うべきである。貴方の希望を追い求めれば、必ず災難に遭遇する」と易断した。
(易断の結果は書いてない。)

无妄 九五 ||| ・・|

九五。无妄之疾。勿藥有喜。
□九五。无妄の疾(やまい)なり。薬(くすり)する勿(なか)れ、喜び有り。
 无妄の時に中って邪心はないが、病に罹ることはある。生老病死は人生の定めだから薬(やく)石(せき)を施す必要はない。よく摂(せつ)生(せい)して寒暑を凌(しの)ぎ、程よく飲食すれば、放っておいても自然に快復する。
象曰、无妄之藥、不可試也。
□无妄の薬は、試(もち)う可からざる也。
 生老病死は人生の定め。よく摂生して寒暑を凌ぎ、程よく飲食すれば、自然に治癒する。薬石を用いる必要はない。

 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての原文の一部。
(占)非常ナル事ニ遭遇スルモ、勞擾ヲ爲スコト勿レ、久シカラズシテ、自ラ定ルノ時アリトス、是レ无妄之藥不可試也ト云フノ意ナリ、・・・
 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての現代語訳。
(占)非常事態に遭遇しても、慌てふためいてはならない。それほど時が経たないうちに、自然と解決方法が見つかる。これが「无妄の疾なり。薬する勿れ」の意味。
○剛健中正にしてトップリーダーの位に居る。応ずる二爻もまた中正であるから、无妄の時に適っている。
○思ってもいない疑いをかけられたり、病に罹ったりするが、心の中はすっきり晴れ渡っている時。
○思ってもいない心労が起こるが、自然と解決する。
○病に罹っても薬を用いることなく、自然に快(かい)癒(ゆ)する。

 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占例の原文の一部。
(占例)明治二十二年、某貴顕ノ運氣ヲ占ヒ、乃チ筮シテ无妄ノ第五爻ヲ得タリ、・・・
 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占例の現代語訳。
(占例)明治二十二年、某貴人が訪ねて来て、運氣を占ってほしいと頼まれたので、占筮したところ天雷无妄の五爻を得た。
 易斷は次のような判断であった。
 无妄は、動いて健やか、体格が勇ましく健康的で、容貌に威厳のある力士のようである。
動けば必ず災難に遭遇する。自戒すべきである。何かに発奮したり、大事を決断すれば、どんな理由があっても、无妄の災難に陥る。私に囚われることなく、自制して、災難に遭遇することを回避すべきである。このことを「无妄の疾なり。薬する勿れ、喜び有り」と云う。時には不慮の病に罹ることもあるが、自然に任せれば、自ずから元氣が回復して全快する。闇雲に薬を服用すれば他の病気を誘発する。
 以上のことから、「无妄の時は妄りに動いてはならない。自分の才知を過信して、災難に遭遇することを避けるべきである」と易断した。
 某貴人は易断を信用せず、妄りに動いて物事を紛糾させた。その結果、閑職に追いやられた。

(占例2)明治二十五年八月、弟の德右衛門が大腸の病を患って、医師の守永某に看てもらったが、薬を数日飲んでも治らなかった。医師の守永某からは手術しなければ治らないと言われたので、名医に依頼して手術することになった。
 そこで、手術の適否を占ったところ、天雷无妄の五爻を得た。
 易斷は次のような判断であった。
 无妄は思いがけない災難や理不尽な災難に遭遇する時である。わたしの弟の病が自然に発病したものなら、手術のような人為の治療をしてはならない時である。
 そこで、自然に任せて時を待つ。三週間(五爻が一週間、上爻が一週間、无妄を抜けて一週間、計三週間)で必ず快癒すると易断した。
 易断に従って手術はしなかった。弟の病は三週間で全治した。

无妄 上九 ||| ・・|

上九。无妄。行有眚。无攸利。
□上九。无妄なり。行けば眚(わざわい)有り。利しき攸无し。
 无妄が行き詰まる時に中り、進み行けば災難を招く。よいことは何もない。
象曰、无妄之行、窮之災也。
□无妄の行くは、窮まるの災也。
 窮しているのに進み行き、自ら災難を招く。天(無為自然)の道に則る无妄の時が行き詰まって災難を招いたのである。

 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての原文の一部。
(占)此爻ヲ得ルトキハ、己レ計画シタル所ノモノ、已ニ大ニ過チヲ、其破壊近キニ在リ、天災人眚並ギ至ルベシ、只祖先ノ霊ニ祈テ、其消除ヲ請フノ一時アルノミ、・・・
 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占いの見立ての現代語訳。
(占)計画したことは、既に大きく破綻しており、もうすぐ完全に破綻する。天災と人災に続けて遭遇する。こういう時はひたすら祖先の霊をお祀りして、災害が去ることを祈るしかない。
○悪人が災難を呼び寄せる時。運が良ければ善人が来て、諫めてくれることもある。速やかにその言葉に随うべきである。
○无妄の極点。ひたすら自戒して動かないようにすべし。困窮して災難に遭遇する時。
○大災害が起こる時。
○上爻変ずると「沢雷隨」となる。流れ矢に中って、兜を射貫かれる。
○天から圧力がかかっている時である。
○首が飛ぶ心配がある。以前、首が飛ぶところを逃れたことがある。
○あっという間に事に敗れて驚愕する時。
○過分の望みを抱いて、災難を招く時である。

 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占例の原文の一部。
(占例)毎年一月、余ハ必ズ寒ヲ避ケテ、熱海ニ游浴ス、明治二十二年一月ハ、故静岡縣知事關口隆吉君、(中略)同氏今歳ノ運氣ヲ占ヒ、筮シテ无妄ノ上爻ヲ得タリ、・・・
 以下、高島嘉右衛門著高島易斷の占例の現代語訳。
(占例)毎年一月、寒さを避けるために、熱海で過ごしている。明治二十二年の一月、静岡県知事の故関口隆吉氏が偶然熱海市内を巡回しており、樋口某が経営する温泉宿に、同宿することになった。関口氏は嘗(かつ)て徳川幕府の役人で、昌平坂で漢学を学び、学問の才能に優れた人であった。維新の時には五稜郭を攻略時の将軍として、お国のために苦労・尽力された方である。毎年一月熱海で過ごす時には、関口氏が市内を巡回するので、お互いじっくりと時間をかけて易について論じたりする。
 毎年、関口氏の運氣を占うのであるが、その年は、同氏は警部長など県幹部数名を同伴して来たので、その方々の前で、氏の今年の運氣を占筮したところ天雷无妄の上爻を得た。
 易斷は次のような判断であった。
 无妄の卦は、内卦は雷、外卦は天。天には「空」と「虚」という意味がある。大地に近いことを「空」、大地に遠いところを「虚」と云う。雷は大地から発する生氣、「空」には万物を鼓舞する性質があるが、大いなる「虚」まで進んで行ける力はない。それゆえ、妄りに進んではならない。そこで、この卦を名付けて「无妄」と言う。
 雷(震)は、木(陰陽五行説)で、動く性質がある。草木が萌芽するのは、雷が地中から生ずる時、上昇する氷柱(ツララ)のようである。
 乾は金という性質がある。易の開祖・伏羲が易を作った時に天地に参じて、天一、地二、天三、地四、天五、地六と数を立て、陰陽の居るべき位を定め、水火既済と名付けた。易の位の正不正はこれに拠る。雷が地中から生ずる。陰陽消長である。雷は木で、動くという性質を持っている。木が動くのは、木槌のようなものである。木槌が大きな金属を打ち砕こうとすれば、木槌が打ち砕かれる。だから、動いてはならないのが无妄の時である。
人間社会に当て嵌めれば、乾は父、震は長男。長男が父の下に居て父に従う時だから、自分の思い通りに行動することはできない。
 人は感情や欲望を制御できないから、活動する。だが、今は動いてはならない。動けば必ず思いがけない災害に遭遇する。彖伝に「无妄の往くは何に之かん。天命祐けず、行かん哉。」とあるのは、災害に遭遇する凶運だからである。上爻の言葉に「无妄の行くは、窮まるの災也」とあるのは、ますます凶運に遭遇するのである。
 以上のことから、「今年はひたすら謹慎して、一時たりとも无妄の時であることを忘れず、神様を崇拝して、神社にお参りし、災難を逃れることを、ひたすら、祈念すべきである」と易断した。
 関口氏は、以上の易断を聞くと、顔色が真っ青になって、恐れおののいた。このように易断を信じて、動揺した人を、わたしは未だに見たことがなかった。
 平素は見識高く知事として尊敬され、維新の時は戦場に臨んで将軍となり、飛び交う弾丸を恐れない、文武両道の人であるからこそ、易が示す真理を厳粛に受け止め、世の中のことを知り尽くした人であるからこそ、心に感じるところが大きかったのであろう。そばにいた、県幹部数名もまた、青ざめた顔色で言葉を失ったまま、席を辞されたのであった。
その後、新聞の報道によれば、阿部川城の間において汽車が衝突して、それに乗っていた関口知事は負傷した。その報道が政府に届くと、直ぐに宮内庁から侍医が派遣された。
知事の負傷は命に影響するものではない。わたしはこの報道を知って、驚いて思わず口にした。関口氏が「无妄の時の災難に遭遇した」と。そして、易断が示す天命に驚嘆したのであった。
 その頃、土曜日になると、神田錦町の英語学校において洋学者の杉浦重剛(すぎうらじゅうごう)氏など諸子のために、易を講じていた。
ある土曜日のこと。わたしの秘書から、静岡県警部長相原安次郎氏から急報があると講義中に連絡があり、相原氏と教室で面会した。氏から、関口知事が汽車の衝突事故に巻き込まれて負傷したことは、占筮のとおりであり、易断の奥深さに感服した。そこで、さらに知事の死生の運氣について教えてほしい、と頼まれた。
 わたしは学士の面前で占筮したところ、泰の上爻を得た。
○上六。城(しろ)隍(ほり)に復(かえ)る。師(いくさ)を用ふる勿れ。邑(ゆう)より命を告ぐ。貞なるも吝。
 堀を掘削して築き上げた城壁が崩れ落ちて堀が平地に復るように、泰平の時は終焉する。上下君臣交わらず民の心は離れる。兵力を用いてはならない。最早動乱を鎮撫することはできない。天下に政令を発布しても効果はない。近隣を治めるのが精一杯である。正しくとも、天下泰平を保てなかったのだから、恥ずべきである。
象曰、城復于隍、其命亂也。
○城(しろ)隍(ほり)に復(かえ)るとは、其の命乱るる也。
 泰平の時は終焉する。民の心が離れて、君主の命令が行き届かなくなったのである。
 泰は天地の精氣が交わる卦。国家に当て嵌めると、上下(君臣・臣民)の感情が交わる天下太平の時。だが、上爻は泰の終極、否に移行する時だから、「城(しろ)隍(ほり)に復(かえ)る」とは、倒れること、「其の命乱るる」とは、関口知事の命が危なくなることである。
 以上のように回答したが、洋学者諸子は、この回答に納得しなかった。「医師の診断によれば回復の兆しにあると新聞に書いてあった。易聖として知られるわたしの易断でも、信じがたい」と。
 そこで、わたしは、次のように言った。
「諸君は易占を学びはじめてからまだ日が浅いから、わたしの易断を半信半疑に思っている。だが、易断は至誠の心で天命を引き出す力があるので、一度も外れたことがないと自負している。諸君は至誠の心で易断を受け止めないから、疑問を抱くのだ。
諸君には発憤して易学の理解を深めてほしい。わたしのように自分の易断に絶対的な自信を持つようになってほしい。医学の知識で、人の天命を知ることはできない。目の前の病状を診断して治療の可否を判断するだけで、将来を予測することはできない。易断は、人智を超越して天命を引き出す。諸君がわたしの易断を疑うのであれば、これからの進捗状態を見守るがよい」。
 その後、しばらくして、関口氏の訃報が届いた。杉浦氏をはじめとする諸子は、みな、易断が予知した天命に感服した。
 その後、静岡県警部長相原氏と再会した。氏は次のように言った。
「生前、関口氏のお見舞いに訪ねたところ、氏は『高島氏に運氣を占筮してもらい、天雷无妄の卦が出たので、災難に遭った。これは正しく天命である。だが、回復に向かっているので、大きな災難を免れて、小さな災難に転じることができた』と言っていた。わたしは高島氏が関口氏の病状を占って泰の上爻が出たことを知っていたので、思わずため息を漏らし、しばらく無言になってしまった。そして、そのまま何も言わずに帰宅した。関口氏は天下の英雄だが、迷うこともある。わたしが、迷いに迷っても仕方あるまい。そういうわたしが、最近、深く天命を信じるようになった。死生命ありとは、言い得て妙である。
関口知事とわたしは竹馬の友であって、維新の時、函館で戦って以来の刎(ふん)頸(けい)の交わり(首を切られても、後悔しないくらいの仲)を結び、常に死生進退を共にしてきた。静岡県に奉職中は、とくに親しく付き合って、常に旅行は同伴してきたのに、今回に限って別行動だった。当日の話を聞けば、知事は汽車に乗り遅れそうになったが、ぎりぎりに飛び乗ったそうである。知事が死への旅立ちを急いだと考えられる。知事が乗った汽車は出発して僅か十キロ足らずの地点でカーブにさしかかったところ、前面から来た汽車と正面衝突して、天地が裂けるような爆音と共に、積んでいた貨物が飛散して、乗客一人が即死、二人が負傷した。知事は負傷した一人である。もし、わたしがいつものように同伴していれば、わたしも一緒に負傷したのである。正しく天命である。わたしはあなたの易断を信じたくなかったが、こうなれば、信じないわけにはいかない」。
 翌年、故関口知事の養子と熱海で逢った。彼は次のように言った。
「亡き父は、生前いつも、わたしと易学について語り合っていました。昨年、熱海から帰った後は、機会があると高島易斷のことを誉めていました。天雷无妄を繰り返し読み、本の紙が磨り減っていました」。
 あぁ、世間の易を知らない人がこの話を聞いたら、どう思うだろう。易断を疑う人は、相原氏に聞いてみればよい。