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易占徒然日記 38

・七月十九日金曜日
 起床したのは四時一寸過ぎ。事務所から東の空を見ると綺麗な朝焼けが広がっている。早速YouTubeに動画をFacebookに昨日の日記をアップして、今日一日の運勢を占筮したところ山水蒙☶☵の初爻が出た。
 卦辞・彖辞を解釈すると次のようになる。
○蒙は亨る。我、童蒙に求むるに匪ず。童蒙、我に求む。 初筮は告ぐ。再三すれば瀆る。瀆るれば則ち告げず。貞しきに利し。
▼蒙の時は無知蒙昧な幼児(童蒙)に例えることができる。童蒙(わたし)は蒙昧なので何をやっても通じないが、適切な師(易経の書籍等)について教えを受ければ、蒙を啓くことができる。蒙が啓ければ、物事が通じるようになる。
 師(我=九二=易経の先生)から進んで童蒙(わたし)を教え導いてはならない。童蒙(蒙昧な指導者=六五=わたし)から進んで師(易経の先生)に教えを求めるのである。蒙の時を占筮に例えて言えば、最初の筮に現れた吉凶禍福に絶対服従すべきである。それを疑い、再び占筮を求める人は蒙昧なので二度と占筮してはならない(易経を学ぶ資格のない人物である)。 童蒙(わたし)が素直な心で師(易経の先生)に教えを求めれば教え導くが、少しでも疑う心が見えれば教えてくれない。童蒙も師も正しい道を固く守れば、蒙の時は啓ける(啓蒙する)。
 爻辞を解釈すると次のようになる。
○初六。蒙を發く。用て人を刑するに利し。用て桎梏を説き、以て往けば吝なり。
▼初六(わたし)は柔弱で才德乏しいから、放っておけば悪の道に進みかねない。比する剛中九二の(易経の)先生は初六を啓蒙する役割を担っている。九二(易経の先生)は刑罰を加えるような厳しさで初六(わたし)に道德を叩き込むが宜しい。道德が身に付いて(易経を理解して)きたら刑罰を緩くすべきである。いつまでも厳し過ぎると未熟な初六(わたし)が反抗して、悪の道に進みかねない(易経の勉強を止めかねない)からである。
 さて今日の午前中は午後(十三時半から十五時半まで)行う山梨文化学園の易経講座の準備をじっくりとした。十六時過ぎに帰宅した。それにしても今日は暑い、ということで早めに店終いした。