故(ゆえ)にその意を得るに當(あた)ってや、私智(しち)を逞(たくま)しうして以(もつ)て王公(おうこう)を欺(あざむ)き、利(り)欲(よく)を縦(もつぱ)らにして以(もつ)て庶民を虐(しいた)げ、讒(ざん)諂(てん)面(めん)諛(ゆ)、暴(ぼう)戻(れい)誣(ふ)罔(もう)、適(たまた)まかの良(りよう)家(け)の子を賊(そこな)ふ。豈(あ)に悲しまざるべけんや。且(か)つ士(し)の輕(けい)薄(はく)なる者、毎(つね)に倡(しよう)優(ゆう)の徒(と)と居(お)り、數〃(しばしば)雑(ざつ)戯(ぎ)の場(ば)に入り、日〃にその冶(や)容(よう)を見て、その婉(えん)言(げん)を聞く。則(すなわ)ち人材は彼に若(し)くものなしといひ、歆(きん)羨(せん)歎(たん)慕(ぼ)して、遂(つい)に廉(れん)恥(ち)の心を失ひ、便(べん)侫(ねい)口(こう)給(きゆう)、ただ優(ゆう)にのみこれ倣(なら)ひ、久(ひさ)しうしてこれに化(か)す。則(すなわ)ち士氣これが爲(ため)に萎(い)薾(じ)し、鄙俚(ひり)猥(わい)雑(ざつ)、以(もつ)て淫(いん)を宣(の)ぶるの俗(ぞく)醸(じよう)成(せい)す。況(いわ)んや優(ゆう)伎(ぎ)の音を操(あやつ)る、淫(いん)哇(あい)に非(あら)ざれば則(すなわ)ち殺(さつ)伐(ばつ)、人の心(しん)志(し)を奪ひ、人の情(じよう)性(せい)を盪(うご)かし、その中和の德を傷(やぶ)ること、ただに鴆(ちん)と斧(ふ)斤(きん)のみならざるをや。卽(すなわ)ち今の士(し)大(たい)夫(ふ)も、またただにその音を聴き、その容(すがた)を視(み)るのみならず、動(うごき)もすればその伎(わざ)を學び、その曲を習ひ、甚(はなは)だしきは郊(こう)廟(びよう)朝(ちよう)廷(てい)の祭(さい)祀(し)典(てん)禮(れい)に至るまでこれを用(もち)ひ、以(もつ)て韶(しよう)武(ぶ)に易(か)ふるあり。王侯もこれを舞ひ、卿(けい)相(しよう)もこれを奏し、美善ここに盡(つ)きたりと稱(しよう)す。その音たるを觀(み)みるに、節なく制なく、聲(せい)律(りつ)愜(こころよ)からず、宮(みや)商(しよう)序(じよ)なく、和に非(あら)ず應(おう)に非(あら)ず、相(あい)喚(よ)び相(あい)叫(さけ)び、曾(すなわ)ち鳥(とり)啼(なき)猿(さる)嘯(うそぶく)にだもこれ若(し)かざるなり。
河原乞食など民を誑(たぶら)かす人々が、偉い人に可愛がられるようになった理由は、自分が出世することだけを考えて知恵を絞り、役人などの偉い人を騙(だま)して、その立場を利用して自分の欲望を満たすために民衆を虐待し、ありもしない悪口を言って嫌いな人を陥(おとしい)れたり、自分を売り込むために媚(こ)び諂(へつら)ったからである。
また、荒々しく振る舞って、道理に反する行いを重ね、ありもしない作りごとを言って誹謗中傷する。このような傍(ぼう)若(じやく)無(ぶ)人(じん)な振る舞いが横行すれば、被害は良家の子女にまで及ぶ。何とも理不尽で悲しむべきことである。
しかも、困ったことに軽薄な武士どもが見(み)栄(ば)えの良い河原乞食(かわらこじき)をいつも引き連れて、奇術や曲芸などの技芸をやらせていることが民衆の目に入り、民衆は役者や俳優の艶(あで)姿(すがた)を見て、河原乞食を引き連れている軽薄な武士を遠回しに諫めている姿が彼方此方(あちこち)で見られる。
とんでもないことに、軽薄な武士どもは河原乞食を優れた人材を見なしており、ひどく羨(うらや)ましがって、役者や俳優を慕(した)って讃(さん)歎(たん)する。挙げ句の果てには、己の愚かさを恥じる心すら失って、口先は巧みだけれども、心に誠実さがなく、外面だけを取り繕っている河原乞食の外面を真似しようとする。しばらくすると、河原乞食のような中身のない武士になり下がる。武士としてあるべき本来の士氣は萎えしぼんでしまい、人間が卑しく、猥雑になって、邪淫な風俗が世間に広まり、社会を汚染していく。
さらに、河原乞食は熟練の技術で音楽を奏でる。それは淫らな気持ちをそそるような音楽であり、人の心を悩殺して、心や志がズタズタに引き裂いてしまう。社会を調和させ安定させる道徳の教えは吹き飛んでしまう。それはまるで、昔の中国の伝承に登場する鴆(ちん)と云う名の猛毒を持った妖しい鳥のようであり、人を殺戮するために用いる斧(おの)や鉞(まさかり)のようである。
すなわち、今の高級役人も、河原乞食が奏(かな)でる淫らな気持ちをそそるような音楽を聴き、その見栄えがする容貌に魅惑され、その技芸を学んだり、音楽を習ったりする。中には、そのような音楽や技芸を、朝廷や廟(びよう)堂(どう)で用いる高級役人もいる。伝統のある雅楽などの礼楽に、そのような妖しげな音楽や技芸が取って代わったのである。藩主や老中なども、その音楽で舞い、公(く)卿(ぎよう)のような殿(てん)上(じよう)人(びと)もその音楽を奏(かな)でている。美しいものも、善きものも、何も無くなってしまった。その妖(あや)しげな音楽や舞(ぶ)踏(とう)を観察すると、節度もなく制約もなく、音の調子は心地よいものではない。まるで宮中(きゆうちゆう)や商人との間に序列もないように、和合したりすることもなく、応じ合うこともない。お互いに呼び合い、叫び合って、まるで鳥が啼(な)いて、猿が嘯(うそぶ)くような妖しげな感じである。
舞(まい)は則(すなわ)ち文ならず武ならず、進退法なく、周(しゆう)旋(せん)度(たび)なし。歌は則(すなわ)ち侏(しゆ)離(り)鴃(げき)舌(ぜつ)、興(きよう)なく趣(おもむき)なく、景(けい)なく情(じよう)なし。夢に託(たく)し妖(よう)に託(たく)するも、また何の意義かこれあらん。その絲(いと)竹(たけ)和(わ)すべき者の若(ごと)きは、則(すなわ)ち繁(しげ)手(て)數(すう)節(せつ)、靡(び)靡(び)褻(せつ)慢(まん)にして、中(ちゆう)冓(こう)の言(げん)、尚(なお)聞くべきも、この言(げん)の鄙(ひな)なるは、聞くべからざるなり。またただ上の好む所、下必ずこれより甚(はなは)だしきものあり。則(すなわ)ちその風(ふう)を移し俗(ぞく)を易(か)ふるは、置(ち)郵(ゆう)して命(めい)を傳(つた)ふるよりも疾(はや)し。諸(もろもろ)かくの如(ごと)きの類(たぐい)、恥(は)づべくして愧(は)ぢず、惡(にく)むべくして懀(にく)まず、士氣の衰(おとろ)へたるや窮(きわ)まれり。それ士(し)忠(ちゆう)信(しん)に非(あら)ざれば、則(すなわ)ち以(もつ)て政(まつりごと)に興(おこ)るべからず、廉(れん)恥(ち)に非(あら)ざれば、則(すなわ)ち以(もつ)て事(こと)を處(しよ)すべからず。この四者(よんしや)は志以(もつ)てこれを固(かた)うし、氣(き)以(もつ)てこれを達(たつ)す。若(も)し志(し)氣(き)兩(ふた)つながら衰(おとろ)ふれば、則(すなわ)ち皮(かわ)の存(そん)せざる、毛はた何(いず)くにか屬(ぞく)せん。果(は)たしてかくの如(ごと)くならんか、たとひそれをして才あり藝(げい)あり、文(かざ)るに衣(い)冠(かん)を以(もつ)てせしむるも、しかもただこれ優(ゆう)孟(もう)のみ。何を以(もつ)てか君子となさん、何を以(もつ)てか士(し)大(たい)夫(ふ)となさん。これ豈(あ)に編(へん)伍(ご)法(ほう)なく、猾(かつ)良(りよう)相(あい)混(こん)するの弊(へい)に非(あら)ずや。巫(ふ)醫(い)百工(ひやつこう)と藝(げい)苑(えん)衆(しゆう)技(ぎ)の流れの如(ごと)きは、則(すなわ)ちこれに異なる者あり。何となれば則(すなわ)ちその國家の用をなすを以(もつ)てなり。それ人の技(ぎ)藝(げい)に於(お)けるや、好悪あり。好悪あれば、ここに能不能あり。その好みて能(よ)くすれば、則(すなわ)ち妙(みよう)年(ねん)にして或(あるい)は奇異と稱(しよう)せられ、好みて能(よ)くせざれば、則(すなわ)ち童(どう)習(しゆう)白(はく)粉(ふん)たり。なんぞ以(もつ)て誣(し)うべけんや。故(ゆえ)に先(せん)王(おう)の教(おしえ)を立つるや、師あり官あり、選んでこれを擧(あ)げ、登(の)せてこれを庸(もち)ふ。しかる後(のち)天(てん)下(か)遺(い)才(さい)あることなし。
その舞(ぶ)踏(とう)は全く文化的でもなければ、武士らしくもない。進むも退ぞくも雑然としており、定まった原理原則もない。その歌は全く「もずのさえずるに似て聞き取りにくい(注)」。また、その歌は面白くもなく、趣(おもむき)もない。また、風情もなく、何の感情もない。まるで夢のように、妖しげである。そんなものにどうして意義があろうか。それは和楽器のように調和する音楽であるはずがなく、すなわち、「音節が雑然といりくんでいる(注)」ように、雑音を繰り返し、驕(おご)り高ぶり贅(ぜい)沢(たく)で穢(けが)れていて傲(ごう)慢(まん)である。「宮中の奥深い所でひそかに語られるわいせつな言葉(注)」には、まだ聞くべき内容もあるが、この舞(ぶ)踏(とう)や歌に伴う言葉は卑(いや)しく、聞くべき内容は何一つない。
また、上に居る者が好む事を、下に居る者は、上に居る者以上に好むものである。その淫(みだ)らな気持ちをそそるような音楽は、日本中の村里の風俗を瞬く間に悪化させる。その早さは、まるで「宿場ごとに立てる駅馬や人足のように」あっという間である。その舞(ぶ)踏(とう)や音楽のような妖(あや)しげな風俗は瞬く間に蔓延(はびこ)り、その風俗に汚染された人々は恥じるべきことも恥じることなく、憎むべきことも憎まない。人々の士氣の衰えぶりは見るも無惨なほどに窮(きわ)まってしまった。
大体において、武士(役人)たる者、上役や命令に忠実に従って、人々から厚く信頼される人間性を備えていなければ、政治に携わってはならない。また、恥を知る人物でなければ、仕事をしてはならない。命令に忠実で上司から信頼されており、恥を知って仕事に携わっている人物は、確乎不抜の志を具えている。気高い心を有して、上役に命令されたことを達成しようと努力している。
もし、志と氣持ちが衰えてしまえば、人間は皮と毛で出来ている木(で)偶(く)の坊(ぼう)に過ぎない。どうして、上役や命令に忠実に従い、人々から厚く信頼される人間性を具えているべき武士(役人)の志と氣持ちが衰えてしまうだろうか。たとえ才能も武芸も秀でている武士(役人)が、それに相応しい役職に就いていたとしても、武士(役人)としての志や氣持ちが衰えてしまえば、それは「優(ゆう)孟(もう)(人の名、楽官。多弁滑稽であった・注)」のように多弁で滑稽な人物に過ぎない。
どうして志と氣持ちが衰えてしまった武士(役人)を君子と言えようか。どうして士大夫と言えようか。このようなことになってしまったのは、五人組の制度がなくなり、狡猾な人と善良な人が一つの社会に混じっているからではないだろうか。「巫女・医者・色々な道具を作る職人(注)」と「多くの芸道技能(注)」を身に付けた人の中には、君子であることが問われない場合もある。しかし、武士(役人)たる者は君子として天下国家に貢献することが求められる。「巫女・医者・色々な道具を作る職人(注)」や「多くの芸道技能(注)」を身に付けた人々は、人々の趣味嗜好に支えられている。人々の趣味嗜好に合致する能力があれば、うら若い女性にして、不思議な能力を有していると称賛される。しかし、相応しい能力がなければ、幼い女の子が白粉(おしろい)をつけて飾っているようだと批判される。どうして、このような人々が天下国家に貢献することができるであろうか。
それゆえ、賢人は歴代天皇陛下や聖人の教えを学び、師を捜して、役人になって天下国家に貢献しようとしたのである。やがて賢人は、役人として抜擢任用され、天下国家のお役に立った。野に埋もれる賢人など存在しなかったのである。