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易経(周易)を読み解く 九(乾為天 九二)

易経(周易)を読み解く

九二 ――― ――― ○晴○ 之卦 十三天火同人
九二。見龍在田、利見大人。
○九(きゆう)二(じ)。見(けん)龍(りゆう)田(でん)に在り、大(たい)人(じん)を見るに利(よろ)し。
 九二は、潜んでいた龍が世(社会、現場、第一線)に現われる段階である。潜龍の段階で打ち立てた「確(かつ)乎(こ)不(ふ)抜(ばつ)の志」を実現するために、貴方を導いてくれる人生の師匠(大人)を捜し求めて、師匠から教えを請(こ)う時である。
見龍在田、德施普也。
○見龍田に在りとは、德の施し普(あまね)き也。
 潜んでいた龍が世に現われる。貴方を導いてくれる人生の師匠を捜し求めて、貴方の「確(かつ)乎(こ)不(ふ)抜(ばつ)の志」を体現すべく、君子としての人德を習得する。すなわち、将来、「飛龍」の地位を得て、普(あまね)く慈雨を民(たみ)に施すべく、師匠から君德を習得するのである。

九二曰、見龍在田、利見大人、何謂也。子曰、龍德而正中者也。庸言之信、庸行之謹、閑邪存誠、世善伐、德博化。易曰、見龍田在、大人見利、君德也。
○九二に曰(いわ)く、見龍田に在り、大人を見るに利しとは、何の謂(い)いぞや。
子曰く、龍德ありて正(せい)中(ちゆう)なる者也。庸(よう)言(げん)之(これ)信(まこと)にし、庸(よう)行(こう)之(これ)謹(つつし)み、邪(じや)を閑(ふせ)ぎてその誠を存(そん)し、世に善くして伐(ほこ)らず、德博(ひろ)くして化す。易に曰く、見龍田に在り、大人を見るに利しとは、君德ある也。
 九二の爻辞の「見龍田に在り、大人を見るに利し」とは、どういう意味なのか。
 孔先生は次のように解説された。
 見龍の師匠となる大人は、君子たる人德を備えて、正しく時に対処できる人物である。
その言葉に嘘はなく信頼でき、その行動には気負いがなく、いつも慎み深い。邪(よこしま)な気持ちを制御して、常に誠実であろうと心がけている。世のため人のために尽して、それを誇ろうとする気持ちが微塵もない。このような人物であるから、その人德に多くの人が感化されるのである。
 「潜んでいた龍が世に現われ、人生の師匠を捜し求める」のは、貴方が、将来、世を治めるために必要な、君子としての德を磨くためである。

見龍在田、時舎也。
○見龍田に在りとは、時(とき)舎(す)つる也。
 「潜んでいた龍が世に現われて、志を実現すべく、人生の師匠を捜し求める」のは、自分の時(私利私欲)を捨て、無私の精神(滅私奉公)で師匠から學ぶためである。

見龍在田、天下文明。
○見龍田に在りとは、天下文(ぶん)明(めい)なるなり。
 「潜んでいた龍が世に現われて、志を実現すべく、人生の師匠を捜し求める」のは、師匠から君子としての德を學び、天下を君德で普(あまね)く照らすためである。

君子學以聚之、問以辨之、寛以居之、仁以行之。易曰、見龍在田、利見大人、君德也。
○君子は學(がく)以て之を聚(あつ)め、問(もん)以て之を辨(わか)ち、寛(かん)以て之に居(お)り、仁以て之を行う。易に曰く、見龍田に在り、大人を見るに利しとは、君德ある也。
 普(あまね)く慈雨を民(たみ)に施すべく、君子としての人德を磨いている見龍は、人生の師匠から學び善き習慣を積み上げている。自分の良心に問いかけて、是非善悪を弁(べん)別(べつ)している。以上により寛容な心を培(つちか)って泰然とした立ち居振舞を身に付け、思いやりの心を養(やしな)っている。
 「潜(ひそ)んでいた龍が世に現われ、師匠を捜し求める」のは、君子たる人德を備えた師匠から君德を習得して、天下国家に普(あまね)く慈雨を施すためである。

【以下、高島易断から占いとしての見立てを引用】
(占)大きな智恵と人德を具え、その存在が社会に認められる。また、その大德が多くの人に好影響を与える時である。それゆえ、進んで社会的役割を果たせる地位に就き、その才能と力量を発揮すれば、その功績は広大である。天下国家のために貢献するべきである。
○社会的地位の高い人の支援を得て、昇進・発達する時である。
○目上の人と心(志)を同じくし、協力して事を為せば、利益を得ることができる。