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易経(周易)を読み解く 十(乾為天 九三)

九三 ――― ――― △嵐のち晴○ 之卦 十天澤履
九三。君子終日乾乾、夕惕若。厲无咎。
○九(きゆう)三(さん)。君子終(しゆう)日(じつ)乾(けん)乾(けん)し、夕べに惕(てき)若(じやく)たり。厲(あやう)けれども、咎(とが)无(な)し。
 九三は、人生の師匠から君德を習得するために、朝から晩まで脇目も振らずに只管(ひたすら)精進する。夜になれば、一日を振り返って、畏(おそ)れるが如(ごと)く、わが行動を省みる(反省して改善・省略して効率化する)。傍(はた)から見ると「そこまでやるか」というくらいにやり過ぎているようで危なっかしいけれども、今はそういう時であるから問題は起こらない。
終日乾乾、反復道也。
○終日乾乾すとは、道を反復する也。
 九三が、人生の師匠から君德を習得するために、朝から晩まで脇目も振らずに只管(ひたすら)精進するのは、師匠から學んだ君德(君子としての基本的な人間力)を自分のモノにする(知識から見識へ、そして、見識から胆識へ昇華する)ための、反復訓練なのである。

九三曰、君子終日乾乾、夕惕若。厲无咎、何謂也。子曰、君子進德脩業。忠信所以進德也。脩辭立其誠、所以居業也。知至至之、可與幾也。知終終之。可與存義也。是故居上位而不驕、在下位而不憂。故乾乾。因其時而惕。雖危无咎矣。
○九三に曰(いわ)く、君子終日乾(けん)乾(けん)し、夕べに惕(てき)若(じやく)たり。厲(あやう)けれども、咎无しとは、何の謂いぞや。子曰く、君子は德に進み業(ぎよう)を脩(おさ)む。忠信は、德に進む所以也。辭(ことば)を脩めその誠を立つるは、業に居(お)る所以也。至るを知りてこれに至る、ともに幾(き)を言うべき也。終るを知りてこれを終る。ともに義を存すべき也。この故に上位に居りて驕(おご)らず、下位にありて憂えず。故に乾乾す。其の時に因(よ)りて惕(おそ)る。厲しといえども咎无きなり。
 九三の爻辞に、「九三は、人生の師匠から君德を習得するために、朝から晩まで脇目も振らずに只管(ひたすら)精進する。夜になれば、一日を振り返って、畏(おそ)れるが如く、わが行動を省みる(反省して改善・省略して効率化する)。傍(はた)から見ていると『そこまでやるか』というくらいにやり過ぎているようで危なっかしいけれども、今はそういう時であるから問題は起こらない」と書いてあるのは、どういう意味であろうか。
 孔先生は次のように解説された。
 九三は人生の師匠から君德を習得するために、その持ち場(生活や仕事)において修業を積み上げる。持ち場(生活の場や仕事の場)において、素直な心を失うことなく、誠を尽くせば、周りの人々から信頼される。それが、君德を習得することにつながる。
 発する言葉は慎み、言ったことは必ず実行して、忠誠を貫くことが、持ち場で修業を積み上げることである。
 物事の結果を事前に予測して、予測通りの結果に至るのは、普通の人は気付かない兆しが観えるからである。物事の理想的な終わり方を弁(わきま)えており、想定した通りに終わらせることが出来るのは、成し遂げようとしていることに大義があるからである。
 以上のようであれば、社会的地位を得ても驕(おご)り高ぶることなく、卑(ひ)賤(せん)に甘んじることになっても憂えたりはしない。
 だから、朝から晩まで脇目も振らずに只管(ひたすら)精進する。夜になれば、一日を振り返って、畏(おそ)れるが如(ごと)く、わが行動を省みる(反省して改善・省略して効率化する)。傍(はた)から見ていると「そこまでやるか」というくらいにやり過ぎているようで危なっかしいけれども、今は師匠から學んだ君德(君子としての基本的な人間力)を自分のモノにする(知識から見識へ、そして、見識から胆識へ昇華する)時であるから、問題は起こらないのである。

終日乾乾、行事也。
○終日乾(けん)乾(けん)すとは、事(こと)を行なう也。
 九三が朝から晩まで脇目も振らずに只管(ひたすら)精進するのは、実践に実践を積み重ねて、人生の師匠から學んだ君德(君子としての基本的な人間力)を習得するためである。

終日乾乾、與時偕行。
○終日乾(けん)乾(けん)すとは、時と偕(とも)に行うなり。
 九三が朝から晩まで脇目も振らずに只管(ひたすら)精進するのは、その時々(時間軸、空間軸、社会軸の三つの時)に応じて、修業しているのである。

九三、重剛而不中。上不在天、下不在田。故乾乾。因其時惕。雖厲无咎矣。
○九三は、重(ちよう)剛(ごう)にして中ならず。上(かみ)は天に在らず、下(しも)は田(でん)に在らず。故に乾乾す。其(そ)の時に因(よ)りて惕(おそ)る。危うしといえども咎(とが)无(な)きなり。
 九三は陽爻が重なっている(初九・九二)上に居て、中(ちゆう)庸(よう)の位置を超えている(何事もやり過ぎる傾向がある)。上に居る飛龍(天)にはほど遠く、下に居る見龍(田・地)からは離れてしまったので、不安定な時の真っ只中に居る。だから、朝から夕方までやり過ぎるほど修業して人生の師匠から學んだ君德を習得する必要がある。
 そして、夜になれば、一日を振り返って、畏(おそ)れるが如く、わが行動を省みる(反省して改善・省略して効率化する)。以上のようであるから、傍(はた)から見ていると危なっかしいけれども、問題は起こらないのである。

【以下、高島易断から占いとしての見立てを引用】
(占)優れた見識を有する君子が業務に勉め励めば、その才能と人德が天下に認められて、多くの人々に心服される。
万事行いを慎んで、間違っても人を侮(あなど)ったり欺(あざむ)いたりすることがないように心がけ、昼も夜も薄氷を踏むように慎重であれば、遂に大きな成功を成し遂げる。
○(この時に中って)、事に臨んで少しでも(髪の毛一本ほどでも・毫(ごう)も)怠るところがあれば、時機(時運到来して事を起こすべき絶妙のタイミング)を失って力量を発揮できずに気持ちが鬱屈する。