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時の物語 周易六十四卦 校正 13

二十七.萬物を養う時

 人や組織の中身が空っぽだと何も為し遂げられない。空腹だと元氣が出ない。頭が空っぽだと知恵が湧かない。中身を養ってこそ何かを為し遂げられる。今の自分や組織に何が足りないのかを考えて必要な物事を養うことが肝要だ。どんな人も組織も始めは中身が空っぽである。その人や組織の存立意義や目的を明らかにして必要な物事を養う。これを自分に当て嵌めると、自分の存立意義や人生の目的を明らかにする。自分は何のために存在しているか。人生は何を成し遂げるためにあるか。それを実現するためには何を養えばよいか。空腹な時に元気を出すために食物を取り入れ体力を養うように、必要な物事を養うのだ。

 「萬物を養う時」の主人公は仕事で日本を訪れて以来、日本に惹かれるようになり、日本に定住して日本の歴史や文化を学び続けている「あなた(わたし)」である。

 わたしは米国生まれのジャズピアニストである。母が日本人なので日本語も話せる。小さな頃からジャズピアノが好きで、知的なジャズピアニストのビルエバンスに憧れていた。ビルエバンスのようなピアニストになりたくて音楽学校に入り、卒業後はビルエバンスに師事したジャズピアニストがリーダーを務めるピアノトリオの付き人として働きながら師匠からピアノを学んだ。付き人になって二~三年経った頃、師匠が日本各地を横断する演奏旅行に行くことになり、付き人として日本に同行した。日本における演奏会は札幌・盛岡・東京・神奈川・京都・大阪・福岡の各地で開催。旅をしながらの演奏活動だったので、日本滞在は半年間に及んだ。各地におけるリハーサルの合間に宿泊地周辺や時間があれば観光地にも足を伸ばし、日本の歴史や文化を満喫した。大阪の演奏会から福岡に移動するまで一月ほど間が開いていたので、師匠の許可を得て淡路島まで足を伸ばし、民宿に一週間滞在した。すっかり淡路島に魅了され、福岡に移動して最後の演奏会を終えた後、師匠に理由を話して付き人を辞めることを伝え、米国に帰らずに日本での滞在期間を半年間延長した。お金がなかったので、宿泊していた民宿にお願いして使用人として雇ってもらった。日本語がしゃべれるのでお客様の送迎から電話の受け答え、客室の片付けや民宿の掃除など雑務をこなし、時間が空いた時は民宿のご主人に淡路島全域を案内してもらった。あっという間に半年が経ち、一旦米国に帰国したが、日本のことが忘れられずに母に日本に永住したいと伝えたところ、母が父を説得してくれたので再び日本を訪れることができた。以下省略。

二十八.枯れた柳に新芽が生える時

 どんな組織も時が経過すると陳腐化して枠組みが弱って倒壊の危機を迎える。枯れた柳に新芽が生えるように、弱体化した枠組みを再生する必要がある。
 「創業は易く、守成は難し(貞(じよう)観(がん)政(せい)要(よう))」と言われるように、組織が永続するかどうかは守成の要である三代目にかかっている。初代は勢いで創業し二代目は継続する。ここまでは容易である。ところが、この後が難しい。新しく起こした組織が衰退しないように維持していくのが守成である。守成を実現できるのは三代目しかない。初代と二代目の発想から切り替えて組織を環境に適合させるのが三代目の役割である。

 「枯れた柳に新芽が生える時」の主人公は祖父が立ち上げた会社を引き継いだ父の後継者(三代目)として現場の中心で一生懸命働いている「あなた(わたし)」である。

 わたしは人口五万人の風光明媚な地方の町に生まれ育った。大正生まれの祖父が戦地から帰国して妻子を養うために食うや食わずで苦労した後、日本が高度経済成長に向かい始めた昭和三十五年に大手自動車企業の下請け会社として立ち上げた中小企業S工業社の三代目だ。日本によるある同族企業の後継者として小さな頃から将来社長を継ぐことを前提とした教育を受けて大学まで進んだ。昭和六十二年に父が祖父から社長を引き継いだ。昭和二十三年生まれの父は三十九歳だった。父の代になってから大手一社依存のリスクを分散すべく大手自動車企業の下請けからの脱却を図り、自動車関連機器の開発と製造を始め、社名をS工業社からS情報社に改めた。昭和四十五年生まれのわたしはバブル経済が崩壊した直後の平成四年に大学を卒業し、東京のIT関連企業に就職。S情報社の後継者として武者修行に入った。日本国中浮かれるように投機に走ったバブル経済を経て、元号が「昭和」から「平成」に代わると直ぐにバブルが崩壊し、成長を続けてきた日本経済は一気に冷え込んだ。売り手市場で希望する会社に就職できた時代から、買い手市場となり希望する会社にほとんど就職できない時代に移行した。幸いわたしが大学を卒業したのはバブル経済が崩壊した直後だったので、第一希望の会社には入れなかったが、第二希望の会社に入ることができた。以下省略。